第十一話 杯が割れる音
「いちご味も美味しいね!」
「ふーん。よかったですね」
「でもヨーゼフ君いいの? いちごもバニラももらっちゃって」
「うるせぇな。僕は実生活が破綻するギリギリまでは他人に使う金を惜しまない男なんだよ。他人の為に金を使うのが大好きなんだよ。いいから黙って奢られてろ」
「どうして怒ってるのかわかんないけどありがとうね!」
昼食には些か早いくらいの時刻となった[プロージットタイム]の一画。
歪曲したベンチが円状に設置されている広場にヨーゼフとピナルが座っていた。
ヨーゼフは相変わらず長袖のシャツとスラックスという出で立ちで、少し暑そうにしている。
ピナルはというと桃色のブラウスに紺色のローライズで上下を揃え、蜜柑のバッジを付けたニット帽で頭を飾っていた。
あまり隣りに座る少女に話しかけられるのも鬱陶しいからと味の異なるチュロスを二本くれてやったヨーゼフは、食事に集中し始めた少女を横目に俯く。
相方の呑気さに落胆しているわけでもなければ、それと組まされた自分の不運に落ち込んでいるわけでもない。[プロージットタイム]を俯瞰した地図を広げて、書類の束に記載された情報をじっくりと読み込みながら確認しているのである。
書類には当該アトラクション施設が建設された経緯から建設される以前の土地に関する情報、運営する企業とその取締役員の名簿、更には株主の名前に至るまで様々な情報がびっしりと書かれていた。彼が前日に図書館で調べた内容との齟齬も見受けられない為、予定を大幅に変更する必要性もない。
その中の一つ、取締役会に属する一人の貴族の名前を見て静かに溜息を漏らす。
「最初からこれがお目当てだった、と考えることもできるか。多分本当にそうなんだろうなぁ。嫌だな……怖いな……」
「そんなに嫌なことって何かあったっけ? ピナルはとっても楽しいよ!」
「そりゃもう物凄く嫌ですよ。まずさっき出入り口でマスコットキャラとツーショットを半ば強引に撮らされたのが嫌だったし、人が多くて楽しげな声と賑やかな音楽で溢れてるというのも辛いポイントですよね。次に夏真っ盛りの快晴の中で歩き回されて苦痛でしたし、店が混んでて昼食はそのチュロスくらいしか用意できなかったのも悔しいところです」
「えー? ピナルは楽しいんだけどなぁ」
「うん、普通はそうなんだろうけどね……。貴女が楽しいと感じた物事を楽しいと思えない人もいるんですよ。そして何よりも辛いのはね、『他の人が楽しめる状況を自分は楽しめない』って改めて実感してしまう事なんですよ……こんなマイノリティでぼっち気質で非リア充なクソ野郎はもう社会的に淘汰されるしかないですよね……。死……世界…………人間…………」
「ヨーゼフ君のお話は相変わらずよくわかんないや」
「そう? わかってもらえない? そっか。まあ価値観は人それぞれだからね。仕方ないよね。何でわかってくれねえんだよ。ぶっ殺されてえのかよ」
「ご、ごめんなさい」
一見すると会話が成立しているように見えなくもないが、ヨーゼフはピナルの言葉を聞き流しながら状況に適した言葉を吐き出しているだけで意識は書類と時計に集中させている。
一応その書類は全て前日の夜に穴が開きそうなほど何度も読み返していた。しかし、それとほぼ変わらない頻度で宿泊先の部屋に孤独と退屈を嫌ったピナルが突入してきたせいで、内容を正しく記憶できているか不安が残っているのだ。
「あと五分もしたら僕は行っちゃいますんで、適当なタイミングでそちらも動いて下さいね」
「ん、わかったー」
本当にわかってくれているのかと不安も残るが、他に頼れる相手がいない以上は文句も言えない。
「でもここって警備員の人達が強いんでしょ? いくらヨーゼフ君でも仕事の邪魔されない?」
「そういうのこういう場所で大きな声で言うんじゃねえよ……一応それを防ぐ為に貴女と組んでいるんですけどね」
