第二十一話 天より射抜く
「うおおおおやったらあああへばっぷ!」
勢いよく駈け出そうとした圭介は、まず真っ先にレオの羽交い絞めで身動きを封じられた。
「いやせっかく人がやる気になったところに何すんだ!」
「あんたまだ怪我治りきってないでしょ! 腹に穴開いてたんすよそんなすぐに動き回れるわけないじゃないっすか! まだしばらくは休んでないと駄目っす!」
「えっ。……ああ、この状態だと動かない方が良いのか。痛覚無いわけじゃないんだけど不思議と気にしてなかった」
ある意味それはダアトで積んだユーとの鍛錬を通して発生した不具合と言えるだろう。
彼女は命に関わるような大怪我を負わせたりなどしなかったが、諸事情で痛みに鈍い圭介が本気で痛がる程度の攻撃は幾度となく仕掛けていた。そんな無慈悲な日々を通して負った数々の傷と比べれば、怪我の度合いはどうあれ治りかけの腹の穴など大したものではない。
しかし餅は餅屋とも言う。回復魔術に詳しいレオの制止を受けた以上は引き下がるべきだろうという判断もできた。
それならそれで、と受け入れて次の疑問点を口にする。
「じゃあ一旦下がるけど、それよりエルマー君はどしたのアレ。扱いは一般人ってことになってなかったっけ。それとも戦力になるなら騎士団の人達もああだこうだ言ってられないような状況なの?」
「えっと、その……あ、あの人が……」
エルマーの指差す先には、レオが処置したのだろう葡萄色の【ホットガード】で肉体を包み込まれているガイ・ワーズワースの姿があった。
「俺が許可した!」
「だろうなあ! ちょいちょい納得してない顔してるもん騎士団の人達!」
「だってかわいそうだろ兄貴の遺品を犯罪に利用されたりしてて」
「浅慮!」
これが国家公務員の中でもそこそこ重要な位置に立っている男の発言かと思うと、他の世界の話ながら頭が痛くなってくる。
とはいえ圭介以外の空中戦力であることに違いはなく、更に言えば戦闘力においても頼れる部類に入るのだろう。
付近に酸素供給用の施設がある関係で下手な方向には飛ばせないものの、炎の魔術は高温を不得手とするホムンクルスにとって脅威であるらしい。
ゴードンはどこから取り出したのか複数本の試験管から黄色い液体と赤い液体を垂れ流し、足元の蜘蛛型ホムンクルスに振りかけていた。
蜘蛛の方はというと液体がかかった部分から徐々に溶けていた肉が修復し始め、同時に目前まで来ていた騎士に食らいつかんと口を開くだけの元気を取り戻す。
試験管に入っていた液体は黄髄液と紅髄液。ホムンクルスを構成する重大な要素であり、傷を修復するという点においてはこれ以上ない回復手段であった。
血と肉片が貼りつく口を前に、前衛の騎士が一瞬動きを止める。
「【遠く昏きを厭わず灯せ 道の果てに燭台が待つ】」
その開いた口にエリカの魔力弾が何発も叩き込まれた。
鎌状の上顎は破壊こそされていないものの、見るも無残な裂傷を無数に帯びる。同時に魔力弾が破裂した際の衝撃で数歩分程度の距離、びくりと震えながら後退した。
エリカの存在を邪魔に思ったのか、“カリヤッハ・ヴェーラ”が空中から急降下して彼女に体当たりしようと迫る。が、それも【鉄地蔵】を纏ったユーが両腕を交差して受け切った。
耐えきったことを確認したユーは受けたままの状態から腕に纏わせた魔力の刃を弾けさせ、女神像を吹き飛ばす。相応の硬さと重量を有するそれは、蜘蛛の顔にぶつかってめり込んだ。
「【其は闇を不要と断ずる聖の焔】」
その隙を騎士団が突く。
噛みつかれそうになった騎士は最初からエリカとの連携を前提としていたようで、鎧を纏う群れが蜘蛛の顔正面を避けるように二股に分かれて両脇から横腹を攻撃し始めた。
つけた傷がすぐさま縫いとめられるという前提は、手数が違うだけで無意味に終わる。ゴードンによる縫合は段々と間に合わなくなっていき、飛び散るホムンクルスの体液が先ほど振りかけられた分量を上回りつつあった。
