第十二話 オカルト
異世界転移から三日目の朝。
特別教室で圭介を待っていたのはレイチェルではなく、男子生徒用の制服を纏った黒い兎であった。
「誰だ!?」
「昨日あんたの方からうぜェくらい話しかけてきただろ」
「……ああ誰かと思えばモンタ君」
「その呼び方やめてくんねェかな」
言いつつ不快さを見せることなく流す黒兎の獣人。
クラスメイトのモンタギュー・ヘインズビーである。
昨日の昼、圭介が教室で挨拶をしている間にも窓の外をぼうっと眺めていたことから他人への興味関心が希薄であると見られる。
圭介が「すげーかわいいじゃん一緒に写真撮ろうぜ!」と絡まなければ恐らく名乗りすらしなかっただろう。今も椅子に座りながら野菜スティックを咥えて、やる気のなさそうな表情を隠そうともしていない。
「昨日おたくらがクエスト行ってる間に校長先生に呼ばれてな。ま、座れや」
「あいよ」
圭介はモンタギューと机を挟むような位置の椅子に座り、自身の鞄を雑に床に置いた。
「客人の帰還について他の連中より詳しい方だから、元の世界に帰りたがっているお前に色々教えてやるように言われた。んでその校長だが、お前のために準備していたグリモアーツと携帯電話を受け取りにギルドと役所を往復している。今日中に戸籍を取得できるって大気炎上げてたぜ、よかったな」
「おお、いよいよ僕もグリモアーツをもらえるのか」
ユーが使っていた剣のようなものを自分も使えるようになるのかと思うと、少年心がくすぐられるというものだ。
「俺としちゃあ来て三日目はまだ早い気はするがね。ともあれあの人が戻るまでにそれなりかかるだろう。その間暇するのも面白くねェしどうだい、あんた元の世界に帰りたいってんなら客人が元の世界に戻ったっつー過去の事例について聞いてみねえか」
「それは是非。帰る方法があるっていうなら早い内に聞いておきたいからね」
「んじゃ、軽く説明してやる」
言いながらモンタギューが自身のものと思われる鞄から二枚のプリントを出した。話すこと自体は嫌いじゃないのか乗り気に見える。
机の上に並べられたそれらには、アガルタ文字による解説文と複数の写真が載せられていた。何らかの資料であることは想像に難くない。
「つってもあんたが期待してるほど何でも知ってるわけじゃあない。オカルト好きが高じてこの手の話をかき集めてるだけで、俺の頼りない情報網じゃ信頼出来るのはこの二件だけだった」
「……オカルト? 客人が元の世界に戻るって話は都市伝説なの?」
「いんや間違いなく消失はしてる。それが本人の帰還に直結していると言われているのは、そうとしか捉えられない状況が前提になってンだ。そっちの世界じゃオカルトってのは相当胡散臭いものらしいが、こっちじゃわけわからん奇天烈現象の原因究明を担う学問として確立してんのさ」
つまり魔術以外の説明がつかないにも拘らず魔術によるものではないと判断される超常現象は、ビーレフェルトにおいてオカルトという知識を有する者達によって分析されているということである。
圭介からしてみれば完全に純然たる不思議が稀にとはいえ発生する世界の構造に恐怖するばかりだったが。
「えぇ……そんないきなりわけわかんない現象が起きるとか、なんか怖くない?」
「怖いから知ろうとするんだろうよ。まずはこっちの資料を見てみな」
言ってモンタギューが写真を指差す。
「七十二年前、南西にあるラステンバーグ皇国のツインクグルヴァン国立記念公園にて観測されたものだ」
指し示された二枚の写真。片方は男の顔写真で、もう片方は――
「この写真は……噴水?」
「ああ。公園によくあるタイプな。一定の時間おきに水が吹き上がるその噴水の水が突如輝き、上から下へと落ちていく水の幕にとある風景を映し出した。そんでその風景ってのが問題なんだが」
言いつつモンタギューが短くなったスティックを飲み込み、次なるスティックをプラスチックのケースから取り出し口に咥える。
「それを見て近くのベンチにダチと一緒に座ってた客人の男が、『故郷の街だ』と涙ながらに呟いたかと思うと、勢いつけて風景に向かって飛び込んじまったらしい。すると不思議なことに男は水の幕をすり抜けることなく風景の中に入り込み、少し遅れて男の後ろ姿ごと風景は消えちまった」