「そうだっけ? あれ? ピナル今日は『適当にばら撒いてればいい』としか言われてないんだけど……」
「別に同時にできるでしょ貴女なら。それにあちらはもう始まっているでしょうし、少なくとも僕らの仕事に関して妨害の心配はいらないんじゃないですかね」
「そっか。じゃあ予定通りにやればいいんだ」
彼らの仕事は現在半分まで達成していると言える。残り半分をこれからの動きで埋めなければならないのだが、それも難しい内容ではなかった。
いかに[エイベル警備保障]の警備員が強者揃いであろうと、そこに東郷圭介という戦力が加わろうとやるべきことは変わらない。そしてそれらの使命は特段戦闘を要するものでもないので、終わってしまえば後は逃げるだけだ。
尤も、その逃走こそが難しい部分でもあるのだが。
「でももっと遊びたかったなあ。ピナル、こういう所で遊んだの初めてだったから。ちょっと勿体ないね」
「……別に遊園地なんて他にもあるでしょ。遊びに行くなら休みの日にでも行ってくればいいじゃないですか」
「じゃあヨーゼフ君も一緒に行こっ!」
「うん、考えておくわ!」
元気に玉虫色の返答をしながら、腕時計をちらりと見る。
そろそろ予定の時刻が迫りつつあった。
「よし、とりあえず行ってくるんで後は流れで」
「はーい! 頑張ってね!」
どこか気の抜けるエールを受け取りつつ、ヨーゼフは移動を開始した。
これから彼がするべきことを思えば、警邏中の警備員や一般人による通報こそ警戒すべきではあった。しかしとある事情によって、現状この施設内においては監視カメラや危険物検索術式の類が一切機能していない。
否、正しくはそれらを扱う人材が使い物にならなくなっていると言うべきか。
(この世界で人としての道を踏み外した以上、真っ当に死ぬことなんて不可能だ。死んでくれてよかったとまで言うのは流石に可哀想だけど)
しばらく歩いている内に、[プロージットタイム]の南北を繋げる赤い橋に辿り着く。
橋から眺める景色の良さから中間地点で写真を撮る集団も珍しくない。騒がしい集団から少し離れた位置でヨーゼフは一度立ち止まり、橋の下を見つめる。
下には景観をより良く映すという役割を担う川が存在していたが、それはあくまでも追加要素でしかない。多くの人々にとってロケーションの上で重要となるのはその奥にある建造物なのだ。
然るに川の中から顔を出す魚に逐一気を配るのは精々好奇心旺盛な子供くらいであり、その興味も長くは維持されない。
――仕掛けを施すには絶好の場所と言えた。
(よし、目的のポイントにはちゃんと設置できてるな)
鏡のように景色を映し出すという演出の関係で敢えて染料で汚された水から、ほんの一瞬だけ魚らしき影が姿を見せる。
あまりにも素早く水面の奥底に隠れたせいで他の者には見えなかっただろうが、それは決して魚などではない。
黒く節くれだって角ばった、魚の形状を模しただけの粗雑な贋造。
紙で構成されたそれには、丹色の光を鈍く放つ防水の術式が薄らと浮かんでいた。
* * * * * *
コンサートホール中に色とりどりの輝かしい照明が駆け巡り、少女らの歌声が響き渡る。
舞台上で躍動するのは[バンブーフラワー]の五人であり、観客もその動きに合わせて一切無駄のない振付を繰り返していた。
その様子を舞台袖で見ていたミアは、彼女らの動きはもちろんファンと呼ばれる者達の一体感にも瞠目する。
猫の獣人である彼女の耳には余りにもうるさいので防音用のイヤホンをつけているが、それでも聴こえてくるのは軽やかなポップスに加えてズレのない掛け声だ。となると大人数で示し合わせもせずに呼吸と声量を均質化していることになるのだが、そんな奇跡めいた現象をこのような場所で目の当たりにするとは思ってもいなかった。
(普段運動とかしてない人の方が多いはずだよね……?)
