エピローグ 帰る理由
トラロックでのクエストを終えてから二日後。
圭介は業腹ながら夏休みの宿題でわからない部分をエリカに聞こうと思い、パーティのホームに足を運んだ。本人曰く「遠方訪問を経て勉強の教え方を教えてもらったから試させろ」とのことだった。
それに今日は一度全身が凍結してしまったアズマを専門家に点検してもらうべく、最寄りの魔道具店に預けている。首への負担が減っただけで頭が冴えたような気にさえなるのだから恐ろしい話だ。
ともあれまだ暑くなり始めのいい陽気である。風はまだ涼やかで虫もさほど飛んでおらず、頭も軽い。絶好の勉強日和と言えるだろう。
そんなこんなで少し普段より活力に満ちた状態でホームに訪れた結果、予想外の光景を目にすることとなった。
「あ、あああの、エリカさん……。こ、こここここここの、この、この女の子、し、しし死死しんじゃいま、死んじゃいました、けど……」
「ああそいつな。全ルート共通で一旦死ぬんだよ」
「ぜっ、全ルート共通で、一旦、死ぬぅ……?」
「まあそのまま進めてみ、面白いことになるから」
「おも、面白い……? 怖い、だけ、なんです、けど……」
何故か学年一位と学年二位が肩を揃えてゲームに興じていた。どうやらエリカが以前やっていた奇抜な内容の恋愛シミュレーションゲームらしい。
どういう流れだ、と奇異の視線を送るとそれを察知したらしいエリカが振り向く。先日殴られた時の怪我は騎士団の回復魔術によって治され、既に痕跡すら残っていない。
「おうケースケ、おはよう。宿題でわかんねーとこあんだろ、見せろ見せろ」
「う、うんおはよう。それはそれとして、エルマー君に何させてんの。あれ絶対にハードな内容のやつじゃん。似たようなのが僕らの世界でもアニメ映画とかになってたから知ってんだぼかァ」
「あ? 別に普通だろあれくらい。ちょっと人が死んだり人を殺したりするだけだ」
「そんな内容でどうやって恋愛をシミュレーションしろってんだ」
吊り橋効果狙い一本勝負などの内容でなければ理解が及ばない。何となれば吊り橋効果狙い一本勝負の時点で大概意味不明だ。
「でも何故か後日談的な続編はほのぼのとした学園恋愛アドベンチャーだし、そっちをやるためにもまずは本編をやらせとくべきだと思うんだよあたしは」
「人が死ぬ話の後日談でそんなんやられて、純粋な気持ちで楽しめるものなのか……?」
何故そんな内容なのに後日談はほのぼのとした学園恋愛アドベンチャーなのか、それがどうしてもわからなかった。
「つっても通販サイトでの評価はめっちゃ高いし今度アニメ化もする名作だぞ。ほれ、しかも二期あんだぞ二期」
「いやだからってさ、人には向き不向きあんだろ。なんでエルマー君にコアなギャルゲーやらせてんだよ」
「そりゃお前、本人がやってみたいっつーから」
「マジで!?」
圭介としては何をどう拗らせたらそうなるのかと変な心配をしてしまう。
携帯ゲーム機と睨み合いながら必死にキャラクターのセリフを聞いているエルマーを見ていると、このまま変な色合いに染まった挙句成績が下がりそうな気さえした。
「ほれ、トラロックで勝手に行動したり相談不足だったりで色々トラブっただろ。あたしはその現場見てないけどケースケのいるところに乗り込んだって話もセシリアさんから聞いたし」
「まあそうだね。騎士団の指示無視して真っ先に突っ込んだ時には何事かと思ったわ」
「んでどうすりゃコミュニケーションを上手くとれるのかってんで相談されたからよ。『じゃあギャルゲーだな』と」
「学年一位なのに相談相手のチョイスミスが致命的過ぎる」
ただその結果どうなるかは別として、勉学以外に取り組むべき課題を彼なりに見つけ出して改善しようと努力しているのだろう。
それは、好ましいことだと思えた。
