第二十五話 立ち上る紫煙は闇に飲まれて
王都メティスのマゲラン第一留置場には、凶悪な犯罪者が幾人か収容されている。
そもそも凶悪犯罪自体が王族の膝元でそう起こるものではない。なので部屋の数こそ少ないが、逆に言えばこの場所にいる犯罪者は全員が犯罪史に名を残すような最低最悪の存在なのだ。
そんな留置場の一室に、右頬の怪我をガーゼで覆った状態のゴードンがいた。
部屋の中は気が滅入るような金属製の斜壁と床、硬いベッドに簡易設置型のトイレと洗面台。それ以外だと壁に組み込まれた連絡用の受話器が一つあるのみ。
もはや更生の余地すらないと断じられた彼らは社会に人間として扱われていないのである。
彼は退屈そうにベッドに横たわり、天井を眺め続けていた。
発狂でもしているのか隣室からは呻き声と笑い声が交互に聞こえてくる。早く死ね、と心中で毒づきつつ無意味を承知で「うるせえ」と呟く。
大陸史においては二人目の念動力を扱う客人、東郷圭介に下顎を砕かれ意識を手放し、気付けばこんな場所に閉じ込められていた。曰く、一旦病院に運ばれてから色々とたらい回しにされた挙句ここに辿り着いたらしい。
説明をしに来たトラロック騎士団の生き残りはいかにも嫌そうな顔でゴードンに接した後、義務は果たしたと言わんばかりに鼻息を鳴らして大股で出ていった。もう二度と会うこともあるまい。
「はぁーぁっ」
すべきことが何もないという空虚な時間は、戦いの中で痛い思いをするよりも堪えた。暇つぶしに先ほど聞いた情報を頭の中で反芻してみる。
トラロックで起こした事件はゴードンの実名と顔写真を公開した上である程度は市井に報道されるとのことだった。流石に“カリヤッハ・ヴェーラ”についてはセバスチャンの名を伏せるとの話だったが、それでもわかる者にはわかってしまうだろう。
エルマー・ライルは騎士団の指示を無視しての独断専行で軽微な罰則を与えられたという。とはいえ第六騎士団団長が「俺は許可を出したぞ」と報道陣の前で発言したことで事態がややこしくなったらしい。
まあ、そこはゴードンの知ったことではなかった。
トラロック騎士団は今回の件で責任問題を問われるものと思われていたが、王城組であり第一王女お抱えの騎士であるセシリアが場にいたことでマスコミによる追求が一気に沈静化したという。
第六騎士団とクエストを受けた学生一同はそのまま契約期間内の警邏を続行。ただし裏社会の支配者が逮捕された上に[シンジケート]の構成員の大半が死亡したことで、治安は以前よりもある程度改善されたそうだ。
今回の一件が結果的に学生一同への莫大な報酬追加と、トラロック騎士団の経済的打撃に繋がったという話もあった。金銭の重みを知るゴードンとしては、この部分に限ってのみ騎士団に同情を覚えないでもない。
そして、[シンジケート]のアジトは既に騎士団によって調査され尽くした後だった。
今回の結果がどうあれ近い内に死ぬつもりでいたゴードンは、特に重要な情報を隠匿するような真似をしていない。つまり現場では組織の内情が粗方掘り尽くされたのだろう。
グリモアーツも含んだ死刑囚の遺品。
彼らの遺伝子情報から作り上げた半人半機のホムンクルス。
そして人体実験の形跡に至るまで、割と杜撰に残してきた。
ただ一つだけ、隠しきった情報があるにはある。
今回の仕事を依頼してきたとある人物が、ゴードンに概要だけを伝えたとある計画。
はて、そういえばどんな名前のプロジェクトであったか――。
「……?」
いつの間にか隣室から呻き声が届かなくなっていた。寝たのかと期待しつつ耳をすませば、声とは別の音が聴こえる。
それが自分の部屋に近づいてくる足音だと気付いた時、ゴードンは嘆息した。
(そういやあまだ報酬を受け取ってなかったな)
現在時刻は十八時十五分。まだ夕飯として弁当が配給される時間にも些か早い。
となれば来るのは留置場の職員ではなく、別の意図を持った来訪者だろう。そして騎士団側がゴードンにするべき質問や報告は既に終えている。
つまり相手は留置場関係者でも騎士団でもない誰かだ。
足音がゴードンの部屋の前で止まる。次いで聴こえたのは人の声だった。
「おーい、生きてるかクソジジイ。お仕事頑張ったからご褒美の時間だぜぇ」
