第二十四話 せめて最後は悪党らしく
「【滞留せよ】」
ユーを拘束していた糸が【テレキネシス】によって飛ばされた短剣で切断される。自由の身となった彼女はしかし、手に握った剣を構えることもせず圭介の顔を不安げに見ていた。
「ケースケ君……?」
「ごめん、出るのに時間かけたね」
衣服を着こなすが如くゆらめく炎を引き連れるその目は未だゴードンに向けられており、身を覆う熱に反して墓石のように冷ややかだ。
炎を操る念動力魔術【パイロキネシス】の存在をユーは知らない。知らないが、嘗て砂漠で水を操る術を獲得した時と同じ現象が起きたのだろうと予測はできた。
「……テメェか。俺の糸を切ってたのは」
歩み寄る圭介と向かい合うのは、先ほどまでの馬鹿笑いを引っ込めて立ち上がるゴードン。
「気にはなってたんだよな。あのガキを檻から出す手段なんざ限られてるのにいつの間にか逃げられてたからよ。どういう仕組みか知らねえがそうか、それが元凶だったか」
納得したような声と共に、“カリヤッハ・ヴェーラ”から氷の鏃が三つばかり飛ばされる。それぞれが頭部、腹部、左膝を狙って放たれたものだ。
ついさっき念動力魔術との相性の悪さを思い知らせるために撃ったものとは違い、速度も大きさも違う。これだけの威力があれば【テレキネシス】どころか【サイコキネシス】でも間に合わない。
はずだったのだが止められた。
「ほーんなるほど?」
この時点でゴードンは『低温環境下における念動力の弱体化』というアドバンテージを脳内から消した。
今の圭介の周囲には炎が渦巻いている。雪風の冷たさなど軽く凌駕するであろうそれは、彼が操る念動力を本来のもの以上に強化しているのだろう。
となればホムンクルスも死んでいる以上、頼れるのは己の糸のみ。それとてクロネッカーの存在があるせいでどこか頼りない。
(やべぇな)
冷静沈着を装う顔の裏で敗北を予感し、しかし兵力をここまで削ったのだからと思い直した。
「えらい怒ってるじゃねーかどしたのケースケちゃん。お友達がボコられてトサカに来ちまったか? だがこいつらはそもそも大人しくテメェを差し出さず俺に喧嘩売って返り討ちに遭っただけの間抜け共だぜ。こっちの仕事にご協力いただけてれば無傷で帰したのにさァ。おじいちゃんどっちかっていうと被害者なんだけどその辺わかってくれてる? どう?」
「仲間売らないのは彼らが良い人揃いだからで、その人達が仲間を売らないからって暴力振るったお前は間違いなく加害者だよ。ガキでも反論できるようなつまらねぇ理屈こねんな」
「ヒヒッ、ちげぇねえ」
ゴードンは笑いながら跳躍し、空中の足場に移動する。
今の圭介は先ほどまでの圭介と、どころかこれまで記録に残されてきた圭介とすら違う。高温の空気で念動力の力場を大幅に強化しているだけでなく、激情に駆られながらも冷静さを損なわずにいる。
ならばグリモアーツ“アクチュアリティトレイター”による白兵攻撃に制限を設けるためにも、彼が最大の武器を足場に使わざるを得ない空中戦に臨むのが無難だと判断した。
