第九話 どこへ行っても変わらないもの
最後の遠方訪問が始まって三日目。
せっかくの休みなのだから、と圭介は図書館に足を運んで元の世界に帰還する方法を模索し続けていた。
しかし二時間に及ぶ悪戦苦闘の末、得られたのは苦々しい結論のみ。
(……まあ、薄々知ってたけどね)
案の定と言うべきか、目ぼしい情報はほとんど見つからない。精々がモンタギューに紹介してもらった過去の帰還と思しき事例のみである。
他にもそれらしき話は散見されたが、やはり専門家である彼の慧眼は確かなものだったようでどれも以前調べたものと比べると論拠に乏しい。
(やっぱ素人がちょっと頑張ったってどうなるものでもないなこういうの。すげー嫌だけど形振り構わずあのお姫様に頭下げて、国が抱えてる極秘情報とか探らせてもらえたりしないかな……ていうかそれくらいしろとさえ思うわ勝手に僕の顔と名前を全国放送しやがってからに。事情があるとはいえさあ)
眉間に皺が寄るのを自覚しながら次の資料を手に取る。
それはオカルト専門雑誌の一つであり、モンタギューからも太鼓判を頂いている信頼性の高い記事をまとめた月刊誌だ。
(えー、何々……『客人の来訪時に発生する大気中の魔気濃度変動現象』。無駄に小難しいタイトルつけやがってこんにゃろう)
しかしレイチェルによって叩き込まれたこの世界での基礎知識とモンタギューとの雑談によって、何を示すタイトルなのかは凡そ判断できた。
この世界の大気には酸素や窒素の他に、目視こそ出来ないものの確かに存在する魔気という気体が存在している。
主に魔術を使用する際に消費される魔力の元となる成分だが、これの大気中濃度が客人の来訪時に微細な変化を見せるらしい。
これまでの異世界生活で当然の如く出てきた言葉も、いくらかはこれまで嗜んできたサブカルチャー文化の知識を参照してある程度推察できた。しかしここまで専門の領域に踏み込むと、魔術そのものへの根本的な理解が必要となる。
簡単な概要はレイチェルから聞いていたものの未だ理解したとは言えない段階だ。せっかくの休日なので「そも、マナとは何ぞや」と専門書を紐解いてみたところ、色々と判明する点もあった。
まずマナとは、そもそも物質と呼べるかどうかも怪しい未知なる存在である。
自然界においては重力や気圧からの干渉を受けず、世界中に充満し循環し続ける存在。
ただ特定の場所、とりわけ地中にのみ蓄積するという性質を有するらしい。これはルンディアで教わったマナタイトのことだろうと圭介は納得できた。
中でも竜脈と呼ばれる膨大な量の魔力の流れが大陸中に存在しているらしく、人々の居住区域はほぼこの竜脈の上に存在しているのだと資料は語る。
(油田や炭鉱と同じように、生活に必要となるエネルギーの源みたいなもんなんだろうか)
そして更なる特性として、人と呼ばれる動物を始めとした一部の生命体に限っては、体内に留まる性質もあるという。
ビーレフェルト大陸においてはこの生命体の内部に宿り定着した状態のマナを、総合して魔力と呼称するのである。
(そんで条件は不明だけど体内に蓄積できる魔力の総量には個人差があって、客人の場合は飛び抜けて蓄積量が多いと。大陸の住人と客人で何か体内の構造に違いがあるのかな)
しかし例外として、転移してきたばかりの客人の体内には魔力が存在しない。
ならば何故客人が後天的に魔術を行使できるようになるかというと、空気や栄養を吸収する中で体内に魔力を蓄積させ、貯蓄用の器を形成するからだと仮説が立てられている。
ただしこれも今や眉唾のまま研究が進んでいない状態だ。
発見する為には転移から間もない客人の解剖を要することから倫理規定に抵触し、実証段階にまでは至っていない。
とにかく大気中のマナ濃度とは、生命活動や自然災害によって齎されるものであるという見方が主流である。
それを踏まえた上で、魔力を持たない客人の転移時に大気中のマナ濃度の変動が生じるという現象は門外漢の圭介をして違和感に溢れるものであった。
(仮に大気中のマナを使って作り出される術式があるとして、じゃあどうしてわざわざそんな手間をかけてまで空っぽの状態の客人をこっちに呼び出す必要がある? 意思の無い自然現象、偶然と言われればそれまでだけど、そんな偶然が頻繁に起きるものなのか……?)
