第十五話 トラロック緊急会議
トラロック騎士団詰所は現在、外から避難してきた大勢の住民や観光客でごった返していた。
幸いにも避難誘導は円滑に進んで事情説明も阻まれることなく終えられたので、今は二つの騎士団からそれぞれ副団長と数名の騎士が鉄道会社と提携して駅舎の封鎖を進めている最中である。
他の人員は詰所に集まり、付近を出歩いている民間人を詰所に案内する仕事が任されたがそれも収束しつつあった。
「はい、これ羽織ってあっちであったかい飲み物もらってきてね。具合悪くなったらお父さんお母さんにすぐ言うんだよ」
「ありがとう、おにいちゃん!」
つい先ほどはぐれた親と再会したドラゴノイドの子供に配給された毛布を手渡し、圭介も一旦腰を落ち着ける時間を得る。
何者かによって発生したトラロックの外気温低下現象は、今もなお進行しているという。アルフィーに見せてもらった監視カメラの映像では既に建物の表層が凍結しており、夏休みに入ったこの時期では本来あり得ない氷柱まで垂れ下がっている始末だ。
(あの爺さん、何をするつもりなんだ……?)
昨日襲ってきたホムンクルスと何か関係があるのか。
仮にそうだとしたらあれが圭介を狙う排斥派なのか。
更にはその隣りに浮いていた女性の石像。
セシリアの呟きを信じるなら、あれがエルマーの兄が持っていたグリモアーツ“カリヤッハ・ヴェーラ”である可能性は高い。探す手間は省けたものの同時に回収が困難となってしまった。
そして圭介が抱える懸念はそれだけではない。
(死んだ人間のグリモアーツを使うなんて……いよいよそれっぽくなってきたなクソッ)
エリカと圭介の前に現れたダグラスの仲間、ララ・サリス。
彼女は“大陸洗浄”で平峯無戒に殺害された犯罪者、トム・ペリングが有していた双翼のグリモアーツ“ブラスフェミー”を自由自在に操っていた。
今回トラロックを襲ったあの老人も、他人の遺品をまるで自分のもののように扱っていたという点では同じである。となればエルマーの探し物を用いて騎士団に攻撃を仕掛けてきたあの老人は、エルマーでもなく騎士団でもなく圭介を狙っている排斥派かもしれないのだ。
(だとすると、この季節外れな雪はただ降らせて終わりじゃない)
殺害対象である圭介を引きずり出すだけの何かがある。
人混みの整理を終えてなお警戒心を強める圭介の行く先には、アルフィーら騎士団関係者とパーティメンバーが会議室前に集合していた。本来であれば午後のミーティングに入るはずだったのだが、今はこの雪に対してどのように動くべきかを話し合わなければならない。
「すみません、遅れましたかね」
「いえ、クエストとは無関係な部分まで手伝わせてしまって申し訳ないくらいです」
自分以外が既に集まっているので軽く謝罪するも、この場を取り仕切っているアルフィーは寧ろ警邏と無関係な業務を押し付けてしまったと恐縮してしまっているようである。
誠実さと人の良さは美徳だがこの緊急時に謝罪合戦にもつれ込むのも好ましくない。では早速、と会議室に一同通された。
会議室には複数の長いテーブルが細い長方形を象るように配置されており、グレーのカーペットの上には青いマットが組み込まれた安物のオフィスチェアがずらりと並ぶ。
奥の方の壁には広いスペースが設けられている。上部に設置されたロール状の垂れ幕に画面を表示するためのものだ。昨日のミーティングの際にも使用されたのと中学時代のパソコン室を思い出した関係で、圭介にとっては魔術よりも馴染み深い設備である。
圭介は人数分用意された席に腰を下ろした。
右隣りにエリカ、左隣りにはユーが座っている。これが平時ならば年頃の男子として居心地の悪さを覚えただろうが、今はそれどころではない。
「これから緊急会議を行います。欠員は……大丈夫そうですね」
アルフィーが前に出て室内を見渡す。点呼や出欠簿の記入といった確認作業すら省略して目視でメンバーの顔ぶれを確かめる辺り、相当切羽詰まっている様子が窺い知れた。
