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足跡まみれの異世界で  作者: 馬込巣立@Vtuber
第六章 迷宮洞窟商店街トラロック編

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第二十二話 ナラカに蜘蛛はおらず、ただ糸が垂れるのみ

 運動場に新たな肉片が飛び散る。

 素早く動くゴードンにこれ以上逃げ場を与えまいと取り囲んだ最前線の騎士達は、その全てが上半身を十六、七分割されていた。


「さぁて、本当ならとっとと仕事を済ませちまいたいところなんだけどよ」


 返り血を浴びたサングラスを投げ捨てて、小柄な老人は自身が作った惨状を踏みにじりながら歩く。


「おたくら邪魔なんだよねさっきからさァ。おじいちゃんこんなに頑張ってんのに誰も褒めてくれねーし、鬱陶しいから閉じ込めてた奴は何か知らんけどいつの間にか外出ちゃってるし。おまけに部下は足止めも満足にできやしないゴミクズばっかだよ。ねえ何これ? 罰ゲーム?」


 彼が一歩踏み出す度に、ガチャリと音が鳴る。

 それは彼の両腕に装着された独特な造形の手甲から発せられるものであった。


 左右それぞれに四本ずつ生えている細長いそれはささくれ立った虫の節足に類似しており、先端に設けられた刃を切り刻んだ者達の血液に濡らしている。

 更に先端から数本の糸を吐き出し、周囲一帯にまるで蜘蛛の巣のように張り巡らせているのが薄く纏う雪で確認できた。


 ゴードン・ホルバインが有する手甲(ガントレット)のグリモアーツ、“アラクネ”。


“カリヤッハ・ヴェーラ”とは違う、彼本来の力の発現体である。


「はい、じゃあ邪魔者を無視できなさそうということなのでね。まずあっちのクソガキは後回しにして、君らから先に殺そうと思います。ああそれとそこの女の子、先生からお話がありますのでよく聞くように」


 ゴードンは緊張した面持ちで銃口を向けてくるエリカに、まるで散歩中に花を見つけたかのような気楽さで声をかける。


「囲めばどうにかなるってもんでもねぇんだわ」


 軽口を終えるより先に、いつの間にか彼を取り囲んでいたエリカの魔術円から魔力弾が一斉に撃たれる。だが、それらは全て八本の義肢によって繰られる糸に絡め取られ、弾道を不自然に曲げられた。

 これまでも何度か攻撃を受け流されたことはあったが、ゴードンがグリモアーツを【解放】してからは大きな動作を要さず淡々と処理されてしまう。単純な手数の強みと言えよう。


「【首刈り狐・双牙】!」


 その際に生じた僅かな隙を縫って、ユーの斬撃とエルマーのウィル・オ・ウィスプが左右からゴードンを挟み込む。

 手数は増えてもそれを扱う術者は一人のみ。故に呼吸や目線の動きから反撃困難な瞬間は存在する。ユーはそれを突き、エルマーは彼女に便乗して攻撃を仕掛けた。


 しかしそんな相手の観察眼をも利用して不意を打つのが老獪というものだ。


「おぉやるなあ!」


 エリカの攻撃をいなした時点で既に次の動きに入っていたゴードンは、持ち前の敏捷性で斬撃を避けつつ縛り上げ引っ張ってきた[シンジケート]構成員で火の玉の体当たりを防ぐ。


「なっ……」

「ギャアアアァァ!!」


 ウィル・オ・ウィスプによって顔や腹部を焼かれた男は悲鳴を上げるが、その程度で肉の盾を手放してくれるほどゴードンは良心的ではない。


「おうお疲れえーと……名前忘れたけどまあいらねえか墓建てる予定とかねえし。今後は俺のボディーガードとして末永い付き合いになると思うからよろしくな!」

「全員後退! あの状態では生半可な攻撃は通用しません!」


 後方から飛ばされるアルフィーの指示に従い、一旦ユーやミアなどの前衛が下がる。


 善悪を度外視するなら多くの水分を含む肉の盾はエルマーの攻撃に対して有効である。

 加えてユーが放つ斬撃も動きが直線的過ぎてクラウン特有の素早さに対応されてしまう。

 ミアの近接格闘技など目視困難な糸の前ではただの餌食になるだけだろう。

 エリカの魔力弾はグリモアーツを【解放】されてから受け流されてばかりだ。


 現在、通用する可能性があるのは【レイヴンエッジ】や【ホーリーフレイム】といった第四魔術位階のみ。それも酸素供給施設への損害や消費魔力量を考えると迂闊に撃てるものではない。


