第六話 初めてのギルド
アガルタ王国に点在する学校施設の多くは、高等部において全ての生徒が遠方訪問に参加する。
そしてそれを終えたタイミングで、各学年ごとに一学期期末テストの順位発表を行うのが通例だ。故にその通例は夏休みの幕開けを意味する恒例行事でもあった。
つまるところ順位発表翌日であるこの日、圭介達はぬるりと夏休みに突入したのである。
「ごめんモンタギュー君、ここの問題わかんないんだけど」
「おう見せてみな」
「セシリアさん、この計算式で合ってるかどうか見てくれませんか?」
「構わんぞ。……うん、大丈夫だ」
「あっ圭介さんその解答だと術式途中で途切れちゃってるんでやり直しっすね」
「唐突に来たなおい……まあありがたく受け取っとくよ」
第一王女の権限で用意されたホームの中、圭介達は夏休みの宿題を進めていた。
成績優秀なモンタギューに現役騎士のセシリア、意外と勉学にも魔術にも詳しいレオが助っ人として来てくれているので、課題用のテキストは割と順調に空欄を埋めていく。
夏季休暇中のクエストもあるだろうという配慮により、学校側から出される課題の量は日本のそれより遥かに少ない。それでいて夏休みの日数は帰省や遠方訪問先からの個別での呼び出しなどに対応するため五十日も設けられているのだから、圭介からしてみれば夢のような境遇だった。
おかげで早くも宿題が終わるまでの日数を計算できる程度には余裕も生まれてくる。元より圭介はこういった長期休暇中の課題を先に済ませるタイプではあったものの、夏休み一日目の午前中に四割近くまで進んだ経験はこれまでになかった。
時刻は午前九時半。既に宿題の中でも簡単なものはいくつか終わらせてしまっており、ホーム全体に弛緩した空気が充満する。
「……そういやケースケってギルドに顔出したことまだなかったんじゃなかったっけか。宿題は楽勝で終わりそうだし、十時過ぎたら一度見に行ってみてもいいんじゃねえの? そろそろ自分で依頼を受けるってのも体験しとかねえとこれから先大変だろ」
そんな中、携帯ゲーム機の中で美少女攻略を目的とする恋愛シミュレーションアドベンチャーに興じていたエリカが声をかけた。
画面の中では主人公が幼馴染殺害の冤罪を被せられて、険しい表情の騎士団に連行される様子と共にスタッフロールが流れている。結果の是非はともかくゲームの方は一段落ついたといったところだろう。
「言われてみればそうだね。やっぱ掲示板に依頼の内容が書かれた紙が所狭しと貼り出されたりしてるのかな」
冒険者ギルドなるものの概要を思い浮かべるとともに、圭介の気持ちが高ぶる。
これまで色々と異世界に対して抱いてきたイメージを破壊されてきた彼だが、学校でもテストの順位発表は掲示板に貼り出されていた。恐らくギルドもそういった仕様だろうと考えると、そこはゲームやアニメや漫画にありがちな形式が引き継がれていてもおかしくはない。
圭介が思い描くギルドと言えば、受付に笑顔の美女が立っていて、掲示板には多種多様なクエストの依頼が貼り出され、そこかしこの席で屈強な男達が酒を飲んでいるというものである。
「三年くらい前に据え置きのタブレットで依頼を受けてから仲介人と面接する形式になったけどね」
「クソァ!!」
そんな圭介の儚いロマンは、ミアの口から放たれた無慈悲な現実によって打ち砕かれた。
「俺もこの街でクエスト受ける時に見ましたけどあれ便利っすよねー。やっぱ時代っすよ時代」
「だがあまり精密な機械を使うとハッキングやデータ紛失などのリスクもあるから、技術大国であるアガルタ以外の国はまだ導入を見送っているらしい。……しかし、バックアップはちゃんと取っているんだろうか。後で簡単にでも確認しておきたいな」
言っている内に不安要素が増えたのか、セシリアが心配そうに眉根を顰める。
圭介もある程度情報を集めたので、国にとってギルドなるものがどれほど重要なものであるかは知っていた。
何せ騎士団採用の際に学問以外で合格の基準となるのが『クエストをどれほどこなしたか』という点なのだ。そのクエストを斡旋する役割を持った組織の存在は、国防力にそれなり深く関わってくる。
