第八話 火種は静かに雑踏へ至る
ロトルア西側の住宅街は、そう離れていないはずの駅前の賑わいも遠い閑散とした土地である。
コンビニエンスストアなどは見当たらず、買い物ができる場所というと強いて挙げるなら需要の薄そうな靴屋が一軒あるのみ。それとて昔からの常連客が時折顔を覗かせる程度だ。
未だ夏休みに至らないこの時期、平日昼間となれば学生達の姿も見えない。一区画に存在する保育園から届く園児達の声が、夏の虫の鳴き声に混じりながら辛うじて人の存在を示している。
その暑さと寂しさに満たされる街並みの中に、並んで歩く二人組の姿があった。
「明後日は楽しみだねー! ピナル、遊園地なんて初めて!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを示す少女の方は十代後半ほど。自分で自分の名を呼ぶ彼女はピナルというらしい。
褐色の健康的な肌と濡れ羽色のおさげを有し、くりりと大きく丸い目は彼女の活発さを如実に表している。
夏場とあって涼しげな藤色のカシュクールワンピースに身を纏いながら元気よく振る舞うものだから、挙動一つ一つにどこか親からはぐれた子供のような危なっかしさを感じさせた。
「僕としては正直気が進まないんですけどね。ああいう人が多い場所ってそれだけでストレス溜まるじゃないですか」
少女の明るい声に応じたのは、隣りを歩く少年。年齢はピナルと同じか、それよりやや上か。
季節を意識しない長袖の黒いシャツとジーンズというラフな出で立ちながらも、同年代の少女に敬語を用いて話すところに対人関係上の隔たりを滲ませていた。
ふわりとした巻き毛の多いダークブラウンの髪は野暮ったいくらいに伸ばされており、神経質そうな目を少しだけ隠している。そこに縁なし眼鏡とそばかすを携えた彼の表情はどこか陰鬱としていた。
実際に気分が落ち込んでいるのだろう。時折空を見上げては死んだ魚のような目を更に濁らせる姿に、年齢相応の活気はない。
「むぅ。ヨーゼフ君はもうちょっと元気出した方がいいよ! せっかく一時間も遊べる時間もらえたんだから、思いっきり楽しまないと!」
ヨーゼフ、と呼ばれた少年はその言葉を受けて、今度は顔を掌で覆うようにして眼鏡の位置を調整しながら地面に向けて溜息を吐いた。
「一時間とか人気のアトラクションの列に並んでる間に過ぎる程度の時間でしょ。大体あなた、僕達がその楽しい楽しい遊園地に何をしに行くかわかっててそんな気の抜けたこと言ってるんですか?」
「たくさん壊す!」
「また色々と端折ったなオイ」
余りにも言葉足らずな返答に、思わずがくりと項垂れるヨーゼフの口調から敬語が一瞬消える。
「まあ、認識としてはそうなんですよ。アトラクションとか事務所とかを壊しまくってそこにいる人達のお楽しみを台無しにするんです。で、可能な限り大規模な騒ぎを起こして、二度と遊園地として機能しないよう徹底的に潰さないといけないんです」
「? でも遊園地が無くなっちゃうのは嫌だよ。せっかく楽しいのに」
「うん……確かに遊園地は楽しいですよね……。でも悲しい事にコレね、お仕事なんですよ……やらないと怒られるんです……。……なんで一緒に同じ話聞いてたはずの奴相手に今更こんな説明しなきゃなんないんだよ。ぶち殺されてぇのかよ」
「ヨーゼフ君怒ってる!?」
「いやちょっと殺意を抱いただけで怒ってないですよ。ただ寿命と脳細胞の無駄遣いになるのでこういうのこれっきりにして欲しいですね。ああそれと、あなたのことですからもう忘れてるかもしれないので一つ言っておきますけど」
「む! 今ピナルを馬鹿にしたね!? ピナルそういうのわかっちゃうんだからね! 凄いでしょ!」
逐一反応するのも億劫と判断したのか、元気な抗議を無視してヨーゼフは話を続けた。
「件の客人、東郷圭介が同じ現場内でアイドルライブの護衛を務めているようです。なので彼との直接的な接触は可能な限り回避して下さい。仮に出くわしたとしてもあっちは僕らの顔知らないはずなんで、無視して通り過ぎれば大丈夫です」
「なんでそんなことするの?」
「うわマジで忘れてるよこの馬鹿」
