第二十話 圭介の弱点
防御力は低い。
機動力もいまいち。
足から放たれる光線は目視してからでは避けられないものの、攻略法はある。常に一定の距離を保ち自分に向けられている突起を意識しておけば、先んじて防御術式を展開してやり過ごせるのだ。
巨大な蜘蛛型ホムンクルスは単体なら苦戦する相手ではない。
しかし残念なことに、単体ではないが故に騎士団も苦戦を強いられる。
「【レイヴンエッジ】!」
ここまでの戦闘で三発目となるセシリアの第四魔術位階が、蜘蛛の足を切断せんと雪風を裂いて飛ばされた。本来であれば八つ足の体に咄嗟の回避は難しいとセシリアもわかっているのだ。
だがそんな常識を魔術の存在が超える。
ふわりと浮かび上がる巨体が【レイヴンエッジ】の刃を飛び越えて、ついでとばかりに魔術を使用して硬直したセシリアに光線を飛ばす。
真上への跳躍にしては脚部の屈伸運動が見られなかったし、そもそも蜘蛛は真上への跳躍を物理的に不得手としている生き物である。恐らく錬金術で作られた糸に釣り具の如く持ち上げられたのだろう。
「ぐっ……」
「セシリアさん!」
急ぎミアの【パーマネントペタル】が間に割り込んでくるも防ぎきれず、花弁を焼き払い弱まった光線は尚も彼女に迫りくる。
だからといって思考まで固まるほど彼女の騎士としての経験は浅くない。上半身を逸らし、鎧の形状と体勢を利用して胸元の装甲で光線を受け流す。
防がれたことで光線が弱まっていたから実現できた芸当である。姿勢が崩れたところに追撃が来るかと肝を冷やすも、セシリアが前に向き直った時点で蜘蛛は他の騎士から攻撃を受けていた。
「大丈夫ですか!?」
「ああ、助かった。……にしてもこれでは千日手、いや悪くすると被害の拡大にも繋がりかねんか」
いくら攻撃を叩き込んでも蜘蛛につけた傷はゴードンの糸ですぐさま縫い付けられてしまうし、ある程度体力を削いでも拘束されている[シンジケート]構成員や弱った騎士を捕食して回復される。前者はともかく後者は戦力の損失であり、全体の士気に関わる要素だ。
更に言えば騎士団の装備品である金属の鎧も、この時ばかりは充分な役割をこなせずにいた。
王城組のセシリアや王都で仕事している第六騎士団はまだしも、降雪を伴う極端な低温環境に不慣れなトラロック騎士団の鎧は【ホットガード】と外気温の温度差に耐性を持たない。結果罅割れなどの損害が生じ、防具としての役割を充分に発揮できていなかった。
それに長時間に亘る【ホットガード】の使用は魔力を代償として寒さを防いでいるだけなので、保障されるのは運動能力だけだ。結果的な体力と魔力の消耗は凍えて震えている状態と大差ない。
激しい運動を続ける中で弱る者は必ず出てくるだろう。先に挙げられた蜘蛛の捕食行動と組み合わさる前に、早期決着をつけたいところである。
そうならないように、ゴードンに直接攻撃するという手段も試みた。だがこれも彼女らにとっては腹立たしい話、早計だったと言わざるを得ない。
そもそもゴードンの種族はクラウンである。体躯の小ささから備える魔力の総量が少なく、それを補うように敏捷性に秀でた彼らは他の種族から逃げようと思えばほぼ限りなく逃げられるのだ。
もちろん騎士団の連携はそういった事態にも対応できるはずだった。そうできなかったのはやはり強力な砲台をいくつも有する人食い蜘蛛の存在と、トラロック騎士団が不慣れとする雪と冷風。
つまりいずれか一つに的を絞れば他の的に妨害されるという状況が、彼らをジリ貧の極致まで追い詰めていたのである。
(本来ならもう少し早い段階で“カリヤッハ・ヴェーラ”を落とせていたはずなのだが)
苦々しげな表情のままセシリアが視線を空中へと向ける。
その先には全身を刻まれ血塗れになりながらゴードンと対峙する、見慣れた少年の背中があった。
(奴はケースケに何をしたんだ……?)
