第五話 夏休みの前に
明くる日のアーヴィング国立騎士団学校、北校舎一階の廊下。
圭介達パーティは掲示板に貼り出された期末テストの学年順位発表を見に来ていた。
「私は……やっぱないかー」
残念そうに呟くミアの目線の先には成績上位五十名の名前が並べられている。
この順位発表は学内のみに留まらず、採用基準の一つとして騎士団にも提出されることが学生達には知らされていた。即ち騎士を目指す彼女らにとって、この順位発表は将来の進路を決める上で重大な意味を内包していることとなる。
「ま、ここに名前が入ってるからって騎士団入れると決まったわけじゃねえけどな」
そしてエリカの意見もまた事実であった。
戦闘能力に関してはテストなど設けられておらず、日頃のクエストを通して加点されていく方式である。そういう意味では期末テストの上位五十名も勉学とクエストを両立しない限り他の点で秀でた者に出し抜かれる可能性もあるため、油断はできない。
「そういう意味では私達も色々事件に巻き込まれた経歴もあるし、ミアちゃんも落ち込まなくていいんじゃない?」
「いやユーちゃんはダアトで追加クエスト受けた形だから安心だろうけど、私が[プロージットタイム]でやったことって寧ろマイナス評価になりかねないんだよね……」
「まあ依頼人のわがままに付き合う形とはいえ完全に独断専行だったからね」
ミアの懸念は圭介としても理解できるところである。
結果論的にテロリストの捕縛に協力したようにまとまったからまだよかったが、ともすれば被害の拡大に繋がったかもしれないような無茶をしたのだ。[バンブーフラワー]やロトルアの騎士団には迷惑をかけただろうし、当然その情報は王国内でも知れ渡っただろう。
数少ない救いは“黄昏の歌”というビッグネームによってその印象が薄れていることか。とはいえまんまと逃げ切ったテロの主犯格に救われるのも騎士団志望のミアとしては複雑極まるところだろうが。
雑談を交わしながらも圭介の目は順位発表の結果に注がれていた。
「しっかしマジでエリカのテスト順位二位なんだね。確認するまで都市伝説だと思ってた」
「んなもんあたりめーだろあたしゃこれでもインテリなんだぜ。まあ今回も学年一位の全教科満点には勝てなかったが」
「一位どんだけだよ」
随分と勉強好きなことだ、と視線を上にずらす。
二位のエリカより勉学に秀でたその名を見るも、圭介の知らない名前だった。
(エルマー・ライル、か……聞いたことのない名前だけどよっぽど優秀な人なんだろうな。全教科満点なんてよっぽど頑張ったって僕じゃ無理だし)
仮にアガルタ文字に不慣れであるというハンディキャップを補ったとしても――というより、地球での学校で受けてきたテストの中でもそんな怪物めいた結果を出すことなど不可能だ。何となれば圭介の中学時代に学年一位を競っていた数名の優等生ですら、エリカのようにどこかしらで解答ミスをしてしまっていたものである。
魔術を用いたカンニングなどの不正行為は同じ魔術によって厳しく審査され、また厳罰に処されるという前提がある。
なのでそんな方法が到底通用するとも思えないし、仮に一度通用したにしても中等部時代から今に至るまで成績を維持し続けるとなれば二度目三度目にボロが出る。それにそんな可能性はあのしっかり者の校長が仕切る学校が許すまい。
「きっとすんげー真面目な人なんだろうなあ」
「あ? 誰が真面目だ。あたしか?」
「真面目という言葉に謝れ馬鹿。そうじゃなくて、学年一位の人だよ。どんだけ勉強したら全教科満点なんて離れ業やってのけられるのかと思ってさ」
「ごめんね真面目さん……えぇと、エルマーの野郎か」
律儀にも本当に真面目という言葉に謝ってから、エリカが改めてその名前を見やる。
「あいつが真面目、ねぇ。まあ間違いなく真面目っちゃ真面目だろうな。ただコミュニケーションに難ありっていうのか何と言えばいいのやら、少なくとも友達が多いタイプじゃねえな」
「あーそういうタイプ? エリカとは犬猿の仲だろうねえ」
「いやあたしに限らず誰に対しても似たようなもんだぞアイツは」
なるほど、と圭介は納得する。
国立騎士団学校という公務員養成施設における、成績最上位者。そんな英才がエリカのような美少女の皮を被っただけの駄犬系男子小学生と、それに劣る成績の同級生達にどこまで好意的な態度を取れるものか。
事によっては傑物であると同時に相当な堅物という可能性もある。
もしも出くわしたら、と懸念を抱き始めた圭介にユーが笑いかけた。
「まあ、普通にしてれば会うこともないと思うよ。あんまり人と話すの好きじゃないみたいだから」
