第八話 油断ならない味方達
コリンからのメールを受けて圭介が訪れたのは、以前インタビューを受けて以来となる新聞部部室。
相手が同級生の、それも城壁防衛戦で協力した仲間ともなれば特に警戒すべき相手ではないと判断したのか、今日はレオもセシリアも同行していない。
彼女は『見せたいものがある』としか言っていなかったので何が待ち受けているのか期待と警戒も程々に足を運んだのだが、机の上に広げられた新聞記事を見て得心することとなった。
「こんなのどこから持ってきたのさ」
「私個人が持つ特別なルートがあるの。詳しくはトップシークレットなの」
胸を張る姿は相変わらず年齢不相応に幼かったものの、今の圭介にとってはこの上なく頼りがいがある。
それら記事の数々は学級新聞ではなく、あらゆる新聞社が発行した“大陸洗浄”当時の朝刊だった。
しかも内容は悉くが“黄昏の歌”平峯無戒、つまり[プロージットタイム]で圭介と対面したあの男にまつわるものばかりである。
「ケースケ君は今、ダグラス・ホーキーと“黄昏の歌”っていう二種類の危険人物と接触してるの。ダグラスの方はまだわかってないことが多いけどコイツなら情報はいくらか出てくるの。また接触するかはわからないけど、しないとも決まってないなら調べておくべきなの」
「うん、そうだね」
圭介の中には、またあの恐ろしい相手と会うことになるだろうという奇妙な確信があった。
どういった根拠によるものか、と考えているとそれを察したわけでもなかろうコリンが言葉を繋げる。
「ケースケ君、城壁防衛戦のことは覚えてるの?」
「ん? うん、そりゃまあね」
「関係あるかわからないけど、あの時と[プロージットタイム]の爆撃事件は犯行動機が似てるの。どっちも“大陸洗浄”を思い起こさせるような理由で、ある程度安全圏にいる犯罪者を炙り出そうとしてたの」
「あ……」
掴めずにいた確信の根元を言語化された気分だった。
巨大ロボットを操り一部貴族の悪行を暴かんと仕掛けてきたマティアス・カルリエと、遊園地の人身売買を世間に露呈させたヨーゼフ達の間に繋がりがあるとは限らない。
だが、ないと断言もできない。
「もしも排斥派とは別にそういう派閥があるのだとしたら、念動力を使う客人のケースケ君を放っておくとは考えにくいの。だからせめてわかる範囲だけでも情報を集めておくべきだと思ったの」
「ありがとう、助かるよ。言われてみれば僕が置かれてるのって結構危険な状況なんだよね」
言いながら記事の数々に向き直り、自然とあの黒衣を纏った青年の姿を思い出す。
真正面から迫り来るゴグマゴーグでさえ、あの殺意の塊のような客人と比べれば安全に思えてくるほどだ。“大陸洗浄”を知る世代であるガイやレイチェルに話を聞くという手段もあるが、事前に調べておいた方が無駄もない。
その情報を少しでも集めるべく、一枚の新聞を手に取る。最初はわかる範囲での簡単なプロフィールがまとめられたものだった。
今のところ毒にも薬にもならなさそうな記事を読み進めながら、少し気になっていたことを訊く。
「そういや“大陸洗浄”って六年前だよね? コリンから見て当時ってどんな感じだったの」
「うーん……戦場に出たわけじゃないから戦いについてあれこれは言えないの。でも、騎士団志望の学生が言うのもなんだけどあれは一度やらなきゃいけない戦いだったと思うの」
「へぇ?」
意外な言葉が出てきて圭介の興味が一度コリンの言葉に向いた。
「あの戦いがなければきっとまだ捕まってないままの凶悪犯罪者が何人もいただろうし、そうなれば必然的に被害者の数も増えてたの。まあ、結果だけ見ると排斥派の人達とか騎士団の信用低下とか目に見える問題もあったけど」
「それでも必要だったと」
「ちょっと残酷な話をするけど、そのままほっとくと百人殺す殺人鬼を一人殺せば殺される予定だった百人は助かるの。“大陸洗浄”はそういう戦いだったの」
「ふーん……」
どうにも彼女は“大陸洗浄”について割り切った見方をしているらしい。
その話を聞いて、圭介はふとトロッコ問題という思考実験を想起した。
概要としてはこうだ。
自分が歩いている通路からは、暴走するトロッコが見える。そのまま放っておくと軌道上にいる五人の人間が轢かれて死んでしまう。
