第十話 本番間近
遠方訪問最終日。
賑やかという題名の絵画が如く、[プロージットタイム]の入場受付は人の波でごった返していた。
この日は夢幻の日という、地球で言うところの日曜日に該当する日だ。親子連れや若いカップル、友人同士のグループなど様々な人という人が入場用のチケットと入場者識別用の腕輪を交換して中へと入っていく。
ドワーフに魔族の一種らしき一角鬼、エルフやクラインといった多種多様な種族がひしめき合っているその様子を見て、圭介は「ここに来たばかりの自分が見たら卒倒しそうな光景だなあ」などと呑気な感想を抱いていた。
現在彼がいる場所は立ち並ぶアトラクション同士の狭間。一時的なスタッフとしてのバッジをつけながらユーインと一緒に歩きつつ、今回担当すべき持ち場の説明を受けている最中である。
「ここまでが君の巡回できる範囲。広いけどデカいモンスター倒せるくらいなら大丈夫だよね?」
超大型モンスターを討伐した事実と広範囲の警邏との間に因果関係が見出せないが、とりあえず圭介は「はい」とだけ答えた。
「こっちの仕事もあるから邪魔しないようにね。ちょっとは警備に適した魔術も使えるみたいだけど、やっぱそこは学生と社会人とで意識も違うだろうし」
決めつけるような物言いに引っかかりはあれど、ユーインの言う通り確かに【サイコキネシス】による索敵網は今回の仕事にお誂え向きと言えよう。怪しい挙動を視界の外であっても確実に捉え、魔力の密度を増すことで拘束力も見込める非常に優秀な魔術だ。
寧ろ人の往来が激しい遊園地で行われる大人気アイドルのライブなど、そうそう危険な事件に発展しないだろうと圭介は踏んでいた。
単純な仕事の内容だけを見ると、実は今回の遠方訪問はこれまでの現場よりも楽な方なのかもしれないと油断さえしてしまう始末である。
「あと最後にもう一度確認するけどさ。変質者や不審者を見つけたりだとか、そういう事態になったらまず俺に連絡を入れること。そして指示を出されるまで何もしないこと、出されたらそれに従って動くこと。いいね?」
「は、はい」
それでも彼の中に渦巻く不安は拭いきれない。
その要因の最たるところが、[エイベル警備保障]の抱える“騎士団いらず”という概念だ。
今のユーインの発言も、暗に「例え非常時であっても騎士団に通報など絶対するな」という意味が込められている。
後ろめたい何かがありそうではあるものの追及するには大義名分が必要であり、その為の決定打は現状見当たらない。
否、前提としてそんな大義名分など見つける必要はないのだ。
そもそも圭介の仕事は『[バンブーフラワー]のライブにおける警備兼雑用』である。
雑用、と呼ばれる部分に関しては飲み物や小道具の準備に終始するらしいので、ライブ本番も近いこのタイミングとなればそれも内部で動き回るミア一人の領分となるだろう。
つまり今回の業務において圭介は会場周辺の警備に集中する形となるが、何をするにせよ警備会社の暗部を暴いたとしても今回のクエストには一切の貢献を生まない。
逆に警備会社を経由して契約主である遊園地側の信用が下がればライブそのもののイメージダウンにも繋がるので、いかに歯痒い状況であろうと依頼を受けた立場として迂闊に行動するわけにはいかないのだ。
ユーインが去り、圭介はひとまずの平穏を取り戻した。
何だかんだと言ってもやることは見回りだけのみ。休憩時間に限っては一度事務所に戻るよう言われているのでその時だけ気分を害する可能性があったものの、業務内容に関してはこれまでのクエストの中でも楽な部類と言えた。
圭介が警邏を任されたのはライブ会場であるコンサートホールの外周と、そこから少し歩いた場所にある休憩スペース。一周するのに一時間も要さないので同じ光景がぐるぐると続く退屈な仕事だ。
ダアトにいた頃から継続しているジョギングの成果か、長時間の歩行による疲労の心配はいらなかった。更に【サイコキネシス】による索敵網の展開によって実際には任された範囲以上の面積を知覚できる。
(あの痛かったり難しかったりした修行の日々が早くも活きたなあ)
念動力魔術の汎用性が高いという要素もあれど、確かに【テレキネシス】しか使えなかった頃の圭介であればここまでの安心は生まれなかっただろう。特にダグラスの襲撃を受けてからはいつ寝首をかかれるか気が気でなかったのだから、こんなにも冷静な精神状態で周囲を見渡すということもできたかどうか怪しい。
