第三話 宰相の懊悩
アガルタ王国王城。
ほんの三十年ほど前までは白煉瓦で組まれた荘厳にして森厳なる作りだったこの城は、現在骨組みとして張り巡らされる鋼鉄と薄緑色の防弾・防術ガラスによって織りなされるサイバーパンクな外観へと佇まいを改めていた。
改築にかけた年月と金銭は立派な見た目相応のものとなったが、魔術が存在しない世界から来た客人にとっては信じ難いほどの低コストでのスピード工事であったと言える。
この様相を「伝統への冒涜である」と主張した勢力もいたものの、改築を進めた王族側が安全性と利便性を最優先した結果として最終的にはこの形に落ち着いたのだ。
そんな経緯も持つ現代の王城の内部、廊下をしばらく歩かなければ辿り着けない少々奥まった場所に宰相室は存在していた。
中で事務用の机に書類を広げたままハッカパイプを口に咥えてうなだれているのは、紺色の地にグレーのストライプが入ったスーツを身に纏うラーテルの獣人。
一見して病床で見る夢にも似た悪ふざけのような出で立ちの彼はアラン・ムーアクロフトという名を持つ。
愛らしいやら頼りないやら印象の変動が激しい外観からは想像しづらいが、アガルタ王国の宰相を務める極めて優秀な人材であった。
「……ぁ、ぁっぁっ」
漏れる声は憐みさえ誘う弱弱しさだが、優秀なのだ。
「ふざ、けるなぁ……トーゴー・ケースケを狙う排斥派共は、未だ尻尾も見せとらんし……ロトルアでは隠蔽工作されていたダンジョンで、成金貴族による人身売買が執り行われていることが発覚……。しかも現場にはあの“黄昏の歌”が出没した上に、重要参考人というか恐らく主犯格のエイブラハム・ノーフォークを殺害……立ち向かったロトルア騎士団、当然の如く敗北……っ!」
圭介の遠方訪問で生じた諸々は、割と国の内部を揺るがす事件が多かった。
まずダグラス・ホーキーとララ・サリスの二名は、現在に至るまで足取りが掴めていない。
アスプルンドには一応城壁常駐騎士団からいくらか騎士が派遣されていたはずなのだが、完全に予想外となる神殺しの翼“ブラスフェミー”によって空中への逃亡を許してしまった。
同じく空中へと赴いて追跡しようにも暴風が吹き荒れる中では前も見えず、更には付近にあのルンディア特異湖沼地帯があるという地理的な問題もあって見逃す結果となったのである。
それに“大陸洗浄”の中で殺害されたはずのトム・ペリングが使っていたグリモアーツ。そんなわけのわからない代物を持ち出されては、そもそもの話として深追いなどできなかっただろう。
この件について騎士団を責めるつもりはアランにもなかった。
次に移動城塞都市ダアトを襲撃した超大型変異種、ゴグマゴーグとの大規模戦闘である。
まず最初の問題点は、排斥派の貴族によるダアトに向けられた懸念事項。曰く「カレン・アヴァロンが不在の場合にどれほどの防衛力が見込めるものか」というものだった。
これについてアランはほとんど頭から言いがかりであると断じていたのだが、城塞都市全体の軍事力を総動員しての目立った交戦記録がなかったのも事実である。何らかの功績が必要なのだと、恐らくダアト側も認識していただろう。
そんな折、ダアトの進行ルート上に規格外な大きさを誇るサンドワームが出現した。
丁度よかった、などと呑気な考えは第一王女のフィオナが視察に赴いたと知った時点で消滅した。まさかの王族による現地調査、しかもそれが超大型モンスターとの戦闘とぶつかったなど前代未聞である。
討伐自体は完了したものの予想外の展開がしばらく続いたようで、幾人もの犠牲者が出てしまった。そんな戦いの後で俗物相手に事後報告をしに行ったフィオナの心中たるやいかほどのものかと、差し出がましくも同情を禁じ得ない。
更にダアト付近で生じた不可解な寄生樹の発生など、この件については不審な点も見受けられる。もうしばらく精査する必要があるだろう。
そして極めつけが[プロージットタイム]での客人二名によるテロリスト活動。
大々的に露見したダンジョンの隠蔽と人身売買の事実により、結果的に大企業二社が倒産の憂き目に遭った。[エイベル警備保障]の方には悪い噂が横行して株価が低迷していたとはいえ経済的な影響は小さくない。
だがそれ以上に厄介なのは“黄昏の歌”平峯無戒の出現と、彼の手によるエイブラハム・ノーフォークの暗殺である。
先に述べた通り、ロトルアの騎士団が敗北した。
それそのものは仕方のないことだ。“大陸洗浄”において一度も【解放】したところを目撃されておらず、それでいて一切の傷を負わされないまま悠々と生き残った怪物が相手なのだから。寧ろ早朝の高級住宅街という戦いづらい場所で被害を最小限に留めたのは称賛に値する。