「ふーん……公務員になるなら最低限の会話はできないとしんどいと思うんだけどな。それともそんなの問題にならないくらい優秀なのか」
「実はどれだけ強いか誰も知らないんだよね。いつも一人でクエストこなしてるって聞くし」
「は?」
ミアの言葉に圭介が瞠目する。
いかに強力な魔術を持った騎士団志望の学生が集まっている学校とはいえ、基本的には複数名でのパーティを組んでクエストに臨むことを強く推奨されている。それこそ過剰と言える程度には安全性を確保するよう、慎重に慎重を重ねた上で。
“万が一”という怪物の牙を避けるには、そのくらい警戒しなければならない。それを怠った結果として生じる悲劇もあると、大人達はわかっているからである。
それを無視して常に一人でクエストを受け、今までそれをこなしてきたというのなら相当な手練れなのだろう。
単なる山菜摘みですら、彼女ら三人で力を合わせていたくらいなのだから。
(頼むからそんなのが排斥派だったりしませんよーに)
そんな相手と敵対する未来が来ないよう、圭介は心中で両手を擦り合わせながら祈った。
* * * * * *
その日の夜、圭介は隣人となったセシリアとレオを連れて自身のバルコニーで夕食を準備していた。
ミアからの土産である七輪のような魔道具で安売りしていたキベラナマズなる尾が木べらのようになっているナマズの肉をじっくりと焼き、大雑把に醤油をかけて皿の上にデンと置く。
“男の料理”などと嘯けば聞こえはいいかもしれないが、確かな手抜き料理がそこにはあった。
「ご飯と汁物はもう温めてあるから。はい、どうぞ」
『飲み物はこちらに置いてありますので、ご自由に』
「ありがとう」
「あざっす!」
とはいえご馳走になる立場だからと遠慮しているのか、セシリアはそのざっくりとした調理過程を見ながら何も言ってこなかった。レオに至ってはそもそも気にしていないように見える。
この異世界生活も慣れてみれば米やら味噌やらは普通にスーパーマーケットで購入できるし、魚が恋しくなった場合は川魚で欲を満たせるということに最近気づいていよいよ圭介の暮らしも充実したものになりつつあった。
買い物している最中、店内で頭に止まっているアズマが注目を集めるのだけはどうにかしたかったが。
「しかし急だな。私達を食事に誘うとは、何か聞きたい話でもあったか?」
味噌とよくわからない名前の調味料を混ぜた汁を啜りながら、セシリアが問う。彼女がいかなる育ちか知らないが、食事中の会話を厭う様子はなかった。元来あまり不作法を咎めるような性格でもないのかもしれない。
圭介としては確かに聞き出したい話もあったのだが、やや物騒な内容なので食後に先延ばししたいところである。
「あぁ、それはまた後で。急ぎの用でもないとはいえ、セシリアさんしか話を聞けそうな人が身近にいないんですよね」
「む、そうか」
「一応先に訊きたいんすけど、その話って俺も関わってきたりします?」
「これからの流れ次第、かなぁ。今後しばらく一緒に行動するんなら済ませておくべき話だとは思うよ」
言いつつ箸で肉をつつく。普通の白身魚のようにほろりとした感触を予期していたが、鶏肉じみた弾力が分割を妨げた。どうにも水分が多いようで、熱を受け取った結果パツパツに膨れているのがわかる。
削るか崩すように解してから口に運び噛みしめた瞬間、鶏とも魚とも異なる味わいの肉汁が迸った。それと共に塊を舌に載せると、濃厚な脂の旨味による口中の蹂躙が飲み込むまでの間永劫続く。
“美味過ぎて咀嚼を続けられない”という人生初の経験に目を白黒させながら、圭介はようやくキベラナマズの肉の一口目をようやく食べ終えた。魚を愛好する身として、こんなとんでもない食材がその辺の店で安売りされている事実に震える。
「なんっだこれ。地球にこんな美味しい魚いなかったぞ……」
「俺もびっくりしたっす。何すかコレ」
「キベラナマズ自体も美味な魚として知られているが、ケースケの目利きもあるだろう。よくこんな当たりを見つけてきたものだ」
「いや完全に偶然ですよ。強いて言うならバイト先の店長の入れ知恵かなぁ。あの人にたまに買い物付き合わされるんですよね、将来的に万が一もあるからとかわけわからん理屈で」
「それ、あそこの娘さんに婿入りさせようとしてるんじゃ……」
「ケースケお前……」
『流石猥褻な書籍を近所で蒐集している男は違いますね』
「勝手に変な想像して勝手にとんでもない変態を見る目で僕を見るんじゃない。もうちょっと世間からの風当たり弱めなポジの変態だぞ僕は」
謙遜しながら味噌と何かよくわからない調味料を混ぜた野菜の汁を啜る。入れた記憶のないカボチャの風味が全体に付与されているようだった。
