第十八話 鳩首も兼ねての小休止
空中の結界に触れない程度の低空飛行で移動する圭介達は、まだ爆撃もゴーレムの影響も受けずに済んでいる通りに来ていた。
周囲にはカートゥーン調にデフォルメされた建築物が散見される。どうやらお化け屋敷や土産物屋などの、それほど大掛かりな仕掛けを使わない施設を集中させた区画であるらしい。
いつまでも浮いたままだと魔力の消耗が激しいので、一旦降りてから辺りを見渡す。騎士団もここにはまだ来ていないようだった。
『空中の結界が高度を上昇させたようです。【マッピング】も使えないのならいっそ上から確認しますか?』
浮いている奴凧の姿が少し遠ざかったのを見ながらアズマが言う。
「それこそ相手に見つかるでしょ。ていうか騎士団の人にも見つかるからね。ぶっちゃけ僕としてはミア達が置いてけぼりにさえなってなければ追い出されても全然構わないんだけど後ろの人達がさ」
「いやいやいやこんな地獄みたいな場所にナディアたん一人残してらんないっしょ! ケースケ君ちょっと薄情じゃね!?」
「どうしよう薄情でもいいような気分になってきた。わがまま聞いた分だけ後で僕らの報酬に上乗せしてね」
「お、落ち着いて下さい……あ、そうだコレ。コレあげますから……一口サイズのレモンタルトです。ライブ前に食べると緊張が解れるので常備してるんですよ」
「ありがとう。その気持ちは有難く受け取るね。でもそんなもんで報酬の上乗せにはならないし、アイドルが着てる衣装の中から出てきたお菓子を食べる勇気なんて僕にはないんだ。恥ずかしいし汗ついてるみたいだし体温でちょっと溶けてるし」
「え、ええぇ……でも、小包に入ってるから、イケるかなって……」
「そら直で入ってたらどう考えてもアウトだわ! 小包入ってても気分的に嫌だわまあ若干甘い匂いして気にはなるけども! 君案外ボケ側の人だったんだな大人しかったから常識人だと思ってたのに!」
『衛生面を考慮するならこの焼き菓子は問題ないようです。ここは護衛任務を全うする為に糖分を摂取するべきでは?』
「尤もらしいこと言って人肌のレモンタルトを食わせようとしないでもらえるかな。結構意識するんだよこっちも年頃の男子高校生だから」
クリスの懐から出た生暖かい焼き菓子を口元にぐいぐいと押し付けられながら、圭介は密かに安堵しつつあった。
この場所も完全な安全地帯というわけではないだろうが、しばらくは休めるだろう。さっきから水分補給もしないまま炎天下の遊園地を炎に囲まれながら移動している関係で、自覚しているか怪しいが少女ら三人はかなり衰弱していた。
ドロシーとクリスはいつ脱水症状になってもおかしくはない。アガサはレプティリアンという種族の特性上、発汗自体が発生しない代わりにメンバーの中では一番最初に体調を崩すだろう。ともすれば脱水症状より危険な状態かもしれないのだ。
圭介は改めて三人に向き直った。
「あのさ、三人とも。ちょっと休んだ方がいいよ」
「え?」
「だってさっきから動きっぱなしだしさ。いくら仲間が心配とはいえ探しに来て倒れるのは後々気まずいでしょ。ここいらは今んところゴーレムが入ってきてないし、爆発もしてないみたいだから」
『その意見に賛同します。高温環境の中、水分不足の状態での運動は極めて危険です』
まず圭介の中に「ここで一旦休む」という選択肢が生まれたのは、移動城塞都市ダアトでの対ゴグマゴーグ戦における休憩時間を経験していたことが理由として挙げられる。
長期戦とまではいかなくともこの広い遊園地の中で人一人を探そうというのであれば、到底すぐに見つけるなど不可能に近い。空を飛んで俯瞰することもできないのなら時間をかけて歩くしかないし、そうなれば当然持久力が必要だ。
一日に人間が処理できる情報量は限られている。
焦っても成果を得られない状況では、頭を冷やす過程も用意しなければならなかった。
「私もケースケさんとアズマさんに賛成です。急がねばなりませんし急ぎたいところではありますが、ここで誰か一人でも倒れるような事態になれば全員の動きに支障をきたします」
アガサは圭介の提案に冷静且つ客観的な意見を持って賛同してくれた。この中では最も高温環境に弱いであろう彼女から肯定的な言葉を引き出せたのは、護衛を務める圭介としては有難い。
実質の二番手でもあるらしい彼女の説得を受けて、他二人も特に反論しようとはしていない様子である。
「ぶっちゃけ私も喉渇いてて限界……でもせっかくなら時間勿体ないし、ナディアたんが行きそうな場所を皆で考えてみようよ。上から探せないならその方がいいって、この辺テロの人もいなさそうだし」
「そ、そうだね……おっかない人が来る前にどこ行くかだけ決めよう、ね」
クリスが怯えた様子で空を見上げる。その視線の先には、相変わらず地上にフレアもどきをばら撒く段ボール製戦闘機の姿が見えた。