「ではまず現状トラロックがどのような状況下にあるのか、皆さんと共に情報を共有したいと思います。今の外気温は最低でオーブリー十二度を計測、そして今もなお下がり続けている模様です」
地球のセルシウス度、またの名を摂氏という温度の単位はビーレフェルトに浸透していない。使われるのはオーブリー度と呼ばれるもので、こちらは摂氏の約半分ほどの値が扱われる。
即ちオーブリー十二度とは摂氏六度前後を意味しており、これは日本で例えるなら冬場の朝方に匹敵する寒さである。
「加えて魔術による疑似的な降雪が続いており、このままでは道路の凍結や住宅の床下浸水などといった大規模な被害が予測されます」
「洞窟ん中の街じゃあ雪の対策なんざロクにしてねえだろうからなあ」
「仰る通りです……」
ガイの言葉は無遠慮だが事態の深刻さを明確に表していた。
洞窟内部の気温は低い。だからこそ冬場におけるあらゆる設備や地面の凍結を防ぐため、トラロックには景観を損ねない程度に熱蒸気を通す配管が常備されている。今も緊急時の対応としてそれらをフルに動かしている真っ最中だ。
しかし景観を重視したが故に建築物の表層は些か対策が不足しており、今回は垂れ下がった氷柱によってまだ外にいる民間人が負傷する危険性が残っていた。
加えて積雪を想起していなかったことも事態の悪化に繋がっている。
前述した通り地面にも高温の蒸気がパイプ越しに通っており、表面にはそれなりの熱が常に蓄積している。しかしそれも今回の積雪スピードに追いついておらず、積もり続ける雪と冷え切った空気は雪解け水による路面凍結を引き起こす可能性すらあった。
これも転倒などでの負傷は充分に考えられる。寧ろ目に見える脅威である氷柱よりも被害の範囲と発生率は大きかろう。
「更にトラロックの蒸気配管は旧式の設備であり、今年の秋には大規模な交換を予定していたんです。そんなものを今になって使ってしまうというのは、いくら緊急時とはいえ危険極まります。よってこれからトラロック騎士団と第六騎士団合同で複数の小隊を編成し、急ぎこの事態の主犯格を捕らえなければなりません」
そう言い放つとアルフィーは前もってテーブルに置かれていた顔写真の束を、全員に見えるよう配っていく。写っているのは色黒な禿頭の老人であった。
「この写真に写されている老人はゴードン・ホルバイン。住民登録を見る限りではトラロックが整備された初期の頃から第〇九二地区に在住しており、表向きは裏路地でシルバーアクセサリーを売りさばいているだけの露天商ですが……先ほど彼が空中に浮いたままグリモアーツで雪を降らせていたと、報告がありました」
ちらりとアルフィーの目がセシリアの方を向く。
「そして今回の事件を引き起こしている彼の隣りには、十年前の“大陸洗浄”で命を落とした第六騎士団所属の騎士、セバスチャン・ライルのグリモアーツがあったとも」
瞬間、トラロック騎士団の面々がざわつき始めた。第六騎士団はその流れを予想していたのか、険しい顔で沈黙するばかりである。
それを制しながらアルフィーは続ける。
「静かに。……急ぎ外に向かいたいところではあります。しかしその前に第六騎士団団長のガイ・ワーズワースさんに、こちらから質問があるのです。よろしいですか?」
「おぅ、言ってみな」
「では単刀直入に。セバスチャン・ライルのグリモアーツ、“カリヤッハ・ヴェーラ”はどのような特性を持っているのか。そしてそれへの対策なども、良ければ先に聞いておきたい」
そこにこれまで圭介達の前で見せてきた頼りなさげな姿はない。
ただ努めて冷静に物事を俯瞰し、最適な行動を模索する。そのためならば普段は畏怖の念を向けていたはずのガイにさえ、本来なら恐縮して聞き出せないような話を引き出そうとしている。
今この時、アルフィー・ブレイアムという男は確かにトラロック騎士団を統べる騎士団長としての器を見せていた。
