遊び心
ふわりと圭介の体が浮かぶ。
周囲には火の粉が舞い、体の表面をオレンジ色に照らしていた。
「おお……マジで浮いてる」
感心した様子のエリカが見つめる先に“アクチュアリティトレイター”の姿はない。圭介は今、グリモアーツを【解放】することなく地面から離脱している。
一時期は【解放】せずに飛ぶことなど不可能と断じていたが、滑空はまだできないにしてもこのくらいの芸当は身についたらしかった。
「ふぅっ」
全身の力を抜いて圭介が魔力の放出を途絶えさせ、着地する。
その顔は汗でびっしょりと濡れていた。
「あっつい! こんなん夏場にやるもんじゃねえわ!」
「せっかく飛べるのにもったいねぇな!」
『あの調子のまま二十分ほども浮いていれば脱水症状で倒れていたでしょうね』
「危ないなオイ!」
エリカの肩に止まるアズマの冷静な予測で思わず圭介が青褪める。
昼食も終えた昼過ぎのホーム前、いるのは彼ら二人と一羽だけだ。他のメンバーはそれぞれ夏休み中のアルバイトや簡単なクエスト、個人的な仕事に調べものなどで欠席している。
夏休みの宿題を順調に片づけつつある圭介と既に片づけたエリカは、たまたま空白の時間が被った関係でこうして揃ってホームに赴いていた。
「あー、汗べっとべとで気持ち悪い。せめて室内じゃないと駄目だね、真夏の直射日光までコンボに加わりやがるもんだから耐えきれない」
「体を冷やしながら火ィ噴けばいいんでねーの」
「そんな無茶苦茶言うの君くらいなもんだぜ」
今行っていたのは圭介がトラロックで偶発的に会得した第四魔術位階、【パイロキネシス】の練習だ。
【ハイドロキネシス】と同様に自然現象に干渉する念動力魔術だが、この魔術には念動力そのものを強化するという役割もある。上手く使えば今実現してみせた通り、グリモアーツ未解放の状態で浮くこともできた。
ただ、扱う対象が炎というのは少々厄介でもある。
今更確認するようなことでもないが、季節は夏。周囲に漂わせる炎は圭介の肌を焼くように温めてしまう。
エルマーのような発火・燃焼系統の魔術に適性がある者なら体内から漏れる魔力だけでも抵抗できるらしいが、生憎と圭介の適性はそれではない。アズマの言う通り熱中症になって倒れる可能性が高く、高温環境での多用は控えざるを得なかった。
「んー、まあそんなに飛んだりしなくても普通の念動力で大丈夫かね。あたしも火災なんざごめんだし」
「あ? 何の話?」
「ちょっとケースケに手伝ってもらいたいことがあんだ。こっち来てくれや」
言いながらエリカに促されるまま移動を始める。同時に彼女の肩から離れたアズマが圭介の頭上に飛び移った。
案内されたのはホームの裏。プレハブ小屋の裏側には大したスペースもないので覗き込むことなどないと断じていたが、先にそこに入ってからちょっとした隙間に手を突っ込んだエリカは奇妙なものを次から次へと引きずり出してきた。
カーボン製のトタン板。
長短様々な角材と鉄筋。
業務用と思しき針金の束。
ガムテープと大量の段ボール。
無数のネジと固定用の金具各種。
砂が入っているらしき袋が二十袋近く。
「マジで何これ」
「ちょっと前に話しただろ。せっかくホームが手に入ったんだし、滑り台作るんだよ」
「…………そんな話してたっけ?」
いまいち記憶にない。
「忘れやがってこの野郎。まあいい、ミアちゃんユーちゃんが帰ってくる前に完成させてあいつら驚かしてやろうぜ。念動力あればすぐだろこんなん」
「まあ、できるだろうけど」
『作るつもりでいるんですか』
「別に僕は構わないよ」
少し前までの圭介であれば「意味不明な行動に巻き込むな」と呆れながら言っていたかもしれないが、宿題を手伝ってもらったりクエストで助けてもらったりしてきたせいでどうにも断ろうという気になれなかった。
