第二十二話 彼女達の決着
「ミ、アちゃん……」
砂埃が舞い上がり、僅かな破片が降り注ぐ中。
それまで周囲に散りばめられていた山吹色の花弁が一斉に消滅した。
巨大ゴーレムがレールと鉄橋で編み込まれた武器を振り下ろしたことにより、地面には整った形の蜘蛛の巣にも似た罅割れが走る。その中央がどうなっているのかは粉塵で見えないが、少なくとも“セイクリッドツリー”はひしゃげただけで破壊されていないように見えた。
それも些細な問題でしかない。
ケイトにとって重要なのは、自分達の無理を聞き届けてくれた護衛の少女がそれに巻き込まれたことだ。
「やっぱり嫌だなあこーいうの」
離れた位置にいるはずのピナルが吐き出す、憂いを含んだ溜息がやけに近く聞こえる。
「たまにね。何言ってもどうしようもない人を殺したりっていうのはあるんだよ。それも嫌な気分になるんだけど、悪い人でもないのに殺すのはホント嫌い」
心底うんざりしているのがわかる声色だった。行為そのものへの嫌悪感とミアへの罪悪感は本物であり、恐らく裏などないのだろう。
しかし同時にその言葉は、彼女が殺人という行為に手慣れている事実をも示唆している。
「大人しく外に出てってくれればほっとけたのに。どうしてピナルと戦っちゃうかなあ」
「……あ、あ」
純粋な疑問として漏れ出た呟きが、原因となったケイトの心を苛む。
自分達の無理な要求が、彼女をあんな目に遭わせてしまったのか。
大人しく出入り口前で呑気に待っていればよかったのか。
ナディアの事を放置してしまえばよかったのか。
「わた、私、どうしたら……」
気付けばケイトは膝を折って座り込んでしまっていた。そこに追い討ちをかけるようにして、彼女の周囲の地面が隆起し始める。
ピナルが新たなゴーレムを生成し始めたのだ。
「じゃあそっちのあなたはそのまま出ていこっか。もう何もできないでしょ、グリモアーツは押さえつけてるし」
抵抗などできようはずもない。
巨大ゴーレムが武器を用いて上から“セイクリッドツリー”を押さえている今、枝葉を伸ばして反撃するのも攻撃を防ぐのも不可能である。
せめて根元の封印さえなければ。
根元の、封印さえ。
「……ん?」
それを意識した時、ケイトに奇妙な解放感が訪れる。
“セイクリッドツリー”の根にかかっていた圧迫、封印術式の感覚がいつの間にか消えていたのだ。
これはどうした事か、と怪訝な表情を浮かべるのと、
「【遠く昏きを厭わず灯せ 道の果てに燭台が待つ】」
聞こえないはずの詠唱が聞こえたのは同時だった。
「【其は闇を不要と断ずる聖の焔 立ち止まる闇よりもその先の景色を求めし者】」
「……!? なんで!?」
わけがわからない、とケイト以上に狼狽したのはピナルだ。
圧殺したと思っていた相手の声が聞こえるばかりでなく、叩きつけた武器の下から山吹色の燐光が散り始めている。
間違いなく、その光の中心で潰したはずのミアが生きていた。
何が起きているのかと呑気に考えたのが運の尽き。
「【何となれば手当たり次第に丸ごと焼いて暗がりを照らそう】」
一層強まる輝きに押し出されるようにして、捻じれた鋼鉄の槍が持ち上がる。
やはりと言おうか、そこには左手と右腕に装備した“イントレランスグローリー”で巨大な武器を押し上げるミアの姿があった。
ピナルからゴーレムへの魔力の伝導は間違いなく成立しており、ゴーレムの太い腕からは軋む音すら聴こえる。
だというのにたった一人の少女がその腕で振り下ろされた武器で潰されることなく、あまつさえ徐々に持ち上げているという事実が不条理に思えてならない。
「【ホーリーフレイム】!!」
更には第四魔術位階の詠唱を朗々と読み上げ光り輝く炎の矢を真上に撃ち出し、巨大な槍でもあり棍でもあったゴーレムの武器が中間部分を焼却された。
