王家
歴史書、アガルタ王国王族を評して曰く。
「あの方々にとって夏場の夜明けは、寝間着から正装に着替え終えて朝食を摂る時間帯に眺めるものである」
* * * * * *
時は早朝五時半。
所はアガルタ王城。
その内部、とある一室では精悍な顔つきの男がフィオナと二人で朝食を済ませていた。
年齢は四十代後半に差し掛かった辺りか。
短く切り揃えられた髪の色は撫子色。この世を儚むかのように伏せられている瞳は橙色。
フィオナの身体的特徴と重なる部分が多いこの男こそ、アガルタ王国当代国王にして彼女の父親。
デニス・リリィ・マクシミリアン・アガルタであった。
王家の食卓は長いテーブルの上に豪奢な料理が並ぶ形で完成する。並ぶ、とは言えども一皿一皿の量はさほどでもなく、きっちりと一人分の食事として計算されたメニューが提供されるものだ。
時間配分と手の動きを最適化しないと食べ終えるまでに時間がかかるものの、慣れればどうというものでもない。速度が遅くなれば体調不良の兆しと見られて医務室送りになるまでだ。
空となった皿が下げられるまでの間、静かな時間が生じている。
それを先に破ったのはデニスの方であった。
「トラロックの一件は首尾よく……とはいかなかったようだが、しかし無難に片付いたな」
「ゴードン・ホルバインとの戦闘によって、騎士が十一名死亡しています」
「被害の規模ではなく世間体の話をしている。実態はどうあれ観光客達は騎士団の行動を称賛し、トーゴー・ケースケは英雄的立ち回りをこなした。だからこそ、結果として首尾よくとは言えんが無難に片付いた」
優しげな表情に反して、彼の言葉は冷ややかだ。それをフィオナは努めて無表情のままに聞いていた。
上流階級の一部ではデニスが第一王女の才華に嫉妬し、ちょくちょく仕事を押し付けているという噂が囁かれている。それはフィオナも知っていた。
同時にその噂の根源が、デニス本人であることも。
嫉妬などとんでもない話だ。本当にフィオナを疎ましく思っているのなら、逆に何も外の情報を学べないよう王城の図書室にでも閉じ込めてカビの生えた知識だけを無為に溜め込ませているだろう。
寧ろ一ヵ月以上前にアーヴィング国立騎士団学校の合同クエストに赴いた件やダアトの視察も含めて、彼の手のひらの上に過ぎまい。おかげでフィオナの知見は広まり、あらゆる情報に頭を悩ませながらも成長を促されている。
あの噂は、それこそ本当に厄介な手合いがフィオナに余計な嫉妬を抱かないよう調整するための王の虚言だ。
だからこそ癪でならない。
何をしても父親の管理からは逃れられないような気がして。
「火の熱さを知ったなら火遊びも自重しろ」と諭されているようで。
「…………ゴードンの不審死についてはどうお考えですか。監獄の鍵はそのままに姿が見えなくなり、二十ケセル先の里山で斬殺された状態で発見されたでしょう」
「報道された事実、それが全てだ。脱獄の手段及び殺害の実行犯の行方は依然として捜査中。それ以外に何も言うべきことはない」
「相手は死者のグリモアーツを扱う規格外の犯罪者グループですよ。可能性としては……」
「勘違いはまだ続いているようだな、フィオナ」
静かな、厳かな声だった。
それを真正面から向けられたことで、流石のフィオナも思わず口を噤む。
「我々王族は事実も真実も掘り進まないし探らない。それらを手元に置いて管理する、あるいは管理の妨げとなるものを取り除くのが本来の在り方だ。騎士団に任せておけばいい仕事を、わざわざ彼らから奪おうとするのは権威への冒涜に繋がると知れ」
彼の叱責は常に容赦というものがない。
王族としての在り方以外では口を出さないことを鑑みるに、第一王女である彼女への確かな信頼と愛情があるのだろう。それはフィオナとて弁えているし、ありがたいとさえ思う。
