110.
バーの中はそれなりににぎわっていた。バーテンダーは目ざとく須田を見つけて、軽く手を上げて声をかけてきた。
「今日もお仕事ですか?」
「そんなところだ」
須田はカウンターの前まで来たが、ストゥールには腰かけずに、奥の事務所を指差した。
「今はいるかい?」
「ええ、いますよ。呼んできましょうか?」
「いや、こっちから行くよ」須田は背後の大平をちらっと見た。「内密の話があるからな」
バーテンダーは微笑を浮かべてうなずいて、他の客の注文に対応しにいった。須田は大平に振り向いて、奥の部屋に続くドアを目で指し示した。
「行きましょうか」
大平は黙って須田に続いた。ドアの向こうには、何の変哲もない事務所があった。そこにいる男は多少派手だったが、それほど変わった人間にも見えなかった。須田は黙って応接用のソファーに腰を下ろした。大平もそれにならった。
「ちょっと待ってろよ。もうすぐキリがいいところだからな」
三山は書類から顔を上げずにそう言った。大平はその態度に多少驚いたようだった。
「ちょっと、無用心じゃないかと思ってるでしょう」
相変わらず顔は上げずに、三山は大平に声をかけた。
「その男が連れてくるのは、わけありであっても、危険な人間じゃない。まあその程度の信頼はあるっていうことでね」
やっと顔を上げた三山は、二人の向かい側のソファーに移動した。
「それで」三山はあごで大平を指した。「どちらさんだ?」
「今回の件で重要な人だ」
「で、俺にどうしろって言うんだ?」
「身の安全を確保してくれ。しばらくの間でいい」
三山と須田はしばらくの間、無言でにらみあった。三山は視線を外して、大平を見た。
「何も聞かなくていいんだな」
「ああ」須田はうなずいて、大平のほうに向き直った。「大平さん、そういうことですから、しばらくここにいてもらえますか?」
大平はとまどいながらも首を縦に振った。
「しかし、私に何も聞かなくていいのかね?」
「話したくなったら話してください」須田はそう言って立ち上がった。「私はこれで失礼します。仕事がありますので」