「あーもーここだよここ! ったく、最後までクソガキのツラァ見せやがって」
立ち上がって扉を蹴り飛ばすと、ドアノブが外側から突き出された手によって破壊される。握りこまれた金属部分が紙屑のように握り潰されるのを見て、あまりの乱暴さにゴードンは溜息を吐いた。
「……ダグラス。テメェここがどこかわかってんのか? 足がつくから下手に物壊すんじゃねえって前も言ったはずだぜ」
「わりぃわりぃ。やーでもほら、またそこは誤魔化してもらうから平気だろ」
「あの野郎、またガキを甘やかしやがって……」
舌打ちしつつ扉の前からベッドに戻り、腰かける。ダグラスと向き直ったゴードンは、まず先に確認すべきことを済ませることとした。
「足音は二人分した。隠れてねえで出てきな」
「……隠れていたわけではない。異常事態を感知した常駐騎士が来ないか見ていたまでだ。予定通り誰も来なかったがな」
ダグラスの背後からもう一人、四十代半ばと思われる男が現れる。
不愛想、無表情、機械的と形容されるべき感情の抜けたスーツ姿の男性。
ゴードンからしてみればついさっき片づけた騎士団の一人。
第六騎士団副団長、バイロン・モーティマーである。
「今回の依頼、『トーゴー・ケースケの戦闘データ回収及び死刑囚の遺伝子を用いての人型ホムンクルス生産テスト』は概ね達成されたものと見て構わないだろう。あの人も認めていたぞ」
「ふーんどうでもいいや」
心底どうでもいいのだろう。認められたからと喜べるほど純粋ではない。
「んじゃあ俺もこれでお役御免ってわけだ。おいダグラス、とっとと殺れ」
「えっ、もうかよ。ヴィンスの時もそうだったけどジジイの潔さどうなってんだ」
「あーあいつも似たようなもんだったのか」
思い起こせばゴードンほどではないにしても年寄りと呼ばれそうな年齢の男だった。ならば似たような考えも起こしたのかもしれない。
それももうどうでもいい話だった。
「ていうかマジでここで良いのかよ? あんた“上等な死に様”とやらが欲しかったんじゃねえのか。俺にはよくわかんねーけどさ」
「一応ここに偽造した戸籍と身分証明も用意してある。可能なら一度ラステンバーグまで運んで整形手術も……」
「オイオイオイマジで言ってんのかテメェら。何、上等な死に様って新しい人生を送ってから死にましょうって話? 勘弁してくれ」
確かに潔いと言えば言える態度だが、だからといって特段ゴードンの中で大きな意識改革が生じたわけではない。話はもっと絶望的だ。
コストに見合った性能のホムンクルスを用意し、他人のグリモアーツまで使い、念動力魔術について調べ尽くし、弱点を突きつつもしもに備えて所有している紅髄液と黄髄液を全て注ぎ込んだ。
そして長年闇社会に君臨してきてここまで用意周到に下準備を進めたことはこれまでなかったし、下準備までしたのに敗北するという経験も初体験だった。
自分の知恵、力、人脈、資金。これまでの長い人生をかけて培った諸々全てを使っても、たった一人の客人から怒りを買ってしまえば容易く崩れてしまった。
そんなことはないと思いたくもあったが、現実は現実だ。右頬の痛みと同じように、こののしかかる敗北感も自分の意志では拭いきれない。
「路傍の浮浪者とは違う死に様を求めていると以前言っていたのはどうした」
「なーんか最期がどうとか興味失せちまってなあ。別にここまで落ちぶれりゃあ路傍のジジイで俺ぁ充分よ」
路傍で死んでいく力なき者達も闇社会の帝王も、最後は皆平等なのだ。
あの炎の化け物からしてみれば、きっと大差ないのだろう。その事実があまりにも虚しくて、自分は今まで何をしてきたのかという無力感がいつまでも心を苛む。
早く殺してくれ、というのが長年トラロックの闇を支えてきた男の本音だった。
「はーっ、そんなもんかね。いっすかバイロンさん?」
「……まあ、後処理はどうとでもなる。構わんぞ」
「了解っす。んじゃジジイ、最後に俺から個人的なプレゼントだ」
「あぁ?」
何を、と見上げた先には見慣れた箱と突き出される一本の棒。
否、棒ではない。煙草だ。
「せめて一服くらいしてから死ねよ。あんた煙草吸ってただろ、ここに来る前に買っといたんだぜ」
