約束をした話
「泣いてるの?お姉ちゃん」
そう言ったシキは体を起こして不安げにわたしの目をのぞきこんでいた。彼女の目の中の渦に吸い込まれるような気分になり慌てて目をそらす。
「お姉ちゃん?」
もう一度問いかけられて思い出す。泣いているのかと問われていたのだ。目の縁に触れると確かに濡れている。指で水分を拭い取って涙なんてみなかったことにしようとする。
「ごめん、わたし、寝ながら何か言ってた?」
「ううん、なんにも」
よかった、と顔を上げれば思い切り目を泳がせているシキがいて、思わずため息がでた。
「誤魔化さなくていいよ。わたしなんて言ってた?」
あー、とかうー、とか唸り声をあげたあとにシキは目をキョロキョロとさ迷わせてようやく答えた。
「違う、とかうるさい、って言ってたよ」
「それだけ?ほかには?」
念を押したがシキはゆるゆると首を振った。居眠りをしている間ずっと床についていた膝が痛む。痛みに顔を歪めながら立ち上がった。長い間眠っていたわけではない、と備え付けられている時計を確認する。不安げなシキを放っておくわけにもいかず、なんとなく笑いかけた。
「大丈夫、ちょっと夢見が悪かっただけ。ここに来た時からずっとそうだから気にしないで」
シキはなにか言いたげな顔をしていたが無言で頷いた。その表情がわたしを責めているような気さえした。
嘘つき。誤魔化してばかりで。
「シキも、今日のことあまり気にしたら駄目だよ」
わたしを責める言葉から逃げたくて曖昧に笑った。何を、とは具体的に言わないがシキには充分伝わったらしい。表情が硬くなり視線が下へ向いた。気にしないわけない。一度死んだことを、なかったことになどできない。
「だいじょうぶ」
シキは下へ向いていた目線を上げてわたしと目を合わせた。泣きそうな顔だったが、目には強い光があった。やはり気丈な子だと思う。わたしなんかよりもずっと強い子。
「そっか」
神様の馬鹿。
わたしは無言で神様を罵った。貴方のことなんて認めない。私を助けてくれない神様なんて、大嫌いだ。
わたしは次の実験について考える。今度はどうやって死ぬのだろう。今度こそ、死ねるだろうか。
そんな思いを繰り返して、もう何年たったのかわたしにはわからない。でもわたしは諦めてしまっていたし、シキがうまく諦めることを望んでもいた。折り合いをつけなければ、やっていられないのだ。諦めてしまうしか、方法はないのだ。
「多分白衣たちが来るまでまだかなりあるから、寝ようか」
シキはぼんやりと返事を返してきた。なにか、その、とかあの、とか小さい声で言っているのが聞こえてわたしは首をかしげた。
「寝たくない?」
「ううん、あのね、一緒のお布団で寝てほしくて」
シキの言葉にわたしは軽く戸惑った。シキは家にいた頃、誰かと共に寝ていたのだろうか。それなら仕方がない、とわたしが了承するとシキはほっとしたように力を抜いた。そういえば彼女は今日初めて死んだばかりなんだった、と思い出して了承したのは正解だったかもしれないと思った。
わたしはシキの寝ていたベッドに上がって横になる。
「せまい?」
「ううん。平気」
わたしに擦り寄ってきたシキは目を閉じようとしない。頭を撫でると、こちらをちらりと見てきた。
「大丈夫」
そう言うとこくりと頷いてようやく目を閉じた。慣れない人の温もりに、しばらく身動きができなかったけれど、いつの間にか意識を手放していた。
ミズノはいい子だわ。
聞き覚えのある声にはっとすれば、視界には暗闇の中に浮かび上がる白い天井。また夢か、と額に浮かんだ汗を手で拭った。
あまり動かないようにシキのほうを見る。シキは浅く速い呼吸をしながら小さく呻き声をあげていた。
少しずつ頭が覚醒してきて、シキがうなされているのだと理解する。シキ、と呼んで肩を揺さぶる。
シキがぱっと目を開く。てらてらと光る眼球を見せつけるように目を見開いて天井を見つめている。もう一度名前を呼ぶと、うん、と返事をする。
「大丈夫?」