それに冒険者という流れ者の集団はこの組織体系無くして生活できず、同時に市井には人手を求める案件がごろごろと転がっているものだ。
結果、探偵や清掃業者ほど完璧なクオリティを求めなければギルドに依頼を提出した方が安上がりという状況が出来上がる。
「やっぱり騎士団からもギルドに依頼を出したりはするんですか? こないだの城壁防衛戦は僕達に直接話が来ましたけど」
「あの場合はそれこそケースケの言う通り騎士団からギルドへと依頼を提出してあった。ただあそこまで規模が大きく緊急性の高いものとなると、流石に逐一冒険者相手に仲介人による面談を進めていても間に合わん。そういう場合は例外として依頼の受諾さえ取れればクエストに参加できるよう、法規的な取り決めが定められているんだよ」
それも本当に苦肉の策だったんだがな、とセシリアは苦笑した。
魔術というわかりやすい戦闘能力を誰もが保有するこの世界では、騎士団による充分な警戒態勢が整っていても完全な犯罪防止が見込めない。それは圭介がダグラスに襲われた時の状況からも明白である。
だからこそ人口が密集する都心部の中でも中心に近い位置では常に一定数の騎士が警邏を続けなければならないのだ。
その前提が城壁常駐騎士団に対する風当たりの強さや防衛戦での人員不足に直結し、ああいった形で冒険者達をかき集めることとなったのである。
かかる資金と責任問題を思えば、なるほど苦肉の策に違いあるまい。
「ということは、騎士団って騎士団学校からそこそこ学生を引き抜かないと不味いんじゃ……?」
話を聞く中で一つの懸念に辿り着いた圭介が、不安げな顔でぼそりと呟く。それに応じたのは騎士のセシリアではなくアズマだった。
『人数を多く揃えたいからと敷居を下げては本末転倒でしょう。ダアトの自警団も一定の基準を満たせない者は雇わず、年中人手不足に喘いでいましたよ』
「そうっすよ。俺だって楽に空挺部隊に入ったわけじゃないんすから」
「へぇー。どこも同じなんだなそういうのァ」
感心というよりはうんざりとした表情でモンタギューが人参のスティックを咥え込んだ。その隣りにはゲームの中で、よりにもよって幼馴染の母親を口説き始めたエリカがはたとした顔で何事かに気付く。
「そっか、だから全体の動きをまとめやすくする武装型グリモアーツがあんなに使われてんのか。適性で落ちる奴を減らすってことにも繋がるんなら余計に需要が高まるわな」
「おぉ、なるほど」
「よくわかってるじゃないか」
エリカの言うことは極めて正しい。
フィオナによって創られた武装型グリモアーツは開発者である彼女自身が以前圭介に語ったメリット以外にも、騎士団雇用の敷居を組織にとって無理のない範疇で下げるということに成功していたのだ。
正解したご褒美なのか何なのか、セシリアにわしゃわしゃと頭を撫でられながら電子上の人妻を堕とさんとする彼女の目が時計へと向く。
「さぁて、そろそろギルドに向かうとしようぜ。今日は果実の日だからすぐに人でいっぱいになっちまうからよ」
「もう? ていうかやっぱ話聞いてその日行くのも急じゃない? 明日とかでいいじゃん」
ギルドは地球でいうところの土曜日に当たる夕暮の日、日曜日に当たる夢幻の日の毎週二日間と祝祭日には午後まで待たなければ営業を始めない。
そしてエリカが言った今日の曜日、果実の日とは地球の基準で言えば火曜日に該当する平日だ。早々に向かわなければ冒険者や夏休みに入った他の学生で混み合うだろう。
にも拘らず初体験を前に臆している圭介に、エリカが発破をかける。
「バッカおめーこういうのは早めに済ませるんだよ。でなきゃ遊ぶ時間が足りねえじゃんか許さねえぞそんなの。おら命が惜しければ来いよヘッポコ」
「結局遊び目当てかい! やめ、襟を掴みあげるな!」
別に発破ではなかった。
「……遊ぶ云々は別として、早めに済ませるべきというのはエリカと同意見だ。うん、その方がいい」
圭介からしてみれば少々気の早いエリカの話に便乗したのは、意外にもセシリアだった。
「これから情報を集めるにせよ排斥派から身を守るにせよただ日々の生活を送るにせよ、何かとクエストを受ける機会も増えるだろう。今までは仕事が向こうから舞い込んできただろうが今後もそのような事態が続くとは限らん」
「む……」