 かといって悠長に考える時間もなかった。それを許してくれる相手とも思えなかったし、仮に許されても考えるだけの余裕が削られていく。

 その要因は、味方にあった。


「あの野郎っ……ぶっ殺してやる……!」

「落ち着いてください。逸ると作戦が台無しになります。今は私の指示に……」

「作戦ったって! もうそんなの、とっくに通じてないでしょ!? 死んだんですよ、仲間が、目の前で!」

「……っ」


 今や騎士団の側に死者が出てしまっている。仲間意識の強い騎士達にとって冷静さを欠いても仕方のない局面であり、それを抑制するのはアルフィーのみならずガイやセシリアでも苦労していた。


 更に悪いことに、相手は感情を揺さぶる術をこの場にいる誰よりも心得ている。


「まあまあ、あんま怒鳴り散らすなやそこのお坊ちゃん。最初から死ぬ覚悟くれぇ決めてきてンだろ? それとも何? 大勢の若い連中が刃物持ってこんなか弱いお年寄りを取り囲んじゃってさァ、殺しにかかっておいていざ目の前で仲間が敵に殺されたら“こんなはずじゃなかった”ってか。さぞかし優しい世界で伸び伸びと生きてきたんだねぇ羨ましいわ。おじいちゃんもそういう楽な人生歩みたかったなあ」

「て、ん、めぇぇえええ!!」

「おい、バカ!」

「何してんだおい、行くな!」


 ガイや他のベテラン騎士の制止も虚しく、一人の若い騎士が“シルバーソード”を片手に駆け出す。すぐにでも斬りかかりたいという気持ちは同じなのか、他の若い騎士もそれを強く止めようとはしていなかった。

 そして結局彼らは「強引にでも止めるべきだった」と後悔することとなる。


「ハイ頭がお留守だよん、っとぉ!」

「げぷァっ」


 糸とゴードンの素早さにばかり注意していたせいか、彼は真上から叩き落とされた“カリヤッハ・ヴェーラ”によって頭部を踏みつぶされた。薄く積もった雪を生温かい血と脳漿が赤く染めていく。

 誰が見ても、即死だった。


(二つのグリモアーツを同時に【解放】して、こうも使いこなすか)


 想定外の事態にセシリアの頬を一筋の汗が伝う。


 元々『死んだ他人のグリモアーツを使う技術』という可能性が浮上した時点で彼女はそういった相手との戦闘を予期していたし、事実それを弁えてフィオナも今回のクエストに遠回しながら圭介達を参加させたのだ。

 だが、グリモアーツを二種類同時に【解放】するばかりでなく、双方を巧みに操作するとまでは予想していなかった。どちらか片方しか使えないという先入観を拭いきれなかったその事実を、彼女達の不手際と呼ぶのは少々酷だ。


(しかしまた凄惨な殺し方をする……!)


 想定外と言えば、このゴードン・ホルバインという男もまた騎士団にとって最悪な方面に想定外の相手であった。


 飄々とした振る舞いと親しげながら辛辣な物言いで感情を揺さぶり、残忍非道な殺害方法で真正面からの衝突を躊躇させる。

 それだけの変則的な動きで相手を惑わしながら、実態として本人の戦闘能力も抜きん出て高いのだから性質が悪い。


「……ゴードン。お前に一つ訊きたいことがある」


 一か八か、という気持ちでセシリアは剣を構えた状態のまま一歩前に出る。

 周囲の騎士達が一瞬どよめくも、その行動に含まれた意味を理解してからは静まるのも早かった。


「ん、どうした?」

「貴様は先ほど“仕事”と言ったな。それも、ケースケを狙っているような物言いだったが。何が狙いだ?」

「えぇ~、それ敵に訊いちゃう~?」


 ニヤニヤと嘲るも、既にサングラスを捨てた今となっては隠しきれていない。

 彼の眼は、ここまでの流れの中で一度も笑っていなかった。


 そしてセシリアも問いかけに対する明確な回答を求めたりはしていない。

 彼女の狙いは若い騎士が感情的になって暴走するという事態を防ぐことだ。リセットと言えるほどの効果は見込めまいが、かといってこのまま指揮系統が乱れた状態で目の前の相手にぶつかるのは愚策である。

