幕間 隣室でのちょっとしたやり取り
「で、トラロックの件は大丈夫そうなの?」
アーヴィング国立騎士団学校の敷地内にある来客用宿泊施設の一室。
時刻は夜十九時四十分を過ぎた辺りで、窓の外に見える景色は夜に染まりどことなく涼やかだ。
圭介の身を護るという使命を帯びてセシリアが住まうその部屋には現在、彼女以外の人物が存在している。
床に置かれた大きめのクッションに身を預けるそれは、長い白髪をさらりと遊ばせる小柄な少女の姿をしていた。
アーヴィング国立騎士団学校の高等部一年生にして王城諜報部に属する騎士。
学校では新聞部に所属し、エリカ達三人と同じ寮室で生活しているレプティリアン。
つい先日に遠方訪問と部での修羅場を乗り越えた、コリン・ダウダルである。
立場上一応は騎士と呼んで差し支えない彼女だが、諜報部という特殊な環境と諸事情が絡んだ結果として今は王立騎士団学校に学生として通っていた。
もしも学校側が何らかの不都合な事実を恣意的に隠蔽しようとした際には彼女の目と耳がそれを感知し、その情報は即座に第一王女であるフィオナ――即ち王族へと流れる仕組みになっている。
とはいえ今回セシリアと交わしているのは騎士団学校に関する話ではない。ある一人の少年の話だ。
「学生証のコピーを仲介人に渡して、そのまま滞りなくクエストを受けた。エリカからの思わぬ援護射撃も手伝って存外簡単にな。特にアクシデントがなければ出発は二日後の正午となるだろう」
「それはよかったの。でも一応私の方からもケースケ君に念押ししておかないといけないの」
「あまり畳み掛けるようにというのも危ない気がするが……」
「“行く場合のメリット”はもう提示したの。なら次に“行かなかった場合のデメリット”も教えてあげないと、似たような魅力のあるクエストに浮気しないとも限らないの」
独特な口調で饒舌に話すコリンは、しかして気だるげな雰囲気を隠そうとしない。
スカートからパンツが見えるのも厭わず股を開いて両足をだらりと伸ばし、手のひらは両方とも床にべたりとついている。尻に敷かれたクッションがそれでも潰れていないのは、単純に彼女の体が軽いからだろう。
いくらプライベートな空間でもこれは、と思ったセシリアが優しく咎める。
「せめてパンツは隠せ、バカたれが……。いつにも増して随分とやさぐれているな。そんなに遠方訪問先に仕事を絡めたのが気に入らなかったか」
「違うの。ただ、トラロックは他の現場以上にしんどかったから……」
遠い目で窓の向こうを見やる彼女からは、仄かに哀愁が漂っていた。その様子に対してセシリアは投げかけるべき言葉を見失う。
コリンの遠方訪問先にトラロックが含まれていたことと、フィオナから追加で言い渡された隠密での仕事は全くの無関係である。時系列で考えれば排斥派の取引が目撃され始めたのは、遠方訪問が始まってから半月が経過した頃だ。
ただちょっとした偶然が、彼女の訪問先での作業量を爆発的に増大させた。
新聞部での活動も忙しいと聞いていたセシリアとしては、少しくらい労いたい気持ちもある。
「しかしお手柄には違いないだろう。死刑囚のグリモアーツ売買をすっぱ抜いたのは間違いなくお前なのだから。もう少し誇ってもいいだろうに、らしくもない」
「あんな危ないもん世間に公表できるわけがないの。国が管理して外に出さないような情報を抜いたって民衆が何も知らないならそんなの意味ないの」
「お前なあ……」
厄介なことに、どうにも騎士団学校の新聞部にいる内にコリンの中で奇妙なジャーナリスト魂が芽生えてしまったらしい。諜報部としての在り方を損なったわけではないものの、そこにやりがいを見失いつつある。
彼女の性格と境遇を思えば裏切りや離脱は考えにくい。しかし、こうもモチベーションが下がったままでは今後の信頼関係に響きかねなかった。
新聞部への入部は『より学校内での情報を集めやすいように』という諜報部での上司に出された指示だったらしい。それが最近になって、誰からどういった影響を受けたものか変な方向に働いてしまっている。
「じゃあ学級新聞で私とレオがケースケの隣人になった件についてでも記事にしたらどうだ。インタビューくらいなら付き合うぞ」
「わぁいセシリアさん大好きなの!」
「……お前は本当にいつからそんな風になってしまったのやら。初対面の時はもっとこう、違っただろうに」
「ウフフ、女という生き物は一晩で生まれ変われるものなの。あ、でもセシリアさんはまだ処――」
「お前も他人をとやかく言えんだろうが斬るぞ」
「ちょおまっ、やめろバカ!」
微笑ましいやり取りの後、息を切らしたコリンが一枚の紙切れを取り出した。
