第七話 初めてのクエスト手続き
離れていくエルマーの背中を見送ってから、圭介は学生証のコピーを印刷して次の手順に移行することとなった。離れた位置でエルマーがちらちらと見ていることから、恐らく一同が離れてからコピーを始めるつもりなのだろうと推察できる。
ギルドが開いてすぐのこの時間帯に来ているのも人ごみを不得手とするからかもしれない。悪いことをしてしまったか、と圭介の方も気を遣ってしまう。
そうして改めてギルドの中に目を向けてみると、予想通りゲームや小説に見られるような酒場など存在していない。
日当たりのいい位置にずらりと並ぶ横長の革製ソファ、受付スペース前でふわふわと浮かぶ順番待ち用のチケット発行機。
まだ開放されたばかりで電源を入れられていない薄型テレビに、定期クエストやアルバイトについてまとめられた冊子類まで置かれている。
そんな病院か市役所のような内装を前にするとどうにも堅苦しさを覚えてしまうのはそういった場に慣れていないからか。ともあれあまり長居したい場所ではない。
さてミアが言っていた依頼を受けるための据え置きのタブレットとやらはどこか、と周囲を見渡しているとユーがスマートフォン片手に近寄ってくる。
「ケースケ君、一応アプリを入れておけばスマホでも簡単に手続きできるよ。今回は私のスマホでやるから、あとで何のアプリ使ってるか教えてあげるね」
言われてみればビーレフェルトに来てまだ間もない頃、エリカがスマートフォンをいじりながら“クエスト受注用の専用アプリ”なるものの存在を仄めかせていた。
となるとあの時点で圭介が思い描いていたギルドの形態は望み薄だったことになる。何を子供のように期待していたのかと、諦観に覆われた落胆が圭介の胸を満たした。
「……うん、ありがと」
「どうしたの急にテンション下げちゃって」
「なんでもないよ……」
若干の悲しみを背負いつつユーのスマートフォンを覗き込む。
画面内に浮かぶ赤いアプリケーションを彼女が細い指でタップすると、メニュー画面が開かれた。依頼の申し込みや受注など複数のアガルタ文字が並んでいる。
「後で僕もインストールしておかないと」
「とりあえずはそこから選んでいいから。今の時期は依頼の量もすごいよぉ」
少し上ずったユーの声に違わず、該当地区を王都内に絞っているにも拘らずクエストの数はかなりのものとなっている。
一ページにつき二〇件。それが六〇〇ページを超える量存在していた。
簡単なものでは以前も引き受けた山菜摘みやちょっとした道路の点検作業、少し物騒なもので洞窟から聴こえる異音の調査、はっきりと危険なものでは平原に出現した大蛇の変異種討伐などもある。
「こんなにあるのか。でもそりゃそうか、夏休みに入ってどんどん人を集められる時期に入ってるんだもんね」
「寧ろ今は多少落ち着いたところだろう。最盛は遠方訪問と同時期と相場が決まっている」
多種多様なクエストをずらずらと確認していくにつれ、画面を覗き込んできたセシリアが口を挟んできた。
「それより騎士団に属する者として、可能ならこのクエストを受けてほしいところなんだが。聞けばそれなりに人手を要する案件のようでな」
「へえ、何でしょう」
彼女が指を滑らせて提示したのは、『今イチオシのクエスト』と銘打たれてページ上部に記載されている騎士団によって出された依頼。
迷宮洞窟商店街トラロックにおける警邏の増員。
依頼主という扱いであるトラロック騎士団長のコメント曰く、夏季休暇にこの涼しい環境とスプレッドランプが織りなす美しい景色を求めてやってくる観光客は例年かなりの数となるらしい。
そうなると監視カメラの隙を補う騎士団も対応しきれなくなってしまい、悪質な犯罪行為が横行する。それを防ぐためにも毎年依頼を出しているのだが、今年は少々集まりが悪いのだとセシリアは語った。
「どうして今年はそんなに人が来ないんすかね? 最近そのトラロックって場所で何かあったんすか?」
「……騎士団の間で蔓延している恐らくこれだろう、という予想はあるが。ただそれをケースケにも聞かせておくべきかどうか迷っている」
「何それこっわ。黙ってる方がおっかないんでいっそ一思いに言ってくださいよ」