駆け寄ったり声をかけたりといった手段では間に合わず、猛スピードで進む車両そのものをどうにかしなければならない。
自分の手がすぐ届く位置には線路を分岐させるためのレバーがある。
それを動かせばトロッコは移動先を変え、五人の命は助かるだろう。
――分岐先にいる、五人とは別に生きている一人の命を犠牲として。
今のコリンの話は厳密にはこの問題と異なる性質を帯びており、客人側が持っていた手段は分岐用のレバーではなくトロッコを爆破するための爆弾のスイッチだ。
それでも現実にやることが多数を優先しての殺人に違いはない。百人のために一人を殺した者が、この大陸には一定数いるということになる。
自分ももしかするといつかは、と嫌でも考えてしまうのは圭介の経験不足が要因だろう。モンスターを殺した経験はあれど殺人ともなれば義務感より忌避感が勝るものである。
「ダアトにもそういう、人殺しを殺した人ってのはいたのかな」
「まあ、そりゃいるとは思うの。ていうかある程度強い冒険者とかだったら犯罪者を殺したことのある人は結構いるはずなの。仕事失くして再就職もせず犯罪者になっちゃった人が討伐対象になるっていうのは、現代でもたまにだけどある話なの」
特に将来のことを一切考えないままに出所して、そのまま定職に就くことを嫌った怠惰な気質の者が人を襲う事案は毎年一定数生じている。市街地付近では騎士団の目がある関係で、結果的に彼らは山賊や海賊としての活動を余儀なくされるのだ。
そして当然そういった経緯で蛮行に及ぶ者は街に買い物をしに行くことができず、結果として金銭よりも食糧や嗜好品といった現物を強奪する。だからか標的は主に大荷物を持っている商人や根無し草の孤独な冒険者だ。
挙句に騎士団への通報を恐れて強盗のみならず殺人にまで手を染めてしまい、その悪質な犯行動機から討伐対象として手配されるまでが基本的な流れである。
日本でも強盗殺人は死刑か無期懲役になることが多いと母親から聞いていた圭介は、その嫌なプロセスに理解を示しつつ微妙な面持ちになった。
「その場合、やっぱ殺されちゃったりするんだよね」
「ていうか生け捕りの方が手間だから割り切って殺す人は結構いるの。温情をかけて殺さない人もいるにはいるけど」
あっけらかんとコリンが答えた。そこは異世界特有の感覚なのか、現代日本で生きてきた圭介から見るといくらか人命の扱いが異なる印象を受ける。
となればダグラスのような過激な排斥派を返り討ちにする形で殺めてしまった客人なども、いないわけではないのだろう。
(こういういらんところはしっかり異世界しやがって……嫌になるよ全く)
覚悟は決めておくべきかなと思いつつ手元の記事を読み進める。
どうやら平峯無戒なる客人は空気の振動、即ち音を基軸とした魔力因子付与系統の魔術を操るらしい。
圭介も当時[プロージットタイム]で【サイコキネシス】の索敵網を揺らしていた感覚から、そうではないかと推察していた。
初対面の時に念動力で浮かべていた瓦礫を一瞬で砕いたのも、恐らくはその応用で発生させた衝撃波によるものだろう。空気の振動も圭介の【サイコキネシス】と同じ索敵を目的とした超音波の可能性が高い。
(怪我を負った記録は……やっぱりないな。しゃあない、次は当時特に目立った戦闘の簡単な記録だ)
と、そこに至って気になる名前が書かれていた。
無戒に関する情報と共に記載されていた、とある犯罪者の名前。
(“涜神聖典”トム・ペリング、か)
それはララ・サリスが持っていた双翼の元の持ち主。
記事を参照するにこのトム・ペリングなる人物は、無戒によって殺害されていたらしい。“大陸洗浄”で死んだという話だけは聞いていたが、まさかこんなところで名前を見るとは思っていなかった。
あの規格外の存在とぶつかって少なくとも戦闘行為と見なされる程度の働きはしたというのだから、戦闘能力は相応に高かったのだろう。
(スマホでちょっと調べたから何をした人なのかは何となく知ってる、けど)
この大陸に以前は根付いていた宗教という概念を、どこまでも貶め穢し破壊しつくした。
具体的には教会などの施設を襲撃、建造物を破壊するだけに留まらず神父やシスターといった教会関係者を殺傷し、何かを信仰していると見れば信徒の自宅にまで突貫したというのだから徹底している。
