第十四話 凍てつく街
クエスト二日目、午前の警邏。
この日圭介はセシリアとガイの騎士二人組と行動を共にしていた。
周囲に【サイコキネシス】の索敵網を張り巡らせながら、脳内で自分が抱え込んでいるものをリストアップする。
トラロック騎士団との警邏クエスト。
その裏では帰還する手段の模索及び隠匿。
更にエルマーの兄が遺したというグリモアーツの捜索。
やることが多い。加えてホムンクルスの問題も根本的に解決してはいない。
そんな危険且つ忙しい状況で、この二人と行動できるのは素直に心強かった。
「なあ、ホントに警邏とか必要あんのか? トラロックの治安もここ数年で随分とマシになってるぜ?」
『昨日マスターがホムンクルスに襲われたばかりのはずですが』
「それにお前が毎年この時期に暴れまわったものだから、少なくともお前の周囲で騒ぎが起きていないだけだ。現実には悪化している地区も散見される。加えて外部から来るような半端者連中は騎士団の装備を見て委縮するという要素もあるだろうよ」
「んだよ相手がビビってるだけかよ。やってらんねえな」
「ガイさん以外の人達もやってらんねえと思ってますよきっと」
確かに、昨日圭介に絡んできたような腕自慢の連中が今日は一度も声をかけてこない。
ここまでの道中で出くわしたのは百貨店の品揃えにいちゃもんをつけていたケチな不良一人のみ。それとてガイ曰く「あのまま放置していたら百貨店の奥に連れ込まれて二度と出てこなかった」と言われるような小物である。
ホムンクルスどころかいざこざに巻き込まれることもないまま進む時間の中で、圭介の精神にはそれなりに余裕が生じ始めていた。
いかに危険な場所にこそ貴重な情報があると言えども、危険ばかりが目に入って手掛かりと呼べるものに遭遇していない以上は長居する必要性もない。警邏を終えてエルマーの手伝いを済ませたらすぐにでもメティスに戻ろうと考えているほどである。
「ひとまずお昼にしません? 十二時半過ぎてますよ」
「もうそんな時間かよはえぇな」
丁度レストランとして機能している屋形船が見えてきたので、時計を見ながら圭介が提案する。
過去にダンジョンとして存在していた洞窟を無理に開拓した街という環境もあり、出される料理は冷凍食品やレトルト品ばかりだろう。それでも店の内装と食器類で気分を誤魔化すことは可能だ。
今日はカレーの気分だな、などと呑気に歩を進める圭介の背後で突如ガイが足を止めた。
「ん、どうしましたガイさん」
「……なんか冷えねえ?」
訝しげな様子で空色のドラゴノイドが周囲を見渡す。
言われて初めて圭介も涼しさが増したのを漠然とだが認識した。
「言われてみれば、昨日より涼しいかも」
「いや涼しいったってここまでじゃなかっただろ」
そこまで言うほどだろうか、と圭介は首を傾げたがこれは種族の違いが大きく関わっている。
爬虫類とほぼ同じ身体構造を有するドラゴノイドやレプティリアンは変温動物としての特性を持っており、外気温の変動には恒温動物である他の種族より敏感なのだ。
「今年は冷夏になるんですかね」
「気象庁はそのような発表をしていなかったはずだが……」
『待ってください。今現在、気温が急激に低下してきています』
頭上から聞こえる平坦な機械音声による警告が、急速に圭介の頭をも冷やす。
持ち主ですら初耳となる情報だが、どうやらアズマには温度を測定する何らかの手段があるらしい。だとするとここでの気温低下は気のせいなどではなく事実である。
「うぅ、わりぃ限界だ。【風よ これ以上俺を削らないでくれ】」
何者かによる作為的なものかと警戒心を強めているとガイが何らかの魔術を使用する。直後、空色の鱗全体を覆うようにして枡花色の光が灯った。