 相手は単体で複数名の騎士を、それも呼吸するかのように殺害する凶悪犯罪者。危険性で言えば敵対的な客人のそれに相当するだろう。冷静さを欠けば全滅は避けられない。


 そんなある種短絡的な打算を含む問答に、意外にもゴードンは快く応じた。


「ま、詳しい話はできねえしするつもりもねぇよ。ただそうだな、強いて言うなら」


 小柄な老人は見下すように、天を仰ぐような体勢のまま目前のセシリアに目を向ける。


「人生のため、かねぇ」

「……人生?」

「言ったろ、詳しい話をするつもりはねぇってよ。ほれ横っ面がお留守――」

「馬鹿が!」


 横っ面、という相手の言い分を信じずセシリアの“シルバーソード”が真正面に風の盾を展開した。

 直後、セシリアと向かい合っている“カリヤッハ・ヴェーラ”から無数の氷の矢が放たれる。

 放たれると同時、吹きすさぶ風に打ち払われた。


「王城騎士に騙し合いを挑むとは命知らずな男だ! あそこはこの王国で最も嘘が集まる場所だぞ!」

「ギャハハッハハハハハ!! すげぇ発言しやがるなオイ!」

「行け!」


 氷の鏃が飛び交う中、防御に徹するセシリアの隣りから山吹色に輝く一匹の獣が飛び出す。

 その正体は【メタルボディ】と身体強化術式を重ねたミアだった。


「おぉ!? 何だおめぇ!」

「あんたの天敵だ!」


 その言葉通り、彼女を捕らえ縛り上げようとする糸を物ともせずミアの体は突き進む。

 しかし身体能力に優れた獣人が強化を施してもまだ足りない。ゴードンの反射神経は薬物によって強化されており、そこにクラウンの素早さが加わって更なる加速を見せていた。

 加えて低温環境下における血流の減少は運動能力を下げ、関節部位も駆動領域を狭める。格闘戦に秀でたミアには辛い状況と言えよう。


「なぁにが天敵だバーカ!」


 少々鈍った動きが災いしてか、糸で織り成した半球状の檻に閉じ込められる。エルマーが閉じ込められていたものと同種のものであり、迂闊に手で触れようものなら指が落ちる殺意の牢獄だ。


「しばらくそこで――」

「ふっん!!」

「あれぇ!?」


 それをミアは素手で引き千切った。


「ちょっ、コルァてめっどんな力してやがんだ!」


 確かに身体機能はやや低下しているものの、それでも糸による切断や拘束を無視して直進できるのは大きい。

 人体にあるまじき頑健さを持つ今のミアなら、牢獄も拘束も無理に引き千切って脱出できる。


「残念だったわね! 私にあんたの魔術は通じない!」

「と思ったら大間違いだ!」

「おっわ……!」


 大股での跳躍を二度繰り返して急接近したミアの体が、突如空中で右方向にきりもみ回転した。

 手足に巻きつけられた糸で跳躍の際に生じた運動量をくるりと受け流されたのである。力と硬さで勝っていた彼女だったが、技巧の面では百歩も及ばない。


「づぅ……!」

「おらおら壊れにくくて良品質なオモチャだなぁええオイ!」


 滞空中はどうあがいても踏ん張りが利かず、締め付けられた体は絡んだ糸によって右へ左へと振り回される。

 あちらこちらに叩きつけられる衝撃はミアの不完全な【メタルボディ】では防ぎきれない。内臓への負荷は徐々に蓄積していき、おまけにその大きな動きが他の味方の接近や追撃を妨げている。


