第十六話 エルマーの焦燥
トラロック騎士団詰所での会議が進められている中、魔術による降雪は騎士団が最初に観測した時よりまた少し強まっていた。
現在の気温は先ほど会議室で発表された測定結果から更に下がったオーブリー九度。雪に阻まれて視界は悪く、地面に埋め込まれた蒸気配管の熱では処理しきれなかった雪がみぞれとなってそこかしこに蓄積している。このままでは路面凍結も時間の問題だろう。
雪の純白と内壁の橙によって構成された幻想的な空間は呑気に眺めることを許さず、美しさを保ちながら“生”に対してひたすら厳しい。
そんな夏の名残も見えなくなった街の中、鬼気迫る表情のエルマーが走っていた。
否、走るという表現はもはや適切ではあるまい。
両足の側面に取り付けられている仰々しい装飾が施された車輪とそこから噴き出す唐紅の炎で雪解け水を蒸発させながら移動する様は、まさしく爆走と言えよう。
燃え盛る二輪の名は“インフェルノホイール”。彼が有する車輪型のグリモアーツである。
術者の意思で自在に動きを操れるそれは無数の発火術式が組み込まれており、専用の補助具として開発されたブーツに取り付ければこうして高速移動も可能となる優れものだ。
しかし利点ばかりではない。
自転車然りバイク然り、低温環境での高速移動は肉体を急速に冷やす。魔術で体温を上昇させている彼も、氷の如く冷たい空気に体力と魔力を奪われながらする移動は相応の負担となっていた。
(……兄さん)
そんな苦境に在って脳裏に思い浮かべるのは歳の離れた兄の顔。
“大陸洗浄”に向かうと言って家を出る寸前、玄関先で向けられたその笑みは薄らぐ記憶の中で尚も自信を損なわない。
事実としてセバスチャンは第六騎士団において期待のエースとして見られていた。
剣技の冴えに魔術関連の知識量、特に錬金術への高い適性と理解は鑑識に移っても食っていけると謳われるほどだったらしい。たまに届く手紙にも上司のガイやバイロンから褒められたと書いてあり、自信に見合った実力は確かにあったのだろう。
そんな彼が死んでしまったのは十年前。まだカレン・アヴァロンが移動城塞都市ダアトを完成させる前の段階である。
亡骸は一見して無傷に見えた。が、納棺日の夜、父親が母親に「断面が鮮やかだったから綺麗な状態に復元できた」と話しているのを聞いてしまったのが運の尽きである。
兄の凄惨な最期を意図せず教えられてしまい、当時まだ六歳だったエルマーは毛布の中で眠れぬ一夜を過ごした。
それから四年の月日を経て“大陸洗浄”は終結する。
大陸側が虐げたと言っても過言ではない、そして兄の仇と呼んでも差し支えない客人との和平交渉によって。
(終わってなんかない。少なくとも、取り残された僕達の中では、まだ)
戦争が終わり客人による犯罪者への私刑の嵐が治まった途端、今度は追い立てられた犯罪者による再犯率がわかりやすく上昇してしまったのはある種の必然だったのかもしれない。
騎士団の役割は形を変えただけで損なわれたわけではなく、ただ人手不足という深刻な問題だけが新しく増えていた。慌ただしい騎士団の中に兄の笑顔はもう無い。
だから猛勉強を重ねて、兄が消えた分の穴を埋めようと思った。
責任感でも復讐心でもなく、ただ純粋な弔意のみを原動力として彼は騎士になる日を夢見たのだ。
時代が変わったその折に、騎士団学校を中等部から受験すると言った時の両親の反発は並大抵のものではなかった。
だから半ば家出のように学生寮に居を移し、両親も半ば勘当するようにしてエルマーを見送った。今の彼ならこれ以上息子を失いたくないという親心も多少は理解できるが、当時小学生だった彼にはまだ僅かな反抗期が残されていたのである。
つい先日にセバスチャンのグリモアーツの所在をそれとなく尋ねるため電話した際には、多少の口論も交えつつ冷静に話すことができたように思う。戦いを終えて治安が安定した影響で、幾分彼らの態度も軟化したのだろう。
(“大陸洗浄”が終わった今も、こうして戦いはどこかで必ず起きている)