想定の範疇を大きく超える事態を前に、ピナルは思わずミアの方へ意識を集中させる。
そして、それを目にした。
「……な、に、そ、れ…………!」
尚も送る魔力を強めてゴーレムの武器を再構築しながら、それでも相手の姿を見た瞬間にピナルは初めて恐怖を覚える。
「何って、言われてもね」
結論から言えばミアは潰されてなどいなかったのだ。
のみならずその姿を大きく変化させていた。
先ほどから漏れていた山吹色の光は、彼女の頭髪と瞳から煌々と放たれている。
生体組織に大きな変化が生じたのではない。不慣れな魔術の使用に伴い、術式の枠組みに収まらなかった過剰分の魔力が体毛や水晶体から外部に漏れているだけだ。
まだ魔力操作が上手くいかず無駄も多いそれは、嘗て彼女の弱点を指摘した一人の男が使っていたもの。
第五魔術位階【メタルボディ】。
ゴーレムの武器に比べれば笑ってしまうくらい頼りない体に、圧倒的な防御力を付与する魔術であった。
「『詠唱しながら戦う』って前提に縛られて、無詠唱の魔術に手を出してこなかったツケがついこないだ回ってきたもんだからさ……こういう魔術も扱うようになったってだけよ。ま、先生ほど無駄なく完璧にはできないんだけどね」
「先生……? 何を言ってるの? それに、今更無詠唱魔術なんて……」
基礎知識が不充分な状態で無詠唱魔術を当然のように扱えてしまう客人などには勘違いされやすいが、詠唱を要さないことと詠唱する手間がないことは全くの別物だ。
例としては念動力魔術などがわかりやすい。魔術を使えるようになったばかりの頃の圭介は【テレキネシス】で石を一つ浮かせるのにも多大な集中力を要したし、【サイコキネシス】に至っては理論をすっ飛ばして感覚の中だけで物理演算を手探りしなければ会得できなかった。
ピナルの【ミキシングゴーレム】もグリモアーツ“レギオンローラー”との相性とは別に、彼女自身が持つ天性の情報処理能力に依存してスピーディに発動されているものだ。本来であれば術式の組み立てから始まり、大体の体積を計算した後、その予定に合わせて注ぎ込む魔力を調節してからやっと生成される。
即ち詠唱を要さないということは、想像力や集中力といった別方面での手間が生じるということでもある。
逆を言うなら、詠唱を要する魔術は口頭で定型文を読み上げさえすれば具体的なイメージなど必要ない。
そしてミアはしっかりとした性格ながらも、頭脳労働が不得手だった。詠唱魔術を行使しながら獣人としての身体能力を活かせるカサルティリオという格闘技は、そういう意味でも好都合だったのだ。
だが「詠唱しながらでも動けるのだから」と無詠唱で発動できる魔術の会得を意図せず避ける悪癖は、城壁防衛戦で“インディゴトゥレイト”に詠唱自体を封じられたあの日で終わった。
詠唱魔術を封じられ、獣人としての身体能力など何の役にも立たない状況でただ立っていただけの戦い。
ミア・ボウエンという少女にとって、それはいかなる辛酸苦汁をも上回る絶望だった。
「上手く騙せて良かったわ。あんたが死んだと勘違いしてくれてたおかげで、私は気付かれないように根っこの封印を解除できたしね」
「……!!」
その絶望を乗り越え、真正面からの戦い以外を戦術に取り込んだ。
結果として自分は生き残り、“セイクリッドツリー”の根元に施された封印術式は解けた。
つまり今のミアには強靭無比な肉体と安定した回復役を担う味方がついている。
対するピナルは封印術式という手札を晒してしまった上に、“セイクリッドツリー”でのジャミングという大きな弱点までもが先に実証されている状態だ。
戦局は大きく傾いた。
ミアとケイトの勝利へと。
「【あの日夢見た東雲の行き先 届くと信じた曙の向こう】」
ミアが次の詠唱を始める。
術の詳細は知らないまでも嫌な予感を覚えたと思しきピナルは、一度巨大ゴーレムを分裂させようと自身が乗っている肩を蹴るようにして踏み込む。