体温の低下に際して使用される温度調節用の第五魔術位階【ホットガード】。適性の有無を問わずレプティリアンやドラゴノイドにとっては無理にでも習得しておきたい、冬を越えるための魔術である。
彼につられたわけではないだろうが、加速的な温度の低下はいよいよ圭介にも実感できるようになってきた。見れば周囲の人々も半袖によって外に晒された二の腕を擦りながら、何事かと隣りにいる家族や友人と話している。
「何が起きてんのコレ?」
『魔力反応あり。オカルトではなく人為的なものです』
「……まさか」
圭介の耳にセシリアの震える声が届くと同時。
川の水面を激しく揺らすほどに強烈な冷風が、トラロック内全域を駆けた。
「ぐぅっ…………!?」
「いかん、おいガイ! 動けるか!?」
「あ、ああ問題ねぇ……。先に対処しといて正解だったぜ」
「よし、なら行くぞ! ただし無理はするな!」
まるで真冬のような冷たい空気で瞬時に満たされた洞窟の中、観光客や行商人達の悲鳴と混乱の声が入り乱れる。
それにいち早く反応したセシリアが寒さで動きの鈍ったガイを引っ張り、人混みに向けて歩き出した。
圭介も小走りで続くと、鋭い声が飛んでくる。
「ケースケ、まだ走るなよ。騒ぎが始まったばかりのタイミングで急いでいる様子を民間人に見せてはならん。増してや転ぶ姿などもっての外だ。気持ちはわかるが、今は足元に気をつけながら歩いて移動するぞ」
「は、はい」
やはり騎士団としての活動には相応に体裁を守る動きが要求されるらしい。
改めてこんな集まりに入りたくねえなあ、と心中呟いている内にも気温は下がり続けている。ざわつく人々の波を前にして、ようやくセシリアが立ち止まった。
腰の“シルバーソード”とは別に懐から彼女自身のグリモアーツと思しき鉄黒に染まったカードを取り出し、それを口元に運ぶ。
「全員、静粛に!」
瞬間、その場に凛とした声が響き渡り雑踏は一斉に沈黙した。
彼女が使った魔術を圭介は見たことがある。
以前エリカらと共に山菜摘みに行った日、ウォルト・ジェレマイア率いる学生排斥派団体[羅針盤の集い]の一員が圭介の名前を呼ぶ際に使っていたものだ。
うるさいばかりで迷惑な魔術だと思っていたがなるほど、こういう場では大衆を一旦黙らせる上で有用である。
「我々はトラロック騎士団と王都メティス第六騎士団の合同警邏に赴いている騎士である! 良いか、こちらからの指示を受ける前に勝手にその場から動くなよ! 動いた者から尋問を始める!」
「言い方どうにかならなかったんですかセシリアさん!」
「予断を許さん状況だ文句を言うな! とにかく順番に詰所まで案内するから並べ、まだ寒くなってきてるからレプティリアンやドラゴノイドは早く【ホットガード】使うんだ!」
がやがやとした声の波が蘇りつつあるものの、異常事態で頼るべき相手がいるというのは心強いものなのか統率は容易に取れた。また、大通りにいるのはトラロックに慣れてはいるものの比較的マシな軽犯罪者、あるいはただの観光客などが大半を占めているのも安全に誘導できる要素として大きい。
特にガイは揉め事への対処がセシリアよりも速やかであり、どさくさに紛れてのスリや露店からの窃盗などをスムーズに制止していく。
しばらく自分の出番は無さそうか、と圭介は浅く安堵の息を吐いて周囲を見渡した。
見渡して、気付いた。
「…………雪?」
駅から離れた洞窟の奥、そこから冷風に乗って白い粒子が自分達の方へと向かっているのが見える。
その一粒がぽたりと目の下に触れた瞬間、針でつつくような冷たさを一瞬だけ伝えたかと思うと体温ですぐに溶けた。