それでもエルマーは、騎士になるという夢を諦めたわけではない。
遠い日に憧れた兄の遺品が、何よりも兄の人物像から遠い犯罪行為に使われている。見過ごせる問題ではなかった。
人の気配が一切しない大通りを走ること暫し。
エルマーの行く先に、間接同士を組み合わせたホムンクルスの壁が見える。
その銀色の肉体と特徴的な頭部の付属品をエルマーは知っていた。
攻撃、厳密には一定の熱の動きに対して反射的に魔力障壁を展開する防御用のホムンクルス。
兄と同じく騎士を目指すと豪語した幼き日のエルマーに、「攻撃の練習になれば」とセバスチャンが時折用意していたものだ。
幼かった彼はついぞその防御を破ることができなかった。
だが、今必要なのは突破ではない。宙に浮く“カリヤッハ・ヴェーラ”への到達及び破壊であって、目の前の壁は通過点に過ぎないのだ。
「【焦熱を此処に】」
エルマーの短い言葉と共に、左手に取り付けたパームカフからこれまた唐紅の炎が舞い上がる。揺らぐそれはやがて一つの魔術円を象った。
「【食らいつけ】!」
次いで飛び出す言葉を合図に、魔術円の中央から炎の蛇が飛び出す。
向かってくる熱源を前にして、ホムンクルスの群れは一体一体が反射的に若竹色の魔力障壁を展開した。縦に長い六角形は各々の障壁と辺を合わせて一枚の巨大な結界を成す。
それこそがエルマーの狙い。
「っぉお……!」
蛇の胴は元々魔力で構築されており、彼が放出を続ける限り伸び続ける。即ち熱源が継続して接触することで魔力障壁の展開も維持されるのだ。
エルマーは目の前に聳える壁に“インフェルノホイール”を当てて、そのまま車輪を回転させた。
次の瞬間、足から炎を噴き上げながら彼の体が上昇する。
重心が外側に向かう関係で後ろに倒れようとする体を、ローブの内側に組み込まれた浮上術式が支えた。若干背中に痛みが走るもののこれで真上に向けての走行を阻む要素はない。
やがて頂上に辿り着いたその時、、少年の視界には懐かしい姿が色合いを変えて存在していた。
「――……あ、あああ、ああぁぁあああ」
慣れない憤激は叫ぼうとして絞り出した声を呻き声程度に弱らせる。しかし、彼にとっては些細な問題だ。
魔力には個々人によって異なる色が宿る。
流石に唯一無二の色というのはほとんどないが、魔術の適性などよりも家系によってその色は似通うものであるというのが通説だ。
ライル家の魔力は代々青い色合いが多い。エルマーの炎が赤いのは、婿養子である父方の血を色濃く受け継いだからだ。
セバスチャン・ライルの魔力は本来涼しげな瓶覗色だった。間違っても緑系統の色ではない。
だが今の“カリヤッハ・ヴェーラ”は若竹色に染まっている。
つまり下手人はその隣りにいる、色黒薄着の老人だろう。
「ああああああああ!!」
両足の側面につけられていた車輪がガシャリと外れたかと思うと今度は足の裏に貼りつき、ブースターとして火を噴きエルマーの体を前方へと押し出す。
地上を爆走していた時以上の速度による、飛来。
その様子を見て老人――ゴードン・ホルバインがようやく示した反応は、
「あー来たか」
そんな程度のものだった。
グリモアーツの【解放】どころか身構える素振りすら見せず、ただ見るだけ。
あまりにも無防備な挙動と発言に、更なる憤激が呼び起こされる。
(僕を、見くびっているのか……!)
炎の蛇はまだ伸びたまま。左手を突き出しながら直進すれば、老人のか細い首など貫くどころか容易に砕ける。
中学時代から磨き上げた魔力操作が今にも活用されようとしていた。
そして、活用される前に引っ込んだ。
「っ……」
「お? あんだよブチギレた面ァしてた割に冷静じゃん」
激情の赴くまま直進していたエルマーだったが、寸でのところで両足を前に突き出し空中で制止した。その判断は正しかったのだと左脛に奔る一筋の傷が語る。このまま前へと進んでいれば全身を切り刻まれていたに違いない。
更に炎の蛇も頭部に当たる部分を四つか五つに分割されていて、事実上の機能不全となっていた。