もちろん、このまま逃げられるならそうする腹積もりでいる。当て馬として圭介の力を測定する役割は充分に担えた。これ以上深入りして凡百な死に様を迎えてしまえばそれこそ本末転倒である。
「逃げてんじゃねえ!」
「うわお前マジか」
しかしそんな思惑など知ったことではないとばかりに、圭介が“アクチュアリティトレイター”を足場にすることもしないまま飛翔した。
更に炎の中で縦横無尽に動かせるようになった【サイコキネシス】で自らを押し出し、爆発的な加速を得る。その速度はゴードンが全力で走り回っても逃げ切れるものではない。
クラインという種族が誇る敏捷性――最大のアドバンテージは、今この瞬間消失したのだ。
既に機動力は互角。膂力に関しては比べるまでもない。
横っ面を殴り飛ばそうと迫る力場の鉄槌を糸で受け流す。流された先にある文具店の出入り口が音を立てて崩落した。
そして残念なことに、それだけで被害が収まったりはしない。
「オラァァァァァ!」
「だああ、あぶねっ」
次々と襲い来る【サイコキネシス】の嵐。
脅威ではあるが対処することは可能だ。
何せ全てがその輪郭を炎で彩られており、視覚的にはわかりやすい。
加えてゴードンの糸は紅髄液による耐火性と黄髄液による耐久性が付与されている。エルマーのように燃焼系魔術に適性を持つ者の炎でも破壊はできず、高熱を切り裂いて敵の肉体に食い込むという彼の執念を具現化したような武器だ。
炎の扱いを専門としない圭介の攻撃なら受けること自体は容易である。
ただ数と速度が問題だった。それら脅威を受け流し続ける中で、脱法霊符を取り扱っている魔道具店や未成年の従業員を雇用している風俗店などが攻防の余波を受けて無慈悲に破壊されていく。
ゴードンが積み上げてきたもの、作り上げてきたものがついでのように壊されていく中で、それでも彼は冷静だった。
(生憎とこっちゃあ二つ目があんだよ)
夢中になって“アクチュアリティトレイター”を振り回す目の前の相手に向けて、“カリヤッハ・ヴェーラ”が氷の槍を形成する。
鏃などとは比較にならないその大きさと鋭さならば、不意を打つ形で串刺しにできるだろう。
(死に腐れ!)
目前から放たれる連撃をやり過ごしつつ女神像を動かす。
しかしそれを見越したかのようなタイミングで、何かが巻きつき動きを封じ込めた。
「あぁ!?」
直進していた“カリヤッハ・ヴェーラ”は突然生じた横への動きに対処しきれず、地面に勢いよく叩きつけられる。
圭介の背後を攻めた関係でそれなり高い位置まで上昇していたこともあり、位置エネルギーがそのまま運動エネルギーになったのだろう。真下の地面と同じく女神像の顔にも大きな亀裂が入っていた。
見れば巻きついているのは炎の蛇。それも先端では二つの車輪を口に咥えこんでおり、まるで炎のヨーヨーにも似た外観となっている。
それが何であるか、ゴードンには見覚えがあった。
「……兄さん!」
記憶を保証するかのように、砕けつつある女神像に駆け寄る人物が一人。
先の爆発の中でパームカフの氷を完全に溶かし切り、圭介がゴードンの相手をしている内に“カリヤッハ・ヴェーラ”を破壊したエルマーがいた。
(あのガキか! ちくしょうやっぱどっちかは閉じ込めとかねえと駄目だった!)
