第一話 埋まる隣室
広く突き抜けるように爽快な青空の下で夏の虫は未だ元気に鳴き続け、木々を彩る緑の葉がもうすぐ盛りを迎える頃合い。
「ふう、こんなもんかな」
『お疲れ様です』
アーヴィング国立騎士団学校の敷地内にある、来客用宿泊施設の前。
そこには涼風館に運び込んでいた荷物を学内施設の自室に配置し直している圭介の姿があった。
遠方訪問終了に伴い、彼の所在は再び最初に宿泊していた部屋に戻ることとなったのだ。
ダグラス・ホーキーの襲撃を懸念して短期的に身を預けていた圭介は、本人が望まない形とはいえ地上波での報道を通してそれなりの知名度を得た。
加えて王族との繋がりも暗に示唆されたため、そのお膝元たるメティスならば迂闊な行動に出る輩はいないだろうという判断によるものである。
しかし流石に希望的観測に縋るばかりでは万が一の事態に対応できない。加えて圭介を孤立させるような動きをしてしまえば、なまじ本人が有名になった分だけ外面の問題もあるだろう。
「こちらはもう粗方運び終えた。元より荷物も多くなかったがな」
「こっちも終わったっす! いやあ手伝ってもらっちゃってすんません」
「別についでだし構わないよ。そっちも急な話だっただろうしね」
そこで圭介の部屋を挟む形で施設に引っ越してきたのがセシリアとレオの二人であった。
王城に勤める第一王女直属の騎士と、移動城塞都市ダアトから来た客人の二人体制による警護。
背景にちょっとしたパワーバランスの調整が窺える面子ではあるものの、圭介にとってはこれ以上ないくらい助かる話だ。
排斥派はある程度強くなったからと油断できる相手じゃない。少なくともララという未知数の実力を持った仲間がいる以上、ダグラス一人に対処しただけで安心してはいけないのだ。
レオとはまさかこんなにも早く再会すると思っていなかったため、少なからず驚いたが。
「しかし念動力魔術というものはつくづく便利なものだね。見ていてちょっと羨ましく思えてしまったよ」
そう言いながら圭介達に歩み寄ってきたのは、王都メティスの都知事であるマシューである。
彼は三人分の荷運びに運送業者を雇い、あまつさえその料金を肩代わりしたのだという。
最初は圭介も恐縮したのだが「ダグラスをアスプルンドに向かわせてしまったせめてもの罪滅ぼしに」と言われてしまっては逆に断りづらい。
どうやら大型トラックのドライバーに追加報酬を施していたようで、彼の背後では笑顔の男が会釈しながら運転席へと戻っていくのが見える。
「さて、一段落ついたし食事に行くとしようか。何か食べたいものがあればリクエストしてくれ」
マシューは騎士のセシリアやダアトから来たばかりのレオに気遣ってか、素の口調を引っ込めているようだった。こうしていると人の上に立つ身として充分な威厳があるように見えるのだから第一印象など信用ならないものだ。
あるいは、社会に身を投じる以上どうしても複数の顔を要するものなのかもしれない。
「えーっと、俺は特にこれって注文ないんすけど。セシリアさんどうします?」
「そうだな……。ケースケが働いていた酒場にでも行こうか。確か日中は食堂として機能していたはずだ」
「待ってくださいよちょっと、まだ遠方訪問から帰ってきたばかりでバイト先に復帰してないのに最初に客として顔出すの気まずいんですが」
『どういう心理ですかそれは』
この辺りの感情の機微が機械であるアズマには通じづらい。代わりにセシリアが圭介の言い分に応じた。
「王城勤務の騎士と都外から来た客人、極めつけに都知事殿にまでお越しいただいておいて文句を言われるような事態にはならんだろう。加えてお前自身が働いているという事実も集客力に大きく関与してくるのだから、顔を出すことが悪い結果を生むとは思えんが」
「正論言われちゃったよ……いやでも都知事呼ぶにしちゃ庶民的に過ぎませんか。場末とはいきませんけどそこそこ安い店ですよ」