とはいえ、それでも負けは負けなのだ。内容が内容だけに表だって褒めるわけにはいかず、そして責めないわけにもいかないのが何とも歯がゆい。
「……頼むから“大陸洗浄”めいた騒ぎにはならんでくれよ…………」
アランの呟きには切迫した感情が込められている。
あの戦争によって大陸に在る全ての国家が、ある一つの事実を思い知らされた。
民意は、社会悪に対して不寛容である。
犯罪者の被害に遭う危険性を考慮すれば当然と言える。加えて“大陸洗浄”の影響を受け、人々は悪の不在がどれほどまでに安らかなものであるかを知ってしまった。
わかりやすいのが今の世論だ。民衆の多くはエイブラハムの死に対して同情的な反応など一切見せておらず、逆に彼の行いを本人の死後も絶えず糾弾する動きが活発化している有様である。
ネット掲示板などでは“黄昏の歌”に対する称賛の声まで散見される、などと部下から聞いた時には眩暈すら覚えたものだ。
(他のグレーな企業も今回の件で色々手回ししたり、あるいは手回しを中断しているようだが……おかげで市場経済にも大きな影響が出ている。あぁ不味いなあ、あの建築会社とかあの小売業会社とかにあの貴族とかあの商人とかが関わってるんだよなあ)
彼の極めて優秀な頭脳は問題を同時に処理することではなく、問題の数を絞り込んで並べた事項の優先順位を設定することに特化している。
突き詰めればこれら全ての問題には、東郷圭介という客人が共通して関わっているのだ。
故にその生活範囲に王城騎士とダアトから派遣された客人を警護に当たらせるというのは、状況判断的にも間違いではなかっただろう。
ただ、第一王女が念動力魔術を行使する客人に興味を抱いていることにアランはとある懸念を抱いていた。
「……手元に置くのが無難、とはいえ。だからって手でつついても構わないという話にはならん」
カレン・アヴァロンというわかりやすい前例を知る身として現状に嘆息していると、机と向かい合っている木製の扉から控えめなノック音が響く。
暗殺防止のために事前に扉を叩く回数と間隔を決めておいたことで、それが秘書によるものであるということがわかった。
「どうぞ」
「失礼します」
ガチャリとドアノブが回される寸前、アランは眉を顰めた。
彼の秘書であるエルフの男は、それなり長く生きている関係で物腰に落ち着きがあったはずだ。しかし今しがた聞こえてきた声は微妙に震えていたように思う。
どうしたのかと訝しんでいる内にも扉は開き、見慣れた秘書が青ざめた顔を見せた。
そして続けて彼の背後から姿を見せたその人物に、アランの目が見開かれる。
「ふぃ、フィオナ第一王女様!?」
「お疲れ様です、アラン・ムーアクロフト宰相殿」
その相貌は間違いなく、アガルタ王国第一王女のものだったからだ。
呑気に座っていることすら大変な無礼に当たりかねない。すぐに立ち上がり咥えていたハッカパイプを胸ポケットに強引に突っ込むと、次いでネクタイが曲がったりしていないかを急ぎ確認する。
「突然の来訪をお許しください。何分困った話となりますので」
それはアガルタ王国の王族と宰相、そして一部の人間にしか伝えられていない合言葉だ。
意味するところは“極秘事項”。つまり合言葉を知らない秘書はこの際邪魔となる。
「は、はぁ。あ、すまんが君、下がってくれ」
「えっ」
二人分の紅茶を用意しようとしていた秘書が動きを止める。
「お茶なら私が用意するから」
「了解しました……し、失礼します」
おずおずと秘書が去ってから、アランの手によって二人分の紅茶が迅速に用意された。当然本来はお茶汲みなど宰相の仕事ではないが、各々の立場とシチュエーションがそうさせる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
短いやり取りから一口カップに唇を触れさせると、フィオナが話し始めた。
「……第六騎士団をトラロックに派遣する話は以前しましたね」
「ええ。確か刑罰を終えた死刑囚の遺品が何者かに盗難されており、その盗品を商品として売買している場所がトラロックの何処かにあるという話でしたな」
迷宮洞窟商店街トラロック。メティスからそう遠くない位置に存在している、以前はダンジョンに指定されていた団地商店街である。
嘗ては複雑に入り組んだ道と巨大な蜘蛛の変異種が多数住みついていた危険な場所だったが、今では舗装と標識と地図によって随分と歩きやすくなり、人を食らう恐るべき変異種達も騎士団に駆除されて存在しない。
