第四話 狂信
土産物を買い終えてしばらく街中をぶらつき、チェーンのレストランで早めの夕食も済ませた圭介とミアは、食休みがてら仕事内容の確認をしていた。
「期間は四日と短め、それも今日は簡単な顔合わせしかしなかったから実質半分はお休みだね。最後に楽な仕事になっちゃって他の皆にはちょっと申し訳ないけど」
ミアの言葉をそのまま受け取るなら、仕事に携わる期間はたったの二日。圭介の場合は[エイベル警備保障]とのやり取りも生じるものの、それも精々今日の顔合わせと大差ない時間しか要さないだろう。
改めて確認してみると、これまでの遠方訪問先に比べてかなりさっぱりとしたスケジューリングである。
「僕の場合はこれまでの遠方訪問で死にかけてるし、今回くらいはさっさと……終わらせたいんだけどね」
言葉を紡ぐ中で、つい「メティスに帰りたい」と言いそうになってしまった。
あの街は確かに優しい人も多いし買い物にも困らない理想そのままのような所だが、それを自身の帰る場所に指定してしまうのは憚られる。
いつかは元の世界に戻るというのなら、変な里心を持つべきではない。
「でも今回は何事もなく終われるでしょ。不祥事続きっても大手警備保障会社がいる上に一般人も多い場所だし、ああいうテーマパークって監視カメラや諸々の危険物検索術式とかもしっかり備わってるし」
「そんなもんまであんのか。やっぱ魔術って便利だなあ」
やはりこういう時にビーレフェルトの文明基準は痒い所に手を届かせてくる。
この世界での技術形態は、魔術を持たない世界出身の圭介にとって大変至便なものに映った。
帰還した際に元の世界で不便を感じそうであまり順応したくないという思いと、小説の世界観設定を作り上げる上で参考にできそうという思いに挟まれて、圭介はしばし思考を停止してしまう。
天使が通る、とどこぞの国で表されるほんの短い沈黙を経て。
「…………ん?」
ミアの大きな三角形の耳が、何らかの音を拾い上げたらしい。
猫の獣人が最も強みとしている点は敏捷性でも嗅覚でもなく、聴覚だ。
本物の猫には及ばないが、それでも部屋の中で寛ぎながら外を走る車の数を正確に数えられる程度には高い精度を誇る。
「ケースケ君、ちょっとついてきて」
「急にどうしたの?」
「……いいから。すぐに会計済ませちゃって、急がないとだから」
彼女らしからぬ相手の事情を考慮しない物言いに、圭介は確かな非常事態を感じ取った。
無駄に言葉を弄さずすぐ立ち上がると財布を取り出しながらレジへと急ぎ、迅速に料金を支払う。ミアは途中から既に店の外に出ており、アイコンタクトで「こっちだ」と告げてきた。
(……ああ、なるほど)
外に出てから展開した【サイコキネシス】の索敵網が、それらしき動きを感知する。
場所は路地裏。圭介がダアトでユーと共に修行をしていた時のような、往来の目から外れた区画。
複数名が一人を囲みこむようにして動いていて、追い詰められている一人は他の数人とやや異なる動きをしている。
それが震えであると知った瞬間、圭介は知らず舌打ちをした。
「ミア、悪いけど先に行くよ」
「え、ケースケく――」
索敵に回していた【サイコキネシス】を全て推進力に変換し、更に発生した運動量を【テレキネシス】で舵取りしながら高速での旋回移動を可能とする。
これにより圭介は一般人がただ走っただけでは到達し得ない速度で、素早く路地裏に侵入することに成功した。
また、高速移動に伴い大気中の細かなゴミが目に入るという事態も、目深に被った帽子が功を奏してある程度防ぎきる。
「おい、そこで何してるんだ!」
辿り着いた先で怒鳴りつける圭介にギョッとした表情で振り向いたのは、三人の男達。
服装には統一性がないものの全体的に薄汚れており、全体的に清潔感に乏しい面々である。
「…………ッ!」
その奥に立っているのは、深い青色の髪を持つ少女。
袋小路で逃げ場を失ったからか、まだ僅かに震えていた。目元には微かながらも涙の痕跡も見える。
(ん? この人、もしかして……)
つい先ほどまで会っていた少女達の存在も手伝って、相手が誰であるかはすぐにわかった。
[バンブーフラワー]のメンバーが一人にして、デイライトの人気アイドル。
ナディア・リックウッド。
ゲームセンターを渡り歩き、ゲーム実況動画の配信などでも知られる有名人だ。
「あ、やべっ」
男の一人が呟くと同時、圭介もこの状況が決して望ましいものではないと悟る。
位置関係的に極めてナディアを庇いにくい状態で男達に声をかけてしまった。
相手の気を引いている内に逃がすという手段は立地が許さず、間に立とうにもその過程で男達の間をすり抜けなければならない。
【サイコキネシス】で身体を浮遊させる事も考えたが、グリモアーツを【解放】させずにそのような芸当に及んだことのない圭介にとっては危うい賭けでもあった。
「…………そこのお嬢さん! とりあえずめっちゃデカい声で悲鳴あげて! できたら『路地裏で三人の暴漢に性的に襲われる』みたいな、具体的な場所と敵対勢力の規模も一緒にね!」
そうして、導き出された結論がこれである。
一応外側まで届きそうな声量で呼びかける関係で、ナディアの名前は出さずにおいた。
「え、えぇ?」
「あっこの子ってばテンパってんな! しゃあないこうなりゃ暴力だ!」
「「「「えぇぇ!?」」」」
四人全員に驚かれた。
「ケースケ君ちょっと速過ぎ、うわ何この状況。どうして後から来たケースケ君が他の人達にドン引きされてんの」
