第九話 トラロック騎士団
クエスト当日。
王都メティスで昼食を済ませた後に地下鉄で移動すること三十五分。
圭介達一行は淡い光を帯びた岩壁と天井に照らされる街、迷宮洞窟商店街トラロックに到着した。
「なんか懐かしい気持ちになるなあ。初めて来る場所のはずなんだけど」
思わずといった様子でミアが呟いたように、その景色は見る者に郷愁を呼び起こさせる。
夕焼け空に見えなくもない輝く洞窟の壁には緑色に縁取られた黒いメッセージウィンドウが時折流れ、現在時刻や交通事故による重傷者や死者数の記録、運勢占いなどが流されている。
血脈よろしくそこかしこに流れる川には個人が移動するためのゴンドラ、商船、中にはレストランや宿泊施設として機能しているらしき屋形船などが点々と見えた。
メティスやロトルアにあったような空中移動用の標識は見受けられない。圭介が事前に調べたところ、治安維持などの理由でそもそも騎士団以外の飛行に制限を設けているからだという。
「おいケースケあれ見てみ! あの屋形船よく見ろってホラ! 中古のゲームとカード売ってる!」
「落ち着け! 少年かお前は!」
エリカから仕事で来ているという事実を薄れさせるには充分な要素だったらしい。
スプレッドランプの光を上回らんとする弾けんばかりの笑顔は、完全にそのゲームショップだかカードショップだかわからない船に向けられていた。
今後の予定としては、まずトラロック騎士団の詰所に向かうこととなる。既に第六騎士団による増援が到着しているとの話で、これからの三日間は彼らと共に業務をこなすのだろう。
圭介は以前ジョギング中に出会ったガイが「面倒な仕事がある」と言っていたのを思い出していた。
詰所でクエストの概要を簡単に確認し終えたら、次はこれから二泊することになる宿泊施設へと案内される。曰く詰所の空き部屋は既に第六騎士団で埋まっており、圭介達が泊まれるスペースは別に用意しているという話であった。
この流れはアスプルンドなどの遠方訪問先で経験した部分なので語るべきことは少ない。
ただ、セシリアからは事前に「あまり贅沢できると思うなよ」と釘を刺されている。
いかなる過酷な環境で寝泊まりするのかと少年二人は不安を隠せなかったが、クエスト先での宿泊に慣れているらしいエリカらパーティメンバーと騎士団の事情に詳しいセシリアは何食わぬ顔をしていた。逞しいものである。
荷物をまとめたら午後の警邏だ。現在六人いる圭介達のパーティは騎士団側の裁量で二組に分けられるらしく、三人一組で見回りをする。
初日なのでトラロックでの簡単な過ごし方などを聞いて、立ち入る際に気をつけるべき場所や買い物をする上で至便な店舗の位置などを学ぶ時間でもある。
そうして一日の仕事を終えたら夕食を済ませ、翌朝八時からまた警邏。
こんなただ歩くだけの仕事で金銭を受け取っていいのか、と圭介がセシリアに訊いたところ「歩くだけで済むなら人員に困るようなことはない」という大変ありがたい返答を頂けた。
『つまりは警邏中に何かしらアクシデントが生じる可能性が高い、もしくは騎士団の警邏を引き金として必然的にアクシデントが生じるということになるでしょうか』
「うーわ後者のやつ最っ悪。そんなん絶対騎士団の足止めとかそうでなくても嫌がらせじゃないっすか。やっぱそれなりに物騒な街なんすかねぇ」
アズマの言葉を受けてレオが警戒しながら周囲を見渡していると、ある一点で視線の動きが止まる。
そこでは大柄なヒューマンと思しき男と長身痩躯のエルフの青年が、グリモアーツを【解放】した状態で睨み合っていた。
「あのう、セシリアさん……」
「まだ関わるなよ。この街の住人がこんな駅から近い位置で暴れているのは不自然だ。あれが喧嘩に見せかけた三文芝居だとすると、迂闊に仲裁に入った途端に囲まれてなし崩し的に路地裏まで連れ込まれるぞ」
「こっわ! え、何すかそれ怖いんすけど」
