第六話 エイベル警備保障
ロトルアからモノレールで十一分、そこから地下鉄に乗り換えて八分の距離に、[エイベル警備保障]株式会社本社は存在していた。
眼前に聳える近代的なビルは、相変わらず魔術やモンスターが存在する異世界の建造物とは思えない。アスプルンドとダアトでそういった建造物からしばらく離れていた圭介は、一瞬元の世界に帰還したかのような錯覚を得た。
「……標識や人が空を飛んでたり、獣人やドワーフがその辺歩いてなきゃ今頃泣いてたかもしれないよ僕」
『そうですか』
またも鞄に仕舞われているアズマの応答はどこかおざなりだ。それだけ圭介の頭に止まれない事に立腹しているのだろう。
こうなるとわかっていたからこそ留守番をさせようかとも思ったのだが、『ほう……』と言いつつじっと見つめられたものだから根負けしてしまった。
多少の不平不満を言われる覚悟を決めて同行を許したものの、今となってはこれが正解だったのかどうかもわからない。
これから挨拶に向かうのに機械仕掛けの猛禽類を頭に載せていく気にもなれない圭介は、小さな仲間から漏れだす不機嫌そうな雰囲気に触れないよう気を付けながらビルへと入った。
センサーではなく魔術を用いているらしい自動ドアを抜けると、受付用のフロアに出る。真正面に見える窓口に立つ女性が、圭介の来訪を見計らってにこやかに微笑みかけた。
聞いた話によると既にアガサが遠方訪問を使っての護衛について会社に話を通しているらしく、今回の圭介の挨拶に関しては社会常識という名の義理に過ぎない。
まさか高校生の身分でこのような事態になるとは、と心中げんなりしながら窓口へと向かう。
「すみません、本日ユーイン所長とのアポイントメントを取っている東郷圭介という者ですが」
アポイントメント、とはいえ当然社長などが相手ではない。
今回圭介が顔を見せるのは[プロージットタイム]での警備を担当している責任者、ユーイン・アッカー所長だ。
アガサから事前に聞いた話では、転移から間もない客人相手であっても気に入らない相手には容赦せず罵倒を浴びせるという、厄介極まる性格であるらしい。
「少々お待ちください……身分証明などはお持ちですか?」
「学生証でもよければ」
「それで構いませんよ。……はい、確かに。それでは七階の第三会議室にて、ユーイン所長がお待ちですのでそちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
淡々としたやり取りを終えて奥に目をやると、こちらにもまたハディアが設置されていた。
光の波が上に向けて流れている方に入って、出現したボタン型の術式を操作する。
一瞬光に包まれて着いたのは、キーボードを叩く音や電話応対で静かながらも騒がしい平日のオフィス。
大人が仕事をしている場所、というものに不慣れな圭介には居心地が悪い。
しかし助かったのは圭介を一瞬見た社員達全員が、すぐに自分の仕事へと戻ったことである。
その反応に有名人となってしまった圭介は九割の安堵と一割の不思議な落胆を胸に、第三会議室なる部屋を目指して歩を進めた。
アガルタ文字をある程度読めるようになった圭介だが、“会議室”という言葉はまだ読んだことがない。ここは不服そうにしているアズマに任せようと思い至った。
「アズマ、アズマ。第三会議室って書いてあるのはどの部屋なの」
『右隣の部屋がそれですよ』
言われて右に顔を向けると、確かにそれらしき扉がある。
機嫌を損ねているアズマに謀られている可能性も考慮して、【サイコキネシス】の索敵網を隙間から部屋の内部にまで延ばしてみたところ確かに一人分の反応があった。恐らくはこれがユーイン所長だろう。
「ありがとう。よし、行くか」
社会人としての作法を知らない圭介と言えども、創作物に触れる機会に恵まれたおかげで「こうすれば最低限怒られまい」という動きをある程度は弁えていた。