「つーかそのくらいはもう知ってるもんだと思ってたぜ。あんた何度もクエスト受けてんだろ」
「それは、まあ……」
「俺もダアトじゃ真っ先に教わったし、そろそろやり方くらいは知っといた方がいいっすよ」
「うーむ……そっかぁ」
『今時その程度の知識も持っていないようでは小学生にも馬鹿にされますよ』
「あ?」
「バーカバーカ! ヘイヘイヘヘヘイ!」
「黙れ小学生。あとギャルゲーで人妻を口説くのを今すぐやめろ」
『駄目よ……私には夫が……』
「そもそもなんで幼馴染のお母さんが攻略対象に入ってんだよ」
流されるような形にはなったが、後学のためということで圭介はギルドに顔を出す運びとなった。
セシリアが何か言いたげな表情を窓に向けて誤魔化していることにも気づかないまま。
* * * * * *
ギルド本部は大方圭介の予想通り、コンクリートと金属で組まれた極めて現代的な構造の建築物だった。
半球状の白い建物は目の前に広めの駐車場と歩行者用通路を分けられている。出入り口の前にはタイル張りの地面と階段があり、その側面には車椅子でも通えるようにしているのか緩やかな傾斜が設けられていた。
駐車スペースの端にある花壇には看板が立てられており、ゴミや吸い殻のポイ捨てと近所迷惑になる大きさの騒音に対する注意喚起がアガルタ文字と簡単な絵で説明されている。
「……………………うん」
わかっていた。
わかっていたのだがやはりどうにも、ゲームなどで抱くような『これからクエストを受けに行く』という気分になれない。
ふと思うところもあって、頭上のアズマに声をかける。
「ねえアズマ、ギルドってダアトでもこんなだった?」
『これと比べると装飾の多い施設でした。コンクリートも使っておらず、木材と金属によって織りなされた造りとなっていましたね。あと真正面に設置されていたやたらと凝った意匠の時計も特徴の一つです』
「いいなぁ、いかにもだなぁ……こっちもそれっぽくしてくれりゃあいいのに」
因みにモンタギューはもうこの場にいない。
二学期の文化祭でオカルト研究部が出す、大型レポートの作成を進めなければならないとのことである。
アンケートに参加させられた圭介としてもその規模と忙しさは承知していたので、寧ろ宿題の手伝いに来てくれたことを感謝しながらホーム前で別れた。
「文化祭か……どんなイベントになるのやら」
魔術が存在する世界での、学校の文化祭。さぞかし楽しい催しになるだろうと今から期待してしまう。
「早いところは一学期の中頃から準備してるよ。食べ物を取り扱うとこなんてエルフの学生用に大量の食材を仕入れる手続きしなきゃいけないし、その分場所も取らなきゃだし」
「それは、そのぅ……私達にもお祭りを楽しむ権利はあると思うんだ、アハハ」
ついでに異世界ならではの忙しなさもあるようだった。
とまれかくまれ、今はギルドに入らなければ話にならない。大勢が同時に通れるように広く作られた出入り口の自動ドアをくぐって中に入る。
中は程よく涼やかな空気で満たされていた。
風を発生させず室温だけを均等、全体的に下げる冷房など圭介が知る限り地球にはなかったはずだ。となればこれも魔術の効果だろう。
変なところで帰る気を薄れさせる危険な要因の一つである。
その空気に包まれた途端、何かを思い出したらしいエリカが袖を引っ張る。
「何、どしたの」
「一シリカ出しな。クエスト受ける前にやることあったわ」
急に何だと訝しむも、ミアやユーといった他の面子も特に反応は示さない。どうやら本当にやるべきことがあるようだった。
「今更になって何するのさ? ギルドに僕の住民票と戸籍謄本は提出してあるって校長先生が言ってたけど」
「それとは別だよ。ほれあそこ、コピー機あんだろ」
指差された先を見ると、確かにそこにはコピー機らしきものが鎮座している。
紙を置く台座と思しきそれは縦長で、四角柱の形をしている。しかしコピー機としては絶対についているはずの蓋は付属しておらず、剥き出しのまま天井を見上げていた。
その縁部分に細かな操作をするべきボタンや確認画面の類が見えないからか、印刷物を置くスペースはシンプルに広い。
