プロローグ 女子更衣室より始まる物語
「おーすげー! あたし初めて客人がこっち来るトコ見ちったよ!」
意識が覚醒し始めた東郷圭介の耳朶に、明るい少女の声が響き渡る。
その若干うるさくも感じられる音源に薄く開き始めた目を向けると、賑やかな声と言葉遣いに反して浮世離れした美少女が立っていた。
腰まで届くウェーブのかかった金髪は夕暮れ時の川を想起させる美しさ。
逆卵形の整った顔には旺盛な好奇心を象徴するが如くくりんとした翠色の瞳が爛々と輝いており、元より背が低い彼女に更なる幼さを加えている。
「あたしエリカ・バロウズってんだ。よろしく!」
そんな腰に手を添えて仁王立ちする小さな彼女を下から見上げているという状況から、圭介は自身が尻餅をつくような体勢でいることを知った。
握手を求めたのであろう差し出された華奢な手を、起き上がるついでにそっと握る。
握ってから自分が女性慣れしていないことを思い出した圭介は軽く赤面しながらすぐ手を離したが、その反応に対してエリカは何も言わなかった。
「しっかし元気ないなあお前。気分悪いなら遠慮せずに言えよ。あたし医者じゃねーから無力だけど」
無遠慮に優しく気遣われるも、気分は一切悪くない。
強いて言うなら尻が少し痛い程度で、それも時間と共に薄まる程度のものだ。
圭介がこの事態に対して思うところはもっと別にあった。
「……あ? ンだおめぇ喋れねえのか?」
「え、ああいや、その」
言葉を交わすと同時に目をそらす。
最大の問題は、エリカが下着姿でいることだ。
加えて余所見をしようと試みた圭介は結果として、彼女以外の女子――おそらく圭介と同年代の少女達――の下着姿も目の当たりにする。
(いやあこんなにも荒唐無稽だといっそ面白いなあ。夢かな?)
彼はこの絶景に至るまでの経緯を憶えていない。
記憶の欠落ではなく、直前と現在の間に繋がりがない。映画の場面転換よろしく切り替わった日常と非日常を前にして、彼に出来ることは状況の把握程度だった。
一周回って冷静になり部屋の内装に気を配る。
衣服や袋を収める用途で作られたと思しき棚の数々。
砂や水を真下へと受け流す独特な網目模様の床。
そして圭介を見て絶句し固まってしまった半裸の少女達。
察するにこの場所は女子更衣室(絶賛使用中)のど真ん中である。
「…………」
「おぉ? どしたん急に」
圭介は無言で額を床に擦り付けた。
彼の人生において、何度目かの土下座である。
端的に言って申し訳がなかったのだ。
色々な意味で貞操観念のしっかりしている圭介は、女性の肌というものを軽く見ていない。
例え唐突にわけのわからない場所に移動していても、たとえ目前に己の肢体を晒して平然としている美少女がいようとも、鋼鉄の意志を以てしてそれを視界の外へと追いやってまずは謝罪を最優先する。
小学校低学年の時分に川原で拾ってきた猥褻な書籍をよりにもよってリビングで読んでいた彼に、容赦なく河津落としを決め込んだ母の教育の賜物であった。
知らない少女の下着姿など凝視するものでもないためほとんど一瞬しか見ていなかったが、中には涙を浮かべている女子もいたはずだ。
そうでなくてもお互い多感な年齢、ならば意図の有無を問わず恥をかかせた以上は男の側が謝ろうという圭介の考えは無難の一言に尽きる。
じっくり見たことによる後々の糾弾を懸念するならば、自己保身という意味も兼ねて土下座の敢行は有用な一手に違いない。
理不尽な思いをしたのはお互い様だ。ならばこの自衛的判断は間違いなく正しいだろう。
「目の正月を、ありがとうございました」
絶望的に本心を隠すのが下手くそという、彼の弱点を考慮しなければの話ではあるが。