「知らんけどとりあえずあそこの女の子襲おうとしてる奴らぶん殴ればいいみたいだから、一緒にあいつら殴ろう!」
「あーはいはい、こりゃ引くわな。……あれ、あの子って確か」
それなりにエリカの暴走で慣れているのか、圭介の発言にもミアはそれほど動揺しない。
「ち、近寄るなぁ!」
と、二人が話している内に、痩せぎすな男がナディアを捕らえていた。
人質のつもりか後ろ手を掴んだ状態で盾にするように前へと押し出し、手に握ったナイフを彼女の首筋に突きつけている。
「おい、何してんだよ!?」
「ちょっと落ち着けって!」
しかしどうやら他の二人にとってもその行動は想定外のものだったらしい。動揺した様子で男を咎めるが、相手はナディアを離すつもりなど微塵もなさそうだった。
「うるさい! 来るなっつってんだよォ!」
「だから待てって、俺達は違うだろ!」
「黙れ、だま、あ……?」
口角から唾を飛ばしながら相手も見ずに振り回そうとした男の右手が、ぴたりと動きを止める。
男の顔はみるみる戸惑いと焦燥に彩られていき、呼吸の乱れがより顕著なものへと変質していく。
「何だよ、何で動かないんだよ! くそっ、チクショウ!」
「……もしかしてケースケ君、何かした?」
「うん、念動力で動き封じた」
第四魔術位階【サイコキネシス】による身体拘束。
以前の圭介であればグリモアーツを【解放】しない限り、あるいは【解放】したところでできたかどうかわからない境地。
それを待機形態のまま実現させているのは、幾度となくこなしてきたアルミ玉の量産という弛まぬ努力の賜物であった。
「ぐぇっ、ちょ、何が……」
「から、だが動かねえ……」
「そこの人、とりあえずこの人達は押さえつけといたから逃げて!」
残り二人の動きも封じたところで放たれた圭介の声かけに、ナディアはハッとした様子で反応する。
直後、急いで男達の横を駆け抜け、ミアの背後に回り込んだ。これでもう捕まる心配はあるまい。
「あっ、今騎士団に連絡入れるね!」
人質を救出するばかりか位置関係による不利も引っくり返した圭介の手腕と魔術の上達ぶりに唖然としていたミアだったが、今が好機と見て懐からスマートフォンを取り出し通報し始めた。
「お、お前が急にナイフなんて出すからこんな大事になっちまっただろうが!」
「うるさい! うるさい! お前の声のかけ方が下手だから変に警戒されたんだ!」
「うるせぇくだらねーポカやらかしやがって、誰がここまで誘導してきたと思ってんだよアァ!?」
男達も体が動かない状態で最早これまでと察したのだろう。圭介の目の前で責任の擦りつけ合いを始める始末である。
しかし、次第にその話題が奇妙な方向に向かい始めた。
「大体なんでナイフなんて持ってきてんだよお前!」
「だ、だって……あの噂が本当なら、いっそ殺して……殺してやるって、思って……!」
「ッ!」
あの噂、という言葉を受けてミアの背後に隠れていたナディアがびくりと震える。
彼女の様子からあまり深く踏み込む話題でもないと判断した圭介は、鞄からアズマを出して三人組にそれを見せた。
「ちょっと、そこのおっさん達」
「はぁ!? 誰がおっさん……」
「静かにしないとこいつがあんたらの頭にフン垂らすぞ」
『そのような機能は備わっていません』
「いや何その喋る鳥!? 機械!?」
『しかし改造次第では事前に有機物を内部に取り込み、それらしき物体を精製することはできるやもしれません』
「しかも真面目にウンコしようとしてるぞ!」
「なんでウンコする為だけに自分の体の改造を提案できるんだよ! 頭おかしいんじゃねえのか!?」
そんな会話を経て、泣いて嫌がる男達の顔にアズマの臀部を近づけるというイタズラをしていると、ミアの通報を受けたと思しき騎士団が駆けつけた。
「通報を受けてこちらにうぎゃおう!? 何この状況!?」
機械仕掛けの隼の尻を顔に擦りつけられてむせび泣く三人の男という絵面は、経緯を知らない者からするとよほど衝撃的なものだったらしい。
「騎士団さんお勤めご苦労様です。こちらの三人がその、この子を……」
「え、しかもあなたは[バンブーフラワー]の……!? とにかくそちらの三人は当然として、すみませんがお三方にもご同行願います! 任意同行ですのでどうかご協力下さい!」
リーダー格の青年は若さもあって少し頼りがいに欠けるように見えたが、流石に騎士団が相手となると男達もいよいよ大人しくなる。
ナイフを振り回そうとしていた痩せぎすの男に至ってはすっかり憔悴して、この世の終わりを感じさせる表情になっていた。
「大丈夫? 歩けそう?」
「う、うん。ありがとう……」
ミアはナディアに声をかけて不安を緩和させようとしてくれている。
どういった流れかは見えてこないが、複数人の男に襲われそうになったのだ。更には刃物まで突きつけられているとあっては、トラウマを抱え込んでもおかしくない。
ここは同年代であり同性でもあるミアに対応を任せておくのが吉だろう、と圭介は怯える少女に声をかけたいという衝動を抑え込んだ。
「……あれ!? そちらはトーゴー・ケースケさんじゃないですか!? いやあ城壁防衛戦の記事読みましたよ、つい先日もダアトで伝説作ってきたとか! あ、後でで良いのでサインもらっても良いですか?」
「この空気でそんなん言います!? あとすぐそこにアイドルいるのに迂闊にサインとか言わないで下さいよ、気まずいったらない!」
そして覚悟していたことではあったが。
アガルタの騎士団にはすっかり顔と名前を覚えられているようであった。




