第十一話 急襲
午後のミーティングで自己紹介を終えた圭介達は、何人かに分かれて他の騎士と共に警邏に向かうことになった。
警邏中はいつ戦闘に入っても問題ないようにグリモアーツを【解放】した状態で練り歩くらしい。刀剣用の鞘や銃のホルダーなどは騎士団で貸してもらえたし、圭介は念動力で背中に貼り付けるだけで済んだ。
騎士団の懐にいるという事実からか、今回セシリアとレオは圭介とは別行動となる。
コリンの話を信じるならこの街にダグラスがいる可能性は低くない。それでもルンディアでの経験があれば迂闊に騎士団と衝突しようとはしないだろう、というのがセシリアの見解でありレオもそれに賛同していた。
圭介が同行することになったのは二人。一人は同じパーティメンバーであるエリカ、もう一人は第六騎士団にて副団長を務めるという男性のヒューマンだ。
バイロン・モーティマーと名乗った彼は不愛想だが寛容であるらしく、自主的に会話を始めることは少ないもののエリカに話しかけられれば相応の返事はしてくれていた。
「警邏っても何事もなく終わるとは限りませんよね。犯罪者見つけたら撃っちまってもいいんすか」
「ダメです」
「じゃあ隣りにいるバイロンさんに通報でもすりゃいいんすか」
「現場を押さえるまでは監視、決定的場面に出くわしたら一人が本部に連絡を入れ他二名で現行犯逮捕という形が最も理想に近いものとなります。が、基本はこちらの指示に従っていただくことになるかと」
「うぇーい。そんときゃおねがーしゃーす」
彼女の失礼な物言いを淡々と受け流せるのはどういった経歴からか、と始めは圭介も疑問を抱いたりした。しかし複数名の部下と上司であるガイとの板挟みになっている立場だと思えば、なるほどこういった器が必要になってくるのかもしれないと納得もいく。
豪気にして大雑把なガイやどことなく頼りなさそうなアルフィーと比べて、いくらか頼りになりそうというのが圭介から見たバイロンへの率直な評価であった。
「いつもこの時期に援軍を頼むことが多いって話をアルフィーさんから聞いたんですけど、そうなるとやっぱりバイロンさんも何度かここに来たことあるんですか?」
「そうですね。私はこれでもう八度目になりますか」
「思った以上に常連だった」
つまり少なくとも第六騎士団には八年間勤めているということになる。あの騎士団長の相手も八年間していたのだろうか、と考えると流石に同情を禁じ得ない。
「八回目、ってことは“大陸洗浄”の時期もここに来てたんですよね。治安悪いみたいだし、やっぱりその頃って今より仕事キツかったりしました?」
「いえ、それがそうでもなかったんですよ」
周囲への警戒を続けながら、バイロンの左手が腰に下げた“シルバーソード”の柄に触れる。
無意識での行動なのか指には力が入っていないようだった。
「トラロックには少々特殊な事情もありまして、あまり客人との交戦はありませんでした」
『特殊な事情とは?』
「この街を陰から支配している組織があるんですよ。正式な名称までもが隠されているものですから、我々の間では[シンジケート]と呼ばれていますが」
「へえ、漫画に出てくる悪の組織みてぇだな」
「実際に悪いことをしている……という、わかりやすい相手ならばよかったのですが」
特に苦々しげな表情を浮かべるという仕草もなく、淡々と続ける。
「[シンジケート]は違法薬物の売買や禁術指定の抜け穴を突く犯罪手段の確立、時には魔動兵器の密造などもしているものと思われます。ですがトラロック騎士団の総力を挙げても彼らの尻尾を掴むには至りませんでした」
「それはまた、どうしてですか?」
「犯罪行為の後処理が徹底しているんですよ。この街は奥まった場所に行くほど治安が悪くなるのですが、それでも死体どころか魔力の痕跡に至るまで犯罪現場に残されているのは外部犯によるものばかりです。流れの三流犯罪者や小規模な組織ならまだしも、[シンジケート]によって統率されている者達ならそんなミスは犯しません」