彼とゴードンの間には目視困難なほど細い糸が無数に存在していたのである。
それら全てがピンと張った状態で展開されていた。急ブレーキの際に軽く触れただけでズボンごと皮膚が裂かれていることから、切れ味はそんじょそこらの刀剣より鋭かろう。
(普段から一人で生き残るために色々勉強してきた甲斐があったな……)
熱の移動や滞留を魔力を介して観測する第六魔術位階【サーモセンサー】。炎の魔術に適性を持つエルマーが使えばその精度は圭介の【サイコキネシス】による索敵能力を凌駕する。
精確なる熱量観測と幾多のクエストを単独で乗り越えてきた彼の直感が、目の前の見えざる死を回避したのだ。
「とりあえずその危ねーのやめてくんない? 爺ちゃん怖くて泣きそうだわぁ」
言ってゴードンが腕を振るうと“カリヤッハ・ヴェーラ”の口から細く白い閃光が吐き出された。それがエルマーの左手に当たって、パームカフごと凍りついて同時に炎の蛇も消失してしまう。
「あっ!」
兄が見せたことのない性能に不意を突かれ、一瞬動きが止まった。
『しまった』と思うももう遅く、全身を覆うようにして不可視の糸で構成された球状の牢獄に閉じ込められる。縛られるという事態には陥っていないものの僅かにでも動けば皮を剥がされるか肉を裂かれるか、あるいは骨を断たれるか。
加えて糸は“インフェルノホイール”から噴き出す炎を受けても破壊はおろか変形すらしない。魔術によっての破壊はできず、攻撃動作を行うには極端に狭いという絶妙に行動を制限する作りであった。
「く、そ……!」
「じゃ、お話しよっか」
身動きを封じられたエルマーの目前で、ゴードンが胡坐をかいて座り込む。まるで床か地面があるような動作だが、実際には見えない糸で作られた足場があるのだとエルマーはわかっていた。
「まず自己紹介からしようぜ。俺ゴードンってんだけど、オタクは?」
「……ぼ、ぼ僕はエルマー・ライル。ああああ貴方が利用しちぇ、しているグリモアーツ、“カリヤッハ・ヴェーラ”の持ち主、セバスチャン・ライルの……お、弟だ」
「ふーんそうなんだへー」
たどたどしいエルマーの口調には触れず、ゴードンは続ける。
「じゃあ何、コレ取り返しにでも来たの? 別に仕事終わったらいらないし欲しいならあげるけど」
「ふざ、けるな!」
仕事とはこの奇妙な騒ぎのことだろう。どのような目的を持って敢行されたものなのか狙いは全く見えないが、犯罪行為に違いはない。
それが終わるまで黙って見ていろというのであれば、目の前の老人はエルマーとセバスチャンの誇りを軽んじている。
「ぼ、僕は、兄さんの遺品で人々を傷つける貴方を、ゆ、ゆ、許さない!」
「んー勇ましいのは結構だけどさ。テメェの役割はもう半分くらい終わってんだよね、アハハハ」
「役、割……?」
軽薄な性格と相手への無礼を隠さずに、ゴードンはケタケタと笑った。
彼が放った言葉の意味がわからず、エルマーは訝しげな表情を向ける。
「何を言って、るんだ」
「やァホラ最近トーゴー・ケースケって客人が話題になってんじゃん? つい最近になってあのガキ殺すように排斥派のお客さんから仕事の話が来ちゃってさー。ま正直ダルいんだけどお仕事じゃしゃあないから、野郎をおびき寄せる餌として同級生の君にゃそこでじっとしててもらおうと思ってて。ホレあそこ見てみな、あんなに人数揃えたんだぜすげえだろ」
顎で指し示された先には黒いコートを着こなす複数名の男達が【解放】済みのグリモアーツを手にして路地裏で屯していた。纏う雰囲気は物々しく、どう控えめに見てもカタギの人間ではない。
「まずテメェの兄貴の遺品でテメェを釣るだろ? んで次はテメェを餌にケースケちゃんを釣る。後は野郎を獲って食らってそれで終いよ。そしたらもう用済みだから帰っていーぜ、今後使う予定ないからコレだって返すし」
そこまで話を聞いて、聡い方であるエルマーは確信を得た。
(まさか、ネットに上げられてたあの画像も……!?)