それだけの騒ぎを起こしておいてなお奇妙なのは、当の本人は「自分こそが神の実在を信じている」と強く主張していたことだ。
曰く、この世の不幸は全て神の悪意であり幸福は我々人間の成果である。
曰く、ならば人々の意思は悪意ある神への攻撃に収束されるべきである。
曰く、その神を崇め奉る宗教という集団活動は人類に対する反逆である。
等々、無茶苦茶な主張をしながら『宗教を破壊と殺戮によって貶める』という形で神への攻撃を為しながら大陸中を渡り歩き、おまけとばかりに人生に絶望した者達のフラストレーションを利用して配下に加えつつ各地で大暴れした。
それが関係者達にどれほどの恐怖を与えたのか圭介には想像もできないが、最終的には今の大陸の宗教観があるのだからさぞかし大々的な被害を生み出したのだろう。
「平峯無戒もトム・ペリングも、大陸で有名な犯罪者ってのはどっかぶっ飛んでんね」
「いくらなんでもそれは一緒くたにされる他の犯罪者が気の毒なの」
「でもなぁ。ほら、マティアスだってどっか頭のネジが数本抜けてるような奴だったし」
陽気なマッドサイエンティストの顔を思い出し、知らず表情はうんざりとした形に変わっていった。
「あんなのが地球出身ってなるとあっちの世界出身の立場として恥ずかしいよ……」
「でも重要そうな情報は持ってたの。ほら、藍色船舶の中で見つけたあの論文なの」
コリンが言っているのは恐らく、“インディゴトゥレイト”内部で見つけてすぐさまマティアスに没収された書類のことだろう。
“客人再転移手続き”。
あれがもしも本当に帰還する方法について言及したものであれば、元の世界に帰れるかもしれない。
一度は手に取って最初だけ半端に読み始めたせいで、あの資料への執着は今も圭介の胸の奥に残留していた。
「案外あのくらい危険な場所の方が、求めてた情報が手に入るものなの。これは新聞部員として断言できるの」
えっへんと虚無なる胸を突きだして言い切るコリンを、圭介はどこか胡乱な目で見やる。
やりたくはないがやらなければ求めた結果を得られない。そんな状況への迷いが表情に出てしまう。
「危険な場所、かあ。そういう賭けみたいなことはやりたくなかったんだけど、帰る方法について知るためにはやらなきゃいけない時が来てるのかもなあ」
「そういえばケースケ君は近い内にその危険な場所に行くって言ってたの。まあトラロックはただ治安が悪いだけとも言えるけど、最近じゃ排斥派が出入りしてるっていう変な噂もあるらしいの」
「マジかよ行きたくねーなー」
「でも」
クエストへのモチベーションを下げ始めたその時、コリンの声が一段階低くなった。
「探すならなるべく自力で探すことをオススメするの。まさかトラロックにあるとも思ってないけど、客人が元の世界に戻るための手段について書かれた資料なんてもんがあるなら、ケースケ君は騎士団を出し抜かなきゃいけないの」
「………………」
そうなるだろうという、想定はしていた。
今まさに手元にある資料が物語っている通り、“大陸洗浄”を代表としてこの世界に対する客人の影響力は非常に大きい。
そんな連中がもし一斉にいなくなってしまったら、今度はどのような社会的混乱が待ち受けているのか誰も予測できないだろう。
つまるところ地球への帰還手段というものは、今や大陸に住まう全ての人にとっての爆弾なのだ。
そんなものが騎士団の手に渡れば真相は永遠に圭介の元にやってこない。
「ま、トラロックの不穏な噂とあの資料の間に関係があるとは思わないの。けれど」
コリンは退屈そうにあくびをしながら、適当に資料を拾い上げる。
とある新聞の一面を飾る、城壁防衛戦の記事。
「万が一にでもそんなのがあったら、騎士団は絶対にケースケ君には見せないように動くの」
「……うん。だろうね」
そこで話を終えたつもりか、コリンはそれ以上何も言わず懐かしそうに手に取った新聞を読み始めた。
圭介は眠くもないのに情報が頭に入ってこない状態のまま、無戒の情報が記載された記事を眺めていた。
だから彼は気付かない。
広げた新聞紙の向こう側で、コリンが小さくガッツポーズをしていることに。




