第十三話 来訪者
エリカに言われて暫し休むことにした圭介だったが、いざ宿泊先の小部屋に入ると途端にやるべきことがなくなる。
持参したネタ帳に小説を書く上で参考になりそうなこれまでの経験を書き連ねようともしたものの、直近の目立ったイベントがホムンクルス殺しだと気付いてからはそれもやめた。
今はただ眠くもないのにベッドの上で転がるばかりである。
「アズマー、なんか面白い話ねぇの?」
『鏡でも見ていればよいのでは』
「なんで機械なのにその辺の人間より毒舌なんだよ」
疲れてはいても体調不良というわけではない。しかしこの街に住まう何者かが自分の命を狙っているとわかっている今、自分とアズマだけで迂闊に外に出るのも危険だろう。
どうしたものか、と何度目になるかわからない溜息を吐き出す。
「……あのさアズマ」
『何でしょう?』
「アズマはこっちの世界出身なわけだし、僕よりビーレフェルトに詳しいんだよね?」
『基本的な知識であれば備えていますが』
「ちょっと知りたいんだけどさ」
上半身を起こして真面目な表情で視線を交差させると、アズマは無言のまま先を促した。
「今まで喧嘩もまともにしたことのない客人が、人を殺すってどういう感じなんだろうね」
『質問の内容、というより方向性が定まっていないように思えますが。もう少し具体的な内容を提示してください』
「容赦ねぇなマジで。いやね、さっきホムンクルス? を殺しちゃった時にさ。思ったよりも『殺した』って感覚がなかったもんだから、自分でもどうかしちゃったのかなって気になっただけだよ」
『なるほど』
アズマは十秒に満たない程度黙考すると、やがて言葉を紡ぎ出した。
『まず確認なのですが、マスターはホムンクルスや人型のモンスターを直接見るのは今日が初めてでしたか?』
「いや? ゴブリンとレッドキャップなら見たことあるけど……」
『どちらも人間に対して敵対的なモンスターの代表格です。マスターはそれらと遭遇した際にどうされたのですか?』
「どうっつっても、僕が何かする前にユーやミアが倒しちゃったから。何をするとかじゃなかったよ」
『つまり、人型モンスターが死ぬ瞬間はこれまでにも見たことがあると』
「そうだね。…………あ、そういう」
会話の流れを掴んだ圭介は、ようやくアズマが言わんとしていることを理解する。
殺すのは初めてでも、死ぬ瞬間を目撃するのは初めてではない。
「僕はその頃から何かを殺すための段階を踏み始めてたのか」
ルンディアでのホネクイモグラやレナーテでのゴグマゴーグも、言ってしまえば予行演習のような役割を担っていたのだろう。
人型モンスターの死を見るのは初めてではない。
モンスターを殺すのは初めてではない。
そして今日になって人型モンスターを初めて自分の手で殺した。
彼の精神はホムンクルスの殺傷という以前なら衝撃的であったろう出来事を、これまで見てきた戦いの延長線上にあるものとして処理してしまったのだ。
「でもそれ、あんまり喜べないね」
『この世界を生きていく上で必要な手順では?』
「だってさ……人を殺しても、同じように済ませるかもしれないじゃん」
誰かを傷つける日がいつか来ると覚悟しても、殺す覚悟まで決められるかはわからない。
そして圭介の心情としては、そんな覚悟を決めたくもない。
可能ならホムンクルスのような人型の怪物を殺す事態さえ避けて元の世界に帰還したかったのだが、今やそれも叶わぬ望みだ。
「人殺しになってまで元の世界に帰りたいかっていうと、うーん」
『やはり殺人は避けたいのですか』
「そりゃそうだろ。あ、いやアズマは機械だから人間とは感性が違うのか」
『一応人間にとって殺人というものが忌避すべき事態だという認識はあるのですが』
妙なところで相方の機械らしさを知ることとなってしまった。もしかすると相談相手を間違えたか、という懸念が圭介の中に生じる。
結局自分で解決するしかないか、と諦めかけたところでドアをノックする音が聴こえた。
「……?」
音が控えめなことで少なくともエリカではないと判断し、同時にドアを破壊して飛び込んでこない時点でダグラスや先ほど倒したホムンクルスなどによる襲撃も想定から外れる。
護衛役のセシリアかレオが何か言いに来たのかと判断した。
「あー、どちら様ですか?」
声をかけながら【サイコキネシス】の索敵網を薄く延ばし、ドアの向こう側の様子を探る。安い部屋だからか狭いだけでなく、ドアの下部に生じている微妙な隙間が助けとなった。