「さぁ森へお帰りクソ猫がァ!」

「ぐぶっ……」


 ゴードンは散々ミアを地面に叩きつけた後、騎士団陣営に向けて未だ光を宿す体を投擲した。ついでと言わんばかりに“カリヤッハ・ヴェーラ”から散弾銃の如き氷のつぶても飛ばす。


「あっぶねえ!」

「そこのチャラ男、ミアちゃんを頼んだ!」


 飛ばされてきたミアをレオの“フリーリィバンテージ”が網目状のクッションを形成して受け止める。降り注ぐ氷はエリカが魔力弾でいくらか相殺するも間に合わず、数発の取りこぼしが他の騎士に命中した。

 とはいえ鎧に身を包んでいる以上、氷が騎士に当たっても致命傷には程遠い。ミアも怪我を負ってはいるがレオの回復術式によってすぐに戦線復帰を果たすだろう。


 そして相手はそれを許すような男ではなかった。


「そろそろ邪魔だよテメェはよぉ!」


 運動場の外に存在する店舗の看板、地上用の道路標識、公園の遊具などが根元から引き抜かれ空中に舞う。それらは全てゴードンの糸で持ち上げられたものだ。


「死ねやおらぁっ!」


 糸による遠心力も加えられた状態で、大重量の凶器が一斉に振り下ろされる。


「どわああああ!」

「総員、集合して防御態勢!」

「くそったれ駄目だ撃ち落としきれねえ!」

「私もこれは防げそうにない! レオ君、騎士団の方に行って!」

「わかっ、ぐっ」


 ミアの言葉に応じようとしたレオの左腕が不自然に持ち上がった。その意味を察し、彼の顔が真っ青に染まる。

 手首からゴードンの義肢に繋がる細長い輝きが、急激に縮み始めた。


「ヤバ――」

「へいお一人様特等席へご案内ィ!」


 関節にかかる負荷など一切考慮せず、ゴードンがレオを騎士団陣営から引きずり出す。そこから一瞬遅れて落下してきた遊具や標識、“カリヤッハ・ヴェーラ”が形成した氷の壁がレオとゴードンを騎士団から一時的にだが断絶した。


「んで死に晒せやぁ!」

「ぎっ、ぁあっ……」


 至近距離にまで移動したレオの全身に無数の切り傷が発生する。

 腕の一振りで額から足先まで切り刻んでしまうような相手に、支援要員として出向いている彼では充分に回避も出来はしない。


 ただ、切り傷が発生する程度で済んでいるという事実がゴードンには引っかかった。本来なら先ほど殺した騎士達のように幾つかの肉片となって散らばるはずである。


「…………あぁ? えらく丈夫な体してんな、さぞかし良いもん食って育ってきたのかね」


 とはいえ、経験と知識を豊富に持つゴードンは粗方見当をつけてはいる。

 レオが使う伸縮自在な包帯型のグリモアーツ、“フリーリィバンテージ”を衣服の下に巻きつけて防御力を増強しているのだろうという予想があった。


 用途や状況に応じて形状を変化させるタイプのグリモアーツには、分裂して機能するものも希少だが存在はする。それは今もなおガイの体に巻きついている包帯とミアを受け止めた包帯が別々に存在していることからも想定できた。

 ならば更なる分裂を予めしていたとしても不思議ではない。彼が味方を回復しながら自身にも防衛手段を用意していたとするのなら頷ける話ではあるのだ。

 何にせよゴードンほどの実力者が後方支援を担う少年一人殺せないとなると、やはり客人の力は侮れない。


「ま、いいや。オラ寝てろ坊主邪魔だわ」

「ぐっ」


 侮れない、と言ってもそこは支援要員である。


 全身から血が滲み出ているレオは客観的に見て深手を負っていて、しばらくは味方の回復などしている暇もないだろう。そして彼が立ち上がるまでに決着をつける算段は既に済ませていた。