治安が悪い、という前評判から他の犯罪者を隠れ蓑にしようと流れてくる指名手配犯なども中にはいる。しかしそういった輩は騎士団の警戒網を侮り、結果として容易に捕縛されるのだという。
逆を言うなら[シンジケート]の隠蔽工作は騎士団の対応力を大きく上回るということでもあった。
「“大陸洗浄”で戦っていた客人は基本的に現場を確保した上での襲撃を主な活動としていました。その現場を押さえられず、どころか証拠すら存在しない以上はあちらも手を出しづらかったのでしょう。当時も今も、ここの治安は改善も改悪もされていないんですよ」
「え、でもどうすんすかそんなのがケースケを襲ったりしたら」
『明日の朝には行方知れずですね』
「勘弁してくれぇ……」
「もちろんそれを防ぐための措置はします。が、こちらにできることも限られていますので、そういった意味でも先走った行動は控えてください」
ただでさえコリンからの助言を受けて危機的状況を自覚したばかりだというのに、この異世界は容赦がない。
不安と辟易を隠せなくなりながら周囲の警戒を続けていると、ふと【サイコキネシス】の索敵網で不自然な動きを感じ取った。ひとまずエリカとバイロンの肩に手を添えて、小声で告げる。
「二人とも止まって。そこの路地裏に一人、誰かが隠れてます」
「えっ、マジか」
「……助かります。そうですね、そういう動きが一番ありがたいです」
現在三人が立っているのは川沿いの通りの一つ。彼らから見て右側、川とは反対の方向にある壁と壁の合間の通路に、それぞれの視線が集中した。
元は迷宮の一部、それも入った者を迷わせる道の一つだったのだろう。既に住居の一部に組み込まれてしまった壁の向こうには、息を潜めて圭介達の様子を窺う何者かが存在していた。
「人数は?」
「一人です。しゃがみこんだ姿勢で、【サイコキネシス】で感じ取る限り大きな武器は持っていないようですけど……」
この【サイコキネシス】による索敵網が持つ最大の弱点は、対象の輪郭から得られる大雑把な情報しか入ってこないところにある。
武器で例えるとナイフほどの大きさまでならある程度は感知可能な範囲なのだが、これが袖やポケットに隠されていたり、あるいはアクセサリーなどに偽装されていると途端にわからなくなってしまう。
なので確実な情報だけを伝えるのがやっとだったのだが、バイロンにとってはそれだけでも充分に有益な情報であったらしい。
「わかりました。では様子見だけしますので、少々失礼して」
そう言うと彼はウィンクするように左目を閉じて、瞼にそっと指を這わす。
指が通り過ぎた後には、なぞられた痕跡の如く細かな術式が浮かんでいた。
「【見たままを伝えよ】」
短い詠唱の後。
まるで目からこぼれるかのような形で、術式からクワガタにも似た一匹の甲虫が飛び出した。眼球を食い破って出てきたわけではないのだろうが、初見の二人にはそれなりにショッキングな絵面である。
「おっ!?」
「うわびっくりした」
バイロンは圭介とエリカの反応に何も返さず、術式を浮かべた左瞼を閉ざした状態のまま飛んでいく虫を見送る。
それが路地裏に入り込もうと空中で方向転換した瞬間、
「ジャアァァァ!!」
未だ見えない何者かがいる方向から奇妙な叫びが上がった。
それとほぼ同時に、一度空中で止まった虫が真っ二つに切り裂かれてしまう。
「ぐっ……」
何らかのフィードバックがあったのかバイロンが少しよろめき、瞼に浮かんでいた術式も弾け飛ぶようにして霧散する。
いかなる魔術を使ったのか彼に問う暇もなく、虫を殺した何者かが路地裏から現れた。
「……!?」
その異様な外観に、圭介の思考が一瞬止まった。
大まかな輪郭は中肉中背な人間の男。ただし衣服と呼べるものを身に纏っておらず、裸に見える肉体は全て銀色に輝いている。