まずはドアをノックして相手の反応を待つ。
「………………」
『………………』
反応が無い。
中にいるのはわかっているのだが、特別動きもないので音が聴こえないというわけでもあるまい。
「す、すみませーん。本日ご挨拶に来ました東郷圭介ですがー……」
声をかけてみたが、これにも沈黙。
まさか中で気絶していたりしないだろうな、と警戒しつつ「開けますねー」と扉を開けた。
「遅かったね」
開口一番圭介にそう言ったのは、五十代半ばほどの恰幅の良い男性。
やや黄ばんだように見える白髪は、年齢によるものかストレスによるものか判然としない。ただ目だけが子供のそれに近いぱっちりとしたアーモンド形で、そこが愛嬌よりも不気味な印象を抱かせる。
相手の挨拶を無視した上で自身も挨拶をせずに相手を咎めるその姿勢から、圭介はこの男に挨拶がてら顔を見せるという行為そのものが間違いだったと薄ら悟った。
因みに今回、圭介は遅刻どころか約束の時間より五分早く来訪している。
「すみません、お忙しい中時間取らせてしまって。今回[バンブーフラワー]の護衛として皆さんの警備業務に協力させていただく東郷圭介です。よろしくお願いします」
無駄に会話を重ねることに忌避感を抱いた圭介は、嫌な予感をひしひしと感じながらも早々に名乗りを上げる。
これでまた反応がなければ帰ろうとさえ思っていた矢先、
「ん、所長のユーインです。なんか学生さんの割に元気ないね」
辛うじて反応と言えなくもない反応が返ってきた。内容は完全にただの文句である。
「……すみません」
「ウチ体力結構必要だから途中で疲れただのなんだの言われて足引っ張られても困るのよ。そこはわかってるよね?」
「はい……」
「じゃあ頑張って大きな声出さないと」
「仰る通りですっ」
「この会社だってそんじょそこらに散らばってる無名の零細企業と違うんだから」
「は、はい……」
気持ちの分だけ声のボリュームを増したが、それについては特に何も言及されなかった。
「こっちもね、“騎士団いらず”というデカい看板掲げて商売してるのよ。そこに下手にテレビ出てチヤホヤされてる学生さんが来て、不祥事の一つでも起こしたら大変だと思わない? ねぇどう思う?」
「思います……」
「俺なんて[プロージットタイム]さんとは十年以上も一緒にお仕事させてもらってるのね。そこにぽっと出の若造が入ってさ、現場ウロチョロされるのって皆良い顔しないってわかるじゃない?」
「全くっすね……」
「マジで一回問題起こせばこれまでの十年パーよ、パー。そのきっかけをおたくが作らない保証なんてないじゃん。正直芸能人直々に挨拶来られなければ断ってたよ、俺もプロだし」
初対面の相手に延々と愚痴を聞かされて、指数関数的に圭介の気分も落ち込んでいく。まさか高校生相手にここまで言う相手と話す羽目になるとは思っていなかった。
「まあ、今回は一緒に仕事してあげるよ。ただし当日現場では俺の言う通りに動くこと。依頼主が[バンブーフラワー]でも仕事の管理は俺の管轄だからね。ちょっとでも言った内容と違う動きしたら叩き出すから」
「了解しました……」
ようやく話が収束し始めた事に内心深く安堵しつつ、圭介が首を垂れる。
「じゃ、今日はもういいや。俺もこの後やらなきゃいけないことあるし」
「お疲れ様でした……」
「はいお疲れ」
それだけ言うとユーインはバッグからノートパソコン、次いで灰皿と煙草を取り出してその場で仕事を始めてしまった。
「それでは、失礼します……」
圭介が最後の挨拶をして軽く会釈するのを無視しながら、結局ユーインの視線はパソコンの画面と灰皿を往復するばかりであった。
* * * * * *
「……………………………………」
『学生の割に元気がありませんね』
「おいわざとかお前」
本社ビルから出た圭介はほんの数分のやり取りだったにも拘らず、精神力を大幅に削られた状態で近くの公園に立ち寄っていた。