圭介にとっては玩具を用いた悪ふざけのような、ある種間抜けにすら見える光景である。しかし、霊符の存在が周知されていると同時に飛行機の存在が知られていない異世界なら、あの奇抜な存在も単純に未知と脅威の塊なのかもしれない。
「そもそもナディアが行きそうな場所ってどこかな。思い浮かぶのはゲーム関係くらいだけど、この遊園地にゲーセンってあったっけか」
「あったと思うけど流石にこんな状況で行く? それにここのゲーセンは不必要に料金が割高で損した気持ちになるからあんまよくないってナディアたん言ってたよ?」
「マジかよあのゲーマー変な方向にガチじゃん。素直に感心したよ僕」
「うーん、ナディアちゃんが行きそうな場所……そもそもどうして一人でこんな危険な場所に入っちゃったんだろ」
「どうしてってもそりゃ本人に訊かなきゃわからないけど……ここから先も手当たり次第になるのは勘弁だし、絶対に行かない場所からピックアップしようか」
『建設的な意見です。何か彼女が特別嫌っていたものはありますか?』
アズマの言葉を聞いた三人がそれぞれ唸りながら思案する。
「強いて言うなら勉強が嫌いではありましたが、それがどこまで手がかりになるか」
「ゲームが好きで勉強が嫌いとか子供みてぇだな……。でもそれならキャラクターの設定資料をまとめた博物館みたいな施設にはまず立ち寄らないと思うよ」
「あ、それ絶対ある。展示会とか全然興味ないもんナディアたん」
「加えて先ほどの話もありますし、ゲームセンターにもいないでしょうね。というより、この緊急事態の最中で遊びに行く可能性はゼロに等しいでしょう」
「ないと思うけど、ゲーセンの景品とかを爆発に巻き込まれないように保護してる可能性は?」
「それは……流石に」
自分でも「それはあり得ないだろう」と踏んだ圭介の発言は、案の定クリスにやんわりと否定された。
『知人友人を救助しに向かったという可能性はどうでしょう。個人の付き合いに皆さんを巻き込まず事を処理しようとした場合、今回のようなケースになるのではないでしょうか』
「おぉ……まさか機械からそんな人間的な発想が出るとは。やるなあ」
アズマの意見にドロシーが瞠目する。捉えようによっては失礼な発言だったが、アズマは『私は日々成長していますから』と得意げだ。奇妙な絆が生じつつある。
「でもそれなら身近にいる騎士の人にいないかどうか確認くらいするんじゃない? トイレ行ってそのままいなくなるってのは不自然だよね」
圭介の発言に一同は揃って黙り込んだ。
ほぼ全員が行き詰まり、これ以上の予想を無意味なものと捉えつつあったが故の沈黙。しかしどうやら一人だけ異なる考えに至った者がいたようである。
「あの、さ……。誰かに会いに行った、っていうのは間違いないんじゃないかな」
おずおずと意見を提示したのは相変わらず気弱そうなクリスである。控えめに挙手した右手には一度出してからしまい損ねたのか、先ほど圭介に食べさせようとしたレモンタルトがあった。
「それは、どうして?」
「だってあれ、ナディアちゃんがたまに言ってたオリガミっていう紙細工でしょ? それを見たせいで、もしかしたら……」
指差す先には空中に結界を展開している奴凧の群れ。
彼女の言い分を察した圭介であったが、素直にうんと言える内容ではない。
「……まあ、確かに折紙に対して随分と思い入れあったみたいだけど。まさか犯罪者相手に趣味が合いそうだからなんて理由ですっ飛んでいくわけもないでしょ」
たったそれだけの理由で一人危険地帯に飛び込むような真似を、果たしてナディアがするだろうか。圭介は訝しんだ。
「でもそれ以外に今考えられる可能性もないんじゃないかなあ」
「あるいは、逆なのかもしれませんね」
発想の転換を促したのは、顎に手をやるアガサである。
「ナディアがオリガミに拘りを見せる理由が、オリガミそのものではなくそれに関連する一個人であったとするならどうでしょう」
「それって……」
「例えばあの子が――誰かに強く執着していたとして、その相手がオリガミに関連している人物だとすれば。今回の場合、その相手はあの霊符を使っている爆発魔ということになりますが」
以前聞いたナディアのスキャンダル。
あれが真実なら話は繋がる、とアガサは言っているのだ。
「今回[プロージットタイム]を襲撃した犯人の内、ある程度顔や名前が判明しているのはあのゴーレム使いだけです。霊符使いに関する情報は未だわかっていませんよね」
「それはそうだけど、うーむ」
「じゃ、じゃあ! もしかしたらこの騒ぎを起こしたのが、ナディアたんの知り合いって可能性があるの!?」
仲間とテロリストが知らない場所で繋がっている可能性を示唆され、ドロシーが狼狽した様子を見せた。よく見ればクリスも顔面蒼白の状態となっており、呼吸もやや荒い。