他人からしてみれば「だからどうした」と切り捨てられそうなこの考察も、元の世界との繋がりを示す重要な判断材料となり得る。
圭介は湯気が出そうなくらいに頭を回転させて想像を膨らませた。あるいは、どこかでその妄言にも似た理屈が役立つかもしれないと信じて。
(マナに動きがあるってことは、もしかしたら客人の転移現象は人為的に魔術で再現できるかもしれない。そうなればその逆、“客人を元の世界に戻す”魔術を再現できる可能性だってきっとあるはずだ)
残念な事にそういった転移関連の研究資料は図書館には見当たらなかった。専門家にとっては興味深いジャンルだろうに、と取扱いされていないことへの不満も生じたものの、無い物ねだりをしても仕方がない。
(それこそ理論を確立されたら世界中で大騒ぎになるから隠してるのかな。やるなら極秘で研究しててもおかしくないし。……ま、こんな一般の人の出入りがある図書館でそうそう見つかる情報でもないか)
自分の中で諦める為の理屈を組んで立ち上がり、取り出した分の書籍を棚に戻そうと立ち上がったその時。
「おっ、と」
「うわっ」
眼鏡とそばかすが特徴的な、巻き毛の少年とぶつかりそうになる。
相手はどうにも圭介の顔を見た瞬間にギョッとしたようだったが、「失礼」とだけ言い残してそそくさと去ってしまった。
その背中を見届けながら圭介は一つの可能性に思い至る。
(もしかして僕に気付いた上で何も言わずにいてくれたのかな)
不服ながらもつい先日、地上波に顔と名前を流された身の上である。中には圭介の顔を見て配慮から遠ざかろうとする者もいるのかもしれない。
だとすると随分とまた日本人的な対応にも思えるが。
(ま、いいや。ありがたく静かに資料漁りを続けさせてもらおう)
やはりこの世界にはいい人が多いな、などと思いながら本を元の位置に戻して今度は歴史書の棚に向かう圭介であった。
* * * * * *
「もう秋物売り始めてるとかヤバくねあの店!? まだ世間は夏休み目前だよ!?」
「などと言いつつ買うんですねえ。そんなに気に入りましたか、そのカーディガン」
「ねえねえ次は小物見に行こうよ!」
「ケイトちゃん、走ると危ないよ……」
圭介が図書館で調べ物をしている頃、[バンブーフラワー]の面々はロトルア駅前から東側にある商店街に来ていた。
ライブでの緊張感というものは直前の待合室ではなく、前日の時点で既に始まっている。
彼女らはプロのアイドルとしてその感覚にある種の心地良さと必要性を感じながらも、決して囚われ過ぎることのないようにこうしてストレス発散を試みているのだ。
この買い物を終えて昼食を摂れば、食休みもそこそこに最後のリハーサルをするべく[プロージットタイム]へと向かわなければならない。
一応照明係との連携や客席に届く音の量と角度、各機材の状態から果てはメンバーが観客に見せるちょっとした演技のタイミングまで確認は終えている。全工程を通しての調整も一度していたが、それはあくまでも現段階での理想的な形を模索する手段に過ぎない。
最後のリハーサルともなればそれまで以上の出来映えが要求される。更に言えば、本番ではそれすら超える必要性が出てくるのだ。
その為に今夜の食事や睡眠時間さえスケジュールの犠牲にしなければならない彼女らにとって、この息抜きはライブを終えるまでの最後の休憩時間と言えた。
「ナディアたんはどうするー? やっぱゲーセン?」
「いや私そんなゲーセンばっかな女じゃないから。まあ行くなら付き合うけど」
「何それゲーセンに対するツンデレか何かなの」
つい先日悪質なファンに襲撃されたナディアも、この時点で半分ほどスイッチを切り替えつつある。
当日は舞台袖にミア、会場付近には圭介と[エイベル警備保障]の警備員がいる。後者はやや不安要素も残るものの、あの超大型モンスターを倒した実績を持つ圭介に真正面から挑むような命知らずなどそうそういるはずもない。
心理的安息を齎すという意味では、圭介とミアの護衛任務もこの時点から始まっていると言えた。
「ああそれとケイト。明日は待合室でミアさんからケースケさんの件についてお話がありますから、ちゃんと聞いてあげてくださいね」
「……ごめんなさい自分でも薄々あの後『コレ本人の許可取ったっけ?』とは思ってました。ライブの話もポロッとしちゃったから誰かからのクレームもあるんじゃないかと察してました。主にケースケ君の関係者さんとか[エイベル警備保障]の人達とか」
「ケースケさん、すっごく怒ってたもんね。危うくグリモアーツでテレビ壊されるところだったよ」
「か、顔を合わせづらくなる情報をよくも聞かせてくれたな!」
「まあ言われるとしたらそれこそ迂闊にライブで護衛してくれる云々と発言してしまったことへの簡単な注意だけでしょうね。テレビに映ってしまった件については国と番組の責任でしょうし」
「あそこは自分でもダメだったなあと思ってるよ……。しょうがない、後でお詫びのお菓子も買いに行こう」