突発的ながら的確な指示を出したのは、全体の指揮を執るアルフィーである。ここは騎士団長としての意地というべきか、あるいは洞窟商店街という特異な環境に身を置き続けた成果か。
「【立ち止まる闇よりもその先の景色を求めし者】」
両隣で暴れる騎士団をまとめて始末しようと両手を振り上げたゴードンに、唐紅の火の玉が複数個同時に迫る。先ほど蜘蛛を焼いたものとは異なり、手のひらに載せられる程度の大きさのそれらはバラバラに散開したと思うと急にゴードン目がけて飛来した。
よく観察すると火の玉は個々につぶらな瞳が携えられているのがわかる。
ウィル・オ・ウィスプ。
ケサランパサランやサスカッチ同様に妖精の類であり、炎の魔術に適性を持つ者からすると非常に優秀な相棒でもある。
彼らは魔力を注がれると注いだ者の魔力と同じ色に染まり、同時に注いだその者を自らの主と見なす。この場合はエルマーに使役されている状態で、彼にとっての敵であるゴードンを討ち取らんと突貫している状態であった。
「【何となれば手当たり次第に丸ごと焼いて暗がりを照らそう】」
意思を有する火の玉による体当たりは、しかし巧みに操られる糸によって受け流される。
それは意外な展開などではない。エリカの魔力弾を受け流せる彼が、ウィル・オ・ウィスプを受け流せない道理はないのだから。
つまり妖精による攻撃は単なる牽制。本命は既にゴードンの頭上で着々と準備を進めていた。
「【ホーリーフレイム】!」
ミアの声が圭介の隣りから聞こえる。だというのに、幾度か見てきた輝く炎の矢は蜘蛛型ホムンクルスの真上から叩き落とされた。
距離、位置、角度。
全ての要素がちぐはぐな状況に驚いたのは、圭介だけではない。
「あぁん!?」
ウィル・オ・ウィスプを受け流したばかりの糸では瞬時に防御態勢に入れなかった。増してや空中戦力が二人とも離れている状態で、誰もいないだろうと見越していた真上からの第四魔術位階を防ぐなど不可能に等しい。
射出された【ホーリーフレイム】は惜しくもゴードンに紙一重で避けられたものの、結果的に彼が座っていた蜘蛛の背中の中心部を貫くことに成功した。熱に弱いホムンクルスにとってこの一撃は許容外のダメージとなる。
糸で締め上げ外部に魔力を漏らそうにも間に合わない。
蜘蛛の胴体が風船のように膨らんで、弾けた。
「どわああああああ!!」
ゴードンの小柄な体躯を吹き飛ばし、肉の破裂に伴って髄液と血肉が入り混じった蜘蛛の体液が四散する。それでもまだ辛うじて生きてはいるのか、必死に八本の脚を動かして騎士団に接近を試みていた。
しかしこうまで弱ってしまうと捕食者としての立場などない。脚にせよ頭部にせよ、騎士に近づけば近づいた部位から“シルバーソード”で斬りつけられるだけである。
事実上、蜘蛛は死んだも同然だった。
「え、どうなってんの?」
ミアの魔術はその多くが彼女の右腕に装着されたグリモアーツ、“イントレランスグローリー”から発現するものと圭介は思っていた。であれば先ほどの【ホーリーフレイム】は何なのか。
それを確認しようと蜘蛛の真上を見やると、絡繰りが読めた。
菱形の盾が山吹色の花弁で構成された鎖に吊るされている。
彼女がしたことはゴードンがホムンクルスを浮かせる際に使っていた手段と大差ない。【パーマネントペタル】で盾を空中に運び、そこから魔術を放ったのだ。
『盾は腕に装着するもの』という先入観を捨てた、見事な攻撃手段であると言えよう。
「こ、これで、蜘蛛はだだだ大丈夫か、かな」
そしてその指示をミアに出したのは恐らくエルマーだろう、と圭介は予想した。
隣りで圭介と一緒になって呆けていたレオと比べて、一人冷静に現状把握に努めている。加えて【ホーリーフレイム】を確実に当てるための牽制攻撃も彼によるものだ。
騎士団の動きを妨げず、それでいて大胆な奇襲を実現する手腕は流石万年一位の男と称するべきか。