眉間をトントンと叩いてから、彼女は溜息と共に口を開く。
「つい最近になってダグラス・ホーキーという過激な思想を持った排斥派が王都で堂々と暴れまわり、それから一ヶ月もしない内に今度は“大陸洗浄”で名を馳せた化け物、“黄昏の歌”が姿を現した。そしてその両方が今も逮捕されず野に放たれたままだ」
話を聞いて圭介は思い出す。
客人への憎悪に燃える青年の獰猛な笑みと、青白い光の中で見せた狂気を。
向かい合うだけで全身に刃を突き付けられる気分になった、あの十数秒を。
「これにより戦闘能力を持たないなど自衛手段の限られた客人と排斥派の双方が、自らの護衛クエストに設けられた報酬金額を上乗せした。冒険者や騎士団学校の学生らは例年通りの報酬しか用意できないトラロックの警邏よりもそちらを優先して受け、結果としてこちらに人員が回ってこない――と、いう予想が立てられている」
「おう……」
身近な出来事が奇妙な形で大きな問題に繋がりつつある現状を知り、圭介は己に非はないと理解しながらも自責の念に駆られた。その様子を見たセシリアが慌ててフォローを入れる。
「だがダグラスは既に指名手配がかけられ、名前と顔が国内に知れ渡っているから見つかるのは時間の問題だろう。それに“黄昏の歌”も国王陛下直属の騎士団である“銀翼”が直接調査を始めている。お前は何も心配しなくていい」
「あ、あぁさいでっか」
どうやら圭介の微妙な反応をダグラスと無戒に対する畏怖と受け取ったらしい。
“銀翼”なる騎士団がどこまで優秀な人材の集まりなのか圭介は知らないのでいまいち安心できなかったが、そこで不安を引きずるのもよろしくないと判断して曖昧な返事だけを済ませた。
『しかし公的組織による警邏の人手不足というのも些か問題があるように見受けられますが。それほどまでにそのトラロックなる地区は治安が悪いのですか』
「確かに何かと物騒な噂は聞くね。私もお父さんやお爺ちゃんに『あの辺には近づくな』って小さい頃によく言われてたよ」
「マジかよ」
アズマの指摘にミアが続き、圭介に未知なる場所への懸念を抱かせる。
ここが日本であれば今の話を聞いても「気をつけよう」程度の意識しか持たなかっただろう。しかしどちらかというと西洋寄りの異世界、それも魔術が当たり前に存在するような場所である。
回復魔術が絡む関係で医療は発達しているが、その分だけ人々が抱く暴力への忌避感も下がっているのをこれまでの経験から圭介はある程度察していた。
(いくら僕がそこそこ打たれ強いっても、例えば腹や胸をデカくて尖った岩とかで刺されれば死ぬんだけどなあ)
誰だってそうだ。
「でもあそこの雰囲気はあたし結構好きなんだよなぁ……。元は迷宮だったってのもあって街中にごちゃごちゃと銀色の壁があったりしてさぁ。んであちこちに川が張り巡らされててな、そこをゴンドラでゆっくりと移動するのよ。光るコケ類で全体的に四六時中夕方みたいな状態なんだけど、それがまた綺麗でな……」
「まさかエリカ、ここに行ったことあんの?」
完全にトラロックなる商店街を危険地帯と認識していた圭介だったが、意外な人物が既に立ち寄っていたと知って動揺を露わにする。
「おう、昔父ちゃん母ちゃんとな。あの時はただ遊びに寄っただけだったし母ちゃんが強かったから特に絡まれたりはしなかったけど、そっか治安悪い場所だったのか」
「エリカの母上となると……ああ、ディアナ・オルグレン殿か。噂では剣を握らせれば無双の腕前を見せたと聞いていたが、なるほどあの方と一緒なら安全だったろう。私も直接お会いしてみたかったものだ」
「でも父ちゃんには何をやっても勝てなかったって言ってましたぜ」
「!?」
「あんたの父親って確かフリーの冒険者でしょ……何者だったのよホント……」
彼女らの会話を聞き流しながら、圭介はユーのスマートフォンでクエストの概要を確認してみた。
期間は夏季休暇というのもあってか二泊三日。宿泊先は騎士団の方で用意しており、ここに関しては朝食を用意した上で一人一部屋と豪気な条件を提示している。
報酬は基本金額が八五〇シリカ。途中で離脱した場合は一八〇シリカ減額され、逆に犯罪者の逮捕や暗部組織の手掛かりを掴むなどといった手柄を立てると一件につき追加報酬に二五〇シリカが用意されるという。