皮肉にも戦いを好まない彼は、戦闘能力を向上させることによってようやく安寧を得たと言えた。
ただし、その安寧も生命の危機に対する準備に過ぎない。
「あ、もしかしてトーゴー・ケースケさんですか!?」
「うげっ!」
知らない声に名前を呼ばれて、圭介は思わずびくりとしてしまう。索敵網の中から突如自分に向き直った人物からの不意打ちじみた呼びかけだったので、心の準備も不十分なままだ。
振り返ると軽薄そうな装いに身を包んだ若い男女のグループが、期待の眼差しを携えて圭介を見つめる姿があった。
「あ、はい。何のご用でしょう……?」
嫌な予感を覚えつつ、愛想笑いを浮かべて応対する。
「うわーすっげぇ本物だ! ちょっと一緒に写真撮りません!?」
「しゃ、写真ですか? すみません今仕事中なんで。終わってからなら、まあ」
「マジすか!? お仕事何時に終わる予定っすか!?」
「えっ、えーと契約上片付けとかも手伝わなきゃなんで……夕方十七時半くらいには解散する予定ですけど。あの、仕事戻っていいですかね」
「了解でーす! じゃあまた出入り口で待ってますんで! おーい皆、ケースケさんのお仕事十七時半くらいには終わるってさ!」
「うっしゃ俺オトンとオカンにメールして自慢するわ!」
「俺も後で彼女に写真送るわー!」
「……………………ども」
明るい声での気軽な応酬に眩暈すら感じるが、流石に仕事中だ。適当に会釈しながら青年達と別れると、頭部にずしりと重みが加わる。
それが空から頭上に降りてきたアズマであると、これまでの慣れでわかった。
『この短期間にしては異様なまでに知名度が高いですね。そこまでカリスマ性を有しているようには思えませんが』
「……おかえり。まあ王族と移動城塞都市に同時にプッシュされてるらしいし、僕らの認識以上にプロパガンダが進んでるんじゃないの」
望まない形で民衆に顔を知られて憮然とした態度になりながらも、警邏の仕事はしっかりとこなす。というより、ただ警戒しながら歩くだけなので自分の領分を理解した上で気疲れと足の疲れを耐えれば大した仕事ではない。
ただ夏の日差しを絶え間なく浴び続けるのと、ちょくちょく無許可で写真を撮ろうとする輩がいることだけが苦痛と言えば苦痛だった。
「ライブに直接関わることもないし、あんまりアイドルライブの手伝いって実感は湧かないなあ」
『マスターが想像していたアイドルライブでの業務とはどのようなものだったのですか?』
「裏方の仕事っつったら水分補給用の飲み物の用意したり、後は……特に思い浮かばないや」
『飲み物の準備だけで報酬を得るつもりだったと』
「その言い方だと語弊生じるからやめてよ。あ、それともう一つ」
『何でしょう』
圭介は周囲をキョロキョロと見渡してからアズマに問う。
「空飛んでる時に何か違和感とかなかった? こう、ムズムズするとか変な音が聴こえるとか」
『私の触覚は生命体のそれと比較して鈍いので前者に関しては何とも。後者についても特に気になる音はありませんでしたが』
「そっか。いやね、人が多いせいか知らないけどさっきから【サイコキネシス】の様子がおかしいんだよね。変な振動を感じ取ってるみたいでさ」
それは本当に微細ながらも確かに存在する、痒みにも類似した感覚。
索敵網として広げた【サイコキネシス】が外的要因によって揺れ動いているという未知の体験に、圭介は少し戸惑いを覚えていた。
最初にその感覚を得たのは[プロージットタイム]の最寄駅、ロプノール中央広場を降りた辺りからだ。
駅のホームに降りて少し歩いただけでも奇妙な揺れが微細ながらも感じ取れた。それは遊園地の敷地に近づくほどに少しずつ強まり、完全に敷地内に入った今ではほとんど虫刺されのそれに近い感触となっている。
「まあ、人の多い場所で【サイコキネシス】使えばどこでもこんなもんなのかもしれないね」
『何かしら結論を出すにはサンプルが不足しているかと思われます』
「確かに。……とにかく今は見回りを続けようか。なんでか知らないけど警備員の人達全員めっちゃゴツくて怖そうな人達だったし、怒られたくないや」
アズマとの雑談を交わしつつも周囲警戒は怠らず、半ば神経質なまでに【サイコキネシス】の密度を強める。
ライブ開始一時間前。特にこれといって目立つ問題はなかった。
* * * * * *
「ホントすみませんでした……今後ああいった思慮に欠けた行動は控えさせて頂きます……」
「頼むよ全く。私らはともかく、ケースケ君は何でか元々第一王女様に目をつけられてるんだから」