「また馬鹿にした! 今度ははっきり“馬鹿”ってゆった!」
もう何度目になるかわからない溜息を吐きつつ、騒ぐ彼女に首をコキコキと鳴らしながら応答する。
「彼の存在はどれだけ策を練ってもどう転ぶか予測できないイレギュラーだって、我らが道化も話していたでしょう? 常にあらゆる計画は彼への影響を考慮しなければならないし、その一方で僕らが直接出会って今後の流れを狂わせるわけにはいかないんですよ」
「お友達になっちゃダメなの?」
「あの、本当に僕らが何をしようとしてるかちゃんと理解できてます? 彼が仕事しに来てる遊園地を更地にするんですよ? そんな立場で仲良くなれたら人間関係に苦労なんざいらないんです。……っと、もう近い位置まで来ましたね」
ヨーゼフはくたびれた表情で軽く舌打ちして、懐からとある物を取り出す。
それは丹色の光を宿した奇妙な文様が浮かぶ、縦長の札だった。
「二つ先にある交差点を抜ければ僕らの宿泊先であるホテルに着きます。そろそろ【スニーキング】を解除しますが、いいですか?」
「ばっちし!」
「即答する前にせめて簡単にでも周囲の確認とかしましょうよ。大丈夫みたいですけど」
彼が言及した【スニーキング】とは術者を中心とした一定空間内に向けられる他者からの興味関心を遮断するという、隠密を目的とした第五魔術位階の一つだ。
この魔術を発動させていたと思しきその札から魔力を宿した文様が消失する。
残されたのは無地の紙切れと化したそれと、何事もなかったかのように歩き続ける少年少女二人のみ。
「さて、チェックインの前に昼食にしましょうか。何か食べたいものがあったら言って下さい」
「チーズケーキ!」
「そうですか。それデザートですね。もう一度訊きますが、昼食は何にしますか?」
「あとチョコレートパフェも! ヨーゼフ君も一緒に食べよ、絶対気に入るから!」
「ふぅ~んあっそぉ~。……おっ、駅前に良さげなフレンチあるじゃん。やっぱ持つべきは馬鹿な仲間なんかより文明の利器だなあ」
「無視しないで! ピナル何か悪いことした!? ごめんなさい!」
「強いて言うなら絶望的に頭が……いやもうめんどくせぇしいいや」
呆れを隠さず先に進むヨーゼフと、寂しげな表情でその後ろをぱたぱたとついていくピナル。
不穏な影は刻一刻と近づきつつあり、現状それを阻止する者はいなかった。
* * * * * *
ホテルのユニットバスにて、全裸の圭介が胡坐をかいて床に座っていた。
入浴を終えた彼の体は頭頂部からつま先に至るまで濡れそぼっていて、狭い空間内には湯気が充満している。湯に温められて火照った体の表面には、新たに湧き出した汗が文字通りの水玉模様を描いていた。
流石にわざわざ濡れている頭に止まる趣味はないのか、アズマは浴槽の淵に立っている。
そして圭介の周囲には、彼を囲むように浮遊する八個の透明な球体。
それらが全て微妙に揺らいでいる事から、魔術に精通している者であれば“術式によって制御されている透明な液体”であると理解できるだろう。
圭介が意図せず会得した第四魔術位階【ハイドロキネシス】は、確かに水を自在に操れるという埒外の魔術ではある。しかし本来であれば水の魔術の門外漢である圭介の力では、適性ある者の手による液体操作と比較すると些か効率が悪い。
まず一定以上の体力と集中力を求められる。液体に魔力を浸透させて操るのではなく動きを発生させるという念動力魔術の特性により、意識を向けてから魔術が成立するまでの過程が本来の液体操作よりも長い。
これは本来手で行うべき作業を足先で再現するようなものであり、まだまだ練習が必要な部分でもあった。実戦で使おうとするならば当分はクロネッカーの助力を要するだろう。
次に魔力の消耗が激しい。理由は上記したものとほぼ同じで、プロセスが増えているせいで必要とされる力も増えているという単純なものだ。
加えて体力と魔力には密接な関係があり、どちらか片方が限界を迎えるともう片方にも支障をきたす。意識を集中させればさせる程脳への負荷も強まり、それが魔力の逓減にも繋がってしまうのである。
