第四話 再集結
時刻は正午に差し掛かった辺り。
場所はアーヴィング国立騎士団学校の近くにある、圭介達がホームとするプレハブ小屋。
その中で圭介とミア、それからつい先ほど遠方訪問から帰還したモンタギューが各々の時間を過ごしていた。
ここにセシリアとレオはいない。護衛はあくまでも自宅代わりの施設内に限った話であり、パーティメンバーと行動を共にしている場合は離脱することもあるのだという。レオはともかく本来の勤め先が王城であるセシリアなどは仕事の都合もあるため、この措置は妥当だろうと圭介は見ていた。
現在圭介とアズマは図書館で借りてきた資料とにらめっこしながら時折持参した辞書のページをめくり、ミアは眼鏡をかけて最近売れているという小説家の短編集をじっくりと読み込んでおり、モンタギューはセロリを齧りつつオカルト関連の月刊雑誌を流し読みしている。
つまるところ全員が静かに読書していた。
ダアトの技術によって動かされているアズマに対してモンタギューはさほど興味を示さず、「よろしくな」という一言で挨拶を済ませた。
淡白な反応を少し意外に思った圭介だったが、彼曰く専門外の事象にはあまり感動を覚えないらしい。
特に技術によって製造されたアズマのような存在はいかに高性能と言えども既知の極致と言えるものだ。未知の領域を研究するオカルト専門家にとっては興味の範囲外にあるのだろう。
(……にしてもこっちの夏は快適だな)
ビーレフェルト大陸における様々な技術はその多くが電力ではなく魔力で稼働している。当然このホーム内を冷やす空調機も例に漏れず魔力で動いているため、そこに“節電”という概念は存在しない。
加えて日本の夏ほど極まった蒸し暑さが襲うわけでもないので、彼らを取り巻く空気は低燃費ながらも程よい温度を維持していた。
(こういうところで地球超えてくるの恐ろしいな)
帰還願望が薄れることへの忌避感にしがみつきつつ圭介がわからない言葉を調べようと辞書に手を伸ばす。
難しい言葉もある程度はわかるようになり、タイピングも問題なくできるようにはなってきた。そんな圭介も論文などを読んでいると語彙力の限界が見えてくるものだ。
パラパラとページをめくり、ついでに手持ちのメモ帳を出して日本語での翻訳を書き記す。こうすることで彼は彼なりにアガルタ文字の辞典を作っているのである。
(しっかしこんなに真面目に論文を読むなんて、異世界転移しない限り大学生にでもならなきゃ縁がなかっただろうなぁ。僕勉強嫌いだし)
圭介が自分の行いを客観視して感心するのとほぼ同時だった。
「っと、ちょっとごめんね」
ミアのスマートフォンが音を発する。短いそれは着信ではなくメールの受信を意味するものだ。
ちらりと画面を確認した彼女は、圭介とモンタギューに向き直る。
「――エリカとユーちゃん、駅前で合流したみたい」
「そっか。思ったより遅くなったね」
「この時期は遠方訪問帰りの学生でバスも魔動列車も渋滞するからな」
三人はそれぞれ手に持っていた書籍を閉じ、立ち上がった。アズマはそこが指定席と言わんばかりに圭介の頭に乗っかる。
「カフェで席取って待ってるってさ。お昼もまだだしそこで食べようか」
「俺はどっちでもいい。ていうかパーティメンバーでもねぇのになんで付き合わされてるんだろうな」
『あまり細かいことを気にしていると禿げますよ』
「言うじゃねえかこの人工物……」
足並み揃えて外に出ると、虫の鳴き声とざわめく木々の音を伴って夏の熱気が肌を撫ぜた。
プレハブ小屋が置かれたからといって元の空き地から雑草の類が消えたわけではない。あまり虫が湧かないようにと最低限の草刈りがミア主導で行われたものの、薄い緑のそれらは遠方訪問に出かけている間にまた少し伸びているように感じられる。
二度目の草刈りを予感しながらも、【サイコキネシス】を獲得した今の圭介に億劫さはない。妙に所帯じみたところで自身の成長を自覚して、小さく吐息のような苦笑を漏らした。