体を起こして尋ねると、シキも体を起こした。まだ呼吸は荒く、うっすらと汗をかいている。
「だいじょうぶだよ」
声が震えているくせにそう言い張る彼女の目には段々と涙が浮かんでいく。どうしたらいいのかわからず、そろそろと手を伸ばし抱きしめるとシキは震えていた。わたしは彼女に回した腕に力を込めた。シキも腕を回してきて、嗚咽を漏らした。
はくいのひとたちがでてくるゆめをみたの。
細い体から絞り出された声にわたしは心臓を掴まれたような感覚になる。わたしもそうだった。わたしも初めて死んだとき、何度も何度も殺される夢を見た。
「大丈夫になる、慣れるよ。慣れるから」
そう言ううちにわたしの涙腺も緩んで視界をじわじわと滲ませていく。喉が熱を持つ。シキの嗚咽は段々大きくなっていって部屋に反響する。壁や天井で跳ね返ったシキの声がわたしの耳を突き刺した。
「ごめんね、ごめん。大丈夫になるから、楽になるから、我慢するの。苦しいのは今だけだから」
嘘ばかり並べてわたしも涙を落とす。何年たっても苦しいままのくせに、わたしはシキに嘘をつく。
この子はこれが嘘だと気がついている気がした。楽になれるなんて嘘。苦しいのが今だけなんて嘘。大丈夫になるなんて、嘘。
殺してください、どうか、どうか。
わたしがどれだけ願っても神様は現れてくれないし、わたしたちを殺してなんてくれない。
わたしの腕の中で泣いている小さな女の子にはどんな罪があるというのだろうか。何回も何回も痛めつけられて、それでも死ねない屈辱と苦しみを与えられる理由なんてどこにあるのだろうか。なんで神様は助けてくれないのだろうか。
「殺してやろう」
喉に熱い塊が詰まったように苦しい。吐き捨てるようにつぶやいたわたしの言葉をシキはきちんと聞いていたらしい。しゃくりあげているが大声を上げるのをやめた。
「わたしたちがみんな殺してやるんだ」
「どう、やって?」
「わからない」
でも、とわたしは壁を睨みつけた。涙は止まらずに頬を滑り落ちていくのに、かなしみよりも憎しみがわたしの中に満ちているのがわかった。
「絶対に復讐してやる。わたしだって普通に生きて普通に死にたかった。どうしてこうなっちゃったの?」
いままでのわたしがどこかへ消えていく。従順で、感情の乏しかった、全部諦めていたわたしが別れを告げている。白衣のされるままだったわたしが涙と一緒に流れでていく。
「全部悪いのは星なんだ。あんなの神なんかじゃない。あんなのを食べられる人に生まれちゃったばっかりにここに閉じ込められるなんて、酷い」
ミズノは、賢い子ね。わたしよりもずっと賢い。すぐに追いつかれちゃいそう。
頭の中に蘇る声を振り払うみたいに、だからと叫んだ。
「だからもっと大きくなったら、ここを抜け出すの。それで星も教会もここもなにもかも壊してやる」
「シキも」
ずっと黙っていたシキは体を離して、わたしの顔をじっと見た。真っ赤な目からは涙の筋がいくつも伸びていて、滑らかな肌を濡らしていた。
「シキも、お姉ちゃんと一緒に行く。やだっていってもいくから。シキもみんな嫌いだもん。ここの人達も司教さまも、みんな嫌い」
シキは私の目だけを見ている。渦が巻いて気持ちの悪い目だと散々言われたわたしの目を見てくれている。シキの目にも同じように浮かんだ渦巻きがあった。今度は目をそらさないで、彼女の目の中に吸いこまれていく。
「約束する」
彼女の目の中にいるわたしに向かって、手を伸ばす。彼女の右眼を手で覆ってわたしを目の中に閉じ込めた。シキの涙が手を濡らす。
「みんな壊して、後悔させてやる。教会なんてどうだっていい。わたしたちを何度も殺すやつらを殺してやる。それで、」
シキもわたしへ手を伸ばして、わたしの左眼を覆った。小さな手がわたしの視界を片方遮る。彼女がまばたきをするたび、長いまつげがわたしの手のひらをくすぐった。
「さいごに、必ず死のう。死ぬ方法探して、絶対に死のう。一緒に」
「わかった。シキも約束するよ。一緒に死のうね、約束だよ」