第十三話 霊符使い
未だ指示と罵倒を繰り返し口走るユーインを無視して圭介が辿り着いたのは、橋の下にある壁をくり抜いて作られた横穴型の避難用スペースである。
中にいるミアは圭介の姿を見つけると手を振りながら[バンブーフラワー]のメンバーを指差すことで、自身と彼女らの無事を告げていた。
「お疲れー。この人は?」
「お疲れ。ここの警備を統括してる[エイベル警備保障]の所長さんだよ。なんか知らないけど無茶な指示ばっか飛ばしてるし腰傷めてるみたいだしで、とりあえずついでに運んできた」
「クソッ、こんな場所に来ている場合じゃないんだよ! 早く配置に……」
「【青い実を食べて暫し休め まだまだ仕事は終わっていないのだから】」
「……グガァ」
ミアが無表情のまま手をかざして呪文を唱えると、すぐにユーインは深い眠りに落ちてしまった。
どうやら睡眠を促す魔術を用いたらしい。
「ごめん、でも非常事態だからってことで見逃してもらえると嬉しいな」
「おぉう……。いや、今のは仕方ないよ。これ以上騒がれても迷惑だし、この人に付き合ってちんたらしてる暇もなさそうだし」
怪我を負った上に理解不能とはいえ何らかの理由で焦っていたところを、無理に寝かしつけられたことに同情しなかったわけでもない。だが、圭介にとって今は現状の把握が最優先だ。
まず自分が直接見てきた情報をミアに伝えることとした。
「とりあえず今の[プロージットタイム]の状況だけど、空中には折紙で出来た奴凧で結界が張られてる。多分上から園内に入るのと、上に逃げることを防ぐ役割があるんじゃないかな」
「オリガミ……? ヤッコ、ダコ?」
が、焦りからかここが異世界であることへの配慮が欠ける。ミアには折紙も奴凧も通じなかったようだ。
そして情報の伝達を手伝ったのは予想外の相手だった。
「あ、ヤッコダコ? はわからないけどオリガミなら知ってるよ。ナディアちゃんが普段つけてるアクセサリーみたいなのだよね?」
「う、うん。そうだね」
そういえば、と圭介はナディアの方を見た。模した装飾品を好んで身に着けている彼女であれば、折紙に関する知識も多少は知っているはずだと睨んだのである。
「ヤッコダコっていうのは実物を知らないからよくわからないけど、アレでしょ? 呪術に使う人形みたいな形に紙を折り畳んだやつでしょ?」
「まあそうなんだけれどもさあ! いやその認識でいいやこの際! とにかくそれが空に浮かびまくってて、このままじゃ飛ぶこともできないんだよ」
救助活動をする上で最も効率のいい空中での移動を制限されるという状況は、ビーレフェルト大陸でもかなり限られたシチュエーションであると同時に救助側からしてみれば厄介極まる難所でもある。
この要素一つで三次元的な挙動を許されなくなるばかりか遮蔽物で視界が遮られるのが痛い。地球では当然と言えるこの前提は、魔術が存在する世界において一種の難関となってしまうのだ。
とはいえ鬼門と呼ぶほどではない。地上での活動を制限されていなければ、いくらでもやりようはある。
「しっかし紙を使って結界を張るなんて、そんなことする人がこっちの世界にはいるんだねえ」
「あーそっか、ケースケ君霊符については知らないんだっけ」
「霊符?」
「うん。ほら合同クエストの時、第一王女様も気絶したエリカに回復用のを使ってあげてたの憶えてない?」
言われて思い出す。確かその時フィオナはハリセンで頭部を強打されたエリカに、淡く光る術式が浮かび上がった付箋を押し当てていた。
言葉の響きと折紙の結界に関連するという特徴から察するに紙を用いた魔術の系統なのだろう。つまり今回発生した爆発は事故ではなく、人為的な破壊工作であるということになる。
「霊符、か……陰陽師みたいだな」
「お、オンミョウ……? 今日は知らない言葉ばっか口に出すねケースケ君」
『客人の世界に存在する魔術のようなものだそうです。ただ、こちらの世界のように明確な効果はなく、あくまでも気休めのようなものだったとか』
困惑するミアにアズマが補足説明をする。随分と限定的な知識も授けられているものだと圭介は感心した。
地球、主に日本に伝わる霊符とは陰陽道で用いられる護符の事を指す言葉である。