自然と生じた疑問とは別に、戦いに向けられた集中が斬撃として蜘蛛の腹に叩き込まれる。
つけた傷は目の前ですぐに縫われて、塞がれた。
* * * * * *
「弱点、だと……?」
「おう。まあ元々テメェら力学関係の魔術使う連中ってのは応用力こそ高いが対抗策も練りやすくてな」
フゥ、と紫煙を吐き出して目の前の老人は続ける。
「まず光線はわかりやすかったろ? 念動力魔術ってのぁ突き詰めれば物を動かす魔術だ。だから動かされる前に相手の体に攻撃が届いちまえば防がれたりしねえ。要は速けりゃ何でも当たるんだよ」
「そんな、ことが」
「あるんだって。事実防ごうとして間に合ってねえだろここまで」
「…………」
「特に動きに縛りが無い念動力魔術はそんだけ魔力の消費も激しいからなぁ。鎧みてぇに体にまとわりつかせたままをずっと維持する、なんて芸当やってたら数分でぶっ倒れて戦場ではそのままおっ死んじまう」
次いでゴードンは吸い殻を携帯灰皿に捻じ込みつつ、空いた手を振りかざす。
「んで、お次はこれよ」
鋭い動きで指先を圭介に向ける。その意味を感じ取るや否や、すぐに【サイコキネシス】の防壁を展開した。
しかしその糸が防壁に触れたかと思った途端、これまで受けてきた攻撃がそうであったように二の腕に切り傷が発生する。
「っ……」
「へへ、リアクション薄いのはつまらんが評価するぜ。どうやら痛みを知らねえ甘ちゃんってわけじゃあないらしい」
錬金術で生成した金属の糸による斬撃。そこまでは理解できる。
ただ、防壁が意味を為さないその理屈がわからなかった。
「紙きれを上に放ってから地面に落ちる前にナイフで切ろうとしても上手くいかねえ、理屈としちゃあそれと同じさ。この場合だと俺の糸が紙、テメェの念動力がナイフってとこだな」
二度、三度と腕を振るわれる度に切り傷が増える。いくら防ごうとしても防壁に糸が触れる感触だけが伝わり、次の瞬間には傷が増えるという手応えの無さ。
『勝てない』という絶望が傷の痛みに宿ったかのように離れてくれない。
「念動力の力場なんざ壁としちゃあ半端なもんよ。無駄に密度はあっても決まった形があるわけじゃねえ。そんなもん真正面から破らなくても受け流して横から滑り込ませればホレこの通り」
「ガァッ、ァ」
まるで包丁で肉を切るかのように、脇腹をすっと斬られた。臓腑に届く怪我を負って流石の圭介も大きく倒れ込みそうになる。
「つまるところ、完全な防御なんてもんは存在しないっつー色気のねぇ話になるが。いやしかし実際優秀な方だとは思うよ念動力。ただ俺みてえなジジイなら先に情報さえ集めときゃどうとでもできるってだけさ」
付け加えるならゴードンの糸は【テレキネシス】で動きを制御しようにも対象が細すぎて座標の認識が困難であること、既に他人の魔力が流れているせいで干渉自体が充分にできないことも不利に働いている要因である。
「で、最後がコイツ」
コン、とゴードンの拳が“カリヤッハ・ヴェーラ”を軽く叩く。
「応用力の高い念動力魔術だが、まとめりゃそれは“物体を動かす”魔術でしかねえ。んで、そんな念動力魔術にも最悪の天敵がいる」
一本だけ、氷の矢が形成されて射出される。今度は【テレキネシス】でその動きを寸でのところで止められた。
本当に、寸でのところ。あと数ミリでその先端は眉間に食い込んでいただろう。
「……!」
「あとちょっとで死んでただろ? そうさ、テメェらにとって最悪の天敵は“動きを止める”低温・凍結系統の魔術だよ」
全ての物体は原子で構成されており、その原子は常に熱運動と呼ばれる振動を伴って存在している。これが激しければ激しいほど熱は大きく、逆に動きが鈍いほど熱は小さい。