だというのにサイリウムを振り回す腕、体を傾ける腰、全身の動きを統率させる脚部に至るまで全員が全く同じ動きを同じ速度でしている。
元来、四肢というものはただ素早く動かすだけなら多少の差異はあれど案外誰にでもできるものだ。逆に速度を抑えながらも確実に求められた通りの動作を再現するとなると、体勢や動かす方向にもよるが基本的には筋肉に負荷が生じて体力の消耗が激しくなる。
即ち頻繁に緩急を切り替える動きをする場合、彼らが背負う疲労の度合いは見かけ以上に重いものとなるはずなのだ。
それを種族も体型もてんでバラバラな集団が、両腕両脚どころか訓練次第で大幅に差が生じるはずの腰の動きまで機械的に再現し続けている。
魔術による身体強化の可能性はない。万が一に備えて来場者は一時的に自身のグリモアーツをホール受付で係員に預けているはずなのだから。
即ち彼らの動きを実現しているのは完全に自前の身体機能と意志の力のみ。
支援系統の魔術と格闘技術に秀でているミアだからこそ、身体と精神の神秘とも言えるその異常性に驚愕を隠せない。
(オタクってこういうとこ意味わかんないな)
しかし、防犯という観点から見るとこの狂気めいた集団行動もなかなかに効率的と言える。
何せ全員が完全に同じ動きをしているから、誰か一人でも舞台上に危害を加えるような動きを見せれば極端に目立ってしまうのだ。そうなればミアが手を出すより速く周囲のファン達による制裁が待ち受けているだろう。
増してミアの所持する魔道具、バベッジには現在第四魔術位階に相当する【パーマネントペタル】の術式が装填されている。観客席全てから魔力弾を一斉掃射されても[バンブーフラワー]のメンバーには傷一つ負わせずに護り切れる自負があった。
(もうあの時みたいに、突っ立ってるだけで終わる私じゃない)
ミアの胸中に悔悟と覚悟が同時に生じる。
起因となったのはつい最近、圭介が来てから間もないくらいの時期に参戦した城壁防衛戦だった。
カサルティリオがあれば詠唱を妨害されることはないという慢心が、“インディゴトゥレイト”を前にしてのあの無様に繋がったである。結果的に魔術を行使する上で詠唱を要さないコリンとエリカが状況を打破してくれたからよかったものの、場合によってはあの場で死んでいた可能性もあったのだ。
フィオナに他意はないのだろうが、最初にバベッジを受け取った時には「詠唱を封じられれば何もできないと思われている」という被害妄想が一瞬脳裏を過ぎりさえした。
今はもう立ち直ることに成功し、バベッジの性能に甘えないよう無詠唱の魔術もいくつか会得している。
これまで仕事を済ませてきた遠方訪問の現場は育児に介護と、いずれも支援に関連する場所ばかりだった。それを退屈だったとは言わないが、このアイドルライブにおける護衛が彼女の防御力を発揮できる唯一の訪問先であるのもまた事実。
重ねた努力が報われるとするのなら、ここしかあるまい。
(ってもこんだけセキュリティがしっかりしてるんだったら、私の出番はないかもね。……そもそも悪い人いなさそうだし)
そんな、自分の能力を発揮する場面に巡り合えたかと思えばこの浮かれたライブ会場である。
このまま何も起きずにライブが終われば、遠方訪問に向けて覚えた魔術は終始使われないままだろう。
だが、それでもよかった。
護る事に特化した彼女の出番がないということは、決して悪いことではないのだから。
(とりあえずライブが始まって一時間も経ってないんだし、油断は禁物だね。あと十分も経てばトークコーナーに入るから、スタッフさんとカンペ用パネルの最終確認でもするかな)
背後で彼女と同じく[バンブーフラワー]を見守る男達に声をかけようとした、その刹那。
コンサートホールを外から蹴飛ばしたような、強い地響きが彼ら全員に襲いかかった。
「――!?」
それを受けたミアはまず真っ先に、バベッジに装填していた【パーマネントペタル】でホールの天井を覆った。