そして操作盤としての役割を全て兼ね備えているのであろう半透明の四角い画面が、何を支えとするでもなく台座の上に浮遊している。見た限り指で直接触れて操作するタッチパネルのようだ。
「コンビニとかに置いてあるコピー機は普通のデザインだったのに……」
「もしやこれは最新式か。早速取り入れるとは流石ギルドだ、元来商人の組合から始まっただけはある」
セシリアの言葉を信じるならば、この最新型コピー機と銘打たれた近未来的物品はつい先日まで地球で普及していたものと同じ造形をしていたらしい。
どういった経緯でコピー機をこのような形に変えてしまったのか、変えるにしても何故その対象がコピー機なのかを圭介は悶々と考えていた。
「水にも火にも耐える上に画面があらゆる汚れを弾き飛ばす術式で包まれているから、滅多なことでは壊れんらしい。その術式のおかげで蓋の開閉も省けるのは大きいな」
「蓋付いてないとなんか空気中のゴミとか溜まりそうで気分的に落ち着かないんですけど。ってか何をコピーするのさ」
「とりま学生証だな。ギルド経由でクエスト受ける時にはな、最初にギルドに提出したのとは別に毎回仲介人に身分証明書のコピーを提出するんだよ。一シリカで一〇枚刷れるから今回で一枚使っても九枚余るだろ、とっとけ」
戸籍を管理されている社会では当然のこととして必要な措置なのだろうが、受付窓口で全ての手続きを終えられると思っていた圭介はその手順に億劫さを覚えてしまう。
異世界に来て間もない頃、校長室で書かされた書類の山を思い出して少し憂鬱な気分にさえなった。
とはいえ、そういった面倒こそ今更と言えば今更な話だ。
「まーいいや。サクッと終わらせよう」
定期入れから学生証を取り出しつつコピー機へと向かう。見れば見るほど地球にはあり得ない奇怪な外観だが、これから世話になるというのなら慣れておくべきだろう。
そうして、そのデザインに知らず知らず意識を集中していたせいか。
「あっ」
「え、うわっ」
同じくジロジロと最新式コピー機を見つめていた他の人とぶつかってしまい、
「あっづ、すみません大じょ――」
「………………だ、だいじょぶでふ、ふへへ…………」
同時に人形よろしく愛らしい相貌の美少年と見つめあうこととなった。
赤い髪を肩口で切り揃え、少し汚れが散見されるよれた白いシャツと深い青色のジーンズで上下を簡単にまとめたその相手は雑に着られている古ぼけた衣服に反して美しい。
陶磁器のように白い肌。外部から取り付けられたかのように長い睫毛。はめ込まれたように大きく丸い青藍の瞳。か細い手足などは強い衝撃を加えれば割れてしまいそうにさえ見える。
そんな目立つ外見ながらも素朴さを併せ持つのは、人間臭さを捨てきれない愛想笑いのせいだろう。
「…………」
「……えと、し、しつれ、しまひゅ」
不躾を忘れ暫し見惚れていると、先に相手が動いた。会話が苦手なのか微妙に言葉を紡ぎ切れていない。
そんなどこか頼りなさげな後ろ姿を見つめていると、いつの間にか隣りにエリカが接近してきていた。
「あちゃー、アイツも来てたのか。悪いことしたかもなあ」
「何、エリカ知ってる人なの?」
「おう。っつか昨日ちょっと話しただろ」
昨日話した、と言われても圭介には思い当たる節がない。結局誰なんだと視線で問うた。
「あいつがエルマーだよ。ほれ、こないだの期末テストで学年一位取ってたやつ」
「は? え、だって……いや、え? マジで?」
言われてみてから昨日聞いた学年一位の学力の持ち主、エルマー・ライルという人物に関する情報を一旦脳内でまとめてみる。
曰く、間違いなく真面目と言えば真面目な性格である。
曰く、コミュニケーションに難のある人物である。
曰く、人と話すのがあまり好きな方ではない。
事前情報と現実とを照らし合わせると、まあ間違った評価ではないのだろうと言えなくもなかった。なかったが、もっと厳粛で冷徹な人物像を思い描いていた圭介としては拍子抜け甚だしい。
「もしかして、いつも一人でクエスト受けてるって……」
「誰に対してもあんなだから、まあいくら本人が優秀でもパーティなんざ組めたもんじゃねえってわけさ」
「色々と勿体ねえな!」
あれでまともに人と話せればさぞかし人気者だろうに、と他人事ながら圭介は不憫に思った。