果たして彼女の主張が正しかったのか、一触即発の空気を醸し出していた二人は睨み合いを継続したまま揃って路地裏へと入っていった。周囲の行商人などが一切反応を示さない辺り、地元では当たり前の光景なのだろう。
異世界で使われる『治安が悪い』という言葉を日本の基準で考えてはならないのだと、ここで圭介はようやく思い至る。
「気を取り直して、トラロック騎士団の詰所に行こう。今頃は第六騎士団も合流しているはずだ」
「やはり駅から近い位置にあるんですか?」
味気ない洞窟迷宮都市での食事を極力摂りたくないという割と失礼な理由によって、事前にマゲラン通りで食事を済ませてきたが故にそれなり穏やかな様子のユーが尋ねる。
「ああ。本当は駅舎にそのまま組み込むのが理想なんだろうが、何分ここは洞窟に埋まるようにして作られた地下鉄の駅だ。魔力や電気、生活用の水を通す関係でスペースが取れなくてな」
「そりゃまあこんだけ壁に囲まれてりゃあそうもなるわな。騎士団が仕事するならネット回線も通さなきゃならねーだろうし」
「おかげでサイバー犯罪に関してはアクセスの悪いトラロックにいながら外部への干渉が可能となってしまっているのが悩ましいところだ。……これはまた今回のクエストとは別の問題だがな」
人々を護るために必要となる事項が人々への新たな被害を生むというのは何とも皮肉な話だ。サイバー犯罪と洞窟都市の関連性について考えたことのない圭介にとって、やや理解に苦しむ話ではあったが。
一同がセシリアを先頭にして歩くこと五分。
街中で見られる多くの建物と同じく、四角く整えられた石造りの詰所が見えてきた。
外壁に打ち込まれた鉄板にはわかりやすく『トラロック騎士団詰所』と彫られている。
インターホンを前に、セシリアが一度立ち止まって顔だけ背後の面々に向けた。
「エリカ」
「何すかセシリアさん」
「頼むから先方に対して失礼な態度をとるなよ。こちらにも一応顔というものがある」
「いやあたし以外の連中にも言えやそういうのは!」
「お前以外には必要なさそうだから言ったんだ」
「何だとこの野郎! あっゴメンこのアマァ!」
「多分セシリアさんが求めてるのってそういう丁寧さじゃねえと思うんだ」
どこのヤク中のドライバーだ、と圭介は頭を抱え込む。以前は彼女のパーソナリティに興味を抱いていたはずのアズマでさえ、今や率先してエリカに話しかけなくなってしまっていた。
なるようにしかならないと観念したのだろう。溜息もそこそこにセシリアがインターホンを押すと、即座に反応があった。
『はいこちらトラロック騎士だ……あぁ!? いいじゃねえかよ別に俺が取ったってよ! はいはいんで何かご用ですか、ってオイオイオイケースケ君じゃねえか二日振りだなええオイ!!』
豪放磊落な胴間声に聞き覚えがあり過ぎて、思わず脱力してしまう。
声の主は間違いなく先日のジョギングで雑談を交わした第六騎士団団長、ガイ・ワーズワースだ。
顔を識別できたのはカメラ機能がついているからだろう。ここは[バンブーフラワー]のホームを訪れた時と同じだった。
『はぁーっ、セシリアも一緒ってこたぁ何かい、そんな大人数で手伝いに来てくれたってのかい! いやあ嬉しいねえ!』
「えぇとな、ガイ・ワーズワース騎士団長。確かに概ねお前の推測通りではあるんだが、一応その話はトラロック騎士団長にも通したいから……あと立場的にもう少しその粗野な口調はどうにかならんのか……」
どうやら第一王女直属の王城騎士ともなると都市部の騎士団長より立場が上であるらしい。
城壁防衛戦の際にセシリアが年配者であるテディに高圧的な物言いをしていたのを、圭介はふと思い出した。
しかしあの引っ込み思案なテディと脳味噌筋肉のガイでは勝手が違う。
『おうおう話は後でいいから早速上がってきな! あ? るっせぇどうせ通すだろ!? 別にお前が通したって俺が通したって同じだろうがよンなもんよ! ちまっちまとよくもまーつまんねえ言いがかりに時間潰せたもんだぜ! 口より手ぇ動かそうや手をよォ!』