圭介が住んでいた東京では考えられないような澄んだ青空に見下ろされながら傾斜の緩い下り坂を下りて、マゲラン通りに出る。道路の両端に展開されている帯状術式は夏場冬場における気温の調節を担うものだと、この世界に慣れてきた彼は既にどこかで知っていた。
「そういえばジョギングの時は連れていってないからアズマはマゲラン通り初めてだっけ。どう? 客人が多いダアトじゃ見られない光景だと思うけど」
『あらゆる種族のあらゆる年代が行き来している様は確かに見たことがありませんでしたね』
雑踏はいつにも増して濃い。モンタギューの言う通り、時期的な問題もあるのだろう。
学生服が入り混じる人波の中、圭介達は駅前のカフェにあるオープンテラスに見慣れた二人の影を見つけた。
「あっ……」
金髪の小柄な少女と銀髪のエルフの少女。
これまでの遠方訪問でそれぞれ別の現場を切り抜けた圭介の仲間。
エリカ・バロウズとユーフェミア・パートリッジの二人である。
「おーっす……ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
「ケースケ君以外とは一ヶ月ぶりだね。ミアちゃんもモンタギュー君もお疲れ」
圭介の頭上に止まるアズマを見て挨拶と同時に爆笑するエリカと、一ヶ月という間隔をおいて再開した級友達に労いの言葉をかけるユー。
なかなかに対照的な反応だった。
「おま、お前ケースケやべぇなその頭の! おもしれぇ、うん、それおもしれぇわギャハハハハハハ!!」
『……………………』
「人工知能が絶句してんじゃねえかよ落ち着け馬鹿」
『これが……エリカ・バロウズ……』
完全に女を捨てている美少女なるものに初めて出会ったからか、アズマは未だその爆笑する姿を凝視している。やはり妖怪男子小学生系女子高生なる存在はスチームパンク出身には刺激が強かったか、と圭介は早くも彼らを会わせたことを後悔しつつあった。
五人で同じテーブルを囲み、各々注文を済ませる。
先日[ハチドリの宝物]で済ませた活気溢れるものとは異なり、こちらはやっと一息ついた互いに向けての慰労会に近い。全く同じ流れとはいかなくとも学校行事を乗り越えた学生同士のささやかな集まりであった。
「しっかしケースケお前マジで運悪いな。二度目の現場で超大型モンスターに襲われて、三度目の現場じゃテロリストに絡まれたんだろ?」
「何なら一度目の現場では排斥派に殺されかけたよクソッタレ」
「波乱万丈な一ヶ月になったなぁオイ。あたしなんてあれから平和なもんだったぜ」
そう言われて圭介は自分の訪問先が大々的に知られているのに対し、仲間達が向かった他の現場の話を聞いていないことに気が付いた。
「エリカはあれからどうだったのさ。ルンディアの後も二つの訪問先に行ったんでしょ?」
「あー、お前と別れた後はナイトミュート山脈で幅ァ利かせてる山岳警備隊の手伝いに行ったぜ。夏場だってのに雪が積もってるような高いとこまで登らされてよ、カッチカチになったチョコとかチーズ齧って熱い紅茶で流し込むなんつー色気のねぇ毎日を送ってた」
何やらとんでもなく過酷な状況に置かれていたらしい。
「あたしは寒いの平気な方だからそこそこ耐えられたんだけどよ、いやぁそれでも最終日に下山した時にゃ夏の暑さなんざ大したもんじゃねえと思い知らされたね。食いもんが凍らねえってのがこうも嬉しいもんだとは思ってもみなかった。まあそのおかげで次の現場の宿泊先でうっかりキャベツ腐らせちまったんだが」
「いやそこはわかる範囲でしょうよ」
すかさずミアがぴしゃりと言うも、対して堪えていないのは明らかだった。
「んで、三つ目の現場がウォラストン機械工場な。こっちはめちゃくちゃ楽しかった……あ、そうだ」
何か思い出したのか、エリカが持参した鞄をゴソゴソと漁り始める。最近になって圭介を経由する形で彼女の刹那的な生き方に付き合わされてきて辟易しているのか、それを眺めるモンタギューが吐息を交えて声をかけた。
「どうしたよ急に」
「いやな、あっちで作ってきたもんがあってよ……あったあった。ホレ、これケースケにお土産な」
そう言ってエリカは何やら奇妙な物体を取り出し、テーブルの上にそっと置く。
