第三話 久しき日常
「どう? 誰かに顔見られてるとかない?」
「大丈夫だっつってんじゃん……警戒し過ぎでしょ流石に」
『装飾過剰です。帽子を外して下さい』
「君は僕の頭に止まりたいだけでしょ。お互いテレビに映ってたし、身バレするから宿泊先に着くまで駄目」
依頼の内容を確認し終え、ニュース番組も終わった十三時。
[バンブーフラワー]のホームからロトルアの駅前広場に戻ってきた時、圭介は帽子を深く被って顔を伏せながら歩いていた。
原因は望まないテレビ出演だけではない。決定打となったのは、あの後番組内でアイドルグループのリーダーたるケイトの口から発せられた言葉だ。
『えへへ、実はこのケースケさん、今度のライブで私達の護衛をしてくれることが決まってるんですよぉ!』
「何がえへへだ」と【解放】した“アクチュアリティトレイター”でテレビを破壊しそうになったりもしたが、膂力では圭介に勝るレプティリアンのアガサとハーフドワーフのクリスに取り押さえられて器物損害は免れた。
そんな経緯もあり、現在圭介は顔を他人に見られないように振る舞いつつ、鞄にアズマを隠しながら歩いているのである。
「よりにもよってあいつらのホームがあるこの街にいるタイミングであんな発言されたらさあ……下手したらファンに刺されてもおかしくないじゃん。そりゃ僕じゃなくても怒るでしょ。何考えてんのあのセンターアイドル」
「まあ客人の世界ではネットリテラシーがかなりガッチリしてるって聞くし、文化の違いもあるだろうけどねえ。私としてもパーティメンバーが無闇に有名になるのは見過ごせないから、当日の顔合わせでちょっと注意だけしておくよ」
「助かる。気を遣うとかじゃなしに、ぶっちゃけ大して親しくもない女子ってすげぇ話しかけづらいからさ」
『私も微力ながら協力しましょう。結界を展開しながら顔面に突撃することである程度の攻撃力は見込めます』
「アイドルの顔に目掛けて攻撃するな! どんだけ帽子被ってる現状が気に入らないんだよ!?」
静かに憤慨するアズマに反して、圭介はまだ冷静さを維持できていた。
アガルタ王国に住まう人々は自室に侵入でもされない限り、個人のプライバシーにさほど頓着しないという文化的背景もあるにはある。
それでも今回の件については行き過ぎだと他のメンバーは判断したらしく、終始圭介に謝罪していた。
後でリーダーが袋叩きに遭う可能性も大いにあったが、圭介としては寧ろボコボコにしてくれた方が溜飲が下がる。あまり癇癪を起こしても今後の仕事に差し障りがあるので、一旦はまともそうなメンバーを信頼すると決めたのだ。
それに圭介と以前から交友関係を持っているミアとしても思うところがあったらしく、彼女らと仲良くなった分だけ少し踏み込んだ忠告もしてくれるとのことであった。
アイドルと仲良くなるというのも実際に体験してみると奇妙な感覚ではあるが、やはり年頃の男子としては面と向かって女子と言い合う気分になりづらい。彼女の申し出は素直に有難かった。
「あ、そうだ。ミアにちょっと相談があるんだった」
「ん?」
「皆にお土産買おうと思ってたんだけど、ユーのお土産だけまだ決まってなくてさ。よければこれから選ぶの手伝ってもらえないかな」
「あー、さては安易に食べ物で間に合わせようとして誰かに言われたんでしょ。確かにユーちゃん一時期凄い気にしてたからねえ。友達からもらうお礼とかお土産が肉とか野菜とかばっかだった時期もあって」
「神様への供物か何か? 一応って言うと失礼だけど相手女子高生だよ?」
いくら大喰らいだからといっても、年頃の少女に食材を渡すというのは異世界というより異文化を感じる話である。
「ま、手伝うよ。あの子“エルフの森”で育ったからかわかんないけど、森にいない動物のぬいぐるみとか喜ぶみたいだから。もう持ってるヤツ選ばないように一緒にお店行ったげる」
「頼もしいなあ。エリカからは結局『食べ物でいーじゃん』以上の情報得られなかったから」