しかし真下の土くれ人形はうんともすんとも言わない。
「何でっ!?」
即座に回避したいこの状況で動かない足元のゴーレムを見て、彼女は早々に答えを得た。
地面から伸びる海老色の光を孕んだ木の根が、いつの間にか巨大ゴーレムの全身を覆うようにして絡みついている。
「お生憎様! 私だっているんだからね!」
見れば取り囲む通常のゴーレム達さえも制御下に置いているケイトが、強気な目をピナルに向けていた。
「ジャミング……っ!」
それはゴーレムを使う全ての者にとっての天敵となるだろう、最悪の術式干渉。
来るとわかっていれば早々に再封印するべきだったか、というとそうもいかない。
グリモアーツの一機能を封じるほどの封印ともなると、ピナルも同じグリモアーツを経由して術式を施さなければとてもじゃないが対処できないのだ。だからといって直接接近すると、近距離戦闘に秀でたミアの待ち伏せを喰らってしまう。
つまり今の位置関係でミアに封印術式を解除されたその瞬間、勝敗は決していたのだ。
「【空に遊ぶ群雲を乗り越えて その先に何があるのかを見たかった】」
「わ、うわわわわ!」
最早ここで勝負に食い下がっても意味がない。
元より戦いにプライドなど持っていないピナルは、遠慮なく巨大ゴーレムの肩から地面に向けて疾走する。“レギオンローラー”には磁場が発生している関係で落ちることなく表面を滑走できる。
「【現に沈む微睡みを置き去りに 果てへ 果てへ】」
ピナルの着地とミアの詠唱が終わったのはほぼ同時だった。
「【ロケッティア】」
途端に、ミアの全身から山吹色の光が迸る。
第四魔術位階【ロケッティア】。
その詳細を知っていればピナルは逃げても意味がないと悟っただろう。
何も知らず走るその背中に向けて、ミアの体が砲弾よろしく射出された。
「行っけえぇぇえ!!」
その体当たりと呼ぶには激し過ぎる突進は、直線経路を遮る巨大ゴーレムなど当たり前のように粉砕した。
背後の轟音に瞠目しながら振り返るピナルの前に、まだ勢いを残したミアが差し迫る。
「うわぁ!?」
突進でゴーレムを砕いた事への驚愕と第四魔術位階が自身に向かっているという恐怖、ミアから発せられる強力な輝きの眩しさで思わず悲鳴を漏らしてしまう。
それがこの戦いにおける、ピナルの最後の言葉となった。
「おりゃあ!」
「ッ――」
魔力の奔流を伴う全身全霊の一撃を受けたことで、声を出す余裕もないまま気絶してしまう。
そのまま吹き飛ばされた矮躯は、数回地面を跳ねてからぐったりと仰臥した。
「…………っふぃー。何とか勝てたね」
言いつつ倒れたピナルに近づき、完全に抵抗しない事を確認してからミアが【メタルボディ】を解除する。
「あー危なかった。そうだ、悪いけどケイトこの子根っこで縛っといてね。この履いてるローラースケートがグリモアーツみたいだし、念のため足も浮かせておこっか」
「うん、それはいいんだけど……回復しなくて大丈夫なの? さっき潰されてたよね」
あっけらかんと犯罪者の身柄確保にアイドルを協力させるミアに、ケイトが気遣わしげな声をかけた。
どれほど肉体を魔術で強化したとしても、個々人毎に限界はある。ミアの場合は若い女性であり体格も平均的、獣人という種族的な強みを考慮しても先ほどの巨大ゴーレムの攻撃は相当なダメージになったはずなのだ。
指摘されたミアも気まずそうな表情を浮かべたが、すぐに笑顔で返答する。
「ぶっちゃけ歩くのも辛いかなあ」
「やっぱ重傷じゃん! 待ってて、今すぐ回復するから」
「いや、別に死なないしこの程度なら後遺症も残らないから後にして。それに怪我より魔力切れの方がしんど……っ」
言葉の途中でミアの体が横に傾く。
咄嗟にそれを受け止めたケイトは、