更にはスプレッドランプという、淡く橙色の光を放つ特殊なコケ類によって洞窟内は常に夕映えほどの光を帯びている。この幻想的な光は日光と異なる性質を持つらしく、ヴァンパイアなどが居住するのに最適な環境として知られていた。
そうして人が住まうことに特化させた結果が団地商店街という形態だった。しかし、それを起因とする問題も発生する。
殺人や強盗といった犯罪を防止するために大量の監視カメラを導入したのだが、ダンジョン一つ分の面積全てを俯瞰するには到底足りていない。つまりどうしても死角になってしまう部分は存在し、そこは地元の騎士団による警邏に一任する形でしか対応できていなかった。
そうなれば賢しい犯罪者にとって抜け道などいくらでもあるのだ。
カメラの死角において発生する強盗、強姦、殺人。
違法薬物や殺傷力を持つ魔道具に小型魔動兵器の売買。
最悪なのは一部とはいえ騎士を買収しての犯罪行為の黙認。
端的に言えば王都メティスと比べて若干治安が悪い。
「先日どうにかトラロックで取引現場の撮影に成功しましたので、大手を振ってメティスから騎士団を送り出せる準備が整いました。現地の騎士団を疑いたくはありませんけれど」
「いえ、第一王女様のご意見とご判断は極めて正当なものです。しかしその、犯罪行為に通ずる者も多いであろうあの街でそのような現場を押さえられるほどの撮影技術を持つ者がいたとは……興味本位で失礼をば致しますが、一体何者なのですか?」
「大したことでは。諜報部に一人、個人的に信頼できる人材がいただけですよ」
フィオナが多少粗雑ながらも宰相の質問を受け流し、話を続ける。
「そして、盗難された品々についてですが。アクセサリーに財布などのブランド品、機械類も数点見受けられました」
「はい。それは私も聞きましたね」
「問題はその中に故人のグリモアーツが含まれていたという点です」
「故人の、グリモアーツが……?」
その言葉を耳にして、最初アランは話がどこに向かっているのかと思考を巡らせた。
やがて一つの答えに至る。
何かの偶然、または勘違いと思い込もうとしていたとある要素。
「……“ブラスフェミー”!」
「流石、話がお早い」
東郷圭介を襲撃したという排斥派、ダグラス・ホーキーの仲間であるララ・サリス。
彼女もまた、死んだ他人――“涜神聖典”トム・ペリング――のグリモアーツを使用していた。
この場合、彼の中で考えられる最悪のケースはただ一つ。
「まさか、既に死んでしまっている者のグリモアーツを他者に継承させる技術が……!?」
「ええ。排斥派は何らかの手段でそれを確立させたという可能性が極めて高いと言えるでしょう」
だとするならこれは国の、いや大陸社会の根幹を揺るがしかねない大問題だ。
通常グリモアーツは使用者が死亡するとシンボルだけを残して二度と【解放】形態になることはない。
使用者が持つ魔術の適性というものがある以上、それに応じて形を変える性質はそもそもの持ち主を失った時点で己が役割をも終えるのだ。
しかしそれを他の人間が、それも使用者が生きていた頃の形態を保ったまま使用できるなど規格外甚だしい技術と言える。王国研究所の専門家でさえ発想こそすれどもまだ答えに辿り着くまでの筋道すら定かでない状態なのだ。
そしてそんなものが排斥派の手中にある。それも、念動力魔術を使う客人を狙うような連中の手中に。
「では、売買されている盗品というのは」
「主な目的はグリモアーツの再利用を前提とした排斥派による取引かと思われます。それ以外の盗品は隠れ蓑に過ぎなかったのでしょうね。尤も、ルンディアであの翼を見せてしまった結果私達に気付かれてしまったわけですが」
「……大変な、ことじゃないか」
色々と考え事をしていたところに特大の爆弾を投下され、アランの口調が思わず崩れる。それに頓着する様子も見せず、フィオナは再度ティーカップを口に運んだ。
「だからこそ現場に騎士団を送り込んだのです。トラロックにいる騎士団だけで未だ街の治安を改善できていない以上、彼らの力だけを頼りにはできませんから」
「正しい、ご判断かと」
「しかしまだ足りません。不安要素は一つ見つければ複数の対策を練るべきです。即ち、もう一手打たなければ」
「というと?」
「現場にトーゴー・ケースケを派遣します」
つい先ほどまで脳裏に居座っていた名前が第一王女の口から紡がれたことで、アランが汗ばみながら硬直する。