気を取られたせいで糸の操作が乱れ、防御の姿勢に一ヶ所分の穴が開く。
「しまっ」
「喰らえクソジジイ!」
炎に包まれた透明な触手が糸と糸の合間から顔を出す。
それは弾丸よろしく目視困難な速度でゴードンの胴を強く打った。
「ゲハァッ……」
いかに騎士団相手に暴れ回ろうと、彼の肉体は小柄な老人の矮躯に過ぎない。
痛覚こそ麻痺しているものの臓器の損傷と骨の破砕は感触でわかる。肉体を破壊される不快感に苛まれながら、甚大なダメージを負った腹部を庇うようにして抱え込んだ。
そんなことをしている内に、“アクチュアリティトレイター”を上段に構えた状態で圭介が急接近してくる。
「うおおおお!!」
「馬鹿が、対処できねぇとでも思ったか!?」
瞬間、振り上げられた巨大な鉄板が圭介の腕をすっぽ抜けた。振り下ろす際の動作だけはそのままに、圭介の上半身が沈む。
決め手となったのは武器の大きさ。サーフボード程度の大きさを持つ鉄板など簡単に包み込める。
反物のように織られた糸の集積が、巨大な鉄板を空中に固定したのだ。
「素手で飛び込むなんてケースケちゃんてば勇敢だなァギャハハハハハ!」
下がりきった圭介には大きな動作をし終えた際に生じる隙がある。
そこに糸での斬撃を叩き込まんと“アラクネ”の義肢を向けるゴードンは、信じ難いものを見た。
「ハハ、ハァ」
順当に考えれば動作を終えて止まっているはずの上半身が、既に次の動作を始めていたのだ。
登り坂を駆け上がるように、ゆったりと上に持ち上がっていく。
もう少し冷静だったなら間に合うタイミングで気付けただろう。
念動力魔術で体を持ち上げるという芸当は、今ここで空を飛んでいるのと大差ない行為だ。そうなる可能性は常に考慮しておくべきだった。
今となってはもう遅い。
「ァ、ァァ――?」
「だらぁっ!!」
庇う腕ごと貫くように、圭介のアッパーが再度ゴードンの胴に突き刺さった。
「ごかぁぅっ」
足場から軽い体がふわりと浮かぶ。下から斜め上に向かう拳は体内に散らばる砕けた骨と破れた臓腑をじゅるりと激しく揺り動かした。
もしもゴードンに痛覚が残っていればこの瞬間に意識を手放し、勝敗は決しただろう。
だが、まだ終わらない。痛みを知らないゴードンの体は、逆転の一手を諦めていなかった。
至近距離を通り越して密着状態となった今、直接糸で斬りつけるのは攻撃手段として微妙と言える。致命傷を負わせるにはもっと物理的に強い衝撃が必要だ。
(ざっ、けんな、クソがァ)
圭介の視界の外で、先ほど崩壊した店舗の瓦礫が糸に持ち上げられる。
それらは空中で集積し、巨大な岩の手を象った。
手は構成された当初こそ開いた状態だったが、やがてガチンと握り拳に姿を改める。
第四魔術位階【ロックフィスト】。
本来なら鉱物操作か磁力操作の魔術で実現されるべきそれを、彼は持ち前の技巧一つで再現して見せたのだ。
(ぶん、殴って、やんぜ)
場所は圭介から見て右後方やや上。右腕をゴードンに食い込ませている今、位置関係上その下準備が看破される心配はいらないだろう。角度的に自身まで巻き込んでしまう懸念もない。
体力も魔力もそろそろ限界に近い。寧ろ体躯が小さいせいで持久力に大きなハンディキャップを負っている身で、ここまでよく戦えたものである。
だがそんな称賛に意味はない。戦ったその先には、殺すか逃げるか死ぬかの三択しかない。
これが最後のチャンス。当たればその隙に逃げる準備もしているし、外れれば魔力不足で敗北するだろう。
(今度、こそ、死ん、じまえ!)