相手の大まかなシルエットを見るに人数は一人。
身長は圭介よりやや低い程度で、武器のようなものは持っていない。
ただ、圭介の呼びかけに対して何も返さないというのが不信感を煽った。
『……排斥派ですか?』
「どうだろう。ドアの外にいるのは確かなんだけど……」
と、その時。
「やっぱり誰かいるみたいっすね」
「貴様そんなところで何をしている」
「ひひぇっ!?」
ドアの向こう側でレオとセシリアの声が聴こえてきた。続いて、やけに怯えた様子の声も。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ。……ん? 貴様、どこかで見た顔だな」
「アレっすよセシリアさん、ギルドで圭介君とぶつかってた奴」
「あ、あにょ、はぃ……」
明らかに会話を不得手とするその声に圭介は聞き覚えがある。
二人に詰め寄られて顔面蒼白となっているであろう彼の姿を思い起こし、つい警戒心を解いてドアを開けてしまった。
「……エルマー君?」
決して広くはない廊下の中。
真っ赤な髪を肩口まで伸ばした一見して少女と見紛うばかりの美少年、エルマー・ライルが圭介の護衛を請け負っている二人に迫られていた。
「うわびっくりした。聞いてたんすか」
「簡単に出てくるんじゃない!」
一拍おいてから最初に反応したのは、突然ドアを開いた圭介に驚いた様子のレオである。
セシリアの反応も見るに、確かにもう少し気をつけてゆっくりと出てくるべきだったかと護衛されている立場から若干気まずくなった。その関係もあってか彼女は険しい表情を向けてくる。
常人なら悲鳴を上げそうな気迫ではあった。
しかし嘗て圭介が一つ上の先輩(当時中学三年生・女子)にふざけて父親を彼氏候補として紹介した時の母親や、城壁防衛戦でマティアスに一杯喰わされたと知った時のフィオナほどではない。
「おいケースケ、あまりコイツに近寄るな。……あの時の挙動不審な奴だな。何の用でこんな場所まで来た」
「あ、はい。すみ、すみませっ」
「いや無理に喋んなくてもいいから。セシリアさんも気持ちは本当にありがたいですけど、彼他人と話すの苦手みたいですしあまり脅かすのもよくないですよ」
武装型グリモアーツ“シルバーソード”の柄に手を伸ばす彼女を宥めつつエルマーの様子を見た。
白いローブの下には上下共に革製の防具が着込まれており、靴は何らかの術式が刻まれた金属板を側面に貼り付けたブーツを履いている。左手を覆うシンプルな意匠のパームカフも何らかの魔道具なのだろう。少なくともギルドでは着けていなかったはずの物品だ。
まあ、怪しまれても仕方がない程度には物々しい姿である。
『とにかくまずは対話を試みるべきかと』
「だね。えーと、エルマー君。何か僕に用でもあった?」
「あ、あの、その」
「大丈夫そっちのタイミングで大丈夫だからね。焦らないで。落ち着いて」
変に感情の爆発でも起こされて泣かれたり喚かれたりしないだろうか、と同年代相手にすべきではない心配を圭介がしているとようやくエルマーが語り出した。
「そ、そのね……ケースケ君に、お願いしたいことがあって、来ました」
「うん。どこまで応えられるかわからないけど、まずは話してみてほしい」
「あの……ぼ、僕の兄さんの、ことで…………」
たどたどしくはあるものの、彼はどうにか言葉を紡ぐ。
「エルマー君のお兄さん? えっと、多分だけど僕その人知らないよね?」
「あぁああうん、うん! 会ったこと、ないよ。だから、ケースケ君が知ってるはずない、んだけ、ど……」
「そのお兄さんが、どうかしたの?」
正直な話、何をこんなに親切に聞いてあげているんだろうと圭介は自分で自分が不思議だった。
言ってしまえば今は排斥派による襲撃を避けつつクエストをこなし、事によっては情報戦において騎士団を出し抜かなければならない状態だ。彼の用事が何であれ、この迷宮洞窟商店街での仕事を終えるまでは構っていても時間の無駄だと心の中の冷静な部分が訴えかける。
それでも優しく接するのは、“殺すことに慣れつつある自分”から“誰かに優しくできる自分”を護ろうとしているのが最大の要因かもしれない。
そんな益体もないことを考えながら、圭介はエルマーが次に発する言葉を待っていた。
「その、兄さんのグリモアーツを、トラロックで見たって人がいて……騎士団の仕事でこっちに来ることも多かったみたいで、何か関係あるのかな、って」