札に書かれた言葉に応じて様々な効果を発揮するとされ、一般に親しまれているものでは神社仏閣で販売されている御守りに入れられた札がそれに該当する。
そんな言葉が折紙に向けて使われるというのであれば、恐らく紙の形状や材質と発揮される効果の間に大した因果関係はないのだろう。
「んで具体的に何するもんなの、こっちの世界での霊符っていうのは」
「簡単に言えば知識と技術次第で簡単に作れる魔道具の一種かな。適性を持たない人がグリモアーツの代用品として使うことが多いよ。攻撃手段を持たないしグリモアーツも武器の形じゃなかったりすると、これかもしくは錬金術のお世話になる現役騎士の人も少ないけどいるらしいね」
「へぇ。じゃあどんな魔術でも使えるってことじゃん。チートじゃん。ヤバいじゃん」
冷静に焦るという器用な真似をしている圭介を、ミアが宥める。
「理屈の上ではね。ただ、グリモアーツにも使われてるオリハルコンに術者の血を混ぜた上で溶かして術式を編み込まなきゃいけないから、一枚一枚が凄く割高なんだけど……ケースケ君の話通りだとしたらそのオリガミって紙、一枚につきいくら使ってんだろ……」
急に世知辛い話になったが、確かに金のかかるシステムなのだろう。となると今回の爆発を起こしている人物には相応の資金力があるということになってくる。
相手の姿は未だ見えずとも、警戒を怠るわけにはいかない。
「とにかく今はここに避難して、騎士団の到着を……あっ!?」
「どうしたのケースケ君」
「いや、その……この遊園地、騎士団来るかな? 来るとしていつになるか……」
「は? こんだけ騒ぎになってるんだからそりゃ来ないとまずい……ちょっと待って、ケースケ君何を知ってるのか正直に話して」
嫌な予感を感じ始めたらしく、耳をぴくぴくと動かすミアに圭介は気まずそうな面持ちで説明を始めた。
[エイベル警備保障]の“騎士団いらず”という理念について。
その理念によって悪質な取引が為されている可能性が高いこと。
そして先ほどまでのユーインの発言から、この[プロージットタイム]には何かが隠されているのではないかという憶測までを詳細に。
一通り聞き終えた時、ミアと[バンブーフラワー]の面々は渋い表情になってしまっていた。
沈黙に耐え切れず、圭介は今の話を聞いてげんなりしている中年男性に声をかける。恐らく彼女らを引率したのは彼だろう。ならばライブ会場を準備していたスタッフの一人、即ちその不透明な部分に関わっている人物である可能性が高い。
「……すみません、ここの遊園地ってそこんとこどうなんですか。騎士団、来ます?」
「申し訳ないが、いつになったら来るかについては私からは何とも……ただこちらの会場を予約した際、少ししつこいくらいにエイベルの宣伝をされたかな。『何か起きたらまず我々に連絡を』って。それでさっきから連絡入れてるんだけど、全然出なくて……もう騎士団に電話しちゃったよ」
「あ、はい。それで正解だと思います」
事務所常駐の警備員すら配置されていないのならば何の為の警備なのか。
何にせよ、少なくともこの男性はユーインのように[エイベル警備保障]のやり方に毒されていないようだった。
それなら騎士団の到着に関しては心配いらないと一瞬圭介の気が緩んだ瞬間。
先ほどまでとは比較にならない程の破砕音が、受付窓口の方角から断続的に轟いた。
「おわっ、何だ!?」
「キャアアアア――――ッ!!」
音と同時に激しく振動する避難用スペースに誰のものかもわからない少女の悲鳴が響き渡る。
揺れはしているものの流石はゲスト用の空間とでも言うべきか。壁も地面も罅一つ入らず、精々天井に電灯の明滅が少しばかり見受けられた程度だ。
また何かが爆発したのかと圭介がスペースから顔を出して受付窓口の方を確認しようとすると、とんでもない光景が広がっていた。
「……………………マジで?」
元はジェットコースターの車両だったのだろう黒く焦げ付いた太く長い物体が、今にもへし折れそうな街路樹に引っかかっている。
布で出来た外装を炎で彩られたメリーゴーランドの馬車が、骨組みを晒しながら離れた位置であるはずの公共トイレ前に落下している。