一見して好待遇な依頼内容に思えるが、遠方訪問で稼ぎに稼いだ学生にとってはそこまで魅力的な報酬金額ではない。加えてより多くの金銭を欲する学生やフリーの冒険者なども、これより高額の報酬を約束されている他のクエストに行ってしまう。
そう考えると率先してこの中途半端な二泊三日の依頼を受けようという暇人も多くはなかろう。
だが、エリカから聞いた話と添付された画像が圭介の心を奪った。
「……確かに、観光名所になってもおかしくないくらい綺麗な景色だな」
雲海の狭間から見える夕映えにも似た輝きが、街全体を包み込むような杏色に染まった風景写真。
複雑に絡み合う川にはゴンドラや小型商船が行き交い、地面と呼べる場所には色鮮やかな石畳が敷かれている。
迷宮と名をつけられた場所だが居住に当たって邪魔になったのか、元はそれなり高かったのだろう金属質な壁は切断されたように綺麗な断面を晒しながらその名残だけを塀のように残していた。
そして残されたそれらに寄り掛かるようにして、露天商が大量の缶詰やら怪しげな装飾品やらを売っているのがわかる。商店街というだけあってちゃんと立派な構えの店舗も多く存在するが、そういったその場その場での簡易な商売が許容されているらしい。
行ってみたい、と思わせる何かがそこにはあった。
「遠方訪問から帰ってきてそんなに経ってないけど、せっかくだし受けようかな」
「え、ケースケ君それ受けるの?」
スマートフォンを預けていたユーが意外そうに尋ねる。
「ルンディアでもロトルアでも騎士団の人達にはお世話になったし、今だってセシリアさんに色々見てもらったり教えてもらったりしてるんだ。ちょっとくらい返さないと肩身が狭いっていうか、まあそんな感じ」
「私はその辺り気にしていないが、ともかく受けてくれるならありがたい。当日は私も同行しよう。レオも来てくれ」
「とーぜんっす! そのためにメティスまで来たんすからね」
「ふーん……じゃあ私も行こうかな」
「あたしもあたしも!」
警護を任されている二人と両親との思い出があるエリカはともかく、特に関係なさそうなユーが便乗したのは圭介にとって予想外だった。それはミアも同じだったようで、二人の方を見ながら目を丸くしている。
「どしたのユーちゃん。ちょっと前に『トラロックは日が当たらなくて野菜が栽培できないから食べ物がインスタントとかレトルトばっかで味気ない』ってコリンから聞いた時には絶対に行かないって言ってたのに」
「ざっつぅ!? 何そのメシ事情ざっつ!!」
初めて明確な短所を知らされて今度は圭介が引いた。
「でもケースケ君とエリカちゃんは行くんでしょ? ならせっかくだし、私もついてこうかなって」
「えぇ……じゃあ私も行くけどさ。場所が場所だから人数多い方がいいでしょ」
なし崩し的に、とでも言うのか。
結果的に圭介が属するパーティメンバー全員で行くことが決まりつつあるらしい。
「そんじゃとっとと参加人数も込みで必要事項埋めてクエスト受けようや。やり方わかる?」
「あーわかるわかる。この世界の文字にも慣れたもんだよ」
エリカに急かされながらクエスト参加の手続きを済ませる。これで後は受付から仲介人に呼び出されるまで待つだけとなった。
こんなもんか、と近くにあったソファに腰かける。
視界の隅ではセシリアがほっと胸を撫で下ろし、その後方には印刷した学生証のコピーの枚数を確認するエルマーの姿もあった。後から入ってきた学生グループや冒険者を避けるようにしているのはあの気質からだろう。
(しかしこういう場所に自動販売機が無いことに違和感あるのは僕が日本人だからかな)
少し渇き始めた喉に意識の一部を割きながら、窓の外に視線を移す。
黄昏にはまだ早いこの時間、雲のない青空を背に浮遊島が陽光を浴びながら浮いていた。
目もついていない土くれにこちらを見られているような印象を受けるのは、島の外周を回っている帯状画面に監視カメラ関連のニュースが流れていたからだろうか。
文字列が流れていく広告にはアガルタが大陸に誇る精密機器メーカーの名前と共に、『不祥事』という文字が躍っていた。