そのくらいなら、という気分でかき集めたであろうそれら材料に目を向ける。
「で、まず何から始めんの?」
「屋外に作るから何をするにもまず屋根作りだ。トタン板はデカめのを調達したからそれを使う」
まずそのためにも屋根を支える支柱から作る必要があるだろう。
エリカは“レッドラム&ブルービアード”を【解放】すると、双方の銃口の先端に魔術円を一つずつ展開する。
そしてそこにぺとりぺとりと固定用金具を貼りつけていった。
「くっつくんだそれ……」
「くっつくようにしたんだよ。遠方訪問先でこういうやり方を勉強してきたからな、細かい作業ならちょっとはできる」
「もう騎士団じゃなくて工業関連の仕事目指せば?」
エリカはそれに応答せず金具に魔力を流し込む。すると複数の金具が形状を変えて、パズルのピースのように組み合わさり一枚の板となった。
極めて大雑把な造形だが、手持ち用のスコップである。
「ほれケースケはそっち持て、穴掘るから」
「いや軽く流してるけど何、エリカ今とんでもないことしなかった? なんで金具がスコップになるんだよ」
『錬金術の第六魔術位階を二つ同時に使用したのでしょう。恐らくは【シェイプシフト】と【ユニオン:メタル】かと思われます』
まず【シェイプシフト】とは物質の形状を変えるものである。
これそのものは第六魔術位階ということもあって大がかりな干渉はできない。今回金具の形を変えたのも、魔力でやるか指の力でやるかの違いだ。
【ユニオン:メタル】は金属同士を繋げる魔術だが、こちらも所詮は第六魔術位階。物質として結合させるといっても一時的なもので、効果の長持ちで言えば接着剤の方が優秀だろう。
それでも二種類の、それも適性外の魔術を同時に扱えるというのはエリカ自身が持つ長所だった。
『それにしても素早いですが、何かご経験がおありで?』
「これも遠方訪問で勉強してきたことでな。機械工場で工場長やってるおっちゃんからコツを教えてもらった」
「コツ?」
「金属の声をな……聞くんだよ……」
「あぶねー宗教にでもハマってんのかなその工場長とやらは」
よくわからないがとりあえず穴は掘れるようになった。【サイコキネシス】で掘ろうかとも提案したが、土を叩いて固めながら穴を掘るという意図もあるらしく手作業を余儀なくされる。
とはいえ数は四つ、二人がかりなのもあってすぐに穴を掘り終えた。
穴の幅は角材よりやや広めに確保する。これは支柱となる角材の周囲に鉄筋を備え付けた状態で刺し込むかららしい。
「先っぽが平らな角材を刺すとなると土相手でも骨折れるからな。こうして刺さりやすいように工夫すんのよ」
「考えてんなあ」
「んで、柱ができりゃあ次は屋根だ。ちゃっちゃとやんぞ」
「はいはい」
鉄筋を繋げた方とは反対の先端部位を、トタン板の四隅に当ててネジで固定する。魔術円を利用してエリカのグリモアーツを電動ドライバーのように使うとは思わなかったが、おかげで順調に作業が進んだ。
更に鉄筋を固定した上に針金を太くなり過ぎないくらいに巻きつけて補強する。あまりがっちりと固定しても振動に弱くなるらしく、少しだけ空間に遊びを残すのがコツなのだとエリカは笑いながら説明した。
あとは【テレキネシス】で角度と位置を調整してしまえば簡単に屋根と支柱が形になる。
「柱の根っこにまた土かけて踏み固めとこう」
「本当ならこれだけで結構な重労働なんだろうな」
「マジでお前の魔術って便利だよなあ。姫様が欲しがるわけだわ」
「僕としては頼むから寄ってこないで欲しい相手だけどね」
言いながら柱周りの土を踏み固めたら、今度は滑り台作りだ。