いつの間にかゴードンの両腕は圭介の拳を防ぐどころか、抱え込んで離すまいとしていた。
そこに瓦礫で構成された巨大な拳が迫る。【サイコキネシス】での防御も完全には間に合わないだろう。
せめて、せめてここで落とせれば。
「【乱れ大蛇】」
不意に横から、そんな声が聴こえた。
一拍遅れて、魔力で構成された刃が屈折を繰り返しながら瓦礫の拳に衝突する。
「マジでー……」
衝撃によって一瞬止まった拳に、今度は無数の魔力弾が叩き込まれた。着弾と同時に炸裂するそれらはあっという間に拳をバラバラに砕き、ただの土煙として霧散させる。
最後の希望を砕かれた時点で、勝ち目は一気に薄くなった。
「…………駄目だな。こりゃ俺の負けだわ」
腕を抱え込まれた状態の圭介が、その言葉を受けて顔を上げる。
荒んだ目をしていたのが嘘のように、目の前にいる老人の目は清々しさに満ちていた。
「あーあー、さんざっぱらここまでテメェで作り上げたもん色々ぶん投げたってのによぉ。それでも勝てないもんかね。いやそりゃテメェみたいな化け物とぶつかって無事で済むとは思っちゃいなかったが、せめて腕か脚の一本くれぇは持ってけるはずだったんだぜ。とんだ計算外だクソが」
その言葉に圭介は何も返さない。ただじっと、ゴードンの声に耳を傾けている。
「つっても騎士団相手に結構善戦した方だと思わねえ? 俺これまでにもデカい抗争とかはあったけどよ、ここまでの規模で喧嘩したのァ生まれて初めてでな。まさか負けるとまでは思っちゃいなかったが、まあこれはこれでなかなか新鮮だったわ、うん」
負けたと嘯く割にその声はどこか軽やかだ。
大きく吐き出される息が橙色の景色に一瞬だけ白い塊を見せる。
「さて、これで俺も遂に年貢の納め時かい。長いようで短い栄華だったねぇ。余罪がわかりゃあ死刑は確定だし、物乞いから始まって絞首台で終わる人生だったなァ。いや絞首刑は何年か前にどっかの団体に署名集められて廃止になったとか言ってたからもうやってないんだったか」
それはこれまでの人生を儚むようで、まだ未練にしがみついているようで。
表情筋をあまり動かさないからか、ゴードンがどれほどの人生を歩んできたのか、これから先起こる物事に何を思うのかは見えてこない。
「しっかしまあ、最後に面白いのとぶつかれたのは俺としちゃあ幸運だったのかもしれねえな。念動力魔術使う客人なんざそうはいねぇ。カレン・アヴァロンとテメェ以外にいねーんじゃねえか? 光栄、ってのは言い過ぎだとしてもそこそこ貴重な体験にはなったのか」
収穫があったという点においてはお互い様だろう。圭介も圭介で、今回の事件の中で色々と情報を得られた。
二つのグリモアーツを使う異端の技術、念動力が持つ意外な弱点の数々、そしてそれを補う【パイロキネシス】。
元の世界に帰還する術は手に入らなかったが、無駄足だったとは言えまい。
「なあ、小僧。最後に一つこれだけは言っときてぇ。死にぞこないの負け惜しみとして聞くだけ聞いてくれよ」
にやりと、老人は笑う。
圭介の全てを見透かしたようなその顔は、腹立たしく、同時に奇妙な安心感を見る者に与えた。
「……何だよ」
少しだけ応じてやろうと圭介が思う程度には。
「ここまで色々してきても、俺の人生全部ぶち込んでも勝てなかった。それを、俺だけの問題だと思うな」
声に厳しさが混じる。
これまでの挑発的な調子ではなく、真剣みを増したその発言には聞く者に意識を集中させる。
「いつかテメェも同じ目に遭うかもしれねえ。だから、それまでは」
圭介の腕を掴む手に力が加わる。
まるでその動きは、大切なものを離すまいとする赤子の動きに似ていた。
優しげな笑みを浮かべて、ゴードンが最後の言葉を口にする。
「あっ悪い手が滑った」
「そう来ると思ってたわクソが」
圭介の首に向けて放たれた糸は当然のように【テレキネシス】で末端までの動きを徹底的に封じられ、ついでとばかりに“アラクネ”の義肢が【サイコキネシス】でへし折られる。
直後、老人の胸元で高温の空気が噴き上げられた。
「ちょっ、ケースケ君てば容赦ないわーマジでねぇわそういうのー」
「“スパイラルピック”!」
拘束しているはずの腕が由来不明の力を得て再度突き上げられようとしている。
今度こそ本当に敗北の予感を得たゴードンが最後に目にしたのは、炎の螺旋を奔らせる圭介の右腕であった。