『マスター。奥に何かいます』
「えっ」
アズマの忠告に危機感を抱き、すぐに吹きすさぶ風の向こう側を見やる。
するとより風が強まり、冷たさと同時に痛みすら感じさせる雪の乱打が顔を叩いた。
「ぐぅっ」
呻く圭介の背後では女性の悲鳴が聴こえる。恐らく観光に来た民間人のいずれかが、急に吹き付けた雪風に反応を示したのだろう。
しかし構わず目を細めて先にある何かを確かめようとする圭介の視界に、そんな些細な聴覚刺激など気にならないほどの異様が飛び込んできた。
「なんだありゃ!」
『恐らくグリモアーツとその持ち主かと。魔力反応の根源は間違いなくあれです』
二〇〇メートルほど離れた、街並みを眼下に見下ろす空中。
足場など存在しないはずだ。だというのに、当然の如くそこに直立する背の低い老人がサングラス越しにこちらを見ている。
隣りには若竹色の衣を纏った美女の石像が浮遊しており、舞い散る雪の動きを見るにどうやら風を吐き出す元凶であるらしいことがわかった。
「“カリヤッハ・ヴェーラ”……!?」
背後から風の音に紛れて聞こえるセシリアの声が、その名前を呼ぶ。
今は亡きエルマー・ライルの兄、セバスチャン・ライルが有していたグリモアーツ“カリヤッハ・ヴェーラ”。
昨日話を聞いたばかりだからか、圭介もその存在について憶えていた。まさかと思って目を凝らしても、石像の顔は心霊写真めいた画像に写されていたあの顔に瓜二つである。
何故そんなものが街を襲撃しているのか。隣りに浮かぶ老人は何者なのか。
気にはなったが、それより一般人の避難誘導が先だ。個人的興味よりも異常事態に怯える人々への配慮が僅かに勝った結果である。
「よーし爺さん婆さんとガキ共はもう行ったな! おらテメェら野郎のくせして女より先に行こうとすんじゃねえよぶん殴られてえか!」
「お前、馬鹿、お前! 避難誘導でくらい言い方というものを考えられんのかただでさえこのわけわからん状況でお前!」
「確かにそうだけどあんたが言えるこっちゃないと思うんですセシリアさん!」
何より頼りの騎士二人組が揃ってコミュニケーションを得意とする性格ではない。
安全第一と呪文のように呟きながら、圭介は観光客達を誘導する作業に移った。
* * * * * *
騒ぎを起こし始めたトラロックを睥睨しながら、ゴードンは一人退屈そうに白い息を吐き出していた。
夏にあるまじき真冬のような寒さの中、彼は上着どころかインナー一枚着込まずに裸の上から薄手のシャツだけを引っかけている。ダメージジーンズの穴からも素肌が露出していて刺すように冷たい。
かといってガイのように【ホットガード】で寒さから身を守るわけでもなく、ただただ凍てつくほどの空気に肌を晒すばかり。常人であれば体を丸めて歯を鳴らしながら震え続けるだろう。
彼は寒さを感じていないわけではない。
寒さを苦痛に感じていないだけである。
(どーせこのクソッタレな檻ん中にも飽き飽きしてたところだ。俺もジジイになって久しいし、明日風邪で死のうが明後日鉛玉で死のうが大差ねェ)
そう思いながらも、今日ここで死ぬつもりはない。
とある人物から死人のグリモアーツを取り扱う商売を持ちかけられたのは、ほんの一年ほど前のことだった。
最初に話を聞いた時には「新手の詐欺か何かか」と怪しんだ。
詳しい話を聞いて「そんなもんに俺を巻き込むな」と憤った。
動機に至るまで聞いた時には「狂ってるのか」と頭を抱えた。
報酬金額を聞いて心が動くも「勘弁してくれ」と一度断った。
断固として関わるまいとするゴードンに、その人物は言ったのだ。
――では今あなたが予想されているものよりも、上等な死に様をお約束します。