「何?」
それを聞いて何故か圭介より先にセシリアが反応する。彼女に苦手意識を持ってしまったのか、びくりとエルマーの肩が震えた。
「ライル姓、女顔の弟……。もしやお前の兄とは第六騎士団に所属していた、セバスチャン・ライルのことか?」
「……!? そ、そうです、セバスチャン! 僕の兄さんなんです! 兄さんを知っているんですか!?」
「うわっ!?」
名前が出た途端に先ほどまでの怯えはどこへやら、セシリアに飛びつくようにしてエルマーが詰め寄った。先ほどの光景とは立ち位置が逆転している。
「こ、コラ貴様! 一旦落ち着け!」
「あ、ぁあすみゅ、すみませっ! すみません!」
「ああもういい! ったく……。しかしセバスチャン・ライルといえばその、何だ。十年前に“大陸洗浄”で戦死したと聞いたが」
「えっ」
「そうなんすか」
思わずといった様子でレオに問われたエルマーは、戸惑った様子でこくりと頷いた。
「は、はい。兄さん――兄は、既に死んでいます。埋葬も済ませましたし、兄のグリモアーツも本当ならシンボルを削られた状態で、今は実家にあるはず、なんです」
『それが何故この街で見かけたという話になったのですか?』
「え、えっと、最初はネットの書き込みからだったんです、けど」
アズマの存在に驚かないところを見ると、彼も最近のニュースで圭介と行動を共にしているところを見たのかもしれない。
「トラロックでは稀にですけど、その……死んでしまった人のグリモアーツが、【解放】された状態でふっと現れるって……。も、もちろん、最初はデマだと思ったんです。オカルト関連で、そういうデマを拡散したがる人がたまにいるって、知ってたので。でも……」
おもむろに彼はスマートフォンを取り出すと、ネットに繋げていじり始めた。パームカフがカチャカチャと当たって少しうるさかったが、表示された画面をエルマーが提示した途端に圭介とセシリアが言葉を失う。
「あの、セシリアさん。これって……」
夕映えに似た景色の奥、そこに小さく見える翠玉の如き輝き。
画像が荒いせいでララ・サリスの姿こそ輪郭程度も見えないが、双翼を象りながら羽根ではなくエメラルドグリーンの鉱物で構成されたそれは見間違えようもない。
「“ブラスフェミー”、だと……!!」
大陸史上最狂の犯罪者、“涜神聖典”トム・ペリングのグリモアーツ。
本来であれば機密事項として公に出てはならないその画像が、こうしてネット上に拡散されている。
その事実は、あまりにも重い。
「これを、ネットで見つけたの……?」
「あ、は、はぃ……最近ですけど……」
何か粗相を働いたかと不安になったのだろう。エルマーの声は少しずつ小さくなっていった。
「そ、それで同じように、これも……」
今度は何だ、と先ほどとは比べ物にならないほど真剣な面持ちでセシリアと圭介が次の画像に目をやる。
画像の左端、見逃しそうなほどに小さな壁と壁の狭間。
まるで心霊写真のように、金属で出来た無表情な女の顔が半分ほど映っていた。
「うひっ、何すかソレ。ゆ、幽霊とかじゃないっすよね?」
苦手なのか嫌そうに目を逸らすレオと異なり、圭介の関心はその画像に吸い寄せられる。先に“ブラスフェミー”を見せられたからか、この画像が何を意味しているのかまだ読めずにいるのだ。
が、セシリアには伝わったらしい。
「これは、まさか“カリヤッハ・ヴェーラ”……セバスチャンのものか!」
「は、はい。やややっぱり、わかる、ものなんですね」
「私も知ってはいる、いるが……まさか、そんなことが」
彼女の言葉でようやくわかる。
それは、エルマー・ライルの兄であるセバスチャン・ライルのもの。
“ブラスフェミー”と同様に、故人のグリモアーツであった。
「兄はもう、死にました。なのに、兄のグリモアーツだけが、動いてる、みたいで。じじじ実家に電話しても、いつの間にか、無くなってたってばかりで」
「いつの間にかって、そんな馬鹿な……」
「で、でも親は盗まれたとしか、言ってなくて。それで、この街に来て、この街で悪さをしてるって、知って」
「悪さ?」
グリモアーツ単体で動くという話すら眉唾物だが、それがまるで悪意でも有しているかのような口ぶりに圭介の疑問が一気に膨らむ。
「こ、ここに来るまで、知らなかったんです、けど……け、ケースケ君、銀色のに、襲われたんでしょ?」
「襲われ……あ、ああ。あの銀色のホムンクルスに?」