「一応は働いてもらうつもりですので、何らかの仕事と報酬を用意しましょう。きっかけは何でも構いません。もうすぐアーヴィング国立騎士団学校は期末テストの順位発表を終えて夏休みに入りますし、まだギルドに顔を出した経験のない彼もそろそろクエストを受けようと思い至る頃でしょうね。その際にこちらからトラロック関連のクエストに誘導し、現場で第六騎士団と合流させます」
「ちょ、ちょっとお待ちを、お待ちください!」
焦燥感を隠すだけの余裕など吹き飛んだ。
「超大型モンスターを殺すだけの力があるとはいえ、トーゴー・ケースケはあくまでも民間人ですよ!? それも排斥派に命を狙われている被害者です! そんな彼を、治安が悪く増してや排斥派が入り浸っている可能性もある危険な場所に送り込んで何になるというのですか、貴女は!?」
「危険は百も承知です。いくら周囲に第六騎士団、隣りに王城騎士であるセシリアとダアトから来た別の客人がいるとはいえ場所が場所ですから」
「だったら、どうして!?」
「……それこそ、彼一人の問題ではないからです。今回トーゴー・ケースケはあくまでも一戦力に過ぎません」
十代の少女とは思えない、冷徹な眼差しがアランを射抜く。
「先に申し上げた通り、排斥派が故人のグリモアーツを再利用している可能性はほぼ固まりつつあります。これが事実であれば“大陸洗浄”を乗り切って客人の存在を容認する流れが出来上がりつつある今の時代、各国が対策を練って情報を共有しなければならないでしょう」
それは、そうだろうとアランが小さく頷いた。
確かに排斥派の存在は戦争の被害者として、ある種発生しても仕方のない一面を持つ。しかし国家からしてみれば客人との不和を呼び込む騒乱の種でしかない。
増してや“黄昏の歌”やカレン・アヴァロンのような規格外をまたしても敵に回しかねない動きなど、到底容認できるはずもないのだから。
「しかし他国に現時点での排斥派に関する情報を流そうにもまだそれらは可能性の段階に過ぎず、同時にその可能性を検証する上で危険の一つ二つに躊躇するわけはいきません」
「……仰る通り、です」
「そこでまだ公的にどこにも属さない戦力、つまり彼の力が必要となってくる。私が行使すべき力などたかが知れていますが、彼なら自由に動き回れるでしょう。加えて客人という彼のパーソナリティは排斥派をおびき寄せる釣り餌になる」
「わかります、理屈はわかりますが……王は、国王はこの話をご存じなのですか」
アガルタ王国当代国王、デニス・リリィ・マクシミリアン・アガルタ。
せめて国王の命令でなく、尚且つ国王にまで情報が流されていなければ抜け道はあるとアランは考えた。
しかし、そんな希望は最初からなかったのだ。
「逆です」
「? 逆、とは」
「父上はこの問題を認知した上で、私個人の判断による解決を求めてきました。恐らくは第一王女としての能力を試しているのかと。……どうにも状況が読めていないようで、嘆かわしい限りです」
「…………」
国王が自らより優れた娘の存在を疎んでいるという噂は、宰相であるアランの耳にも入ってきていた。
フィオナという少女が持つ才能の数々は親として誇らしかったかもしれないが、今や国王以上に下々を惹きつけている第一王女は人気だけでなく知識、魔術、カリスマ、そして若さでこの国の最前に立っている。大人げなく嫉妬を覚えてしまう心は少なからずあっただろう。
だからこうして時折一部の仕事を彼女に一任することはこれまでにも何度かあった。
いずれも大した仕事ではないし回数も数えられる程度だったが、今回の問題は流石に大きすぎる。
まるで自分では手に負えないからとフィオナに泥を被らせようとしているように下々の目には映ってしまいそうなものだ。その可能性を王は少しでも想定しているのだろうか。
とにかく、アランがいくら心中での文句を重ねても事態は好転しない。国王がこの件についてフィオナに任せると断言し、こうして本人自ら宰相に報告をしに来たのだ。ここまで話が加速してしまっては止まろうにも止まれまい。
少し滲んだ同情を嗅ぎ取ったのかフィオナは溜息交じりに苦笑して、カップの中にある紅茶を飲み干した。
「しかしつくづくタイミングがよかったと思いますよ。彼の手にはこちらから攻撃用の魔動兵器を、ダアトからは防御用の魔動兵器をそれぞれ受け渡しています。最悪彼一人でも逃げ切れるでしょう」
「頭が、痛くなってきてしまいました」
「苦労をかけてしまい申し訳ありません。しかし必要な話でしたので」
「いえいえ、お忙しいところご足労いただき……」
アラン・ムーアクロフトはこの日、ストレスのあまりか夕飯後に常用している胃薬を飲み忘れてしまう。
優秀な人材として知られる男は、これから先も懊悩し続けるのだろう。
いつか退任するその日まで、ずっと。