「さぁおじいちゃん頑張っちゃうぜ!?」


 糸で作り上げた空中の足場に糸で持ち上げた“カリヤッハ・ヴェーラ”を配置し、持ち上げる際に巻きつけた糸を収縮させてその女神像の上に辿り着く。

 戦場を俯瞰すると、幾人もの騎士がゴードンを見上げていた。


(間抜け面が。俺相手に足を止めやがったな)


 連携を取られる前にクライン特有の身軽さで対面する騎士団の最後列に向けて跳躍。空中で“カリヤッハ・ヴェーラ”と挟み撃ちの形を取りつつ、糸で編み込んだ足場を踏み台に地上へ向けて電光石火の勢いで走り出す。

 最前列にブリザードを吹かせて牽制しつつ、悲鳴を上げる騎士達に糸を絡みつけた。


 しかしここで彼にとって予想外の事態が起きる。


「あ?」


 また十数分割にしてやろうと意気込んでみたものの、結果は先ほどのレオと同じく全身に切り傷が発生するのみ。戦闘不能状態ではあるが死にはしないだろう。

 いくらレオが客人とはいえ、味方の体を受け止めるクッションまで形成しながら騎士団全員に包帯の加護を付与できるほど芸達者ではあるまい。魔力量以前に術式処理の関係で不可能だ。


 では誰が、と考えるもすぐに答えは出た。


 傷口から漏れ出す魔力の残滓は山吹色。

 その色には見覚えがある。


「クソ猫が!」


 ミアもまた支援能力を持っていると知って、攻撃する上での優先順位を更新する。この人数を同時に支援しているとなれば、あの妙に硬い体も維持できていないだろうと踏んでの動きであった。


 本当なら確実に仕留めるために騎士団全員の首を絞め落としたいところだが、そんな余裕はない。今はとにかく斬撃を広範囲に繰り出して相手の人数を減らすのが先決だ。

 殺しきれないなりに周囲の騎士を圧倒している内に、今度は赤銅色の魔力弾がいくつか飛んできた。


「テメェも大概うぜぇなあ!」


 先ほどから受け流されている魔力弾を本命の攻撃としている可能性は限りなく低いだろう。そう見越したゴードンは、敢えて今回は受け流さず自らの反射神経を頼りに全弾回避することとした。


 避けた魔力弾は周りの騎士や地面に着弾して風船の如く破裂する。しかしゴードンが受け流してきたこれまでのものと異なり、衝撃を発生させず光だけ発して消えてしまう。


「そうだよなあ! こんだけ味方が集まってんだ!」


 全て避けきった魔力弾に続いて、ゴードンの懐へと突き進む一人分の影が一つ。

 驚愕に目を見開くユーであった。


「本命はそっちだろぉ!?」

「くっ……」


 これまでの騎士団同様、全身に糸を叩きつける。が、今回に至っては切り傷の一つさえ生じない。

 彼女の全身を覆う魔力の鎖帷子、【鉄地蔵】によるものだ。


 また防御力の高い近接戦闘員かと眉を顰めるもすぐにゴードンの思考は別の切り口を見い出す。


「そこでゆっくりしてけ!」

「ぐっ、この……!」


 空中にいくつか配備しておいた、糸で構成された足場。

 その隙間に通して結びつけた糸を使い、彼女の両腕を拘束して腕すらまともに振るえない状態にする。


 何も殺す必要はない。この寒さの中、空腹に弱いエルフはすぐに体内のエネルギーを消費し尽くすだろう。

 彼女がもがけばもがくほど、後で殺すのが容易になる。


「あばよボインちゃん! 全部終わったら色々楽しませてもらうとするわ!」

「待ちなさい! ぐっ、硬いなあコレ!」


 そしてこれで先ほどから戦闘に入り混じっている学生の内、三人を戦場から除外した。

 装備品がある程度決まっている騎士団と異なり、彼ら学生はゴードンにとって実力の有無を問わず未知数の脅威である。それも半減してしまった今では何も怖くない。


 そろそろ安全だろう、と判断して再び“カリヤッハ・ヴェーラ”に糸を伸ばす。

 直後、その糸を一旦切った。


「おっと、こりゃまずい」


 伸ばした先の女神像が幾重もの鎖によって縛られている。

 騎士団が犯罪者を拘束する際に使う魔力因子変質系統の第五魔術位階【チェーンバインド】だろう。その存在はもちろん、迂闊に触れれば拘束に巻き込まれること、数を増やせばそれだけ術式が強化されるという特性さえもゴードンは知っていた。


