87.
須田は警察署に戻ってきた。まずは応接室ではなく、石村の課に向かった。石村は自分の机から離れて、コーヒーを飲みながら室内を歩き回っていた。
「たいくつそうだな」
須田がそう声をかけると、石村は機嫌の悪そうな表情で見返した。
「あいつが芸術家だって意味がよくわかったよ」
「つまり、まだ完成してないのか」
須田は声を出さずに笑った。
「わかってたんだろ、お前は」
「ああ、あてになるだろ。それで、どんな絵を描いてるんだ」
「背景をやたらと描いてる。どこかの倉庫らしいんだが、俺にはわからんね」
「倉庫か。置いてある荷物がわかれば、特定できるかもしれないな」
「なるほど、それじゃあ大いに期待して覗きに行ってみようじゃないか」
石村はコーヒーカップを持ったまま、足早に応接室に向かった。須田は急がずに、ゆっくりとその後を歩いた。
「まだできてないのか」
須田が応接室に入ると、石村のうんざりした声が聞こえた。須田は黙ったまま、山中が持っている絵を覗き込んだ。大体完成しているように見えた。
「ほとんど完成してるな」
「どこがだよ」石村は絵を指差した。「肝心の男ができてないだろうが」
石村の言う通り、かなり詳細に描かれた倉庫の情景とは対照的に、人物は相変わらず輪郭だけだった。
「いや、これだけ描けてれば、どこの倉庫かは特定できるかもしれない。何枚かコピーしてくれ」
「まあそうかもな」石村はうなずいた。「山中、ちょっと休憩だ。50枚くらいコピーをとってきてくれ」
「ええ、わかりました。」
山中は絵をひざの上に置いて、体を伸ばした。石村はふと何かを思い出して口を開いた。
「そういえば、倉庫は詳しく描けないと言ってなかったか?」
「いや、人間の記憶っていうのは侮れないんですよ。彼女が、思っていたよりもずっとよく覚えていたんです。おかげでかなり描けましたね」
「なるほど。まあとにかくコピーを頼む」
「ええ、行ってきます」
山中は立ち上がって、のんびりと部屋から出て行った。須田は山中の座っていた椅子に腰を下ろした。
「三島さん、まだ大丈夫そうですか?」
「ええ、大丈夫です」三島は明るい笑顔を見せた。「こんなに覚えているとは思ってませんでした」
須田は穏やかな表情でうなずいた。
「とにかく今は休んで、引き続きお願いします。大変だとは思いますが」
2人ともしばらくの間、黙っていた。しばらくしてから、須田はゆっくりと立ち上がった。三島は少し慌てたような声を出した。
「あの、本当に場所がわかるんでしょうか。それに私が見た男のことも、わかるんでしょうか?」
「それは私の本業ですから、心配は要りません」
須田は軽く笑ってから、ドアノブに手をかけた。
「三島さん、今はとにかくできることをやりましょう」