風呂場で倒れるのは何かと危険であると見なし、圭介は念動力魔術に向けていた意識を途切れさせた。
同時に周囲に浮遊していた球状にまとめられていた液体はばしゃりと床に落ちる。
それらは排水溝に流れ込むより早く大気に溶け、ついには消えてなくなってしまった。
「……初めてにしては上出来じゃないかと思うんだけど、どうだろう」
『元がマスターご自身の魔力だからか、制御も容易であるように見受けられました』
圭介の周囲にあった液体は、自然界に存在する水とは異なる。
【インスタントリキッド】と呼ばれるその魔術は、一時的に魔力を液体に変化させるという概要だけ聞くと至便に思える第六魔術位階である。
実際には肉体から外に出てすぐ別の存在に上書きされたそれは、常時魔力を注ぎ込み続けなければ短時間で霧散してしまうという致命的弱点を有していた。
それでも液体操作に適性を有する者にとっては水辺でなくとも確保できる水源であり、元々が自身の魔力であるが故に極めて優秀な魔術の媒介でもあるのだ。
「エリカのお土産に、って買ってきたあの本だけど予想以上に実用的だったよ。第六魔術位階の中には役立つ魔術もあるんだねぇ」
『寧ろ第五以上の魔術位階というものは【テレキネシス】のように汎用性の高さを有さない限り日常生活で使わないものなのですが』
「え、そうなの」
『無意識に王立騎士団学校の基準を世間に当て嵌めてしまっていたようですね』
意外そうに驚く圭介であったが、確かに彼の中にある基準は将来的に国防を担う騎士団志望の学校生活を軸としていたように思えた。
考えてみればこれだけ文明と文化が発展した世界である。機械と魔道具によって生活を支えられる日々を過ごしていると、自身の魔術の適性に意識を向ける機会も少ないのかもしれない。
「こっちの世界の人達はもっと日常的に魔術使ってるものと思ってたけど……そういやパトリシアさんも普通に天ぷら鍋とコンロで天ぷら作ってたな。ガスコンロか火の魔術が搭載されてる魔道具だったのか今ではわからないけど」
『それよりも早急に体を拭いて着替えることを強く推奨します』
「あー悪い悪い。夏風邪は僕も勘弁願いたいし、そろそろ出るよ」
上半身を浴室の外へ出し、バスタオルを取って頭と体を拭いていく。その挙動の中で圭介は今後の予定に思いを馳せた。
(今日はもう寝て、明日も一日ゆっくり休んで、明後日遊園地で仕事して……それで遠方訪問も終わりか)
今ややるべきことは少ない。
そろそろ夏休みによって余暇時間が増えるようであれば異世界転移に関する情報を精査する必要もあるだろう。ただ困った事にこの遠方訪問を通して、パーティメンバーである彼女らに愛着などを抱いてしまっている。
圭介としてはこの事態こそを恐れて早急に帰還したいところだったのだが、もう遅い。
別れの時にはきっと、これまで積み重ねてきた交流の密度と相応の辛い思いを強いられる。
(これが終わって、王族でも師匠でも誰相手でも媚び売って、それで――それで、とにかく早く帰ろう)
「帰りたくない」などと思わずにいられる内に。
残してきた家族や友人への未練を、断ち切ってしまわぬように。
『どうかされましたか』
気付けばぼうっと突っ立っていたらしく、アズマが声をかける。機械故の感覚なのか言葉の割に心配げな態度は見えなかった。
「のぼせたみたいだねえ。まあ、もう寝るだけだしこのままベッドに入るよ」
『そうですか』
体を拭いて部屋着に着替えると、どっと疲れに見舞われる。
肩と背中に纏わりつくようにしてのしかかる倦怠感を引き摺って、どうにか辿り着いたベッドの上で瞼を閉じる。
意識が眠気に覆い尽くされる刹那の間に、気がかりなことが一つあった。
(あのおっさんの腹立つ態度を抜きにしても、不祥事続いてる警備保障会社と長期契約してるのは事実なわけで)
それはつまり、“他の警備保障との契約を選択肢に入れない理由”があるということではないのか。
(……なーんかキナ臭いなぁ。本当に大丈夫なトコなのかね、[プロージットタイム]っていうのは)
そんな一抹の不安も、毛布の柔らかさと温もりに吸い込まれて消えていった。