その煙草はゴードンが好んで吸っていた煙草とは違うメーカーであり、更に言うなら安物だ。いつも口にしている紅茶のフレーバーがついているものとは全く異なる物品だろう。
普段なら「ふざけんな」と振り払っていたところだろうが、どうにも怒る気力が湧かない。
「……あーはいはい。あんがとさんっと」
一本取りだして咥え込み、気付く。火はどうしたものかと。
「【焦熱を此処に】」
ライターか何かないかと訊くより先に、ダグラスが未開放状態のグリモアーツから火を出す。
それこそライターの代わり程度にしかならない第六魔術位階、【トーチ】。
ダグラスが持つ魔力と同じ黄土色の火が煙草の先端に火を灯した。
まさか火に負けた後で火に慰められるとは思っておらず、暫し呆然としてしまう。
「ほれ、遠慮せず吸えよ」
「…………はっ」
ゴードンからしてみれば押しつけがましいことこの上ないが、死ぬ前に一つ知ることができたのでこの際許そうと思えた。
路傍の浮浪者の死に際に、こんなサービスはない。
一息で吸い切るつもりで一気に煙を吸い込んだ。そのまま吐かずにごくりと飲み込む。
普段吸っていた高級なものと比べればあまりにも品質が低い。だというのにその感覚はどこか心地よかった。
吸い切ったかと思って煙草を見れば、半分も減っていないことに気付く。やはり若い頃から喫煙を続けてきたせいで肺が弱っているのだろう。
これから気持ち良く死のうとしているのに、不健康なせいで半端に終わる。それがどこかおかしくて、変な笑いが込み上げてきた。
――嗚呼、このまま死のう。
「はい、どーぞ」
「【解放“エクスキューショナー”】」
最後のやり取りはあまりにも淡白に終わった。
ダグラスが矛を横に薙ぐと、綺麗な断面を見せつつゴードンの首が落ちる。続いて噴水のように血を噴き出すも、これはダグラスの抵抗力操作で彼を濡らすようなこともないまま全て床に飛び散った。
洞窟商店街の裏を牛耳り続け、嘆きも叫びも嘲笑してきた闇社会の悪鬼羅刹の、これが最期である。
「悪いが急いでもらおう。騎士団の情報網を撹乱するにも限界がある。もうあと一時間で常駐騎士団が様子を見に来るぞ」
「へいへい。……にしてもまあ、似合わねえ顔して死にやがる。何だかんだ充実した人生だったのかもな」
バイロンに声をかけられたダグラスが部屋の外に向かいながら呟く。
口に煙草を咥えたまま転がるゴードンの生首には、まるで日向ぼっこでもしているかのように穏やかな笑みが浮かんでいた。
「彼奴の人生など知らんが、仕事については信頼できるものがあった。これで目的に一歩前進といったところか」
「それこそ俺にはどうでもいいっすわぁ。今は飯と寝床、それから」
手に握るグリモアーツをカードの形態に戻し、懐に入れる。
「ケースケの野郎といつ遊べるか、かなあ」
「お前の戦闘癖についてとやかく言うつもりはないが、計画に反する行動は控えてもらおう」
言いつつバイロンがスーツの袖から一本の試験管を取り出し、中にある無色透明な液体をゴードンの死体にかけた。
するとどうしたことか、その液体は触れた箇所で一旦落ちるのをやめて留まる。そのまま子供がストローでジュースを飲むように、徐々に血と肉を吸い上げ始めていく。
「現状お前とララ・サリスの二人は騎士団に顔が割れている。充分気をつけてもらわねば」
「あの人に顔向けできない、でしょ。まあそこは全面的に安心してくださいよ。何ならちょっと油断してくれていいくらいだ」
「不安でしかない」
死体と血液はやがて全てが液体に吸い込まれ、試験管の中に収納された。バイロンはそれを懐にしまうと今度は銀色の粘液が入った別の試験管を取り出し、ダグラスに破壊されたドアノブ部分にかける。
粘液はあっという間にドアノブの形状となり、破壊の痕跡を見事に隠蔽した。
「我々に失敗は許されない。それだけは肝に銘じてもらう」
語気を強めるバイロンの目は鋭い。第六騎士団での彼しか知らなければ、心底驚くであろう感情の発露と言える。
その視線を受けて、しかしダグラスは少しも揺るがない。肩をすくめて了解のポーズをとるだけだ。
「プロジェクト・ヤルダバオートは、既に始まっているのだから」
二人が外に出て扉を閉める。
後には無人の部屋だけが残った。