 流石に数人がかりで用意された鎖の拘束を糸で凌駕できるとは思わない。“カリヤッハ・ヴェーラ”を経由しての奇襲は諦め、地上戦に意識を集中させる。


 時間稼ぎをしながらの詠唱の気配を感じ取り、慎重に警戒心を高めながら周囲の騎士を薙ぎ倒していく。もう死ななければ安いと考えたのか、前線で戦う者達を援護しようと向かってくる騎士はいずれも自滅めいた突撃に躊躇していなかった。


「つっても流石にそろそろ品切れだなァ!」


 いかに数の強みがあると言えども、元は人員不足でクエストの募集をかけていたトラロック騎士団だ。第六騎士団や学生などの増員もあるにはあるがその脅威も知れたもの。

 参加していた客人も一人は戦闘不能、もう一人はある程度痛めつけた上で閉じ込めておいた。回復されたようだがすぐに動ける状態ではないだろうし、迂闊に動けない程度には閉じ込め方にも拘っている。


 こうなれば一対多数を得意とするゴードンにとって苦労する相手ではない。

 倒れ伏す騎士の数が二十を越えた辺りで、遂にそれが見えた。


「「「【レイヴンエッジ】!!」」」


 セシリア、アルフィー、バイロンの三人による【レイヴンエッジ】。単体でも強力な魔術であり、更にそれらの軌道はゴードンが避ければユーを拘束する糸を切断するように調整されている。

 それに加えて取り囲むような角度からそれぞれ撃たれているのもあり、一瞬の判断を誤れば二つは避けきれても一つが命中するであろうことが窺えた。

 ならば防御はどうか、というと糸で構築する障壁では防ぐのに心許ない。加えて一方向に防御を集中させればエリカの魔術円に包囲されている関係で横から魔力弾が飛んでくるだろう。


 普通に考えれば避けられない、厄介極まる攻撃だった。


「ハハッ」


 その状況にあってゴードンは笑う。

 この攻撃をどうやり過ごすかなど、最初から決めていたのだから。


 一秒にも満たない合間を抜けて、三つの刃が交差し、爆ぜた。


 轟く風の音は三人分の第四魔術位階が全て命中したことを意味している。糸で壁なり盾なりを織り成そうにも、この威力では防ぐ上で大して役に立たないだろう。

 立ち上る雪の帳に遮られ、当たった結果どうなったのかはまだ見えない。


「まだ油断はしないでください。いきなり飛び出してくる可能性もあります」

「ああ、わかっている」

「あいよ。ミアちゃんも、大丈夫か?」

「正直ちょっとしんどい。あと三分が限、界か、も……」


 ゴードンの推測通り、【メタルボディ】を解除した状態のミアが顔を強張らせる。


「…………何人かにかけた防御術式が、消えた」

「あ?」

「まさか!?」


 はっと何かに気付いたセシリアが、背後の空中に浮かぶ“カリヤッハ・ヴェーラ”に目を向けた。


 ついさっきまでそれを縛り上げていた鎖が消えている。


「来るぞ!」


 短い警告ながらも声に込められた危機感と緊張感が、修羅場を知る者達の命を繋ぎとめた。


 全員が後方に下がった途端、彼女らが立っていた地点に巨大なコンクリートの塊――先ほど落とされた公園遊具の残骸が落ちてきたのである。


「避けられたかー。当たると思ったんだけどな。お前らすげえじゃん、多分俺の部下なら今ので死んでたぜ」


 巨大な落下物の衝撃で舞い上がった雪が吹き飛び、ゴードンの姿が露わになる。


 彼は無傷だった。


 そして、彼の両脇には傷だらけの騎士が何人も倒れていた。


「【チェーンバインド】を発動していた騎士を、盾にしたのか……」

「おうよ。駄目だろそのくらい考慮しなきゃあ」


 考慮していなかったわけではない。

 その判断を鈍らせるために三方向からの【レイヴンエッジ】を叩き込んで、判断しても対応が遅れるようにエリカの魔術円で牽制もして、対応されても万が一の事態を避けるためにミアの支援で防御力を上げたりもした。