「噴水……水に映された景色。なるほど」
「当然皇国はすぐにオカルト専門家を含めた調査団を派遣したものの、男性の所在は愚か魔術を使用した形跡すらありませんでしたってんだから始末に負えねえ」
「これってやっぱ現地行って調べた方が良かったりする?」
「やめとけ。っつーか行く機会があるかわからんが、皇国行くことあったらこの話はそもそもなるべくすんなよ。気を悪くする奴もいっから」
プリントされた文章は全部を解読できないが、噴水や消失したという客人の写真を見てその光景を脳裏に浮かべた。
帰還したという男性はヨーロッパ系の白人で、年齢は二十代後半から三十代前半と見られる。漫画やアニメのように日本人の中高生ばかりが転移するわけではないようだった。
「もう片方は?」
「こっちな。三十六年前、遥か北にある雪国のサンフィエルバで郊外に位置する都市ギューデが外側から丸一日観測できなくなるという珍事があった」
「……あ!? 都市丸ごとが丸一日!? 珍事で済むのそれ!?」
「俺みたいなオカルト好きにとっちゃそんなもんだが、客人の世界はもっと平和らしいな。よくンな退屈な日常を享受できるもんだ」
非日常を夢見る中学生男子ですら一日で平穏な日々を求め出しそうな大事件を珍事の一言で済ませるのは、些か以上に受け入れ難いものがあった。
「正確には『在るはずの街を知覚できなくなった』と言うべきか。まぁ逆もまた然りだったわけだ。ギューデの住民はその日の間中ずっと街の外に出る方法がわからず途方に暮れていたらしいぜ」
「企業の取引とか冠婚葬祭のアレコレとか考えただけで、一日だけでも致命傷だよねそれ……」
「んで、だ。こんなこと魔術で実現しようと思ったら第二魔術位階相当の術式で都市の周辺をぐるっと囲まなきゃいけない。そんなこと稀代の大魔術師でもできるわきゃねぇってんでオカルト案件になったわけだが」
一拍置いて、黒ウサギの深い鼻息が響き渡る。
「住民が焦ってる中で一人の子供が普段と異なる形の道を指差して『私はこの道を知っている』と言い出した」
モンタギューが指差したのは、十歳前後の少女の写真。顔は圭介にとっても馴染み深い東洋人のものだ。
「まぁ察してるかもしらんがこの少女が客人だったんだ」
「そんな気はしてた。下手したら僕と同じ国出身だよ、この人」
「彼女は見知らぬ文字で書かれた標識や看板を目印に進み続け、最終的に自宅に辿り着いたと告げると同時に前述した男性同様消失しちまった。それと同時に街は外の世界と無事に繋がり、結果的に『客人の少女が一人消えた』という事実だけが残ったわけだ」
言ってわざとらしく右手を上げながら、モンタギューがお手上げと言わんばかりに写真の中の少女に左手の指先を当てた。
「そして例に漏れず、今回も魔術の痕跡なんかは出てこなかった」
「少女が知っていると主張する道…………見たことのない、標識……」
どちらも不可解極まる現象が関わっており、どちらも客人は便乗する形で帰還を果たしている。
自主的に戻ったという話ではなく、多少の落胆を自覚した。
しかし同時にその二つの話を聞く中で、圭介は異様なまでの違和感を抱いた。
偶発的に帰還できるだけの幸運に恵まれたとしても、何故都合よく自分が住んでいた場所へと戻れたのか。
決まった時間に水が出る噴水の近くに偶然居合わせた男。
都市一つを巻き込むほどの大規模な異常現象を終わらせた一人の少女。
まるで当人を帰還させるために誂えたかのような不自然さが何とも不気味である。
「ま、サンプルが少ないのは否めねェ。焦るのもわかるが、急いで結論出して間違っちまったらつまらねえだろ。それよかほれ、報酬代わりにおたくの世界でのあれこれを――」
「遅くなってしまってすみません」
若干の間の悪さを伴い、レイチェルが教室に到着した。微笑ましい報酬を要求しようとしたモンタギューが硬直してしまい、圭介まで気まずくなる。
「ああ、モンタギュー君も客人の帰還について説明してくれていたようね。ありがとう」
「どーも」