即ち低温・凍結系統の魔術とはまさしく“動きを止める”魔術であるという見方ができる。これが“動かす”念動力を殺すのだ。
例えばエルマーのように激しい熱運動を生じさせる炎の魔術を使う者もいるにはいるが、少なくとも今の圭介はそれに該当する魔術を第六魔術位階すら使えていない。
「砂漠で化け物ぶっ殺した水の剣とやらもコイツがいりゃあ刃物の形になる前に凍らせることができる。で、ケースケちゃんと仲良しな鳥さんはご覧の有様よ」
不意にゴードンが指先をくいっと曲げる。
また攻撃か、と身構えた圭介だったが目の前にぶら下げられたそれを見て目を見開いた。
「アズマ……」
見せつけられたのは逆さまの状態で吊るされ、両翼を閉じた状態で凍りつかされているアズマの姿。
「コイツもテメェと同じ、前に壁作るしかできねえのが弱点だった。横から糸伸ばして足掴めば簡単に引っ張れたぜ」
「く、そ……」
蜘蛛型ホムンクルスに搭載された光線器官。
自由自在に操れる錬金術で作られた金属製の糸。
圭介にとって最悪の天敵、“カリヤッハ・ヴェーラ”。
徹底して圭介の不利に働くように用意されたそれらは、これ以上ないほどに具体的な結果を提示している。
「んじゃ暇つぶしにはなったしデータも揃っただろうからそろそろ死んでいーよ。おじいちゃん後はテキトーに消化試合で遊ぶから」
意味のわからない部分もあれど、その言葉が「これから殺す」という宣言を含むのだと何となく察した。
蜘蛛の足から伸びる光線が右肩を掠める。
圭介が一切動かなければ掠めるどころか撃ち抜かれていただろう。まだ残っていた戦意と生存欲求が最後に行わせた回避行動で、彼は辛うじて重傷を避けた。
それも一時的なものでしかない。
氷の矢が一本、上体を逸らした圭介の腰を狙って飛来する。背骨を砕いて移動手段を減らそうとしているのかもしれない。いずれにせよこのまま受ければ死は確定してしまう。
(駄目だ、間に合わない)
念動力による防御では相性の問題から防ぎ切れるかどうか怪しい。仮に防げたとして、次に飛んでくる光線か糸で殺されるのが関の山だ。
(ここまでガチの対策してんじゃねえよ……)
圭介も異世界転移を果たしてから今まであらゆる理不尽を見てきたが、今回のケースはその中でも一級品と言える。
念動力魔術、クロネッカー、アズマ。全ての手札を完封された。
単純に実力不足で負けた経験はメティスでダグラスに絡まれたあの日に済ませていたものの、対策されているというのは初めての経験である。こうもやりづらいとは思ってもみなかった。
(死ぬ……)
スローモーションになった景色の中、見えるのは自身を貫かんとする透き通った殺意のみ。
ゾッとするほど冷たい鏃が傷だらけの肉体に到達する。
その前に、圭介の体が大きく逸れて攻撃は外れた。
「んぇ?」
突然の事態に圭介の思考が止まる。
気付けば圭介は全身を幾重にも巻きつく包帯で包まれながら地上に下ろされていた。
「やぁーっぱ先に殺しとくべきだったなお坊ちゃん!」
「誰がお坊ちゃんっすか!」
糸の斬撃と光線の嵐を騎士団に防いでもらいつつ、レオの“フリーリィバンテージ”が圭介の体を自陣営へと引き込む。
回復術式が組み込まれている包帯により、見る見るうちに無数の切り傷と腹の風穴が塞がっていくのが感触でわかった。
「んのヤロ、味な真似しやがって」
再度“カリヤッハ・ヴェーラ”が氷の矢を形成して撃ち放つ。光線に対処している騎士団ではそちらからの攻撃には対処しきれない。
だから、ミアの“イントレランスグローリー”がその攻撃を防いだ。
「めちゃくちゃやられてたけど大丈夫なの!? レオ君、悪いけどしばらくケースケ君の回復お願い!」
「合点っす!」
「あーめんどくっせえ……」
続けてゴードンが糸による斬撃を飛ばそうと腕を振り上げる。