そんなエルマーの言う通り、段々と蜘蛛の動きは鈍くなっていく。対してゴードンは持ち前の素早さと糸で編み込んだ足場をフルに活用し、縦横無尽に逃げ回っていた。
エリカの魔力弾とユーの斬撃、騎士団が時折飛ばす【レイヴンエッジ】は酸素供給用施設への損害も考慮して好き放題にばら撒けるわけではない。基本的には真下か真上から叩き込むか、施設を巻き込まない角度から飛ばすしかないのである。
「ギャハハハハハ!! やるなああの小娘クソッたれぇ!!」
対してゴードンのワイヤーアクションは縛りがない。施設を文字通りの後ろ盾とした挙動も厄介だが、ホムンクルスを半ば見捨てた状態で無制限に動き回る“カリヤッハ・ヴェーラ”をも足場として活用するために狙いがつけづらいのだ。
だが蜘蛛型ホムンクルスの脱落による影響は大きい。多くの戦力は彼一人に集中しているようだった。
(こりゃ、僕なんかが前に出る必要もなさそうかな……)
頼れる味方が大勢いるのを見て、圭介の中にあった緊張感がようやく解ける。
怪我が回復していく中で気が大きくなったりもしたものの、ゴードンとの相性の悪さが覆ったわけではない。また切り刻まれるだけで終わるよりも奥に引きこもっていた方がまだ邪魔にはならないだろう。
それはそれとして、彼にはやらなければならないことがあった。
「レオ、ちょっと動くよ僕」
「へ? いやでも……」
「戦いは皆に任せても大丈夫そうだし、わざわざ殺されかけにもう一度突っ込む気はないよ。ただ今なら、あのジジイに捕まってそのままだったアズマを探せるかもしれない」
「……じゃあ、アレから離れた場所でなら」
嘆息と同時に圭介に巻きついていた“フリーリィバンテージ”がぱらりと解ける。
渋々といった様子でもそれを許したということは、レオも今の優勢を理解しているのだろう。
余裕ができれば気がかりが浮き出る。両翼を凍らされ羽ばたけなくなった鋼鉄の猛禽は、現状ゴードンの手の内には無いようだった。
まさか誰かに踏み砕かれてたりしないだろうな、と心配しながらゴードンと騎士団が離れた位置に移動し、【サイコキネシス】の索敵網を伸ばす。
低温の環境が悪いのか、いまいち念動力の動きが重く鈍い。やきもきしながらそれでも土を掘り起こすように知覚可能な領域を引き延ばして、最後にアズマの姿を見た位置からゴードンの移動ルートを追跡する形で順々に探っていった。
(これじゃない……これも違う、捥げた腕だ…………クソッ、わかりづらい)
動きの遅さに加え、索敵そのものの精度も落ちている。視界の外にそれらしきものを見つけて目を向けても蜘蛛の残骸と人間の残骸が雑多に散らばる中で、たった一羽の隼の姿を認めるのは大変な苦労を要した。
更には寒さで臭いこそ抑えられているものの、グロテスクなそれら障害物を見る度に圭介の胃がキュッと締まるような気がしてならない。
「アズマ! どこにいんだアズマ!」
精神を蝕まれる思いをしながらゴードンの耳に届かない程度の声量で呼びかける。
そうし続けている内に、いつの間にかどろどろと溶けて死んでしまっている蜘蛛の残骸に辿り着いた時点でそれは聴こえた。
『マスター、こちらです』
「ああ、やっと見つかった!」
アズマは施設に設けられた僅かな窪み、緊急用の酸素が封じられた長大な缶を保管している場所に放棄されていた。
雑に突っ込んだのか辺りに緑色の缶がいくつか散っており、その奥まった場所から凍った翼と足が見える。
急いで【テレキネシス】で残った缶をどかして中に入る。
やっとアズマを見つけられたのは嬉しいが、案の定両翼が凍りついて飛ぶこともできそうにない。
「ああこんなカチンコチンになっちまってかわいそうに! 後で熱湯にぶち込んでやるからね!」
『相手が機械だからといって対応が雑に過ぎませんか』
細かい話をしている場合ではない。見つけたなら見つけたで、早急にレオ達がいる場所へ戻らなければ不要な心配をかけてしまう。
急ぎ振り返り、その一瞬でとある違和感が去来する。
(何でわざわざこんな場所にアズマを……?)