溜息を吐きつつ急いで野菜スティックを懐にしまい、齧っている途中の人参の欠片を飲み込むモンタギュー。昼休み前、それも本来なら授業中の時間帯に教室内で飲食していたことを後ろめたく思っているようだった。
その様子には特に言及せず、レイチェルは紙で出来た箱を二つ机の上に置いた。
「大変お待たせいたしました。戸籍取得に関してですが、明後日の午後には話がまとまりそうです。そしてこちらがスマートフォン、こちらがグリモアーツです。確認をお願いします」
「は、はい。うわー緊張する」
まずはスマートフォンから。
箱を開けて中身を取り出すと、見事に自分が所持している以前の世界で作られたものと類似したものが出てきた。
ブラウンカラーのそれにはご丁寧に衝撃緩和用のケースが取り付けられており、画面の下にはメーカー名らしきアガルタ文字が書かれている。ややビーレフェルト産の方が軽いという違いもあるが、それ以外は自分の所持品と大差ない。
問題となるのは言語力だ。日頃常用する単語の意味合いはまだしも文法や専門用語に関してはまだ勉強中の身として、この文明の利器はしばらく使わずにいることになりそうだった。
説明書に記載されている文章を「長い」という理由で読みたくなくなった圭介からしてみれば無難な判断である。
次はグリモアーツ。
前日の夕方に依頼した割に午前中に届く辺り、外観の取り繕いは時間を要さないようである。
恐らく機能的な部分は早い段階で完成させられるような環境が整っているのだろう。生産力に定評のある大国家とは聞いていたが、予想以上の技術力を有しているようだった。
形状は注文通りのカード型。エリカが赤銅色、ユーが群青色だったのに対して圭介のそれは鶸色と表現すべき、酸化して黄ばみ始めた緑茶のような色合いであった。
「あれ?」
ただ、違和感が一つ。
彼女らのグリモアーツにあったはずの奇妙な紋様が、圭介のそれにはなかった。
「あの、すみません。ここに模様とか入ってるものだと思ってたんですけど」
「シンボルのことなら最初はなくて当たり前だぜ。ありゃある程度グリモアーツに魔力を馴染ませることで適性に応じた回路を作り上げるシステムだ。まだ魔力が使えるかどうかも怪しいあんたは殊更時間がかかるだろうよ」
レイチェルに投げかけたつもりの質問には気だるげなモンタギューの声が応じた。
どうやらあの紋様はシンボルと呼ばれているらしい。魔力を馴染ませることを前提としているのならばなるほど、そも魔術の扱いすら弁えていない圭介には少し遠い存在である。
「来て三日目はまだ早い気がする」という彼の意見は概ね間違っていなかった。
「ともあれ、元の世界に戻るまでの生活水準を維持ないし向上させるためにもその二つは必要不可欠となるでしょう。今後の活動で是非活用してください」
「はい。助かります」
「一応時間がある時にグリモアーツ及び魔術の扱いの勉強とグリモアーツを用いた魔力発現の確認を行うことを推奨します。未だ勉強中の貴方には負担となるかもしれませんが、いざという時の助けになりますから」
言われるまでもなく魔術の練習を今すぐにでも始めたいというのが圭介の本音である。
自分も超常的な力を振るえるのだと思うと、どうしても高揚してしまうのだ。
「また何かありましたらエリカにでも私の番号を聞き出して連絡してください。それでは、私はこれにて」
踵を返し、教室を出ていく背中に「ありがとうございました」と頭を下げ、圭介は改めて自身のものとなったグリモアーツをまじまじと見つめた。
「いよいよ僕も魔術とか使えるようになるのかぁ。まさかこんなことになるなんて、三日前の僕は思いもしなかっただろうな」
「大多数の客人がそうだろうよ。魔術も魔力も存在しなくてオカルトがただの胡散臭いジャンル扱いされてる世界ってのも俺には想像しづらいがね」
言ってモンタギューが立ち上がる。
「とりあえず今日は俺もやることねぇし、昼休みまでちょっと練習してみようぜ。もしかしたらもう魔力使えるようになってるかもだし」
「付き合ってくれるのマジで助かるなあ」
前向きな意見に、圭介はこくりと頷いた。




