知人と言えば知人な関係
マゲラン共同墓地の一画には騎士団専用の墓場がある。彼らは国を支える立場として、生前の希望や遺族の意志などが関与しない限りここに埋葬されるのが通例となっていた。
ビーレフェルト大陸では、各々のグリモアーツに刻まれるシンボルを家名と共に墓石に彫るのが一般的な墓標の作りとなっている。それら個性豊かな石と植えられた針葉樹が並び立つ中に、エルマー・ライルの姿があった。
彼は小柄な体躯を喪服に包み、女神の微笑みを刻まれた墓に青い花を一輪そっと添える。
今日は彼が二ヶ月に一度赴いている墓参りの日だ。
「……兄さん。兄さんのグリモアーツを悪用していた人は、もういないよ。死んじゃったのは、ちょっと予想外だったけど」
墓石に向けて静かに語りかける。
この行為は宗教が衰退した異世界でも度々見られるものだ。基本的に墓場は死者への語りかけをする場所として捉えられており、それを阻害する行為はマナー違反として咎められる。
信仰という起源は一人の犯罪者によって破壊されてしまったが、その中で生み出された風習が宙ぶらりんのまま文化として溶け込んだ一例とも言えよう。
「でもわからないことがあるんだ。父さんも母さんも戸締りはしっかりする人達だし、そもそも兄さんのグリモアーツをどこにしまっておいたかなんて誰にも話していなかった。保存していたかどうかさえ近所の人は知らなかったかもしれない」
そこだけは未だに解せない。が、考えれば答えが出る類の話でもないと断じて無言のままかぶりを振る。
あの事件を乗り越えてから、彼は定期的に両親に連絡を入れるようになっていた。最初はそういった情報を整理するためだったのだが、粗方必要となるやり取りを終えてからもその習慣は何となく続いている。
少し、親子の距離が縮まったように思えた。
あれから破壊されたセバスチャンのグリモアーツ“カリヤッハ・ヴェーラ”は、砕け散った破片の状態で回収された。
今は騎士団経由で研究院に預けられ、他人によって使用された痕跡から何かわからないか未知の技術について研究が進められている。家族の手元に戻るまで数年は要するだろう。
それを惜しむ気持ちは無かった。既に兄の死は受け入れて、彼の遺品が彼の意志に反する行いに使われることはもうないのだから。
「それでね、えっと。まだちゃんと話せてるかどうか不安だけど、話し相手もできた。トーゴー・ケースケ君っていうんだ。客人だよ」
朗らかな表情を浮かべる彼はどこか誇らしげだ。
今まで友人と呼べる友人がほとんどいなかったせいか、前向きな報告は常にクエストの成功報酬など味気ないものが多かった。それが少しだけ華やかな内容になった関係で彼の声もどこか軽くなる。
「あと、彼と同じパーティの人達も。まだエリカさん以外の名前は、その、正直憶え切れてないんだけど……みんな良い人ばかりだよ」
勉学にばかり励んできたせいか、人の名前を記憶するのは不得手だった。有名人の圭介は何度も名前を聞く機会があったからまだマシだが、学年二位のエリカですらフルネームは知らない。伯母であるレイチェル校長とファミリーネームが異なる、という程度の情報が精々だ。
それでも名前を憶え切れないくらいには周囲に人がいるのだと再認識するだけで、今までとは異なる充実感があった。
「……じゃあ、行くね。来月は父さんと母さんも一緒に来る予定だから」
言って、共同墓地を後にする。
残された青い花がふらりと揺れた。
* * * * * *
エルマーは普段から図書館に入り浸っている。
多少交友関係が増えたと言ってもそれは限定的なものだ。寮室にいる自分以外の男子生徒三人に気を遣い、彼は極力外で活動していた。
自身の行いが孤立を加速させているという自覚はあれど、いつかは彼らとも話したいと考えている。アガルタ王国の国風を思うに正直な反応が返ってくるだろうが、その時は寮室内での交流を諦めてこの習慣を継続するだけだ。
今日は生物学関連の書籍でも漁ってみようか、と本棚の合間を潜り抜けていくと見慣れた顔があった。
(あれ、ケースケ君?)