いかにゴードンが糸を操って重い物を運べるとしても、手間は手間に違いない。それこそ蜘蛛型ホムンクルスの死骸の下敷きにする分には滑り込ませるだけで済むし、圭介の側からしても見つけ出すのは困難になる。
果たして今騎士団から逃げ回りながらも運動場から脱走しようとしていない男は、無意味にこのような判断をする相手なのだろうか。
考えに没頭して足を止めたりなどしていない。すぐに出ようと駆け出しながら、うっすらと考えたことに過ぎない。
だというのに間に合わなかった。
「お、わっ」
出ようとした圭介の体を酸素缶用のスペースに押し込むようにして、氷の壁が突然構築される。それに阻まれる形で歩みは止まり、一人と一羽はその狭い空間に閉じ込められた。
氷越しには低空を滑るように飛んで移動する女神像が視界を横切る。
罠だと気付くのに時間はいらなかった。
『マスター、非常によろしくない事態となりました』
「う、うん。閉じ込められたね。すぐにグリモアーツを【解放】して……」
『【サイコキネシス】で無理に周囲を破壊するのは推奨できません』
「は? どゆこと?」
『我々の背後には酸素供給用の施設があります。それもここは予備の酸素が用意されている場所、となれば供給設備と隣り合っている可能性が高い。無理な破壊活動は設備の故障に繋がるでしょう。それに』
ちらり、と無機質な視線が蜘蛛の亡骸へと向けられる。
骨組みに溶けた肉がまとわりつくそれは、まだ【ホーリーフレイム】の余韻としてちらほらと火がついていた。
『供給量を調節している設備が故障して、万が一酸素が爆発的に拡散された場合。あのまだ火が鎮まっていないホムンクルスの死骸に引火する可能性もあります』
アズマの話を受けて圭介の血の気が引いた。
洞窟という密閉空間で施設一つ分に相当する体積を持った酸素が大爆発を起こせば、この場にいる全員が間違いなく死ぬ。
それに一気に酸素を燃焼してしまうことで、離れた位置にいる民間人が窒息状態になる可能性も考えられるのだ。封鎖されている駅からの脱出もすぐにできるものではない。
また、この寒さに晒されながら念動力を敢えて弱めるという手も難しいだろう。
索敵網でさえあの体たらくなのだから、氷の壁を破壊するに至るにはどうしても無理に威力を引き出すしかない。そうなれば施設側に多少の損壊を齎すのは避けられないだろう。
先ほどまで延ばしてきた索敵網は冷たく透明な隔壁でざっくりと断たれ、外の様子は半透明な壁越しに見える歪んだ景色しかない。孤立した身でこんな状況に閉じ込められては殺されるのも時間の問題である。
絵に描いたような八方塞がり。
詰んだ、という意識がどうしても過ぎる。
「や、でも他の騎士団の人達とか頑張ってるし。僕がいなくても――」
きっと勝ってくれるはず。
そう言い切る前に、何かが壁の向こう側の地面に落ちてきた。
「――ッ!?」
武装型グリモアーツ“シルバーソード”。
誰のものかなどわからないが、それは騎士団の標準装備である。
もし戦局が優勢だとして、ゴードンから離れたこの場所まで剣が落ちてくるという事態があり得るものだろうか。
『マスター。落ち着いて聞いてください』
「やだ、絶対無理」
もう嫌な予感しかしない。
しかしアズマは圭介の即答を無視し、言葉を続ける。
『五秒ほど前、あちらの戦いの中で一瞬のみ魔力反応の肥大化と拡散が観測されました』
「こいつ僕のメンタルに配慮とかしないのか……」
『そのような反応が生じるということは、この状況下においてただ一つの答えを意味します』
何だよ、とぶっきらぼうに応じた。何が起ころうとしているのか、また何が起きてしまったのか今の圭介には想像しかできない。
『ゴードン・ホルバインが自身のグリモアーツを【解放】しました』
想像した以上に、事態は変化していたようだ。
良い方向にではなく、悪い方向に。