“カリヤッハ・ヴェーラ”の画像をネット上に流してエルマーをおびき寄せ、捕まえたエルマーで今度は圭介をおびき寄せる。
トラロックに圭介が来た経緯をギルドでこっそり聞いていた彼は、同時に事の運びから逆算することで騎士団側の動向もこの老人に流れている可能性が高いと判断した。
つまり事前の情報戦において、最初からエルマーはゴードンに負けていたのである。
兄共々利用された悔しさや義憤、敗北感もあれど、今はどこまで公的組織である騎士団の動向を把握しているのかが気になった。
「は、排斥派、なんですか。貴方達は」
「いや俺は特にそういう主義主張みたいなの無いけど。だったら何よ?」
「け、ケースケ君、を、殺そうって言っても……騎士団が、いるでしょう。それに、彼の仲間、だって。ぼ、僕みたいに、壁を乗り越えられたら、それで」
「今のトラロック騎士団に空飛べる奴ぁいねーよ。事前にちゃあんと仕込んでおいたから」
「えっ……」
完全なる想定以上。つまり騎士団は単なる動きだけではなく、内情にさえ干渉を受けているということになる。
ゴードンの素性について何も知らないエルマーは、どれほど強大な相手に喧嘩を売ってしまったのかを考えて今更ながら恐ろしさを覚えた。
「つまりここまで自力で来る奴がいるとしたらテメェかトーゴー・ケースケかのどっちかってこった。ま、騎士団以外がどう動くかは知らねえがその時はウチの部下共に出張ってもらうわ」
よっこらせ、とゴードンが立ち上がる。
「さぁてそろそろ連中も動き始める頃だろォ。……おいアーロン! 万が一にでも騎士団だの何だのが突っ込んできた時用に人員散らしとけ! 俺ァ例のもん用意しとくからよ!」
「わかりやした!」
老人とは思えない覇気を孕んだゴードンの声に、黒いコートを着た男の中でアーロンと呼ばれた一人が不敵な笑みを浮かべて応じた。
アーロンの指示に従って他の男達は散開し、ゴードンもそれを確認すると踵を返して歩き始める。
向かう先はトラロックの最奥。無法地帯の更に深淵である。
「ま、待て!」
先ほどゴードン自身が口にした「例のもん」という言葉が気になり、思わず制止する。
しかし仕事だからと割り切って街を襲うような男がそれを聞き入れるはずもない。
「やだよ。テメェはそこで兄貴の形見でも眺めながら待ってろや」
そう言って、振り返りもせず離れて行ってしまう。
残されたエルマーは、せめて凍りついたパームカフだけでも自由にしようと“インフェルノホイール”の炎に手を当てながら今後どうするかを考えた。
人付き合いを不得手とするが故に単独でクエストを乗り切ってきた経験、それを基盤とする油断と感情の暴走がここまでの窮地に繋がってしまったとも言える。結果として迷惑をかけてしまうくらいなら、多少危険な思いをしてでも圭介に協力できないものか。
最大のネックとなるのはやはり自分を取り囲む糸らしき何かで作られた檻だ。まずこれを破壊して外に出ない限り何もできまい。
“カリヤッハ・ヴェーラ”に強靭な糸を作り出すなどという特性はなかったはずなので、これはゴードン本人が得意とする魔術だろう。
ただそうなると厄介なのが『ゴードンは兄の物とは別に自身のグリモアーツも使える』という事実である。
理論で考えるには情報が足りないのでどういった原理でそれを可能としているかは度外視する。まず重要にして深刻な問題は死者の魔術を再現しながら生きている自分の魔術も併用できるという点だ。
セバスチャンが得意としていたのはホムンクルスの量産及び召喚と、その生命活動を維持させるための温度調整。ではエルマーの足に傷をつけ、炎の蛇をかき消した見えざる糸は何なのか。
右手を伸ばして檻を構成している糸に軽く触れてみると、ぴりっとした痛みと共に指先に浅い切り傷ができる。
純粋な魔力で構成されたものではない。もしそうならば術者であるゴードンが離れた時点で霧散しているはずだし、そもそもこれだけ大規模な降雪を街中に齎している状態で作るには負担が大き過ぎる。
ゴードンの種族は背丈の低さから考えるに恐らくクラウンだろうが、彼らは体が小さく俊敏な代わりに魔力の総量が少ない。今でさえかなり無理をして雪を降らせているに違いなかろう。
可能性として妥当なのは魔道具、霊符、あるいは――
「…………!」
考え事をしている内に、背後から轟音が響いた。
振り返ればホムンクルスによって作られた防壁が破られた痕跡があり、想定より遥かに早い段階で黒服達と騎士団が戦闘に入っている。アーロンらもこの早さで戦闘に入るとは予測できていなかったらしく、驚愕の表情で未だまとまらない陣形のまま苦戦を強いられていた。
(あれを突破したのか!? どうやって!?)
破られた壁を構築していたホムンクルスは、あるものは全身がひん曲がり、あるものは四肢をバラバラに吹き飛ばされている。
破かれた防壁の裂け目の向こうには、不敵な笑みが二つ並んでいた。
「やっぱ技名つけると気分のノリも違うなあ!」
『間違いなく威力が上がっているので私からは何も言えません』
「一応あたしも手伝ってんだかんなケースケおめぇ後で何か奢れよ!」
「おう奢る奢る! なんかあったかいもん食べに行こうぜ!」
「んだよやたらテンションたけぇなお前な」
『コレは恐らく人型生物の殺傷を勢いで乗り切ろうとしてますね』
頭に機械仕掛けの隼を載せた少年と、二丁拳銃を構える少女。
小難しく色々と考えていた自分が馬鹿馬鹿しく思えるくらいに、彼らは容易くエルマーが打ち破れなかった壁を破壊したのだ。