「いや、私もケースケ君の仕事先と聞いて少し興味が湧いた。よければ案内してもらえると助かる」
「俺も行きたいっす! これからしばらくこの街に住むんだから安い店ってんなら尚の事っすよ!」
マシューに便乗するレオだが、圭介からしてみれば正直彼がここにいるのが心底意外だった。
レナーテ砂漠での戦い、通称“レナーテ漆黒討伐戦線”で彼は尊敬する先輩と初恋の相手を同時に失っている。
それが原因で一度は部屋に引きこもっていたと本人から聞いたが、どうやら驚異的な速度で精神的ダメージを誤魔化して今の状態に落ち着いたようだ。
しかしそこはカレンもレオが無理な感情の抑制をしていまいかと警戒しているのだろう。
恐らく今回圭介の警護につけたのも、半分は彼を思い出深いダアトから引き離すという荒療治によるものかもしれない。
何にせよせっかく来たのだ。まずは[ハチドリの宝物]に久々の顔出しがてら、彼らに店員オススメのメニューを紹介するのも一興だろう。
圭介は足取り軽やかに三人を引き連れて、馴染みの店へと向かった。
* * * * * *
一時間後、圭介の目の前には大量に用意された料理の皿がテーブルの面積ギリギリまで並べられていた。
「いやあようやく帰ってきたかと思ったら自分以外の客人さんに王城組の騎士様に都知事のマシューさんまで呼んでくるたぁな! ただでさえテメェが有名人になってくれたおかげでウチの店ぁ繁盛してるってのに嬉しいねえ! ところでその頭の上にいるそいつァなんだ、面白いもん持って帰ったなあええ!?」
『アズマです。今後ともよろしくお願いします』
豪気に笑う店長がバシバシと背中を叩く。加減を知らない手の威力はそれなりに強かったが、しかしそんな些末事よりも量的に四人で片づけられるかどうかを圭介は懸念していた。
「うっわすげぇ! これ全部食べていいんすか!?」
「いやそれ以前に食べられるのかこの量……」
「すみませんウチの店長がアホみたいに張り切っちゃったみたいで」
「俺がいれば余裕っすよこのくらい! あ、サラダ分けますね」
「やめろお前お客さんなんだから僕がやる。レオの分は多めでいいよね?」
「かたじけないっす。ていうか客として来てるのにもう完全に店員モードなんすね」
店で働いているからか圭介のサラダ分配は手慣れたものだ。
「これは、まさか。冷凍食品などではなく全て手作りなのか……それでこの量、この価格となると、コストは……」
『独自の入荷ルートを保有していると聞きました。詳しくは禁則事項に該当するとのことで教えてもらえなかったそうですが』
「なるほど。しかしそれだけではないはずだ。これは調理師にも知識と応用に富んだ人材を選んでいるに違いない」
料理をまじまじと見つめるマシューとアズマが目を向けているのは量そのものだけではない。材料や調理の手間、店の様子から見える店員の人数といった情報を判断材料として値段の安さの方に驚愕しているようだった。
「んじゃま、飲み物も配ったし料理冷ますのもよくないからそろそろ食べましょうか。マシュー都知事も大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ」
マシューが微笑みながら自分のコップを掴む。いつ仕事が入るかわからないからという理由で彼が持っているのはアイスティーだった。都知事という仕事は相当エネルギーを要するのか、砂糖を多めに入れてある。
セシリアも無糖だが同じく紅茶、レオはサイダーを選んだ。因みに圭介はというと日本人にとって馴染み深い緑茶(らしき別名の飲料)をジョッキで頼んでいる。
「ではレオとセシリアさんの引っ越し作業と僕の荷運び、ついでに遠方訪問完了を祝して――乾ぱーい」
あくまで昼食のはずだったのに気付けば飲み会のような流れを作ってしまい、圭介は少し気まずくなった。
「乾ぱーい!」
「乾杯……あ、あれ」
「あ、失礼しました……か、乾杯」