そして地上に人間の姿は見当たらず、周囲の物体を巻き込む形で作られていると思しき鎧騎士がそこかしこに跋扈していた。
嘗てそこにあったはずの楽しい遊園地は、最早どこにもない。
あるのはただ、破壊の痕跡だけである。
呆然とする圭介の視界上方に白い何かがチラリと姿を見せる。
気になってふと見上げると、そこには更に意味不明な存在が君臨していた。
奴凧による結界を無視して滑空しているのは、広げられた純白の双翼。
ただしそれは鳥でもなければアズマのような機械仕掛けでもない。
飛行機の形状を模したと思われる、巨大な段ボールの集合体であった。
薄く広く、そして決して羽ばたくことのない翼がパイロット席から見て左右にそれぞれ設けられ、前方にプロペラが備え付けられている。どこか古めかしいデザインのそれは地球での世界史においてオランダの航空機製造会社に開発された戦闘機、コールホーフェンFK58を意識したものと思われた。
機械的な両翼を携えたその造形は、まず飛行機というものが存在しないビーレフェルトで生み出されるものではない。戦闘機に関する知識などなくても、圭介は操縦者が排斥派ではなく客人であると察することができた。
ただ段ボール製の戦闘機が飛んでいるだけならオカルトの可能性もあったかもしれないが、その存在が人為的なものであると圭介が即座に断定した理由は一見してすぐにわかる。
段ボールで構成されたその白い戦闘機には、夥しい量の術式がまとわりついて丹色の輝きを放っていたのだ。
とりあえず陰陽師のイメージが強い霊符なるものが想定外の形で発展を遂げている件について、日本人の圭介が言いたいことはただ一つ。
「いくら霊符イコール紙だからって段ボールを素材に選ぶなよ!!」
「段ボール!? 何、ケースケ君今何を見たの!?」
そして重要なのはそれだけではなかった。
段ボール製戦闘機が通る際、付近に浮かぶ奴凧はまるで接近を恐れているかのように機体から離れて空中での移動を許している。やはり乗っているのが霊符を使う本人であるが故に影響を受けていないのだろう。
加えて音と振動が現在進行形で避難用スペースを揺らしている原因も、その天空を好き勝手に飛び回る何者かの攻撃であるとわかった。
機体底部からはフレアのような炎と煙を伴う光が、地表に向けて無数にばら撒かれている。着弾と同時に爆発を起こし、施設や地面に致命的なダメージを与え続けているのだ。
外観に準ずるのであればコールホーフェンFK58には機関銃以外の武装が搭載されていないはずなのだが、どうやら操る側にそこまでの拘りはないらしい。
「うっわ何アレ、見たこともない何かがわけのわからない攻撃してる……」
ふと隣りから声が聞こえたので見てみると、ミアも圭介と一緒にスペースから顔を出して外の様子を窺っていた。
「一応客人の世界にはあんな形の兵器があるんだよ。こっちにはまず飛行機っていうのが無いから知らないのも無理はないけど」
「と、とにかくこのままずっと暴れられてると流石に騎士団も助けに来られないよね。どうしたらいいかな――」
二人して一度奥に戻ろうとした、その瞬間。
「ぐべぇっ!!」
「うわっ、何事!?」
避難用スペース前に、上から落下してきたかのように全身傷だらけの男が転がり込んできた。
切り傷と青あざを中心としたそれらは致命傷ではないにせよ、著しい苦痛を男に与え続けているのだろう。先ほどの悲鳴は肉体が限界を迎えた合図か、口から泡を吹きながら白目を剥いている彼は既に気絶している。
同時にミアが焦った様子で上に視線を向けた。
橋の下に設計されたスペースの前に落ちてきた、ということは橋の上で何らかのトラブルが生じた可能性が極めて高い。加えて猫の獣人である彼女は、不穏な音が上から下へと降りてきていることを察知していた。
「まずいよケースケ君、とんでもない数の足音が近づいてきてる。この人には悪いけど一旦隠れて……ケースケ君?」
一方、圭介はというと【サイコキネシス】による索敵も忘れて息を呑んでいた。
倒れ込んできた男の姿は、青いユニフォームに筋骨隆々とした巨体。
今朝見たばかりなのだから間違えるはずもない。
彼は[エイベル警備保障]に属する警備員だ。