[バンブーフラワー]の控室では、ケイトがミアから説教を受けていた。先の番組での軽率な発言を咎められてのものなので、他のメンバーも仲間に同情を向けつつ擁護はしない。
「さて、あんまり責めるのもよくないからここまでにしとこっか。水分補給はトーク中に各自こっそり済ませること。今から飲んでも途中でトイレ行くタイミングないからね、自分から離れた席に座ってる子が喋ってる間に迅速に済ませるんだよ」
「「「「「はーい」」」」」
何故かリーダーのケイトを差し置いてミアがグループを統率するような形になってしまっていたが、実のところ彼女の仕事は現時点である程度終わってしまっていたのだ。
元より癖の強いパーティで他のメンバーをフォローしてきた経験がある。加えてこれまでの遠方訪問先が孤児院と老人介護施設という、他人を支える為の現場だったことも後方支援能力の向上に役立っていた。
準備すべき事柄を粗方済ませた彼女に残された業務は舞台袖での警護ただ一つ。それに備えてミアは左手に分厚い革のグローブを装着する。
それぞれ指の付け根部分から先が存在せず、全ての指が露出するデザイン。手の甲には小さな金属板、手首には同じ材質らしき金属のリングがつけられていた。
「おやぁミアたん、何そのダサかっこいいデザインの手袋」
「ダサいってあんた、一応これ第一王女様から賜ったものだからな」
ドロシーが「ほへー」と間抜けな息を漏らす。その視線に興味の色を見出したミアは、ひとまず説明してやる事にした。
「バベッジっていう、予め術式を組み込むことで詠唱せずに魔術を使えるようにする魔道具だよ。容量に限界があるから第四魔術位階一つくらいが精々だけど」
「へぇー……ん? お、王女様から? 何したのミアたん」
かなり遅れてフィオナの存在を感じ取ったらしい反応に呆れながら、ミアとしても少し説明が難しい経緯である。
「あの、ちょっと……金属製の蟹とか、巨大ロボットと戦ったりしてた……」
「本当に何してるのミアたん!?」
「もしかしてそれ、先日の城壁防衛戦の……」
アガサの一言は、彼女らが先日乗り切った城壁での死闘が広く認知されている事を示していた。
有名になるつもりなど無かったミアは、圭介の悩みに若干の理解を得ながらも恥ずかしげに顔を逸らす。
「まあ私のことはいいじゃん。とにかく皆は最後にざっとライブの流れの確認だけしといてよ。私はこの後ミニゲーム用の小道具も用意しなきゃいけないから」
「はーい。でもさっきこっそり見てきたんだけどさ、今日はお客さん集まってよかったねえ」
「そうだね。正直場所が場所とはいえチケット代は普段より高めだし、夏休みも近いこの半端な時期にそこそこお金出してくれるファンの人がそんなにいるとは思わなかったな」
「ねー。他の遊園地でもここまで値上がりしなかったよね」
そんなケイトとナディアの雑談が、ミアに僅かな違和感を抱かせた。
彼女も特別アイドルに詳しいわけではないが、これまでにも[バンブーフラワー]がアガルタ王国の各所でライブを開いてきたことを一般常識の範疇として知っている。
その中には[プロージットタイム]に決して劣らない有名なレジャースポットや観光名所なども存在しており、今回のチケット代がそれらと比較しても特別割高になるというのは妙な話ではあった。
しかし疑問符は浮かんでも早急に調べるような内容でもない。それ以前に今は目前の仕事があるのだ。
(ま、あんまり深く考えてもしょうがない部分ではあるか。今やるべきことに集中しよう)
少なくともその値段でチケットを買った客が席を埋め尽くすくらいには人気を有するアイドルグループである。支える立場にあるならばベストを尽くさねばなるまい。
「じゃ、ライブ頑張ってね。私は舞台袖で見守ってるから」
控室から出たミアは、うんっと背伸びをしながらライブ会場であるコンサートホールの通路を進む。
今、彼女の胸中には漠然とした不安が渦巻いていた。
不祥事が多いことで知られる[エイベル警備保障]。
何故かチケット代を高額に設定する[プロージットタイム]。
ライブも間近というタイミングで流布された、ナディアのスクープ。
一つ一つは取るに足らない要素だが、それも重なると「本当に偶然重なっただけなのか」という疑念が生じる。
(無事に終わればいいけどね……)
特段アイドルのファンになったつもりなどなく、ただ彼女らと親しくなった一人の友人として願うばかりであった。