「そもそも私達の学年でユーちゃんに食べ物あげる文化築いたのあのバカだからね」
「そのバカに引っぱられる周りも周りだろ」
笑顔で悪態を吐きつつ、二人して交差点の先にある百貨店へと移動した。
遠方訪問の時期が被って他の学校からも学生が来ているのか、平日の正午を過ぎたこの時間帯でも少年少女の姿が疎らに見える。
特にロトルアは店と呼べる店が粗方揃っているため、買い物をする上で便利なのだろう。
「やっぱ女子が一緒だとぬいぐるみも買いやすそうでいいね。僕一人で売り場に行く勇気ないや」
「んふふ。まるでデートみたいとか思っちゃったりしてる?」
「やめてって、ホント認識が変わっちゃうから。女友達をそういう目で見ると後々湧いてくる罪悪感が凄いんだよ」
「すげー真面目に返された……」
とりあえず適当にも程がある溝を作って距離を置いたが、これが異性の友人として適度な距離感なのか圭介にはわからない。
ただ、そんなやり取りもまた心地良かった。
それがこの世界からの脱出を目論む身として、望ましい考えなのかは考えずに。
* * * * * *
最新の技術を用いて太陽熱を地熱に還元しているというアガルタ王国の夏は、日本の夏を知っている圭介からしてみれば涼しいものだ。
そうでなくてもロトルアの気温は砂漠よりはマシであったし、異世界は温暖化と無縁なのか年々暑くなるといったこともないらしい。
そのような前提を踏まえた上でも、やはり冷房の効いた店内は涼やかであった。
日本ほどでないにしても、夏はどうしても暑いものだ。
「キッズコーナーは……六階か」
ぬいぐるみが置かれているであろうフロアを確認しているミアの横で、圭介は深く被った帽子の奥に輝く好奇の瞳を携えていた。
視線の先にあるのは筒状の光とその土台らしき緑色の円盤。幅は圭介の宿泊先である部屋とほぼ同等に広く、横並びに二つ設置されたそれらからはそれぞれ上と下に向けて光が波打っていた。
「ねえ、ねえアズマ。あれ何?」
『あれ、とは“ハディア”のことでしょうか』
ハディア、と呼称されたそれに近づく親子連れと思しき三人組が一組。
彼らが円盤の上に立つと同時に光の画面が出現した。それを指でポン、と一度押すと、一層強くなった光に包まれていく。
光が消えた時、それまでそこに立っていたはずの三人もまた消えていた。
『転移術式が組み込まれた移動用の魔道具です。地球に存在すると言われるエレベーターに該当するでしょうか。通常は上昇用と下降用の二種類に分けられており、この店舗も例に漏れずその形式を採用しているようですね』
「ほえー、ハイテクだなあ。転移なら待ち時間も短くて済むし、僕らの世界のエレベーターよりいいかもね」
時折こうして異世界としての矜持を見せつけられるものだから油断ならない。
「んじゃ、私らも行こうか」
「あ、はい」
何故か遠慮がちな返事をしながら、ミアと一緒にハディアの円盤に乗る。
円の内側に踏み込んだ時点で圭介とミアの前に光る画面が表示され、各フロアを示すアガルタ文字のボタンらしき羅列が視界に飛び込んできた。数字は真っ先に覚えたので、ミアと同じ六階を選んで押す。
「うわ、眩し……」
「慣れないとそうなるよねー」
あっけらかんとしたミアの声が途絶えるより早く、周囲の景色が変化していた。
六階のハディアは左右を子供向けのパズルコーナーと、魔力で音を奏でる楽器売り場に挟まれている。どちらも遊戯用であると同時に教育的な色合いを持っていた。
少し離れた位置に視線を移しても、やれプラモデルだの着せ替え人形だのというおもちゃの商品棚が多い。中には日本では見たこともないような物品まで置いてあり、他人への土産を意識せずとも見て回りたい衝動に駆られた。
「ぬいぐるみはもうちょっと奥行ったとこだね」
「んじゃ見に行こう。もしかしたらぬいぐるみ買うの生まれて初めてかもしれないよ僕」
雑談を交わしつつ並んで売り場の狭間を歩いていると、圭介はある事実に気付く。