『……………………』
それを見て、ミアやユーにモンタギュー、更にはアズマでさえ無言になった。
名指しされたことである程度冷静さを維持している圭介が、恐る恐るその何かの創造主に説明を求める。
「……え、と。エリカ? これなんなの」
「強いて言うなら、アレだ。“自立歩行型バター容器”だよ」
金属で構成された八本の足で自立するそれは、楕円形のプラスチック容器の形をしていた。それとは別に取り出した小さなタッチパネルをエリカが適当に操作すると、八本足をうじゃうじゃと動かしてバター容器と呼ばれたそれが歩き出す。
「「ヒィッ!」」
他の女子二名から短い悲鳴が漏れた。モンタギューは無表情のまま「気持ち悪っ」と呟き、頭上のアズマは威嚇するように双翼を広げる。
「…………なんで、バター容器を歩かせる必要が?」
「あっちで簡単な機械仕掛けの作り方を教わってさあ。ついでに遠方訪問中に何か一つ“あっても意味のないもの”を作るっていう課題を出されたからとりまバター容器歩かせようかなって」
エリカに出された課題の内容は圭介も中学生時代、図画工作の時間で聞いた覚えがある。確か子供の創造性を伸ばすためにどこぞの企画から教師が引用してきたものだったと記憶しているが、製作にかかる時間とコストの面であくまでも想像したもののイラストと概要を配られたプリントに書きこんで終わりだったはずだ。
まさか実際に作ってしかもそれを他人にプレゼントする馬鹿が現れるとは思わなかった。
「……あ、ありがとう。使うかどうかわかんねーけど、受け取るよ」
「おう持ってけ。あたしンちに置いといてもゴミにしかなんねぇから」
「そういうの思ってもいいから渡す相手の前で言うなや!」
「でも工場の人達にはバカウケしたんだぜこのガラクタ」
「自分でゴミとかガラクタとか言うような物体をよくもプレゼントしようと思ったなお前!」
『なるほど……こういう人物でしたか』
久しぶりに会った彼女は相変わらずどこか狂っていて安心感すら抱かされるほどだ。
「ゆ、ユーはダアトの次に長期討伐クエストに行ったんだっけ。どんなだったの?」
「えと、そうだね。ブラッディスライムが大量に出たっていう廃村の大掃除に行ったよ」
チラチラと自立歩行型バター容器を見ながらユーが答えた。血まみれのスライム、という旨の名称から物騒な雰囲気が漂っている。
「何それ、普通のスライムと違うの?」
「んー、結構気持ち悪い話になるから食事時に話すのはやめとこうか。私も最初見た時は吐きそうになったし」
「どんだけだよ」
『具体的には動物の――』
「いや食事の後にしてよ。気持ち悪い話なんでしょそれ絶対気持ち悪いやつだ」
砂漠で客人達の死体がいくつも無造作に散らばっているのを見ても「キツい」の一言で済ませたユーが、まさか吐き気を覚えるほどの地獄絵図とはいかなるものか想像もできない。少なくとも食事を済ませてから聞こうと圭介は心に決めた。
「あたしもモンタギューの訪問先についてはまだ聞いてねぇからなー。他の二人の訪問先だってSNSで知っちゃいるけど具体的にどんなだったか知らねえし」
「あとコリンちゃんの訪問先も気になるよねぇ。結構危ない現場にも行ってきたって言ってたけどどこだったんだろ」
「ああそうだ、コリンにもお土産あるんだった。ミアにはもう渡したけどエリカ達にも買ってあるから後でホーム来てよ」
「おういい心がけじゃねえか貢ぐ君」
「すんごい屈辱的な呼び方されたけどもういいや許す」
嘆息しながら圭介が自立歩行型バター容器を回収してテーブルのスペースを取り戻すと、タイミングを見計らったかのように店員が頼まれた飲み物と食べ物を運んでくる。
とにかく一ヶ月ぶりの集合である。今はこの団欒を楽しもうと、圭介は微笑みながらジュースを口に含んだ。
それと、もう一つ。
「モンタギューにはほれ、このウサギの獣人専門のグラビア写真集持ってきてやったぜ」
「いらねえ……心底いらねえ」
エリカの被害を拡散するという意味合いでは、モンタギューを呼んで正解だったと確信もした。




