Phase:5
あの赤い雪の後は特に変わったことなどなかった。そう感じていた。ニュースでは赤い雪のことを空の涙と言い、評論家は嘘か誠かあの奇妙極まりないあの現象を一種の自然現象でしょうとか、ほざいている。あの日、あの時、袱紗市で起きたことを自ら目の当たりさえすればあれを一種の自然現象と言えるか? 言えるわけがない。だってあれは何かこの世にはない不吉を持っている気がした。きっとあれはこれから何かが起きるという前兆だ。じゃあ何かとは何だろう。それがわかれば苦労はしないんだけど。
女の人に会ってから一週間がたとうとしていた。今目の前にはいつもと変わらず籠林が男子と会話に花咲かせているが、紋乃は一週間目のことがどうしても忘れられなかった。たまには物思いにふけていたら友達に「具合悪いの? 保健室行く?」と言われてしまった。やはり紋乃には考えている姿は合わないのだろう。どちらかといえば活発な方であったが、あの日から少しいつもと違う。籠林からは「心配のし過ぎだよ」とか言われる始末。
あれが普通なのかと思ってしまうがあれを心配しない方がおかしいのではないかと思う。だから、籠林はおかしいのである。そうこうしているうちにまた紋乃は考え事していることに気がついた。
「あれを割り切れるかっつーの」
誰に言うでもなくそう言うが、籠林がこっちを向いたような気がする。気がついた? いや、気のせいか、依然として籠林は友達と会話をしいるし、きっと気のせいに違いない。
あれから籠林は変わったと思う。友達なんかと話すやつじゃなかったのに今は放課後だというのにも関わらず話をしている。一週間前からは決して想像できない光景だが、一週間前の出来事をこのクラスメ―ト一人が見ていたらしく。問い詰められたりしているうちに友達になっていたという。なんとも面白い友達の出来事である。もう笑うしかない。
視線を感じた。その視線を感じた先には確か籠林がいたはずである。会話が終わったのかと思い、少し愚痴るように言った。
「遅いぞ、もう少し……は?」
目が合った。明らかに籠林ではなかった。というか、性別上、男ではない女だ。
「え? 大丈夫? 気分悪そうだったから」
―またこれか……
そうは思うが、今日は人間違いを引き起こしている。恥ずかしくて顔が見れなかった。というか、目を合わせたら笑われてそうで見たくない。
「けど、大丈夫そうね」
と笑って見せた。彼女はかわいらしいと思う。少し幼い気もするが、スタイルといい笑顔といい文句のつけようがなかった。むしろずっと、見ていたい笑顔である。ずっと見ていても飽きない自信がある。それくらい彼女は可愛らしいのだ。
笑いを残し立ち去ろうとしていたところを呼び止めた。
「埼京さん、ありがとね」
「埼京さんなんて、私のことは希紗那で良いわよ」
「ありがと、さいきょ…」
―埼京?
「そのうちなれるわ」
と言って笑って見せた。それにつられて笑うが紋乃は表面上の笑いだけだった。本心は笑っていない。それは一つの疑問に行き着いたからだ。
埼京。
あの一週間前の女の人の名前。
『私の名前は……』
そこで女の人は一度天を見上げた。何かあるわけではなかった。さっきまで雨が降っていたのである。紋乃の嫌いな雷も鳴っていた。そう、だからあるといえば重苦しい雲だけである。だけどもその時は夜であったから雲もあるような気がすればないような気がしなくもないが、見えるのは闇いっぱいの夜空だけであった。
そう、一拍置くなり女の人はこう言ったのだ。
『埼京響子よ、じゃあ今日は人待たせてるから、またね』
そうして後姿がだんだんと小さくなって最後は消えたのだ。見えなくなっただけではあるのだが、あの光景は消えるといった方が当てはまるだけのことだ。
紋乃は響子のことを好きにはなれなかった。これが生理的には受け付けないというのか。紋乃にとって初めての感覚だった。
あの赤い雪に負けず劣らず奇妙な感じを拭えなかった。どうして、とか、なんで、とか自分なりの答えを出そうと思っても決して出ることはなかった。だかr籠林に聞いてみたのだが「そう? かわいいと思ったけどなー」って会話になってないじゃねかーとか叫びたくなったが、あえてそこは口には出さず心にとどめて置いたが、いつ爆発するともわからないが。結局は答えに行き着くことはできなかったのだが。けども、今ならわかるかも知れない。心の奥底で眠る何かを希紗那は答えを知らずともヒントを持っているのではないか。そのヒントを使えばこの難解極まりないこの何かを解き明かしてくれるのではいかと期待をしている自分がいることに紋乃は気がついた。
埼京という苗字。袱紗市全体を探したところで数などたかが知れている数にすぎないだろう。じゃあもし、知っていたらどうするのか。その先を考えるならば、希紗那の気に障らない程度に聞き出してみる。希紗那を利用しているみたいでちょっとは悪い気もするが、今回だけだ。人を利用するのはと考えるが、今日だけと割り切る。
「あのさー、埼京響子って人知ってる?」
あからさまに希紗那の顔がみるみるうちに悪くなっていく。反応からして知っているには違いないのだが、希紗那は紋乃のことをなんで知ってるの的な顔で見つめている、いや睨んでいた。しかし、ここまで言ってしまったのだ。もう紋乃も後に引くことなどできなかった。むしろ、この状況下ではぐらかしてしまえばもっと状況が悪くなっていくような気がした。というか悪くなるであろう。
希紗那は無言だった。どうしたの? とか言いたい気持ちになったが状況が状況だけにやすやすとは発言できなかった。そのなんとも言えない雰囲気が紋乃にとってやるせなかったが、きっと今は耐えるしかない気がしていたのでじっと黙っていた。
時間が遅くなるにつれて放課後の団欒を楽しんでいたクラスメートも少なくなっていった。
十七時三分
沈黙を断ち切るように希紗那は話した。