「メティスの第六騎士団ヤバくないっすか。ノリが大工とかそういう職業の人っすよねこれ」
圭介はバイト先の店長である程度耐性がついていたのだが、こういった性格の相手に不慣れと思しきレオが呆気に取られた様子で呟く。ミアとユーも流石にこの勢いは予想していなかったのか、困惑した表情でヒソヒソと何か話していた。
一方でエリカだけはいつもの様子で詰所の入り口に向かって歩き始めている。
「よくわかんねーけど通すっつってんだから一旦入っちまった方がいいんじゃねえの。ここで駄弁ってても時間の無駄だぜ」
『おっ、そっちの嬢ちゃんはわかってくれてるねぇ! いいよいいよ、今から茶ァ用意しとくから来ちまいな!』
『ガイさん、自分が! 自分がお茶用意しますんで、ちょっと奥に行っててください!』
交代するように出てきたのは、男の声。
恐らくこの声の主はトラロック騎士団に属する騎士だろう。ガイに対して若干不慣れそうにしている。
『失礼、申し遅れました! 私はトラロック騎士団団長のアルフィー・ブレイアムです! そちらはセシリアさんに依頼を受けてくださったトーゴー・ケースケさんと、パーティメンバーの皆さんですね!』
依頼受注者として提出した身分証明が圭介のものだったからか、まるでパーティのリーダーのような扱いを受けて一瞬困惑する。
内心で少しドギマギしつつも「はい、そうです」とだけどうにか答えた。
『それでしたら中へどうぞ! 入ってすぐの広間にテーブルと座椅子がありますので、お好きな席について暫しお待ちください!』
言ってすぐにドタドタと走り去る音が通信越しに聴こえた。よほど忙しいのかガイがまた何か騒ぎ出したのか、声には一切の余裕がない。
「とりあえず入るぞ」
セシリアに促される形で六人と一羽は中に入る。
入ってみるとわかるが、詰所の中は外からみた印象より広い。入り口があった建物はあくまでも玄関としての機能しか求められておらず、奥にある複数の施設が繋がった状態で内部の空間を構築しているようだった。
靴箱に靴を入れ、来客用スリッパに履き替えて先に進んだ先にある小豆色の大きな扉を開ける。
扉の向こう側には広間があった。臙脂色のカーペットが床を覆うようにして敷かれ、その上に木組みの座椅子とテーブルが置かれている。
受付や本棚、上の階に続く階段などがあってその辺りはどたばたと駆けまわる騎士の行き来が激しい。相当忙しいのだろう。
岩を組んで作られた壁はところどころにどこか人工的な銀色の光を放つカンテラが取り付けられ、光源に困ることはない。
おかげで受付の後ろにある扉から出てきて、圭介達へと接近する人物の姿もはっきりと見えた。
「ああどうも、少々急ぎ過ぎたようでお恥ずかしい。ささ、お席にどうぞ」
仲介人に前もって参加人数を伝えていたからだろう、運んできた自身のものも含めた人数分のカップとケトルを盆に載せたまま彼は笑う。
笑ったように、見えた。何となく。
「……あ、はい」
「……どもっす」
圭介とレオの客人二人は戸惑った様子を見せたが、女性陣は「どうも」などと軽い応答をしながら座椅子に腰を下ろしている。
大陸に住まう人であれば慣れているのかもしれない。
あるいは、圭介に関して言えば慣れていると言えるかもしれない。
「えー、改めましてご挨拶を。私がこちらトラロック騎士団で団長を務めさせていただいております、アルフィー・ブレイアムです。どうかこれから三日間、お見知りおきを」
手際よく紅茶を淹れた彼はまるでこの場にいる全員に仕える執事が如く、恭しく一礼した。
その姿を見て、更に少年二人の視線は彼に集中する。
転移して間もない、あるいはダアト以外の世界をほぼ知らない彼らがその容姿に度肝を抜かれたのも無理からぬことだろう。
(ダルメシアンだ……)
(ダルメシアンが紅茶淹れてくれた……)
その男――アルフィーという人物は、首から上がダルメシアンとなっている犬の獣人だったのだから。