頭部はヘルメットのようなのっぺりとした何かで覆われているものの、耳、鼻、口と顎が露出した状態で呼吸に支障はなさそうだ。
そして何より目立つのが、圭介が索敵した際には存在しなかったはずの大きな刃。
蜂が針を持つように。蟹が鋏を持つように。
刀と呼べる程度に長く幅も広いそれは、銀色に輝くそれの両手首から先がそのまま刃物と化したものである。
「いけない!」
その声と同時に、バイロンが“シルバーソード”を鞘から抜いて圭介と銀色の中間に立った。
直後に剣戟の音が周囲の空気を揺らす。
圭介を害そうとする刃と護らんとする刃が交差した結果である。
『マスター、狙われています』
「……っだああ、僕かよ!」
断定できる話ではないが、真っ直ぐに唯一の客人を狙う辺りこれも排斥派が差し向けたものである可能性は高い。また迷惑をかけたか、と内心で一つ舌打ちが飛んだ。
圭介を狙った関係で銀色とバイロンの位置は川がある方向に偏っている。つまりバイロンと銀色が向かい合っている右側、壁や行商人達がいる方は通り抜けられるだけの余地があるのだ。
そこへ【サイコキネシス】での加速、【テレキネシス】での運動制御により突っ込み、瞬き一つの間に銀色の背後に回り込む。
「ジェヤ!?」
人間とは到底思えない奇声と共に、動揺したらしき銀色の意識が背後へと向く。振り返ろうと首を捻った結果、無防備な横っ面が晒された。
「バイロンさん、伏せろ!」
「ッ!」
エリカの声と同時にバイロンの上半身が落ちるようにして下がる。
果たして彼女が放った一発の楕円状魔力弾は、吸い込まれるようにして鈍く輝くこめかみに撃ち込まれた。
「ジュアッ……」
サスカッチの頭部であれば貫通するほどの威力を有する弾丸はしかし、銀色の体を大きく反らすだけに留まる。それでも大きな隙が生じたことに違いはない。
「せい!」
しゃがんだ状態でバイロンが腕を振りぬく。その手に握られた“シルバーソード”の一閃は、目の前にある両足の膝から下を容易に斬り捨てた。
支えを失い、最早地面と平行になったその胴体に“アクチュアリティトレイター”の先端が食い込む。
「ジャ、アアアアアアアアアアア!!」
「う、る、せ、え、なあ!」
抗おうと叫ぶ銀色をそのまま上から押さえつけて、土すら陥没させるほどの重さを誇る金属板に螺旋状の【サイコキネシス】を纏わせる。
崩れ落ちる銀色が圭介の膂力と“アクチュアリティトレイター”の重量、引力の三要素によって地面へと向かうその瞬間に巻きつけたその力も先端へと収束させた。
「っラァ!」
「ジャガッ……」
着地と同時に、強い衝撃が生まれる。
煮込み続けたトマトのように潰れた肉と茶色い体液らしきものが土を濡らし、彼の者の上下が分かたれたことを知らせてくれた。
大きく開かれた口は断末魔の悲鳴も漏らすことなく、生命の余韻と思しきか細い呼吸だけを断続的に吐き出している。
「ハァッ、ハァッ……」
「……お二人とも、ご協力感謝します」
圭介はバイロンの労いを聴いていたが、聞いているとは言えない状態であった。
他人からの言葉を受け取るには、自分で自分に向けた感情を処理する方が忙し過ぎる。
(なんで、こんなに何でもないんだ)
話が通じる相手ではなかった。
人間であるかも疑わしかった。
殺さなければ、殺されていた。
(関係あるか。殺したんだぞ、人間みたいな形の生き物を……この手で)
圭介はこの時確かに全くの躊躇なく、人の形をした生き物を殺したのだ。
彼にとって何よりショッキングなのは、それに対してあまり衝撃を受けていなかったことである。
どころか最初に斬りかかられた時点でユーとの鍛錬を思い出し、心の中で数通りの迎撃手段を思い浮かべる程度には冷静でいられた。恐らくバイロンやエリカがいなくとも、一人で充分対応できる相手だっただろう。
そんな風に考えられるくらいには、彼の心はどこか麻痺していた。
(……いつからだ? いつから僕はこうなった?)