ベンチに座って地球には存在しなかったがそれなり美味な炭酸飲料の缶を一口飲んで、離れた位置に積乱雲を漂わせる真っ青な夏空を見上げる。
「あれはエグいわぁ……あんなのと一緒に仕事すんの僕? マジで? 絶対パワハラセクハラ当たり前なやつじゃんあんなの……」
『“あんなの”と二回も言いましたね』
「何度だって言ったるわい! あんなのあんなのあんなのぉ!」
圭介の場合、運も悪かった。
なまじこれまでの現場で優しい上司や有能な師匠に恵まれてしまった為に、性格の合わない相手の下に就いてしまったことへのストレスが受け入れられていないのだ。
「ごぉおおお、あんのクソ野郎が! 今回だけはエリカにいて欲しかった! あのおっさんの鼻の穴に汚物まみれの歯ブラシぶち込んで欲しかった!」
『しかし気になる発言もありましたね』
「んぁ? 何が」
鞄の隙間からアズマがひょっこりと顔を出す。
『“騎士団いらず”という一言です。一応は[プロージットタイム]もアガルタ王国内、となれば緊急時にはいかに大手警備保障会社と言えども犯罪者を独断で取り締まるのは法規上の問題を有します』
「そういうもんなの?」
『民間人による現行犯逮捕はアガルタでも認められていますし、それは警備員にも適用されるでしょう。しかしそこでわざわざ“騎士団いらず”と自称する必要性はありません。少なくとも拘束してからその先は騎士団の領分であり、一般企業が手出しすべきではないと断言します』
そう言われると気になる部分でもある。
[エイベル警備保障]が有する概念、“騎士団いらず”とは何なのか。
「どうせ今日はもう予定ないし、ちょっと調べてみようか」
『事前に現場に関する知識を獲得しておくのは極めて効率的な判断です』
「あーわかる、あのおっさん『そんなことも調べてこなかったの?』とか言うよぜってぇ言う」
ぼやきながらスマートフォンで企業名と共に“騎士団いらず”について検索してみる。
すると案の定会社のホームページに繋がり、そこに概要が記されていた。
「えー、[エイベル警備保障]が持つ役割の一つで……契約を交わした企業で防犯・防災を徹底すると共に、規模に応じて現場での後処理を契約の範囲内にて完結させるもの……おい急にキナ臭いぞどういうことだ」
『わかりづらい構成になっていますが、契約内容は法規に沿って行われるものとする旨も各ページの末尾に書いてありますね』
「いやそれでも勘違いするお客さん出てくるでしょ。これで本当に騎士団の仕事まで任せられちゃったらどうすんのさ」
『これはあくまでも憶測ですが』
機械の瞳が圭介の目線と交差する。
『そうして顧客側の誤解、ないし“誤解に見せかけた違法な契約”を誘導しているのではないでしょうか』
「……え、ドのつくレベルでブラックじゃん」
『元より不祥事の多い企業と聞いていますが、少し詳しく調べるべきかと』
「ちょっとえー、怖っ。怖いんだけどなんか」
促されるままに[エイベル警備保障]の不祥事に関して調べてみたところ、色々と話は出てきたがその中でも顔を覆いたくなるようなものを拾い上げてしまった。
「あの各ページの注意文、法務省からケチつけられてああいう形態になったみたい……」
『即ち、以前はあれより悪質な広告をしていたということでしょうね』
「待ってこんな大人の汚い世界の話聞きたくなかった。今回の仕事って美少女アイドルライブの雑用じゃなかったんかい」
『凡そは間違ってはいないでしょう。何を今更』
「こんにゃろうめ」
ともあれ、以前は今以上に好き勝手やっていたようである。それこそ騎士団の仕事を奪う形になってでも、より多くの利益を得るために。
「嫌だなあ……こんな企業と働くの一日でも嫌だなあ……ルンディア地質調査隊のアットホームさが恋しいよぼかァ……」
がっくりと項垂れる圭介が気を取り直すまでに、約三十分は要した。