「なんでこんな……」
「うわっ、まだ人いたんだ!」
燃え盛る遊園地に怪我を負った男性が転がっている状況に対し、あまりに場違いな明るい声が圭介とミアの意識を移動させる。
「ちょっとー、ここは危ないよ! 爆弾が当たっちゃったらどうするの! 死んじゃうでしょ!?」
現れたのは圭介達とそう離れていない年頃だろう、一人の少女。
褐色の肌に鮮やかな黒髪のおさげが特徴的な彼女が圭介達に向けてきたのは敵意でも殺意でもなく、心配そうな声だった。
慌てたような声と共に避難用スペースに小走りで近づきつつある彼女の背後には、鉱物や金属を綯い交ぜにした鎧騎士の集団もぞろぞろと続いて来ている。
それらが持つ廃材の寄せ集めで構成された槍や剣、棍棒に鎚といった武装は男に危害を加えた赤い痕跡を残していた。
それらに少女が襲われていない、どころか引き従えているらしい事にほぼ確信めいた違和感を覚えて、ミアは背後にいる少女達と中年男性を庇うように前へと出る。
「それ以上こっちに近づかないで!」
「え、なんで!?」
「多分だけどこの爆発騒ぎに加担してる人でしょ!? この人にも酷いことしたみたいだし! 何者なの、あんた!!」
彼女の言葉を受けてようやくミアに警戒されているらしいことに気付いた少女は、きょとんとした顔で首を傾げた。どうにもこの状況で相手の素性を訊くという行為に理解を示せない様子である。
そしてぱぁっと眩しい笑顔を浮かべたと思うと、
「はい! 今日この遊園地でお仕事頑張ってます、ピナル・ギュルセルです! トルコ出身の客人で、好きな食べ物はパンケーキ、嫌いなのはセロリです! よかったらお友達になってくれると嬉しいです! よろしくお願いします!」
あまりにも唐突に、テロリストとしてあるまじきフレンドリーな自己紹介をかました。
「は?」
流石に予想外の反応だったのか、ミアの警戒心が意図せずして一瞬解ける。
「でもごめんね、ピナルこれからまだやること残ってるんだ! もうちょっとしたら終わると思うからお外に出て待っててね!」
「いや、ちょっ」
「そこのおじさんみたいに邪魔しなければ大丈夫だから! じゃあね!」
「待ちなさいってば!」
言うが早いか、ピナルは猛スピードでその場から離脱した。移動する時の様子を見る限り、足にはローラースケートを装着しているようだ。
それに伴い魔術で組まれたゴーレムの群れも、三々五々で散り散りに移動を始める。
「何なの……って、そうだ怪我人がいるんだった」
「それは大丈夫だよ」
声のする方へミアが振り返ると、圭介が念動力でこっそりと救出していた男性にケイトが回復魔術をかけていた。どうやら彼女の適性は治癒、成長促進といった系統らしい。
「元々死ぬような怪我じゃなかったらしいし、命に別状はないけど……あまり爆撃が続くようならここに留まるのも危険なのかな」
圭介の言葉に一同が不安げな表情を浮かべる。確かにこのスペースは横穴の形をしているせいで、崩落した場合は中にいる全員に死の危険が迫るのだ。
建設的な意見としてはここから出てすぐに受付まで迅速に移動し、[プロージットタイム]の敷地外に出ることが挙げられる。先ほどのピナルの発言が真実ならば、この遊園地の外にまで被害を拡大するという意図はなさそうだった。
「まあ、このままここにいてもいつ騎士団が来てくれるかなんてわからないし。今は外に出ることを優先しよう」
「うん、私も同意見。こっちの怪我してる人は抱えてくから、そこの所長さんはケースケ君が念動力で運んでね」
「わかった」
圭介もミアも言ってしまえばただの学生に過ぎない。およそ同年代相手とはいえ犯罪者との戦闘は極力避けて、安全な道を選ぶべきと判断した。
事実それが正解なのだろう。いくらか力をつけたとはいえ己が未熟を承知している彼らは、依頼でもある[バンブーフラワー]の護衛と人命救助を最優先した。
ただし未熟者が分相応を弁えて取った無難な行動が必ずしも正解になるかというと、案外そうでもないものだ。
せめて、
「…………もしかして、ヨーゼフ君が……」
せめてそんなナディアのか細い呟きを聞き逃さなければ、違う結果が待ち受けていたかもしれない。




