神様に祈る話
目の前で眠っているシキをじっと見つめると、まつ毛が長いことがわかる。痩せた小さな胸が呼吸で膨らんだりしぼんだりを繰り返している。呼吸がだいぶ戻ってきているから、もうすぐ目覚めるはずだ。
今日、シキは初めて死んだ。
わたしと同じように生き返るのかを確認するため、手っ取り早く、そして確実に死ぬ必要があった。そのためには首吊りが一番良い、と白衣は決定したらしい。これから何をされるのかわかっていない様子のシキの首に縄をかけ、足場を取り去る。これでシキは簡単に死んだ。
白衣の頭の悪さに不快感を覚えた。これでシキが生き返らなかったらどうするつもりだったのか?貴重な、星を食べる能力持ちが帰らぬ人となる可能性もあったというのに。
まあ本心を言うと、わたしは彼女が死ねればいいとおもっていた。何度も殺されることの苦しみと悔しさをこの子まで味わう必要はない。だからいっそこの一回目で死んでしまえと思った。
わたしたちは幸せになれない。
もちろん何を幸せと取るかで随分と変わるけれど。わたしにはこんな毎日を幸せだと思うことはできない。だからこの子も、わたしも、幸せになれない。
わたしは今日の実験がなかったから暇で、シキについていたいと白衣に頼んだら案外すんなりと許可が出た。寝ているシキのそばには彼女の心拍数を示す画面と白衣とわたしがいる。酷くゆっくりでほとんど止まっていた脈もほぼ正常に戻った。白かった顔にも赤みがさしている。彼女が目覚めるだろうことは明白だ。
わたしは軽い失望を覚えてシキの顔をじっと見ていた。起きた時にシキが冷静でいられることを祈った。神様なんているわけないのを知っていたくせに、祈らずにはいられなかった。
神様はいないんだった、と思い知る羽目になったのは言うまでもない。わたしが願ったことは全部反対になって現実になる。そんな馬鹿みたいな思いがひっそりとわたしの心の中に広がる。
シキはあっさりと目を覚ましたし、目を覚ましたあとしばらく錯乱した。白衣たちがシキを取り押さえようと奮闘する様子はおかしかった。昔わたしがシキと同じように暴れ回ったことを思い出して、そのおかしさは増した。昔の自分を他人の目線から見ているようで違和感を覚えた。
最終的に彼女は鎮静剤を打たれ気絶した。暴れる彼女を取り押さえるために体力を使い切った貧弱な白衣たちは、わたしにシキを運ぶよう命じて実験部屋から去った。
わたしの身長は多分そんなに高くないし、力だってない。でもシキは小さかったし痩せていたからとても軽かった。わたしでも簡単に背負えたおかげで、白衣たちに対する恨み言を心の中で吐くこともなかった。
「軽い、なぁ」
廊下を歩きながら呟くけど誰も返事をしない。シキはわたしの背中で穏やかな呼吸を繰り返しているだけだ。わたしはそれからは黙って部屋へ向かった。独り言を言う癖も直さなくちゃいけない、と決意をしながら歩いた。
部屋のベッドにシキを下ろすと背中のぬくもりが消えて、冷えた空気がすっと背中をなでた。ベッドの脇に座り込み、至近距離でシキを見つめる。
痩せた軽いシキ。
わたしよりも何回りも小さな体はこれからあと何回死ぬだろう。
「ごめんね」
わたしはこの子に謝らなくてはならない気がしていた。わたしがあの時怪我をして、その再生能力を白衣に教えなければ。不死身と言っても過言じゃないこの体に、白衣が気がつかなければ。
ごめん、と繰り返すとシキのまぶたが動いた。聞いていたのか、と若干驚きながらシキを注視する。
「起きたの?」
小声で呼びかけるが返事はなく、うめき声のようなものが漏れただけだった。まぶたは固く閉じている。
もう一度謝って、わたしはベッドに突っ伏した。わたしの頭のすぐ上にはシキがいる。自分の呼吸とシキの呼吸しか聞こえない。静かだ。呼吸の音に耳を澄ましているうちに、眠りの気配が近づいてきて、頭の奥がぼやけていく。誰かがそばにいるのはいつ以来だっけ。
慣れる。死ぬのには慣れる。意識が戻っていく感覚も、怖さも、薄れてしまう。目覚めるときに白衣に体の状態を確かめられるのも、なにもかも、慣れてしまえる。
「だから大丈夫だよ、シキ」
もうまぶたは落ちてきていて、何を考えていたのかもわからない。そんな状態でわたしは大丈夫、と繰り返した。そうして好きなだけ繰り返して、いよいよ眠りに落ちる寸前になってもわたしはまだ独り言を言う。
「でも、こんなにそばに誰かがいるのは、慣れないや」
シキが聞いていないのをいいことにまた呟いて、わたしは眠りに落ちていった。久しぶりに、死ではない眠りだった。
いるはずのない神様に祈る。どうかわたしたちを早く殺してください。もうこりごりです。この願いが叶うわけがないことなんて、わたしたちがよく知っているのに、まだ祈ることをやめられない。
本当に小さな頃から祈ってきたのに、神様は助けてくれない。どうして。わたしたちはこんなに苦しくて悔しいのに。神様は空の上からなんでもお見通しのはずなのに。
「わかってるでしょう。ミズノ。貴方達が罪人だからよ」
顔をあげなくても誰だかわかる。わたしは聞きたくなくて耳をふさいで叫んだ。
「あー、あー、あー」
「耳をふさいでも、目をつむっても無駄よ」
「あー、あー、あー、うるさい、きこえない」
「聞かないようにしても駄目。賢い子のミズノは気がついているもの。意味がないわ」
「うるさい、うるさいうるさい、聞こえないったら聞こえないもの。夢、夢だもん。夢、ゆめゆめ」
「かわいくて賢くていい子のミズノ。顔を背けても意味なんてないの、自分でよくわかるはずよ」
「違う、もういなくなってよ、消えてよ、うるさい、違う、違う」
「賢い子。賢くて、そのせいでこうして自分を苦しめているのね。可哀想な子。ミズノ、ねえ、わたしの方を見て、ほら。いつもみたいに」
「死んだくせにうるさい、もう、消えてよ!」
「お姉ちゃん!」
高い子供の叫び声で、わたしは目をあけた。体を勢いよく起こすと、目の前には心配そうに眉を寄せたシキがいた。
「泣いてるの?お姉ちゃん」