当然この建物にも耐震設計が為されてはいるが、照明器具などのメンテナンスも絶対の保障となるものではない。落下物による怪我人の発生を防ぐのが最優先事項と見ての判断である。
幸いにも舞台上にいる[バンブーフラワー]と観客、いずれも怪我人はいないようだった。
しかし突然の衝撃に対応しきれなかったのだろう。困惑した様子で周囲、そして天井を覆う山吹色の花弁を見つめている。
何が起きたのか、と全員が共通する疑問を抱いたところに舞台袖から飛び出したスーツ姿の中年男性が慌てた様子で声を張り上げた。
「皆様、聞いて下さい! 先ほど[プロージットタイム]内のアトラクション複数ヵ所にて、同時多発的に原因不明の爆発が起きました! 現在当施設はご来客頂いた方々の避難誘導を始めておりますので、申し訳ありませんがライブはこれにて中止とさせていただきます! 今はどうか係員に従って避難を始めて下さい!」
唐突な男の声に一瞬の静寂が舞い降りたが、続けて背後の出入り口ドアが開いて退場を促されるに連れて観客達も現実感を取り戻したようだった。
「えー、マジかよ……せっかく始まったばかりだったのに」
「でもバンブラが巻き込まれるのは嫌だしなあ」
「まあ限定グッズは先にもらってるし、仕方ないって」
意外にも観客席は大きな混乱も見せず素直に避難誘導に従って動き出す。
同時多発的な爆発という不穏な事態を受けて、彼らの中には「このままでは[バンブーフラワー]が巻き込まれるのではないか」という懸念が生じていたようだ。そうなれば責任を追及したりライブの終わりを惜しんだりする事こそ不本意な結果に繋がりかねない。
ある種献身的とも言える大衆心理とそれが織り成す無駄のないスマートな集団移動を目にして、再度ミアの中でアイドルの追っかけなる人種への偏見が深まったりもしたがそれはそれである。
流石に善良なファンに対して不誠実な結果となってしまったという負い目もあったのか、ケイトが焦りながらマイクで観客達に声をかけた。
「皆さーん! 今日はこんな形でお別れすることになってしまってすみませんでした! また別の機会にお会いしましょう! 今は、ご自身の安全を優先して下さいねー!」
声をかけられて観客達も気を良くしたのか、
「おー! また来るよー!」
「そっちも気を付けて帰ってねー!」
「スタッフの皆さんも無理しないでくれよ!」
危険な状況に見合わない和気藹々としたやり取りを経て、数分の内に観客席はがらんどうになってしまった。
「……凄いね。アイドルオタクって下手な騎士団よりも統率執れてるんじゃないの」
「あ、ミアさん。お疲れ様です」
「バンブラの皆さんと学生さんも、こちらへ!」
【パーマネントペタル】を解除して舞台上に出たミアにアガサが声をかけるが、今は会話する時間も惜しい。
先ほど避難を促した男性が六人を外に出るよう促し、全員がそれに大人しく従った。
コンサートホール裏手に繋がるドアから出て、[プロージットタイム]の関係者用に用意された緊急脱出用通路を通りながらミアは圭介の安否について考えていた。
(ケースケ君、外の警邏してるって話だったけど大丈夫なのかな……)
何が原因での爆発なのかは判然としないが、施設内で歩き回っているのはつい先日まで命を狙われていた少年である。どうしても今回の不穏な出来事と嘗て彼を狙っていた排斥派の少年の姿を結び付けようとしてしまっていた。
(ううん、排斥派だけじゃない。爆発っていうなら、あの変態の可能性だってある)
コリン曰くやたらと発明品を自爆させる事に拘っていたらしい謎のテロリスト、マティアス・カルリエ。
もしもあの客人が再度動き始めているのだとしたら、極めて厄介な事態と言えるだろう。機械仕掛けの兵団を相手に、不祥事続きの警備保障会社がどこまで戦えるものかという不安もある。
いずれにせよ今回の仕事はアイドルを護る、ただそれだけと言えばそれだけだ。
圭介との合流を後回しにして、ミアは今現在目の前にいる彼女らの護衛に集中することにした。