それを察してか、ガイもどこか満足げな表情で溜息を吐く。
「野郎は他の騎士と同じで、戦う時には専ら“シルバーソード”ばっか使ってた。だから今から俺がするのは本人から聞いた情報、それもうろ覚えの思い出話でしかねえ。それでもいいか?」
「構いません。その時に聞いた分だけを話してください」
「……わかった。あいつが言うには、気温を下げるってのァあくまでも事前準備なんだとよ」
どこか懐かしげな瞳は外に意識を向けている証左か、ガイは天井をじっと見つめていた。
「野郎のホムンクルスは熱に弱い。実物を見たこたねぇがそういう作りらしくてな、表面をずっと冷やし続けるくらいで丁度いいんだとさ。だから気温を下げる魔術を複数組み込んだあのグリモアーツが無けりゃすぐに死んじまうって話だ」
「なるほど……。降雪から間もなく無数のホムンクルスの目撃情報があったのと理屈は合いますね」
「まさかこんなでけぇ規模で暴れる代物だとは思わなかったがな。夏場にちょくちょく涼ませてもらうくらいだったから油断してたが」
「それで、対処方法などは何かありますか?」
「正直言うとわからねえ。それこそ何を言っても予測でしかねえわ」
「…………わかりました。お辛い話をさせてしまって申し訳ありません」
構わない、という意図を含んでかガイが手をぶらぶらと振って話を終える。
「では温度変化、あるいは発火系統の魔術に適性がある人を分散させる形で小隊の編成を行います。急ごしらえとなってしまいますので何かとご不便あるかもしれませんが……」
「失礼します! アルフィー騎士団長、ご報告が!」
これから人員を分けようというタイミングでノックもせずに入ってきた男性騎士が一人。恐らくは避難した人々への対応や監視カメラの確認などを請け負っていたのだろう。
息せき切って目を見開いている状態から察するに、相当急ぎの用事であることがわかる。
「何かありましたか?」
「一般人が一人、外に出てホムンクルスの大群に向けて移動しています!」
「は!?」
洞窟内に設置された広報用の魔道具によって、避難勧告自体は既に全域に届いているはずだ。そうでなくともこの治安の悪いトラロックで、どさくさ紛れの強盗や殺人の危険性を考えない行為は浅慮が過ぎる。
にも拘らず騒ぎの中で危険な行動に出る者が存在するという事態に、その場にいた全員が呆気に取られた。
「すぐにカメラ室で確認お願いします!」
「わ、わかりました! 皆さんは一旦ここでお待ちください、すぐ戻ります!」
言いながら走り去るアルフィーの背中を見送った後、室内がざわめき出す。民間人に声が届かないよう声量を抑えている辺りは流石騎士団といったところだが、やはりこの状況下で勝手な動きをすることへの憤りややるせなさは我慢しかねるらしい。
「こんだけ寒い中で随分と根性ある奴もいたもんだなあ」
「根性あるで済まされるかよ。最悪死ぬかもしれないのに」
エリカの言い分に嘆息しつつ、圭介の思考は別の事柄に向けられていた。
(仕組みはわからないけど、お兄さんの形見がこんな風に悪用されてるなんて……エルマー君大丈夫かな)
彼自身、兄を持っているからこそ多少エルマーの言い分にも共感できる。
もしも圭介の兄が何らかの形で死んでしまったとして、その形見を犯罪に利用されたらどう感じるか。
きっと耐え難い感情の激流に飲み込まれるだろうことは想像に難くない。
お互いの誕生日を祝ったこともあったし、つまらない悪戯で怒らせたこともあったし、好きな番組を同時に見逃して二人仲良く落ち込んだこともあった。
運もタイミングも女の趣味も悪い男であったが、それでも大切な兄だ。帰りたいと思う理由の一つに、彼の存在が影響していないとは圭介にも言えない。
(本当に、大丈夫かな)
つまり圭介には薄々わかっていた。
ホムンクルスの群れに突っ込んだのは、きっとエルマーに違いないと。