「んじゃあ僕は僕で宿題頑張ろうかね。エリカ、早速で悪いんだけど第五魔術位階の付与術式についてで……」
「はいはい、あーこりゃ引っかけ問題だわ。あたしも若干怪しかったけどここはな……」
以前のテスト期間では「教え方がわからないから」と言っていたエリカも、今では教師が舌を巻くほどわかりやすい説明をしてくれる。彼女の話を聞いていると何となく学力の向上を自覚するほどだ。
助かるなあ、などと思っているとゲームを一区切りさせたらしいエルマーも寄ってきた。
「ケースケ君。僕も良ければ、一緒に見るよ」
「お、マジで。一位と二位に同時に教えてもらうとかやべえな今の状況」
一度は命を預け合ったからか、あれ以来エルマーは圭介に対してだけはきはきと話せるようになった。これはこれで望ましい変化なのだろうな、と微笑みながら申し出を快諾する。
「おう、今日中に半分は終わらせようぜ。そんで今日は三人しかいないから三人用のゲームで遊ぼうや。アナログゲーム部から借りてきたボードゲームがあっからよ、あたしアレつえーんだ」
「遊ぶのはいいけど今日中に半分はきっついわ」
「じゃあ三割までにしよう。ちょっくら寮まで取りに行ってくるから、エルマーお前ケースケの勉強見といてくれな」
ホームにまでは持参していないらしい。といってもここから女子寮までそんなに離れていないので、十分程度で戻ってくるだろう。
一時的にエルマーと二人になった圭介は、すっかり見慣れたアガルタ文字の問題集と向き合った。
「……け、ケースケ君。そういえば、こないださ」
と、エルマーが雑談を振ってきた。
「うん、何?」
「今、エリカさんがいないから訊くけど。元の世界に戻りたがる理由、まだあったよね?」
「ああ、あったね」
「どんな理由か気になって。あの時はちゃんと聞けなかったから」
そういえばそんな話もしたな、と思い出す。エリカには言わないでくれと頼んだのを彼も憶えていてくれたのだろう。
ならサクッと話すか、と向き直る。
「実は僕、向こうに彼女残してきてるんだ」
その話を聞いたエルマーは、目を丸く見開いて驚いた。
「……………………そっ、か。すごく、びっくりした」
「あーうんまあ、正直エルマー君が想像してるようなのとは違うと思うけど。付き合ってるって言ってもデートとか行ったことないし、お互いの家の場所すら知らないし」
「ええぇ……? 付き合ってるのに?」
「うん、付き合ってるのに。でも向こうは好きでいてくれて、僕はそれに応え続けてきた。だから――」
当時の記憶を振り返る圭介はきっと、交際相手の顔を思い浮かべているのだろう。
その割に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべているのがエルマーは気になった。
本当に好きで付き合っているのだろうか。
何か理由があって彼氏彼女の関係になっているのではないか。
そんな胡乱な考えを肯定するように、目の前の少年は気だるげに言う。
「だから、あんまり放置すると危ないんだ」
普通に考えれば「危ない」というのは、交際相手に向けて使うべき言葉ではないだろう。
どんな相手なのか、どうしてそんな関係を築いてしまったのか、エルマーにはわからない。
ただ、一つだけ察した。
「……そっか。大変なんだね」
「うん。で、そういうのいじられそうだから他の人には黙っといてね。まあ割とこっちの世界の人達って良識あるからそういういじり方しなさそうだけど、念のため」
「わかったよ」
「エルマー君は言いふらしたりしなさそうで安心感あるなあ。あっごめん、ここちょっと教えて欲しいんだけど」
きっと東郷圭介という少年について、自分はまだ何も知らない。
それだけが確かに理解できた、唯一の事実であった。