真面目な表情で机の上に書籍を広げているのは間違いなく圭介だ。
本の隣りには知らない単語を見つけた時のためだろう、翻訳用のアプリケーションを起動した状態のスマートフォンが置かれている。頭上のアズマの存在感も相まって、静かな図書館にひそひそという話し声が染み渡るように響いていた。
本人は慣れているのか集中しているのか、目の前の文字列を追ってばかりいる。
「こ、こんにちわ」
それなり見知った顔とはいえ相手は有名人、加えて周囲の目線と相手が読書中という事実もあってか声をかけるのに躊躇する。
それでも以前までの自分とは違うという意識が「ここで気軽に声をかけるくらいはしておけ」と囁いていた。
「ん、ああエルマー君。こんにちわ」
『どうも』
幸いにも双方から友好的な反応が返ってきて、内心ほっとする。ただ周囲のさざめきが一層強まった事には素直に申し訳なさがあった。
「ご、ごめん。騒がしくなっちゃったね」
「いや、別に慣れたから」
圭介はというと半笑いで受け流している。言葉通り慣れたのだろう。
エルマーも学年一位を中等部から貫いているので、目立つ状況に慣れる気持ちは何となくわかった。
「何をしてたの?」
「んー、まあ帰る方法について色々調べてるところ。あまり収穫は見込めないけど最初から探しもしないってのも勿体ないからね」
圭介が広げていた本はハディアなどの転移装置について記述された、魔動機械工学関連の書籍。厚い大判のそれについて頭を抱え込みながら読み進めている。
「それ、専門的な知識がないとわからないんじゃ……」
「だから専門的知識の塊みたいなアズマならわかるんじゃないかと思ってたんだけどさ」
『申し訳ありませんがそういったデータは持ち合わせがありません』
「ってことで、わからないなりに色々調べながら読んでるところ。最悪もっと基礎的な本を探すよ」
「そっか。でもどうして転移装置について調べてるの? それで移動できるのって、結局この世界の中だけなんじゃ……」
エルマーも客人の世界に魔術が存在しないという認識はあった。どころか魔気すら存在しないというのだから、仮に世界同士が近い位置にあったとしても魔力で動くハディアでの移動が可能かどうかは何とも言えない。
それでも圭介は構造に関する項目を穴が開くほどじっと凝視していた。
「ぶっちゃけると魔力云々はどうでもいいんだ。ただ空間転移って僕らの世界では実現できてないはずの技術だから、そこの仕組みがわかれば少しでも違うんじゃないかなって。あっちの世界に魔力がなくても実現できるなら一方通行で構わないわけだし」
「そっか。ちゃんと考えてるんだね」
何気なく放たれた「一方通行で構わない」という発言に、一抹の寂しさを覚える。彼が元の世界に残してきたものがどれほど大きなものなのか、エルマーにはわからないと再認識させられてしまった。
圭介の言葉を信じるなら交際中の相手とはあまり良好な関係を築けていないようである。
しかしその一方で、帰ろうとする理由の一つもその交際相手なのだ。それだけに限らず、家族との繋がりや排斥派に狙われない平和な暮らしなど取り戻したいものは多くあるだろう。
あまり相手のテリトリーに踏み込んで不審に思われたくなかったので、エルマーは深入りするという選択肢を頭から消した。
「そもそも転移って普通に魔術じゃ再現できないものなの? エルマー君も妖精の召喚とかやってたしあの要領でさ」
「それは、どうだろう……。【テレポート】っていう魔術が無くはないけど」
「へえ、あるんだ。でも元の世界に帰れるほどの規模は無理そうかなあ」
「客人の世界がどう、っていうより、使える人がいないよ。実現不可能な理論だけの第一魔術位階だもん」
「第一……。そこまで行くと誰も実現できないって話は校長先生から聞いたけど、やっぱ難しいものなんかな」
「それは、まあ」
圭介は意外そうに目を見開くが、まず前提として魔術位階を明確に定義している者は大陸でも多くはない。誰でも使えるものが第六、専門性が絡めば第五といった具合だ。
その中でも第一魔術位階は『誰にも使えない』という認識が広く知られている。しかし実際に定義を見れば四つの特徴を持ち、それら全てに該当する魔術であれば第一魔術位階に分類されるのだと理解できる。
同時に、第一魔術位階には使用者そのものがいないと言われている理由もわかるのだ。
一つ、三歳までに第五魔術位階を使用できる程の才覚を持つ者が使う。
二つ、紙に書き起こすだけで数年を要する複雑な術式を用いる。
三つ、その複雑な術式を制御するための演算能力と魔力操作能力を要する。
そして、四つ。
「第一魔術位階は規模を問わないんだ」
「規模を……? どういうこと?」
いまいちイメージできていない圭介の目の前に、墓参り前の道中で買い物した際に受け取ったレシートを差し出す。
「例えば“対象を一瞬で燃やす”っていう第一魔術位階があったとして、その対象がこのレシート一枚なら一瞬で燃えるのはこの一枚だけ。それこそ使う術式がどんなに複雑だろうと、得られる効果は第六魔術位階【トーチ】と変わらない」
「ふむふむ」
「で、対象がこの図書館だとするね。そうなった場合、紙切れ一枚が燃え尽きるのと同じように一瞬で図書館が燃え尽きるんだ。柱一本残らない」
ぽかんと圭介が口を開いたまま硬直する。その反応を受けて自分がどれほど不適切な話をしてしまったのか、エルマーはようやく自覚した。
「……あ、いや物騒な話をしたかったんじゃなくて、あくまでも例えだよ。僕が発火術式に適性あるからそういう話にしちゃっただけで」
「あ、ああそっか。びっくりした」
しかしわかりやすい例えではあったのか、得心したように頷いている。うんうんと首肯する度に頭上のアズマがエルマーの鼻先を掠めた。
「そんなだから、使う人はもういないんじゃないかなあ。別に無くても不便しないからね」
「そりゃそうだろうねえ。あれ、でももういないってことは、昔は使ってる人がいたの?」
「相当昔の話になるけど」
一拍置いて。
「アガルタ王国初代王妃、リリィ・アガルタがその使い手だったって話だよ。どんな第一魔術位階なのかは記録が残されてないからわからないんだってさ」
「ほーん。でもそんなのを使えたとして、何に使うんだか」
「さあ……? 医療関係で秀でた才能があったって話は残ってるから回復魔術じゃないかな?」
言いながら「そんな単純な話じゃないだろうな」とエルマーは推察していた。
回復魔術の第一魔術位階など、歴史に残さない理由がない。
恐らくは王家の結界魔術絡みか、あるいはそれこそ危険だからと術式ごと廃棄されたのか。
いずれにせよ王家の極秘事項の可能性もあるし、何なら記録の有無さえ疑わしい。好んで掘り起こしたい情報でもない。自分なんかが調べてわかるものでもないだろうとさえ思う。
少なくとも力なき一般市民である自分が知って得をする話でもなさそうだ。
そういった真相に至って利益を得られる、あるいは前へと進めそうなのは――。
「回復魔術かぁ。それなら異世界転移とは関係なさそうだな」
目の前で早々に興味を失っている、帰りたがりの少年くらいなものだろう。