圭介は後で知ることになるが、今回彼が「醤油かめんつゆっぽい色してるし多分味噌汁に合うだろ」と安易に決めつけて鍋に混入させたのはカボチャ油と呼ばれるものである。
この調味料専用にビーレフェルトで栽培されている特殊なカボチャから取れる油で、地球で作られているパンプキンシードオイルとは異なり加熱調理にも耐えうるということで料理好きな人々に愛用されているものだ。カボチャ特有の芳醇な香りと深みのある甘さが特徴的で、本来はスイーツなどに使われる。
言ってしまえば汁物との相性は悪くはないものの微妙だった。
『マスター、何故私の足を掴もうとするのですか』
「いい加減食いづらいんだって毎回家で飯食う時に言ってんだろがい」
『そのくらい耐えながら食べてください。オーナーのカレン・アヴァロンは私を片腕に乗せた状態で事務作業に没頭していたこともあったんですよ』
「師匠何してんの!? つーかお前が何させてんの!?」
「カレンさんがたまにやってたアレ、お前がやらせてたのか……」
けったいな真実を知りながらも、賑やかな食事の時間は三十分もすると落ち着きを得る。
粗方食べ終えて食休みもそろそろといったところで、圭介が口を開いた。
「あー、セシリアさん。それで話したいことなんですけども」
「何だ?」
やや遠慮がちな様子にセシリアが訝しげな顔を向ける。
「ルンディア以降のダグラスの動向ってわかります?」
「………………」
瞬間、ここまですぐに変わるものかと驚く程度の速度でセシリアの表情が翳った。
遠方訪問四日目の夜に逃げられてからダグラスとララの二人がどういった経路で逃走したか、狙われた立場の圭介に未だ情報が入ってこない。そのことに疑問を持ってはいたのだが、どうやらまだ特定できていないようであった。
あるいはこの段階で特定できていないのであれば、もう追跡自体に失敗している可能性も考えられる。
「あ、やっぱいいです。何となくわかりましたから」
「すまないな……。相変わらず客人を狙った通り魔殺人は大陸各地で続いていて、それこそお前が最初に襲われた日やルンディアで戦闘があった日にも別の場所で発生していたと聞く。恐らくは組織立っての動きをしているのだろうが、その背景すらまだ……」
「まあまあ、僕もある程度ダアトで強くなりましたし。もしもの時には自衛できますから」
「いやー、油断はしない方がいいと思うっすけどねえ」
慰めに横槍を入れてきたのはレオだった。コップに注がれたやけにすっぱい味わいの炭酸飲料をちびちびと飲みながら呑気にスマートフォンをいじっている。
やや不真面目な彼の振る舞いもあってか、圭介は少々唇を尖らせて反論した。
「でもこないだ一人で客人に勝ったよ?」
『私がいなければ逃げられていたでしょう』
「一人と一羽で客人に勝ったよ?」
「そういう問題じゃないんすけど」
何というかな、とレオが前髪をかき上げる。かっこつけな動作が若干鬱陶しい。
「結構昔の話になるんすけど、カレンさんが言ってたんすよ。『念動力魔術にも相性の悪い相手はいる』って」
「何? それは初耳だが」
消沈から復帰したセシリアが食いついた。どうにも念動力魔術というものを対処しようのない怪物か何かと思っていたらしく、瞳からは旺盛な好奇心が垣間見える。
「つっても具体的に何と相性悪いのかは教えてもらえなかったっすよ。『どこで誰が聞いてるかわかったもんじゃないから』って」
「……まあ、それもそうか。立場的に不意を狙われる可能性を常に持たなければならないお人だからな」
「でも相性の悪い相手はいるんだね。ダグラスの抵抗力操作にはそこそこ対処できるはずだけど」
抵抗力とはつまるところ物体が衝突した際、接触面の内外に働きかける反発である。となれば乱暴な話、念動力によって発生させた運動量を制御してしまえばそこに生じるパワーバランスも崩れ、結果としてダグラスの魔術は圭介に通用しなくなるのだ。
その場合彼らの衝突では抵抗力と念動力の双方が相殺され、単なるグリモアーツの衝突に落ち着くだろう。結果的に始まるのは武器同士での殴り合いである。
(念動力が通用しない相手ねぇ……でも水も操れるようになったし、そっちで対処できそうなもんだけどな)
知らず圭介の指先がクロネッカーの柄に触れた。同時に極めて強力な防御結界を持つ頼もしい相棒に意識が向いて、視線が上へと流れる。
彼はどこまでも無自覚に、強くなった自身の力を過信し、鍛えたという過程を経たのだと自惚れ、命がけの戦いに勝利したのだと油断しきっていた。
そのことに気付くのは、もう少しだけ後の話である。