砂が詰まった袋を積み上げて基礎とする。その上に蛇腹状に組まれた段ボールを乗せて、ガムテープと針金で固定。
この階段部分の安定にエリカは強い拘りを見せた。
「アズマ、この位置でいいか?」
『はい、そこで合っています』
「よーしよしよし、やっぱ機械が味方についてくれると安心感あるな」
「つっても最初の目測とアズマのアドバイスとでそんなに違わないじゃん。エリカの計算も大概凄いよ」
「それでも最後は正確に計測して微調整したいんだよ。……よし、これで丁度なはずだ」
『お疲れ様でした』
「まさか王女様も僕にプレゼントした刃物を滑り台制作に使われてるとは思うまい」
切れ込みを入れた段ボール同士を組んで完成した階段と踊り場部分は、少々不格好ではあるもののエリカより体重が上なはずの圭介が乗ってもびくともしない。
あとはスロープ部分を作ってしまえば作業は終わる。
「しっかしこの歳で段ボール組み合わせて滑り台作ることになるとは思わなかったな。ご大層に雨よけの屋根まで備え付けちゃってさ」
砂袋はともかく、針金や金具を用いた精密作業は念動力魔術では実現するのが難しい。残された最後の手順の中で、圭介はちらりとスマートフォンを見た。
まだ作り始めてから四十分も経っていないことに気付き、魔術というものが齎す影響の大きさを垣間見る。トラロックでの戦いを通して壊してしまった建物について何も言われなかったが、考えてみれば再建などこの異世界では容易いことなのだろう。
「まーあたしも思いつきで言っちまったところあるからな」
「だろうね、うん。そこに計画性とかは期待してなかったよ」
そもそも圭介の主観としては滑り台作りの計画など今日が初耳である。
「けどこういうもんがあると何だ、景観? がよくなるっつーか」
「逆に景観損ねるんじゃないの。モノが段ボール製の滑り台だもんなあ」
「一応ここはあたしらの土地ってことになってるから大丈夫だ。このホームはあたしらの子供みたいなもんだ。どんなに不細工でも文句は言わせねえ」
「結局見栄え悪くなってるって認めてんじゃねえか」
異世界だと景観保全を目的とした行政代執行とかはどうなっているのだろうか、などと答えが得られなくても問題なさそうな考えが圭介の頭を過ぎる。
馬鹿なやり取りをしている内に最後の仕上げが終わり、スロープ部分を組みつけ終えた。
試しに二人で交互に滑ってみても、特に不安定な感触はない。アズマに簡単な物理演算を任せてもみたがやはり問題なく使えるようだ。
「これで終わりっと。んじゃケースケ、ちゃちゃっと片づけてゲーセン行こうぜ」
「お前こんだけアウトドアな物体を作っておいて直後にゲーセンて」
「へへへ」
彼女の笑顔に釣られるように、圭介も自然と笑みを浮かべた。
念動力でさっと余った金具や針金をまとめ上げ、片手に持って不燃ごみ用のゴミ捨て場へと向かう。
魔術を使わなければ重くて仕方がなかっただろうそれをゴミ箱にどさりと投げ込んでから、ふと滑り台の方に振り返った。
もしも自分が元の世界に帰れば、あの滑り台で遊ぶことなど永遠にできなくなるのだろう。
元よりああいったもので積極的に遊ぼうとも思っていなかったが、不思議と作り終えた今は心のどこかに惜しさがある。
もちろん今更になってこの程度の感傷で留まろうとは思わない。帰るための手段さえ確立されてしまえばそこまでだ。ここは圭介にとって、本当にいるべき場所ではないのだから。
ただ、もし明日には帰ることになるとしても。
最後に一度くらい滑る時間くらいはあるだろう。
「エリカ」
「んぁ?」
「先にゲーセン着いた方にアイス奢りな!」
「は? おいゴラァてめっ」
寂寥を振り切るように。
『バカ』と書かれたガムテープをエリカの背中に叩きつけてから、圭介は全力で走り出した。