(こういう何事もないゆっくりとした時間、結構久し振りなんじゃなかろうか)
思えばダグラスの襲撃以降はずっと気を張り詰めていたし、そのダグラスの手が届かないであろうダアトにいた頃も厳しい修行とゴグマゴーグとの戦いに疲弊していた。
それが今では強くなったという自覚によるものか、いつ排斥派に襲撃をかけられるかわからないのにも拘らず平然と街中を歩けている。
(まあ、ダグラス相手なら弱点もわかったし。【サイコキネシス】もある今なら戦えない相手じゃない)
まだ原理のわかっていない適性を無視した回復魔術の使用など謎も多い相手だが、所詮は一個人。
“インディゴトゥレイト”やゴグマゴーグのように対抗手段に軍事力を要する相手と異なり、一対一に持ち込めれば対処は可能だろうというのが圭介の見解であった。
(友達と一緒に別の友達に送る予定の土産物を選ぶ、なんて以前は当たり前だったけど。今ではこんな当たり前が貴重になっちゃったなあ)
寂しさから知らず無表情になって進む内に、いよいよぬいぐるみのコーナーが見えてきた。
男子としてこういった場に不慣れな圭介としては、もっと桃色を多分に使用したきらびやかな売り場であるという先入観を持っていたのだが、実際にはブラウンを基調として落ち着いた色合いが多く見られる。
恐らく見る者に自宅のような安心感を与え、ぬいぐるみが持つ可愛らしさにアットホームな印象を付与する為の工夫だろう。
「ここかぁ……動物のぬいぐるみったって結構種類あるなあ。これなんて僕のいた世界にはいない動物だし、こっちはゴブリンじゃん。誰が買うんだよゴブリンのぬいぐるみとか」
「クアッガとかマンモスはそっちの世界では絶滅してるんだっけ。あんまりイメージできないけど」
「うん……待ってマンモスいんの? 初耳だわ」
幼少期に見たアニメの影響か、肉の味が気になるところだ。
「ユーちゃんが住んでたのは“エルフの森”第七森林居住区ってとこなんだけど、あそこは生活に不便しない程度に開拓されてはいてもまだまだ森の中って感じらしいからね。買うなら森にはいないような、そうだねぇ……これとかいいんじゃない?」
ミアが手に取ったのは、黄色いチューリップの花に似た奇妙な物体のぬいぐるみ。デフォルメされたものであろうにこやかな笑顔のアップリケが側面に貼り付けてあるが、元となるものの正体が掴めない圭介からしてみればひたすら不気味である。
「…………なにそれ」
「客人のケースケ君には馴染みないよね。海の生き物で“ポカポカ”っていうんだけど」
「オノマトペじみた名前してんなあ」
あまり生態について説明を受けても今後触れる機会があるとは限らないので、深くは聞かないことにした。
「まあ、でも可愛いっちゃ可愛いか」
「実物はそんなカワイイ顔ついてないし、魚介類を捕食する肉食動物だけどね」
「僕の故郷でもタコとかそんな扱いだったよ。たこ焼き屋の看板でニコニコしてた奴らはどんな心境だったのやら」
『値段は十二シリカ、客人の製法を模倣したのか素材には綿が使われているようですね。原価と照らし合わせるとそこそこの値段ですが』
「いいんだよ元の世界に戻っちゃえばこっちでの貯金なんて意味ないんだし。こういうのは気持ちなの」
言いながらポカポカとやらのぬいぐるみをレジに運ぶ途中、何気なく周囲を見渡してみる。
【サイコキネシス】による索敵網は今のところ不穏な動きを感知していない。あるのはただ思い思いの日常を過ごす人々の営みばかり。
(平和だ)
ダアトで辛い修行を積んでよかったと、心の底から思えた。
敵がいないと安堵するだけではなく、自分にとって大切な日々を再確認することにも繋がるからである。
(何気ない日常がどうのこうの、ってこっち来るまではそんなに意識してなかったよなぁ)
そんな考えに至る自分がどこかおかしくて、圭介は口元だけを僅かに歪めて笑った。
まるで物語の主人公みたいだな、などと思いながら。




