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過去話①

傍観。


物心ついたばかりの少年の記憶に残る親の姿だった。


「おうおう、逃げる才能の開花だな、こりゃ」


「まぁまぁ、親として助けなくてはいけないですよ。あなた」


「はっはっは、それはお互い様じゃないか」


とりあえず、その声は少年には聞こえていない。聞こえてはいないが、助けは来ないことだけは悟り、追ってくる獣からひたすらに必死に逃げ惑う。


「ひぃやああ、こわいよっ、たすけてぇっ! お父さん、お母さん!」


少年の心の底から叫ばれる助けの声は間違いなく両親に届いている。届いてはいるのだが、応えは返ってこない。


そればかりか、少年が知らないだけでこの親二人の会話と言えば、


「しかし、見事だな」


「ほんとうですねぇ、かれこれ二時間近く逃げ続けていますねぇ」


逃げている、言い換えれば獣の攻撃そのものを避け続けている。それはある種の才能と言える。しかし、この少年の才能はまだ別に存在していた。


この場の誰もがその才能を知る者はいない。当然知らないのだから、両親である二人の企み、もしくは計画は別にあった。


「こんな世の中だ。いつ何が起こるとも限らないからな。実践経験は早めに摘んでおいた方がいい」


「ふふ、親の愛のムチですねぇ」


「当然じゃないか、俺たちの子だものな。それに一番愛しているのは――」


「きゃ」


母親が父親の肩付近を照れながら叩く。そして、いちゃつきはお互いの肩をぶつけ合いながら続いている。


「どうしてっ、どうじでっ、どぼじでぇ!」


実の親がまさかいちゃついて自分の存在が忘れかけ始めていることなど知らず、涙と鼻水を垂らしながら少年はいまだ逃げ続ける。


そんな時、一時休憩と獣が動きを止めた。この獣に知能というものはなく、本能で食糧の確保を行っているに過ぎない。しかし、本能とは別に経験という弱肉強食の世界で生きていた獣だってこの状況がおかしいことは分かる。それもそのはず、息を切らしているのは獲物を追っている自分自身の方だからだ。本来ならば一撃で仕留められる人間の子供。過去この獣は成人を過ぎた人間を食らったこともある。だから人間の中でも弱いはずの子供相手に自分が息を切らし、いまだ捕まえられないでいることが不思議で仕方がないのだ。


さらには、獲物の他に数キロ先に邪魔をしてきそうな存在が、なぜか助けに入ってこない所かいちゃつき始めているのだ。これが獣じゃなくてもイラつく。


悲しくも、その怒りは疲労を忘れさせ、目の前の獲物たる少年に向けられる。


「ひぎぃ、おこってる絶対おこってる目だぁああ!」


その直後獣の牙が何もない空間に歯ぎしりをたてた。


「ほらっやっぱりだっ! やっぱり食べようとしてるよっぉおおおおおおお!」


獣は思う、


「(そりゃ獣ですから。だから、早く食べられてください)」


思いながら疲れている体全身を遣い、尻尾を振り回した。それはとても遅い、少年もその動きにだけ合わせて後ろに跳び逃げた。


その瞬間、獣の瞳が光る。


待ってました! と言わんばかりに。


少年が飛び後ろに下がった場所には花や草が生えそろっている。それも、踏み荒らせるような柔らかい植物ではない。その枝は固く、引きちぎるにはそれ相応のチカラが必要なほどに。


「マズイっ!」


いちゃついていた父親が叫ぶ、


「あれくらい大丈夫ですよ、今まで逃げ続けてるんですもの」


尚いちゃつきが足りなそうにのんきに言う母親。


しかし、


「違う、あの植物はっ――」


少年の横で触れてもいないに、ガサッと植物が揺れた。


いや、動いた!


少年も、その獣も気が付いた時には遅かった。


何百という複数の牙を生えそろえた植物は大口を開き、獲物二匹を喰おうとしていた。


父親が緊急事態に地を思いっきり蹴飛ばし跳ぶ。母親も事態の悪さに遅れて父親の後ろを、我が子を守るために跳んだ。


グシャッ、バキュ、バキバキッ!


恐ろしく速く父親が現場に到着する。次いで到着した母親の耳に届いたのは、低く鈍い砕ける音だった。


一瞬で父親の頭に血が上る。


数キロ離れた場所から自身の子供の所へ到着する速さは感嘆に値する。しかし、植物の顎が動くよりも早くは到達していない。認識の甘さで息子が喰われたことに、あまりにも間抜けな結末を仕組んでしまった自分自身に怒りが限界を越えた。


それは、もう一人の親も同じだった。


「「殺す」」


二つの感情を入り混じりながら、後悔と自責の念を抱く前に二人は息子を奪った相手へと一歩踏み出した。


肉食植物が小刻みに震えだす。


恐怖。


当然、抱いてもらわなければ困る感情。


だが、


どこか様子がおかしい。


その様子に怒りがだんだんと冷静さを取り戻させた。


エグイ話し、鋭い牙を持つ植物に人間が喰われれば、地面はおびただしい血液によって赤く染まらなければおかしい。ところが地面にあるのはちいさな白い破片がいくつか見えているだけ。


「なんだ、これは?」


父親がその白い破片を拾い上げ物体の正体を探る。


「牙の破片?」


父親の奇妙な言動に今度は母親が微かに聞こえる泣き声を捉えた。


「……いたい、……いたいよぉ」


母親が息子の名を叫んだ!


「九煉!」



「いたいっ、いたいよ、おかさぁあああああああああああああん!」



我慢できない、と植物が口を開くと泣きながら九煉が無傷の状態で現れた。ついでに歯形くっきりで獣も命からがら吐き出される。


その間に九煉は母親の胸に抱かれ、無事に帰還した。


「九煉? け、怪我はないの?」


「ぅ、うん」


両親は戸惑いを隠せない様子でお互いに目を合わせた。


「あ、ああ、たぶん、アレだな」


「え、ええ」


「試してみるか」


「あなたさすがにそれは――」


母親が言い切る前に九煉は、父親に捕まった。


そして、牙が無事な植物のもう一つの頭に放り出されていた。



「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああっっっ!」



少年が無事か、


植物か無事か、


この現場を目撃したのは恐怖に慄く獣だけだった。


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