 計算外だったのはゴードンが【レイヴンエッジ】発動前には既に騎士達の足に糸を巻きつけていたことだろう。


 最初から“カリヤッハ・ヴェーラ”の冷気なくして生存できないホムンクルスを飼育していた彼は、低温環境下での動きにある程度慣れていた。

 それは関節の駆動範囲が狭まり、思考から一手遅れて動く状態の肉体コントロールに慣れているということでもある。ならば先んじて手回しに動き、先んじて防御態勢を整えることなど彼にとっては造作もない。


 ただ、騎士団側の敗因の本質はそこではなかった。


 生じてしまった「普通なら即座に人を盾にはしないだろう」という油断。

 一言で片づけるなら、ゴードン・ホルバインという男の悪意を大きく見誤ったのだ。


「そぉらよ!」


 盾代わりにされた騎士達が無造作に投擲される。気絶した成人男性、それも金属の鎧と防寒具を身に纏った状態ともなればその威力は運動能力が落ちている者達にとって砲撃に等しい。


「ぐっ」

「あがっ」


 まずバイロンとセシリアが直撃を受け、吹き飛ばされる。セシリアは咳き込みながらも意識を維持しているが、バイロンの方は動く気配がない。


「くっそ、ミアちゃん!」

「ごめん、もう無理……」

「おおいここでそれはやべぇって! 寝たら死ぬぞ! いやネタとかでなしにマジな話!」


 次いで魔力切れ寸前にまで追いやられたミアが膝をつく。

【ホットガード】を使いながら第四魔術位階を何度か使い、更には広範囲にいる味方全員に防御用の支援をかけてきた。寒い中で寧ろ健闘した方だろうがそれもここまでである。


 友人が倒れる様子を見てたまらずエリカが駆け寄り倒れ込みそうな体を抱えた。動きが大幅に遅くなるのは百も承知だが、そこは感情的な要因が大きい。


「二人とも、この場に留まるのは危険です! 私が時間を稼ぐのですぐに移動を――」


 二人に駆け寄るアルフィーが、横から飛来した“カリヤッハ・ヴェーラ”の突進をまともに受けてしまった。悲鳴すらなく雪の上をもんどりうつ姿は幼児に放り出された人形のようでもある。

 まだ防御術式が活きているので死んではいないだろうが、命中した角度を見るに急ぎ治療しなければ腕に後遺症が残りかねない。


「アルフィーさん!」

「さて、残ったのはテメェだけか」

「アァ!?」


 気付けばエリカと五メートルも離れていない距離にまでゴードンが接近していた。

 思わず威嚇するも、闇社会に生きる男は微塵も臆した様子がない。


「んじゃあ君ら二人に仲良くくたばってもらったらあそこのエルフでお遊びして、スッキリしたとこでケースケ君とやらをぶっ殺すとしようかな。いやあしっかし骨が折れたぜ今回は!」


 エリカに対してまた親しげに語りかけながら、老人は周囲を見渡す。


「テメェら思ったより粘りやがるもんだからさあ、アホほど時間かかったし結局ここまで大した人数殺せてねえでやんのマジでジジイになったんだなって改めて自覚したわ。いやこれ言い訳とかじゃなしに三十代くらいの頃ならもっと早く決着ついたんだぜ? 寧ろジジイになっても騎士団一つをここまで壊滅状態に追いやれるって俺すげぇよ。なあすごくね? おじいちゃん偉くね?」


 応答など最初から期待していないのだろう。

 言葉と同時にゴードンはミアを支えてやや中腰になった状態のエリカに、容赦なく顔に向けた蹴りを放った。


「ぷがっ!」

「しかも今回のお仕事で得られる報酬聞いた? あ聞いてない? それがさぁ、『上等な死に様』だってさオイオイ俺死んじゃうのかよっつー話じゃん? 金どころか現物支給ですらねーよ今時こんなクソみてぇな職場環境ありかよなあお前もそう思うだろぉ? こちとらこのクッソ狭苦しい洞窟の中で細々と生きてきたのにさあ、あんまりな仕打ちだよね。そういうの人間性を疑うっていうかさぁ」