「うん。……に、兄さんも、その、錬金術師、だったから。それに、ホムンクルスを見たって人の話、聞いてたら、兄さんが作ってたのと、ケースケ君を襲ったの。似てるやつみたいだった、し」
言いつつエルマーは圭介の手を握る。
相手が美少年であるという視覚的な喜びを、手汗にまみれた手のひらへの嫌悪感が勝った。
「お、お願い、ケースケ君。兄さんの、遺品を、取り返したいんだ。悪いことに利用されてるなんて、が、我慢できなくて……。ほ、本当にあるのかどうかの、確認だけでも、構わないから……」
そしてすぐにその嫌悪感も、ちょっとした尊敬に上書きされた。
されたはいいが、疑問が一点残っている。
「あの、気持ちはホントわかったんだけどさ。そもそもどうして僕を頼るの? 他にも頼れる人いるってか、僕に頼ってもなんもできやしないと思うんだけど。何ならエルマー君、学年一位の成績取るくらいだしめちゃくちゃ強いんだよね?」
「だ、だって」
圭介の意見を聞いたエルマーは、とんでもないと顔で語っている。
「ケースケ君は今、アガルタ王国どころか大陸中で有名、だよ……もしかして、知らなかった、の?」
「は? え、僕の評判って今そんななってんの?」
「て、転移間もない内に、色々と伝説を作ってるって……」
言われて圭介は[プロージットタイム]で“黄昏の歌”平峯無戒と出会った時のことを思い出す。
確か無戒はこう言っていた。
『話は色々と聞いている。学校では暗殺者を瀕死に追い込み、森に潜む奇天烈機械との死闘を乗り越え、城壁防衛戦では藍色の巨人の背骨を砕いて内側から脱出した。最近では白狼族の生き残りに首を二度狙われながらも生き延び、絡繰り仕立ての都をのたうつ黒蚯蚓から救ったとも。いやはや見事な立ち回りじゃないか』
それら功績に加えてヨーゼフの現行犯逮捕までついてくる。
客観視してみればなるほど確かに伝説と言われる要素はあるのかもしれなかった。
「だ、だからお願い。兄さんの力を悪用されて、しかもケースケ君を殺すために利用されてるなんて、嫌なんだ……。ぼ、ぼぼぼぼ僕で良ければ、何だってする、から……!」
「うーん!」
「メッチャ悩んでるっすね!」
『まあ、マスターも何かと忙しいですから』
「私としては体裁もあるし、騎士団とのクエストに集中して欲しいというのが本音なのだが……」
「いやでも学年一位の成績保持者が何でもするって言うんだから……いやでも……うーんよし、決めた!」
勢いよく声を張り上げると、圭介はエルマーの肩にポンと手を置いて。
「今やってるクエスト終わったらな!」
「あ、はい。それで、大丈夫、です」
『明確に落胆しているようですが』
「まあまあ、しゃあないっすよ」
そもそも実在すら怪しい死人のグリモアーツの捜索など、常に戦闘の危険性がある警邏のついでにできる作業ではない。
かといってプライベートの時間を消費しようにも観光客が集まるこの時期、治安も悪い中で疲れた体を引きずっても得られるものより失うものの方が多かろう。
そういった事情も加味した上での保留。それが圭介の出した結論だった。
背後でセシリアが安堵の溜息を吐いているのにも気づかないまま、圭介は手を当てたままエルマーに笑いかける。
「つってもエルマー君、僕だって命が惜しいからもしもの時には逃げるよ。死んだ人間のグリモアーツを使う奴には心当たりがあるけど、もしそいつらの仲間が関係してるんだとしたら相手は十中八九僕を殺す気で来るから」
「そう、なの?」
「そうそう、だからあんまり期待しないでね。基本は騎士団とかそういうプロの人にお任せする主義なんだ僕は」
『今までの行動を振り返るにあまり説得力は無いかと』
「うるせえ!」
そう言いつつも圭介はこの段階で戦う覚悟を決め始めていた。
死んだ錬金術師のグリモアーツを再利用し、ホムンクルスを作って圭介にけしかける何者かがいる。
それも警邏の巡回コースで待ち伏せしていたということは、騎士団を巻き込むことすら躊躇わないような危険な相手が狙ってきているということをも意味するのだ。
(いやマジで、期待はしないで欲しい)
そんな強大な敵と衝突することになったとしたら、果たして圭介は生きて帰れるのだろうか。
同時に、相手を殺さずに済ませられるのだろうか。
(本当は誰かを殺すくらいなら逃げ出したいんだ、僕は)
以前の日常から逸脱し始めた自分の価値観を俯瞰しながら、少年は思う。
人を殺したその先に、何もなかったらどうしようと。