「ぜぇ、ぜぇ……と、とにかく今度は私の方からケースケ君に接触してこれを渡すの。そうすれば彼はほぼ確実にトラロックに向かうの」
その紙片をちらりと見たセシリアは、何か得心したように頷く。
「なるほど手としては申し分ない。しかしやはり、わざわざお前が出向くのはリスキーな気がしてならん。彼はお前の素顔を知らないわけだし、疑われるような挙動を見せるくらいなら私が行くべきではないか?」
「いやいや、そこは上手くやるというか私じゃないと通じない話とかもあるから大丈夫なの。セシリアさんは当日の準備だけ簡単に済ませておけばいいの」
その言葉には鼻息を浅く吹くだけで応じる。
少なくとも彼女はセシリアよりも対人関係というものに強い。グリモアーツがカメラの形態になる程度には外部への関心が強く、これまでの諜報活動を通して様々な場所を行き来してきた身でもある。
ここはやり手の諜報部員の一存に任せるべきか、とセシリアは納得を示した。
因みにコリンが城壁防衛戦に圭介を誘う際、あっさり目論見を看破されていたことを彼女は知らない。
「それとさっきちょっと話に出たけど、二つ向こうの部屋にいる客人の方はどうなの? 私が数日観察した限りじゃ何も考えてないように見えたの。一応はケースケ君をダアトに誘うって名目で来てるんじゃないの?」
「……彼には、あまり触れてやるな。ダアトへの勧誘も兼ねたケースケの護衛というのはほぼ建前に過ぎんよ」
「へぇ?」
はっきり言ってレオに関しては勧誘役としてどこまでの役割が機能しているのか、セシリアとしては深く疑問の残るところではあった。
同年代の同性ともなればそれなり親睦もあるだろうが、いかんせんゴグマゴーグとの大規模戦闘で負った心の傷が大きすぎる。現に圭介もそこに気を遣っているのか、率先して話しかけるということをしていない。
それに身も蓋もない話をしてしまうなら、勧誘する立場としては騎士団の方が圧倒的に有利なのだ。
そも彼が今所属しているアーヴィング国立騎士団学校からして自分達騎士団を目指す教育機関である。必然そこで受ける教育の数々は騎士団に対する憧憬を前提としたものとなり、騎士として正式に雇用された者の立場がどれほどのものかというメリットについても知る機会が多い。
そんな中で圭介は公にこそされていないものの、卒業後に王城組としての立場が用意されている。
いかにダアトが王国内を巡回する中であらゆるコネクションを培ったとしても、国のトップを味方につけられる立場に労せず就けるならそちらに傾く可能性が高かろう。
だというのにダアトから差し向けられた勧誘は、あの空元気で外面を取り繕っている少年一人。
ここまで差があると逆にカレンの思惑を警戒してしまう程だ。
「一応こちらも警戒はしておくが……あれはどちらかというと彼自身の慰安を目的としたものではないかと踏んでいる。頼れる上司と初恋相手の名残が残るダアトから一時的に離したいという、カレン殿の配慮も大きかろう」
「なら私から言うことは特にないけど。でも油断してたら意外なところから出し抜かれることもあり得るの」
「それは私も考えてはいるがな。何、どうにかしてみせるさ」
確かに彼自身にはそこまで強く勧誘しようという意思はないだろう。
だが彼を送り込んだのは他ならぬ“大陸洗浄”を話し合いによって終結させたカレン・アヴァロンである。幼い外見に反して老獪な彼女が、ただ少年の心を癒すなどというだけの理由であのような人選をするものかどうか。
「ま、そこはセシリアさんに任せておくの。とりあえず私は明日にでもケースケ君と接触するから、その時はなるべく彼と別行動してて欲しいの」
ふとしたことで繋がりを感じ取られたくないのだろう。それにはセシリアも同意見だったので互いの簡単なスケジュール調整を確認し、ここでの談合を終える運びとなった。
立ち上がり玄関へと向かう彼女の輪郭は、既に【インビジブル】で薄くなりつつある。
「ではよろしく頼む。くれぐれも慎重にな」
「はーいなのー」
気の抜けるような返事は色々と大仕事を済ませたことでの疲れも要因としてあるのだろう。いつもは小言を言う場面だが、この時は見逃すこととした。
完全にコリンの姿が消えると、少し遅れてガチャリと部屋のドアが開く。そしてここでの会話を第三者に悟られないよう、コリンのすぐ後ろから続くようにしてゴミ袋を持ったセシリアが外に出た。
これで客観的にはただゴミを捨てに出てきたようにしか見えないはずだ。
「……さて、現状こちらが有利に見えるが。本当に何が仕組まれているものやら」
頭上に広がる夏の夜空を見上げながら、カレンの意図がいかなるものかイメージする。
月と星々は何も答えてくれないまま、ただ広がるばかりの闇を飾っていた。