 のけ反って後ろに下がったエリカの前髪を掴み、手前に寄せてから横面を殴りつける。


「ぼげぇっ」

「んでいざこれまで積み上げてきた人脈とか色々使って兵隊揃えたらその兵隊が揃いも揃って役に立たねークソ雑魚の集まりとか何の冗談だよ。俺一人で騎士団倒せちゃってんじゃん何で来たのわざわざ刃物とか持っちゃってさあ。精々が蜘蛛の餌にしかならねえとかいやあ疑いの余地もない屑だわ、屑。あいつら今回ボコられて食い殺される以外何もしてないからね正味な話」


 崩れ落ちそうになるも抱え込んだミアを離すまいと、再度エリカは力を込めて両足に力を込める。

 既に“レッドラム”も“ブルービアード”も地面に落としていた。戦う意志などとうになく、思考能力さえまともに残らず、ただ友人を救おうという思いだけが意識を繋ぎとめている。


 その様子を見てゴードンはいかにも興が冷めたと言いたげに肩をすくめた。


「立派なガキだねぇ友達なんざ見捨てちまえばいーのに。あれ、友達っていやぁ」


 気絶に等しい状態にまで追い込まれたエリカをこれ以上攻撃しようとも思わず、周囲に目を向ける。

 エルマー・ライルがこの場にいないと、遅れて気付いたのだ。


「あと一人いたはずだよな? 兄貴の件もあってまさか逃げたとかじゃねえと思うが」


 疑念を抱いたその直後。

 ゴードン達から離れた位置で、大爆発が起きた。


「……はぁ?」


 彼は知っている。

 その爆発が起きたのは、圭介を閉じ込めた酸素缶の保管用スペース。

 そこから炎が巻き上がっているということは、つまり。


「プフッ、おい、おいおいおいおいおい! まさかあのガキ、トチ狂って思わずやっちまったか? くっ、ヒャハハハハハハハハハハ!!」


 考えられるのはエルマーが圭介を救出しようとして、失敗した挙句酸素缶を炎で爆発させてしまった可能性。

 もしそうならゴードンとしては笑いが止まらない。殺す手間が省けたどころか、最後の最後でとんでもなく間抜けな死に様を見せられたようなものだ。

 茶番の末に助ける側と助けられる側、両方が死ぬ瞬間など自前で用意するのも難しい最高に最悪なブラックジョークである。


「ひひ、くっははははっははは!! ヒィー、腹いてぇ……」


 ついつい腹を抱えて涙を零しながら倒れ込み、雪が積もった地面をどんどんと叩く。こうもおかしいのは何十年ぶりになるか、と笑えるイベントの少ない生涯を追想しようとする。






「何がおかしいんだよ」






 直後、ゴードンの笑みが硬直した。


「騎士団の人達をこんなに傷つけて」


 それはあり得ないはずの声。

 経緯はどうあれ、あの中で生きているはずがない者の声。


「レオをあんなに切り刻んで、ユーを糸で縛り上げて」


 しかし確かにそれは炎の中から聞こえてくる。

 雪が解けて露出した地面の上に、足音が響く。


「セシリアさん、バイロンさん、アルフィーさんをぶっ飛ばして」


 聞いた覚えのあるその声は、同時に初めて耳にするものでもあった。

 こんなにも怒りに満ちた彼の声は、ゴードンのみならず意識を残す他の仲間達でさえ聞いたことがない。


「ミアを助けようと必死に頑張るエリカの顔をぶん殴って」


 やがて炎の向こう側から二人の人物が現れる。

 一人は怯えながらも決意に満ちた表情のエルマー。


 そして、もう一人。


「なあお前――何がそんなに、おかしいんだよ?」


“アクチュアリティトレイター”を肩に引っかけ、不気味なまでの無表情で歩み寄る客人の少年。


 東郷圭介がそこにいた。

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