が、振り下ろそうとしていたその腕をすぐに横に滑らせた。
何をしようとしたのか、という圭介の素朴な疑問はゴードンの背中に向けて撃たれた無数の魔力弾が糸によって受け流されたのを見て解消される。
「くっそあの野郎また受け流しやがった!」
「でも段々クセが見えてきたよ! あと何度か試せば当てられると思う!」
少し離れた位置では、エリカとユーが並走している。攻撃と光線の迎撃を交代で担っているようで、二人とも傷を負った様子は見受けられない。
「おーおー仲良しこよしで並んで走っちゃってまあ良いね若いね青春だねえ! こちとらそんなもんと無縁の人生送ってきたから素直に羨ましいわ!」
また、蜘蛛の体が不自然に浮遊する。糸で釣りあげ空中から全方位に光線を撃つつもりだろう。
「じゃあ二人揃っておさらばしようじゃねえか、あぁん!?」
誰もが防御の準備を始めたそのタイミングで、声が響いた。
「皆さん、下がって!」
その声に前線にいる騎士達が訝しむと同時、二つの車輪が唐紅の炎を噴き上げて疾走する。
炎の勢いに驚いた彼らが思わず下がると、蜘蛛の真下でそれらが不規則な動きを見せた。
否、よく観察すれば不規則などではないとわかる。
炎を伴う轍が描くのは、蜘蛛の着地点に設置された巨大な魔術円。幾何学的な模様は詳しい者が見れば第四魔術位階相当の術式であると理解できるだろう。
「【ファイアボール】!」
瞬間、魔術円から巨大な炎の球体が生じて真上の蜘蛛を焼き尽くさんと立ち上った。
「ざけんな!」
セバスチャン・ライルの技術で作られたホムンクルスは熱に弱い。
それを知っているゴードンは急いで“カリヤッハ・ヴェーラ”に強烈な吹雪を吹き込ませるが、洗練された第四魔術位階の威力を抑え込むには不充分であった。
「だあああマジか! ってか誰だよコイツ外に出したの!」
悔しげに嘆きながら蜘蛛ごと炎に飲まれ、【ファイアボール】を貫通して着地した頃には蜘蛛の体が所々あぶくと湯気を出して崩壊していた。
同時に巻き込まれたゴードンが鬱陶しそうにバンダナやシャツについた火の粉をはたき落としているのを見るに、殺しまではしないように威力を調整されていたと思われる。極端なほど熱に弱いという情報は事実だったらしい。
「くっそ、おいテメェどんだけ金かけて作ったと思ってんだゴラァ!」
蜘蛛の体を蹴り飛ばす姿に余裕はない。先ほどの発言から察するに、彼にとっても予想外の出来事だったのだろう。
接近する騎士団を糸と“カリヤッハ・ヴェーラ”の猛吹雪で追い返しながら、ゴードンによる損傷した蜘蛛の補修が始まった。これでしばらくは先ほどまでと同じようには暴れられまい。
圭介は遠慮がちに隣りに来た美少年へと声をかける。
「エルマー君……」
「ど、ども。大丈夫? 怪我、してるでしょ」
相変わらず会話はたどたどしい。それでも心配してくれているという事実が、一度は死ぬ寸前まで追い詰められた圭介にとっては嬉しかった。
「…………大丈夫だよ。レオのおかげでね」
「へへっ、それならよかった。でもすみません、騎士団の人達の治療とかもあってそっちの状態に気付けなくて」
「間に合ったんならいいじゃんそれで。えっと、僕のグリモアーツは、と……あった」
やや離れた位置に“アクチュアリティトレイター”が落ちているのが見える。離れていても既に【解放】済みとなれば操るのは容易い。
普段と比べると動きが鈍っているのは、気温の低さが念動力の働きを阻害しているからか。
それでも柄は握れる。
頼れる仲間がいる。
敵に隙もできた。
まだ、戦える。
「行こうぜ皆。オヤジ狩りの時間だ」
「あのケースケ君、言い方……」
隣りに立つミアが渋い顔をしたが、意気込みは文句なしに充実していた。
ここから、反撃が始まる。