「おんもい!」
「いや失礼だわ」
腕にかかる重みを受けて一緒に倒れそうになった。
まず先天的に筋肉の量が多い獣人の、更に鍛えている体である。そも筋肉は同じ体積の脂肪に重量で勝るため、ミアの体は同年代の中途半端な肥満体よりも重い。
加えて極度の疲労と魔力切れで力が抜けた体には緊張などない。故に体のバランスを維持する為の重心がずれて持ち上げる側にかかる負荷が大きくなってしまう。起きている赤ん坊と寝ている赤ん坊の重さが変わるのと原理は同じだ。
「こんなに疲れてたんだ……」
「そういうこと。つまり怪我してても無傷でも、どっちにしろ休まないと歩けないからさ……仕事の途中だけどごめん、しばらく寝させてもらうわ。もうゴーレムは心配しなくていいだろうし大丈夫でしょ多分。最悪空飛んでるのが変な動きしたらケースケ君が動くし」
「ああ、うん。こっちこそ巻き込んでこんな目に遭わせちゃって、ごめんね……」
フ、と微笑んだミアはそのまま目を閉じる。
二人の気絶した少女を“セイクリッドツリー”の根で持ち上げ、枝葉のベッドに寝かせると遠くからケイトにとっては聞き慣れた声が聞こえてきた。
ナディアを連れて戻ってきた[バンブーフラワー]の面々である。
「ケイトたん! よかった、なんかすっごい音したから皆で心配してたんだよ!」
「皆……ナディアもいるんだね。そっちこそ無事でよかった」
「遅れてすみませんでした。ナディアはこの通り連れ帰ってきましたからご安心を。……こちらは戦闘に勝利したようですね」
「うん。ミアちゃんが魔力切れで倒れちゃったから、今寝てる間に体力回復してるところだよ」
「そうですか……大変な思いをさせてしまったようで申し訳ありません。ただ、話したいこともあるとは思いますが今は避難を優先しましょう」
アガサが変異によって多少伸びた右腕を使い、枝葉からミアとピナルを下ろして両手で抱え込む。営業のみならず、力仕事も彼女の管轄だ。
そして彼女の言う通り、ナディアに対して色々と説教をしたい気持ちはあれどそれが最優先事項ではない事をケイトも弁えていた。
「そうだね、早く……って、あれ? ケースケさんはどうしたの?」
ふと姿の見えない男手を探して周囲を見回すケイトに、一同が気まずそうに沈黙する。
何があった、と問う前に答えたのは浮かない表情をしているナディアだった。
「……あの人なら、行っちゃったよ」
「へ? 行っちゃったって、どこに?」
意味がわからない、という様子のケイトにナディアが続けて答えようとする。
しかし、視界のありとあらゆる箇所からゴーレム達の残骸が浮き上がったことで、その疑問は解消された。
「うわっ、何今の……ってあれまさか」
空へと旅立つゴーレム達を追いかけて移動した視界の中、二人の人影が対峙していた。
一人は空中で静止する段ボール製コールホーフェンの上で。
もう一人は以前テレビで話題に挙げた、“アクチュアリティトレイター”に乗って。
「おらいい加減に自首しろアレだぞ、何かの残骸ぶつけっぞ!」
「嫌です……」
「いいから自首しろっつってんじゃん正直ずっと持ち上げてるの辛いんだよ!」
「そうですか。一生やってろ」
「……………………え、どゆこと」
圭介の所在はわかったもののまた新しい疑問が上乗せされて、ケイトは硬直してしまう。
その疑問にナディアすら何も答えられないまま黙っていると、
「あの男の子が犯人の一人だから、逮捕するみたいだよ」
心底気まずそうな顔が並ぶ中、クリスだけが一応は誠実に応答してくれた。結果として今度は「何故護衛の仕事を半ば放棄してテロリストを捕まえようとしているのか」という疑問が生じる。
しかしここまで質問に答えられる度に「なんで?」という言葉が思い浮かんでしまっているので、ケイトはそれ以上何も質問しないことにしたのであった。