犯罪者との繋がりがあれば彼女も騎士団に逮捕される可能性があるし、そうでなければ仲間でもない犯罪者に接近しつつあるということになる。
いずれにせよ回避したい事態であった。
「あくまでも可能性、だけど一番あり得る展開か……嫌だなあ。下手したら物理的にだけじゃなく社会的にも炎上案件だぞこりゃ」
「言ってる場合じゃないって! え、じゃあその人に会いに行ったかもしれないってことじゃん! しかもあのゴーレム使いの子、客人だったってことはその相手も客人かもしれないじゃん! ヤバいじゃん!」
「落ち着きなって、語尾が『じゃん』のキャラみたいになってるよ」
圭介としては確認できない以上なんとも言えない部分であっても、早急に確認しなければならない事項というわけでもない。
それより彼女を見つけ出して連れ帰ろうという意志の方が強かった。
ミアとケイトがまだ追いついていないということは、ピナルから逃げ切るどころか戦闘に入ってしまっている可能性が高い。相手からこちらに攻撃しようという意図が見えなかったので万が一は考えにくいが、何事においても絶対は無いのだ。
今回の依頼を達成する上で必要なのはナディアの所在であり、ナディアを納得させることではない。
しばらく異世界で過ごす内に、圭介の中で『クエストに対する姿勢』のようなものが構築されつつあった。
それが彼にとって望ましいことかどうかはまだ誰にもわからない。
(向こうが勝手に動くのならこっちも事情を汲み取る義理ないし、見つけ次第ふんじばって引きずり出すか)
やや暴力的手段も選択肢に含みながら圭介が今後の方針を決めていると、彼女達もある程度これからの動きを決めつつあるようだった。
「個人的な事情から特定の相手に会いに行った可能性が一つ。今日この[プロージットタイム]に来ていた知人友人が出入り口付近にいなかったから救助する為に突入した可能性が一つ。これは貴重品を預けた支配人も避難していたので考えにくいですが、何らかの忘れ物を取りに行った可能性が一つ。以上三点を中心としてナディアの行き先を特定しましょう」
想定し得る限りの可能性を列挙するアガサ。
「まず爆撃受けてる所は論外。消去法としてあっちに見える騎士団の人達が通り過ぎた場所にはナディアたんも霊符使いもいなさそうだよね。あとは……忘れ物の可能性も考慮するならライブ会場は候補に入るっちゃ入るかな?」
条件を設けて行くべき場所を絞り込むドロシー。
「でも会場の中からあんな大きなもの飛ばしながら操れないと思うから、霊符使いの人はそっちにいないんじゃないかな。安全優先で探すならここからも遠くないし、まずはそっち行ってみる?」
全員の安全を第一に案を出すクリス。
彼女達が圭介の想像以上に冷静な判断をしていることに、やや失礼ではあるが密かな驚きを覚えていた。
普段からクエストをこなしたりしている関係か、選択肢を取捨して尚且つ安全面を最優先するのは修羅場を乗り越えていてもまだ場数が不足している圭介以上と言えるだろう。
「じゃあコンサートホールが先か。一応敵がいる可能性も考えて行動しよう」
そう言って三人のアイドルを引率しながら、圭介はついさっきまでアイドルライブが開かれていた場所へと向かう。
瞬間、これまで断続していた爆発音など比較にならない程の轟音が響いた。
「!?」
何事かと音のした方角へ一同が視線を移す。
そこには観覧車があった。
ただし、彼らが知る観覧車とは異なる点がある。
「……おおぉぉぉぇぇえええ!?」
自走していたのだ。
支柱部分を横向きに浮かせて、回転部分をまるで車輪のように回転させながら。
つまり先ほどの轟音は、観覧車の支柱が地面から離脱する際のものであったらしい。
『豪快ですね』
「それ以外に言うことないのか! 何アレ、観覧車ってああいうアトラクションじゃないよね!?」
ひしゃげるゴンドラ、蹂躙される街灯に街路樹、砕け散ったゴーレムの破片。
持ち上げられているかのように空中で固定されている支柱部分には、一人分の人影が見える。
圭介はそれが誰なのか見えなかったが、他の面子は察したらしい。
「……あれ、ナディアたんだよね」
「だねぇ」
「ああ、騎士団の人も見ているのに……いや彼女なら【マッピング】でその位置を確認して避けていてもおかしくはありませんが……世間体が……」
その声を聞き取った圭介は眩暈と頭痛を覚えた。
どういった意図によるものかは見えないが、少なくとも後で騎士団に大目玉を喰らう理由がまた一つ増えたことに違いはない。
「前回のオアシスよりは安く済むかな……いや弁償するとして僕の責任じゃないとは思うけどさあ」
頭上から降ってきたアズマの『お疲れ様です』という慰めは、馬鹿げた音量の騒ぎに紛れながらもちゃんと聞こえた。