もしもあと七、八年若ければその発言を聞き終える前に相手を殺していただろう。しかし相手にとってはタイミングのいいことに、ここ最近の人生でゴードンは生きることそのものに奇妙な閉塞感を覚えていた。
トラロックの裏社会で組織と呼べる規模まで配下を揃え、その集まりさえ騎士団に明確な存在すら悟らせないまま暗躍を続けて四十年は経つだろうか。ここまで辿り着くには運の要素も多分に絡んだと思うが、それでも彼は彼が賭けられる全てをテーブルに置いて勝負してきたのだ。
飲みたい酒を呷り抱きたい女を組み敷く生活は、道行く人に金をせびるばかりだったあの日々と比べようがないほど快楽に満ちていた。最初から道徳などというものに縁遠かった彼にとって、正義と呼ぶに値する人生である。
しかし、生きている以上いつかは死ぬ。
その事実を老いと同時に実感するにつれて、刺激は刺激にならなくなっていった。車ほどの値段を誇る酒の味も極上の体つきを誇る美女の嬌声も、気付けば心の穴を通り過ぎてしまっているという有様だ。
ふと風呂上がりに洗面台の鏡を見れば、そこには老いさらばえた自分がいる。
『路傍でくたばる屑共と自分、二人分の死体は何が違うというのだろう?』
並べてしまえば同じ肉塊。この間違い探しには答えが無いのだと気づいてしまった。
いつか自分もあんな無様に死んでしまうのだろうか。
死ぬ場所が道端か部屋の中かの違いしかない、ありふれた終わりしかないのではないか。
そんな人生、本当に自分の力で歩んでいると言えるのか。
(若い頃は好きに生きていられりゃあ、死ぬ時がどうであれ満足するのが人生だと思ってたんだが)
そうして悩んでいるタイミングで上等な死に様などという形も価値も無い胡乱なものを取引に持ち出され、気づけば「一応乗ってやる」などとらしくもない返事をしてしまった。
結果が今のちんけな雪風騒動である。
公共の施設に逃げ込めば一般人は傷一つ負わずに済む、裏を知る者からしてみれば実に行儀のよろしい茶番劇。騎士団に誘導されて健康的な臓器の入れ物達がどんどんと街から消えていく。
(さぁて、こんなんでマシなくたばり方ができるものかよ。こりゃ賭けに負けてるかもしれねえなあ)
もう一度短く白い溜息を吐きながら、右手を振るう。
同時に圭介を襲ったものと類似した無数のホムンクルスがそこかしこの路地から出現し、騎士や観光客らが呆然としているのを無視してそれぞれがそれぞれの体によじ登る。
その末に出来上がったのは、ホムンクルス同士が互いの関節を絡めるように組み合わせて作った銀色の巨大な壁。
見上げるほどに高いそれをトラロックに詳しい者が見れば、通行可能な場所を全て塞ぐようにして君臨しているとわかるだろう。
ゴードンが今立っているあまり治安がよろしくない地区には、少なくとも徒歩では行けなくなった。
(直近のトラロック騎士団の人事異動を見た限り、今のアイツらン中に飛べる奴ぁいねえ。ってこたぁ理屈の上ではトーゴー・ケースケしかこっちに来られねえってわけだ)
少なくともトラロックでの情報戦においてゴードンを出し抜ける者などこの世にはいない。騎士団内部の情報程度であればとっくの昔に把握していたし、何となれば騎士団に飛行能力が欠如している現状は彼と取引相手によって引き起こされたものである。
あとは事前に撒いた餌に、どこまで圭介が食いついてくれるか。
「……どうだかなあ。今更一人や二人ぶち殺したってそれで俺の何かが変わるとは思えねえんだが」
圭介を殺すことは確定事項としながら背伸びをする。
老体の背骨からは、冬の枯れ枝が折れるような音が響いた。