だからきっと胸に蓄積する靄は、子供っぽさを起因とする反抗心なのだろうと彼女本人が片づけた。
「……申し訳ありません、お父様。王家としての自覚が足りていなかったようです」
「構わん。私は私が信じる物事を教えるのみだ。そうして得た一つの事実をどう扱うかはお前の領分に過ぎん。正しさを求めるのならいつでも反論しろ」
「…………はい」
この言葉は「いつでも挫いてやる」とも、「今しがた言われたことさえ疑ってみろ」とも受け取れる。どちらにせよ素直に敗北を認めさせてくれない辺り、やはりこれも彼なりの育て方なのだ。
いっそ上から重圧をかけてくれれば嫌いになれるものを、と思わなくもない。
フィオナが沈黙した辺りで、扉を叩く音が聴こえた。
「お皿を下げに参りました」
「うむ、入りなさい」
デニスの声に応じて給仕の女性が皿を下げに入る。それを確認してデニスも立ち上がった。
「私はダンジョン評議会の役員と面談があるのでここで。お前も今日はロトルアとディアドラを往復する予定だろう。最近はダンジョンの発見報告数が急上昇しているからな」
彼が言っている事は事実だが全てではない。
ロトルアの[プロージットタイム]に隠蔽されていたダンジョンの存在が世間に露呈した際、“大陸洗浄”でその名を轟かせた“黄昏の歌”平峯無戒が出現。その日の内に遊園地の取締役会会員であったエイブラハム・ノーフォークを殺害した。
これを受けてあらゆる貴族が自治領にダンジョンを発見したと報告を入れ、騎士団に調査依頼を出したのである。首を捥がれまいと隠蔽工作をかなぐり捨てたのが透けて見える話だ。
こうなると冒険者は騎士団の手伝いという名目で仕事が増えて儲かるが、王族としては頭を抱えたくなる状況だった。
どれほどの人数がどれほどの数、自治領にダンジョンを隠し持っていたものやらわからないのである。
それも貴重資源の取引が国内で完結していれば上等な方だが、他国に資源を売りさばいていたりした日には最悪今後の貿易に響く。
今日は彼も彼女も、それらの片づけに奮闘することとなるだろう。
「ではな」
「行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃいませ、お父様」
このような日が続いているのなら軍事面での危機感が欠けるのも頷ける。
らしくもなく、そんな考えがフィオナの脳裏を過ぎった。
ロトルアに向かう際には空路を通る。その関係で王都の名物でもある浮遊島に向かおうと城内の豪奢な廊下を歩いている最中、思わぬ相手と出くわした。
「あっ……フィオナお姉さま?」
「ケイティ? こんな時間にどうしたのですか?」
眠たげな目をぱちぱちと瞬かせながら廊下を歩くのは、純白のドレスに身を包んだ六歳程度の少女。
腰まで届くウェーブのかかった髪は薄い桃色を帯びながらも全体的に色素が薄く、さながら真珠の如き艶やかな白に輝いている。
彼女はアガルタ王国第三王女にしてフィオナにとっての腹違いの妹、ケイティ・リリィ・マクシミリアン・アガルタである。
「その、えへへ……」
気まずげに笑う姿はいたずらが露見したようで、憎めないながらどこか不穏さを滲ませていた。
「…………怒らないから言ってごらんなさい。どうしてこんな早くから起きているの」
「そ、そのぅ……マーシャお姉さまといっしょに、えぇと……け、けんの、おけーこを」
「何をしているの!」
がばり、とフィオナの両手が少女の小さな肩を捕まえた。
「わ、ぅ」
「どこか怪我していないでしょうね? ああもう、貴女達はそんな危ない真似をしなくてもいいと言っているでしょうに」
「で、でも、フィオナお姉さまみたいに、さいてーげん、たたかえるように、ならないと……」
「それなら習い事で充分じゃありませんか! 毎週蒼穹の日になれば剣の先生が来て剣の扱いを教えてくれるでしょう! 十分ほど!」