何故か大人二人がぎこちないように見えたものの、そこはとりあえず目をつぶる。都知事と騎士では立場も役職も違う上に両者そこに拘る一面を持つからか、気を遣う部分もあるのだろう。
「しかし相変わらずいい店だな。料理も美味いが内装も洒落ている」
「そうでしょうそうでしょう。僕がバイト先に選んだ理由の一つですよ」
「ケースケおめぇ面接では『金がないので賄いを食べさせてくれるならどこでもいいです』って言ってただろ」
「客の会話に割って入るんじゃあない! しっしっ!」
「……ああ、そうだろうな。転移したばかりの客人はまず金が足りないんだったな」
「一応そういう場合には国から助成金が出るはずなんだが」
そこは都知事、それも本来であれば人柄穏やかなマシューの事である。転移間もなかった頃の圭介の経済事情に何か言い分があるようだった。
「でも役所では半月近く待つように言われたらしいですよ。代わりに戸籍の手続きしてくれた校長先生が言ってました」
「……後で対応した職員の名前憶えてるか確認しに行こう」
もしかすると今の何気ない会話で一人の公務員の人生を左右してしまったかもしれない。
「この魚めっちゃ美味いっすね!」
「それはフキゴイっていう川魚の一種だね。コイって割にアユの仲間らしいけど。今が旬だよ」
レオはというと呑気にビール瓶ほどはあろうかという大きさの魚の塩焼きなどを貪っていた。
内陸部のアガルタ王国でも例外的に常食される魚として川魚の存在がある。フキゴイもその一種で、[ハチドリの宝物]では夏場によく取り扱っているらしい。
衛生上の問題からルンディアで出されたような刺身での提供は難しいが、火を通せば食いでのある大ぶりな焼き魚として食卓を彩るのだ。
『しかしこの大きさを四匹分も用意する必要はあったのでしょうか』
「だよね? 僕もそこおかしいなとは思ってたんだよ。店長ー、張り切りすぎじゃないですかー!? 頼んだの二匹分なんですけどー!?」
「あぁ!? いいっていいって、残り二匹は俺からのサービスよ!」
「いや食い切れる食い切れないの話してんだよこっちは!」
「大丈夫っすよ圭介君! 皆さんの分も俺が頑張って食い切るっすから! ふごっ、喋りながら食ってたら苦しくなってきた……」
「大丈夫かい? 喋ってるのもそうだけどさっきから炭酸飲料も飲んでるし、胃に空気が溜まってるんじゃないのかね。辛いようなら一度トイレに行ってゲップしてきなさい」
「フードファイターみたいな具体的な指摘入ったぞ都知事から」
今ばかりはユーの存在が恋しい圭介だった。本気を出せばこのくらいは平らげるだろう。
「残りは切り分けとくからアレなら僕がタッパーに入れときますよ。普通に食べましょ普通に」
「タッパー!? そんなものを持ち歩いているのかお前!?」
「悪いですか!? 王城勤務の騎士様には庶民の暮らしなんてわからないかもしれませんがねぇ、もしもに備えてこういう入れ物を常備するのが今時の若者なんですよ! ナウなヤングのトレンディですよ! 一種のミームですよ!」
デマである。
「そ、そういうものか……」
「私も知らなかったよ。ということはレイチェル……さんもそうなのかな」
「いやあの人はまた別枠なので、確認するならエリカとかが適してると思います」
『マスターやお仲間の皆さんがちょくちょく名前に出す“エリカ”なる人物がどういう方なのか興味がありますね』
アズマの言葉を受けてエリカという人物を知るマシュー、セシリア、圭介の三人が微妙な面持ちになった。
「う、うーん」
「アイツはなぁ……」
「彼女についてはまあ、会って確かめるのが一番だろうね」
「マジでどんな人なんすかその人……」
『この反応から推察するに少なくとも聖人君子ではないのでしょう』
どちらかと言えば邪悪に属するかもしれない、と彼女をそれなり大事に思っているであろう都知事の前で言ってもいいものか。
ともあれ、料理は美味く空気は和やかであり信頼できる面々に囲まれている。
楽しい昼食の時間を通して圭介は久しぶりに安らぎを得たのだった。