「こっちは変なのに変な噂叩きつけられたばかりなんだから、変な相手に変なトラブル起こさないでよねリーダー」
「はぁい……リーダー頑張ります……」
ケイトも微妙に反省しているのか疑わしい態度ながら、リーダーとしてグループの評判を下げまいとしているらしい。ポケットから可愛らしい財布を取り出して所持金を確認し始める。
そのどこか情けない姿を横目に、少し不思議そうな表情のクリスがナディアに声をかけた。
「でも前から思ってたけど、ナディアちゃんそういう、なんて言うんだろ……とんがったアクセサリー好きだよね。それだけ気に入ってるの見てると、ちょっと彼氏からのプレゼントと勘違いされたのわかるかも」
「え、そうかな」
「自覚なかったんですか? つい先月末にも普段と同じメーカーから出たブレスレットを買っていたではありませんか」
アガサの指摘を受け、ナディアはぱちくりと目を瞬かせる。本気で気付かれていないと思っていたらしい。
「何か拘りでも……ははぁ~ん、さては本当に男かぁ? こりゃ今度ウチで集団面接受けさせないとだねえ。因みに私結構な圧迫面接やるから、他のメンバーはフォローお願いね」
「いやホントにそんな相手いないって。ちょっとした思い入れがあるだけだから」
茶化すドロシーを受け流しながら、バッグに括りつけたキーホルダーをそっとつまむ。
銀色に輝く角ばった意匠は折り紙で作られた百合の花を模したものだ。百合はアガルタの国花でもあるため、このデザイン自体はありふれたものと言えよう。
「これは客人の世界に伝わるオリガミっていう伝統工芸をモデルに作られたアクセでね。本当は紙を順番に折っていってこの形にするんだってさ。鋏とか一切使わずに、手だけで」
「へぇー、鋏使わないんだそれ」
「流石にそれでその形は……いや出来なくはないのかな。ちょっと後で調べてみるね」
鋏を用いない紙細工なるものが彼女らに浸透していない理由は、この異世界の在り方も関係する。
いかに居住区域の治安を確保したとしても、ビーレフェルト大陸にはモンスターやオカルトといった不確定要素の多い危険が蔓延しているのだ。
その中で人々は脅威に立ち向かう為に自衛の手段を数多く手に入れたが、同時に自分達が扱う脅威への認識は平和な国に生まれ育った客人のそれよりも薄い。
要するに地球であれば触れるどころか、手の届かない位置に置かれるだろう刃物を幼少の頃から用いるのがある種の常識となっているのである。
わかりやすいのはユーのような騎士団学校の学生だ。十代後半という若さで生物を相手取って刀剣を振るうことが当然の世界で、歳が十に満たないからと鋏を取り上げるような教育方法は王族ないし過保護気味な貴族の中でしか成立し得ない。
そうした背景もあって、小さな子供が紙細工を作る際に刃物を用いるのはこの世界において珍しい話ではない。
「ふうん。紙を折るだけで、かあ」
好奇心の強いケイトが改めてキーホルダーをじっと見つめる。気付けば他のメンバーの視線も同じく集中していた。
自身の所有物が注目を集めているという状況に何やら気恥ずかしさを覚えて、ナディアがキーホルダーから指を離す。
「まあそんな堅苦しいものじゃなくて、子供の遊びにも使われるらしいけどね。小っちゃい頃に友達がこういうのやっててさ」
「ははぁ、そのお友達との思い出というわけですか。普段テレビゲームばかりやっているナディアがそういうものに愛着を抱いているというのは正直意外でした」
「そうそう、キャラじゃないの。だから『わかる人だけわかればいいや』くらいにしか思ってないの」
「なーんか腑に落ちないけどなー。その友達ってのも男の子なんじゃないの、このっこのっ」
「何でもかんでも恋愛に持ってくのやめなってば。逆に訊くけどこの中でこれまでに浮ついた話の一つでも体験した事ある人いんの? 因みに私は彼氏いない歴イコール年齢だけど」
――静寂が訪れた。
「……え、モテない女が五人も集まってアイドルやってんの? ブーメラン承知で言うけどアホの集会所だなバンブラ」
「うるさいやい! 私だって本気出せば彼氏の一人や二人余裕だしー!」
「わ、私は男の人、苦手だから……」
「アガサちゃんアガサちゃん、私お腹空いちゃったな。何か食べに行こうよ」
「あらまあ。ではいつものフレンチにしましょうか」
「ほらリーダーと営業担当がお昼だってさ! さあ私らも行こう今すぐ行こう!」
「あーはいはい。最近あの店も飽きてきたんだけどな……」
少女らの活発な声が飲食店の中へと消えていく中途、ほんの一瞬だけキーホルダーが陽光を反射してキラリと輝いた。
この店で食事を終えれば、彼女らは本格的に仕事の顔へと切り替えるのだろう。
閉まるドアの向こうへと消えた花だけが、変わらず光を反射し続けるのだろう。
輝かしいステージを造花が飾るまで、あと十時間二十分。
運命は変わらない。