講師からしてみれば無茶振りなどという次元ではない艱難辛苦である。
「でも、マーシャお姉さまが、けんのせんせーは、フィオナお姉さまにめーれーされて、すごくやさしく、おしえてるって」
「いえまあそれはその何と言いましょうか、ああもうどこからそんな話を……っ」
当然、情報源はその『マーシャお姉さま』だろう。彼女の地獄耳は城内でも有名である。
マーシャ・リリィ・マクシミリアン・アガルタは、フィオナに次ぐアガルタ王国の第二王女だ。フィオナほど本格的に王族として動いてはいないが、現在はとある名門学校の中等部で英才教育を受けながら自宅たる王城では王としての業務を学んでいる。
そして妹に対して鬼のように甘いフィオナと反抗期に入ったマーシャは、奇跡的なまでに相性が悪い。
だからかたまにこうして互いの主張が奇妙なタイミングで衝突することもある。
「あの子は、もう!」
「あ、あの、マーシャお姉さまを、おこらないであげてください。とってもやさしく、おしえてもらいましたから」
因みにマーシャもマーシャでケイティに対しては鬼のように甘かった。
見方によっては長女と次女が三女を奪い合うような関係とも言える。
「とにかく、もう無茶なことはしないでください。剣の練習なら先生に教わればいいし、貴女はどちらかというと回復魔術に適性があるのですから」
「はい……。その、マーシャお姉さまもせんせーも、おしえるときにあまりちがわなかったので、それでいいとおもいます。きっとどちらからおそわっても、おんなじです」
「ええ、わかればよろしいのですよ」
その言葉を受けて納得したのか、フィオナは強く頷いてケイティの頭を優しく撫でた。
「ケイティがそんな物騒なことをしなくても済むように、私も頑張りますから。ケイティはその優しさを大事に大事に育ててあげてください」
「わかりました。フィオナお姉さまも、むりなさらずに」
「ありがとう」
憂鬱な気分でいたところに思わぬ励ましを受けて、フィオナは反射的にケイティを抱きしめた。
「いつか二人が他国に自慢できるような、素敵な国にしてみせます。だから、それまで待っててくださいね」
「はい!」
胸に突き刺さるような愛おしさを惜しみながら小さな体から離れ、元の方向に向かう。
愛する王妃以外にも側室を数名用意したものの、最初に生まれた娘が十五歳の誕生日を迎えるまでについぞデニスは息子を作れなかった。
なのでこのまま順当に進めばその最初に生まれた娘、即ち第一王女のフィオナが王位を継承するだろう。
アガルタ王国の行く先は彼女次第。
それを知るが故に、彼女は父である王にも負けじと国を愛し、学び、進むのだ。
義務感とは別の感情があることを否みはしない。
妹達に明るい未来を見せてやりたいという気持ちは常にある。
そして、見せてやれなかったという悔いもまだ残っている。
なればこそ、と彼女は王女として手段を選ばない。
最近また新たな力を得たという客人の少年、トーゴー・ケースケ。
彼を懐に入れて国内の排斥派を鎮静化することができれば、王族の務めにも余裕が生じる。
その時こそ軍事面での強化を進めるまたとない好機だ。
極論それさえ成し得れば、圭介自身の存在は必要不可欠というほどでもない。
(あとは大陸に永住しようが帰還しようが、本人の意思に任せるまで)
その上で彼が自分の手元にいると決めたなら受け入れるつもりでもいる。
役目を終えた後ならダアトに行ってくれてもいい。
(ですからこれからもお世話になりますね、ケースケさん)
今、彼は【パイロキネシス】という第四魔術位階を習得したという。だがそこまでなら、国王直属の騎士団である“銀翼”で充分対応可能な範囲だ。
まだ終わらせられない。
まだ続いてくれる。
稀有な魔術の適性を持つ客人の少年を想い、フィオナは薄く笑った。
優しい微笑みが怜悧な作り笑顔に変わる瞬間を、見た者はいない。