ルンディアでホネクイモグラを殺した時からか。
レナーテ砂漠でゴグマゴーグを殺した時からか。
あるいは、もっと昔。
幼き日、戯れに蟻を踏みつけて母親に叱られていた時には、既に――。
「おうケースケ、ぼーっとしてっけど大丈夫か?」
そんな声を発しながら、ポンポンと背中を軽く叩く誰かがいた。
圭介の意識を深みから引き揚げたのは、不安げに見上げてくるエリカの顔だった。彼女の背が低いからか年下、それも子供に心配をかけているような情けなさがこみ上げる。
「あ、ああ大丈夫。ただちょっと、人を殺しちゃったのかなあって。違うっぽいけど」
動揺のあまり口から出る言葉は明け透けなものとなってしまう。それに応じたのはエリカではなく、頭上の隼だった。
『マスターが殺傷したのは人間ではありません。これはホムンクルスです』
「え?」
その単語自体は知っている。確か錬金術で作られる人造人間の呼称だったと圭介は記憶していた。
『六種類の各種髄液を用途に応じて用いることで錬金術師が作り出す疑似生命体のことです。今回のコレは戦闘に特化させたものでしょう』
「とはいえ即興の域を出ないでしょうね。私も錬金術には詳しい方なので、それは何となくわかります」
しゃがんだままその銀色、ホムンクルスを調べていたらしいバイロンが続けて説明を入れる。
「本来なら製作者の魔力などといった個人を特定する要素が残留しているので、この死体を持ち帰って調べれば相手の素性を洗い出すことも可能……と言いたいところなのですが、厳しそうです」
「へ? 何でですか」
「最近トラロックではこういった出所不明のホムンクルスの暴走が増えてきているんですよ。しかし総じて魔力の残留は皆無、残された死体の細胞から採取される遺伝子情報にも有益な情報は見受けられません」
「それって、もしかして[シンジケート]の……?」
「可能性としてはあり得るでしょう。とはいえ断定はしかねます」
薄々感づいていても決定打に欠けていると行動できないのだろう。元より証拠の隠滅に特化した組織という話なのだから、素人の圭介が想像する以上に厄介な相手であることは確かだ。
「ひとまず外見的特徴と戦闘能力も含めて、今回得られた情報を他の騎士にも供給します。念のため、他の者が死体を持ち去らないように見張っていてください」
「わーりゃっしたー」
「わ、わかりました」
『了解です』
バイロンがスマートフォンを操作している間にも、圭介の視線はホムンクルスの死体に注がれていた。
コミュニケーションが可能な相手ではなかった。大して強くもなかったから、きっと路地裏から急に飛び出されても現役の騎士であるバイロンなら対応可能な範囲だっただろう。
人間ではないから、まるで怪物のようだから、殺しても罪悪感が発生しない。
そんな理由でいいのだろうか。
もしも相手がホムンクルスではなく刃物を隠し持った人間であれば、自分は先ほどと同じように動けたのか。
圭介の胸中に生まれた疑念は膨らむ一方である。
地面に飛び散るココアのような茶色の粘液と、押し潰されて引き千切れた銀色の肉塊。眺めていて気持ちのいいものではない。
「おいケースケ、大丈夫か? 変な顔になってるぞ」
「あらやだ失礼ねこの子ったら。ぼかァこれでもイケメンの母親と美少女な父親の間に生まれたんだぜ」
『駄目ですね。錯乱しているようです』
「いや事実だから」
とりあえずクエストの内容に沿うならば、これで基本報酬に二五〇シリカが上乗せされる。随分と豪気な話だが、これで人手が足りていないというのだから余所はそれ相応に稼いでいるのだろう。
(どうでもいい。そんなの、大したこっちゃない)
最初から圭介にとって異世界で得た金銭には、ここでの生活費以上の意味などない。
それよりも「早く帰りたい」という願望が「もう帰っても遅いかもしれない」という不安に塗り替えられるのを、必死に押し留めるのがやっとであった。




