第6話 残る感覚
朝から、体が重かった。
エリアは食卓の椅子に座り、湯気の立つスープを前にして、しばらく動かなかった。
空腹はある。だが、食欲が追いつかない。
(昨日より……重い)
眠れていないわけじゃない。
熱があるわけでもない。
ただ、体の奥に疲れが沈んでいる。
そんな感覚だった。
「エリア」
父の声がする。
「今日は、軽めでいい。
あとで庭に出て、剣を振ろう」
いつもの訓練の声。
だが、今日は少し柔らかい。
エリアが顔を上げると、父はじっとこちらを見ていた。
「……無理そうか」
問いというより確認、見ての通り疲弊している。
「少し……疲れてる」
正直に答える。
父は、すぐに頷いた。
「そうか」
それ以上、責めない。
「今日はやめておこう。
体がついてこない日は、剣も応えてくれん」
逃げではない。
判断だ。
「夕方、様子だけ見せろ。
それでいい」
「……うん」
部屋に戻っても、頭の奥が静まらない。
波紋。
水面に広がる輪。
そのあとに残る、あの感覚。
(……あれ)
考えすぎる癖が出る。
(使いすぎ?)
(でも、何を?)
(集中って、こんなに体力使う?)
答えは出ない。
だが、可能性だけが残る。
エリアは立ち上がった。
(行くだけだ)
⸻
森の手前。
霧の調査は、今日も大きな変化がなかった。
器具をしまいながら、アルバートは周囲を一度だけ見回す。
「反応がない」ことを記録する。
空振りもまた、情報だ。
隣を歩くラミアは、霧の濃淡を見て、首を傾げた。
「今日も……静かですね」
「騒がしいのも問題だ」
アルバートはそれだけ言った。
森を抜ける途中、湖が見えた。
水面に、小さな人影。
釣竿を持った少年。
足元には魚が一匹。
その魚が、やけに大きい。
ラミアは思わず足を止めた。
「釣り?」
素朴な感想だった。
だが次の瞬間、視線が水面へ移る。
石が落ちた。
ぽちゃん。
波紋が広がる。
少年は、そのあとを、じっと見ている。
ラミアの眉がほんの少し動いた。
「……あれ? 石……?」
それは疑問だった。
エリアではなく、アルバートに向けた疑問。
「石を投げて……釣りをしてる?」
アルバートは答えず、ただ湖を見たまま、短く言う。
「……そう見えるかね」
釣りに見える。
だが、それだけじゃない。
ラミアは一歩前に出た。
そして少年に、初めて声をかける。
「大きなお魚だね」
エリアは顔を上げる。
見知らぬ少女と、その後ろに立つ大人。
「ああ。焼くと美味いんだ」
いつもの答え。
ラミアは小さく笑った。
会話が途切れた、そのとき。
エリアは無意識に、もう一度石を拾った。
投げる。
波紋が、また広がる。
ラミアは今度こそ、見た。
石そのものに、何かをした様子はない。
投げ方も普通だ。
それなのに――
(……波の広がりで、見てる?)
魚の位置を誘導してるんじゃない。
水面の揺れがどこかで歪むのを、拾っている。
一点じゃない。
湖全体だ。波紋が広がってる。
(……これ、水の魔法……?)
いや、もっと変だ。
「使ってる」って顔をしていない。
分かってやってるわけでもない。
魔力は感じた、着水の瞬間も。
それでも結果だけが出ている。
ラミアは、はっきりと言った。
「……すごいわね、あなた」
称賛は、飾らない。
そのまま出た声だった。
エリアは少し照れたように視線を逸らす。
「焼くと美味いから」
少しズレた返答だな、とラミアは思ったが、笑わなかった。
今見たものは、そんな軽さで片づけられない。
今の光は。
アルバートは、エリアを観察していた。
内側に抱えているものが大きい。
だが、そのわりに――呼吸が浅い。姿勢が崩れる。疲れが出る。
アルバートは静かに近づいた。
「君」
声は落ち着いていた。
「疲れやすいかね?」
エリアは一瞬、驚いた。
と同時にラミアも驚いていた。
「はい」
エリアの答えは早い。
隠す気がない。
「少し動くだけで、しんどくなる」
アルバートは頷く。
「君には……大きな魔力がある」
断定口調ではない。
だが、見誤ってはいない。
「だが、それを通す“道”が、まだ細い」
ラミアは黙って聞いた。
アルバートの言葉を、途中で奪わない。
エリアは眉をひそめる。
「……道?」
「体の中にある、魔力の通り道だ」
言いすぎない。
でも、必要な形だけ渡す。
「君は、溜め込んでしまっている。
それで体が削られる」
エリアは、思い当たることが多すぎて黙った。
アルバートは少し間を置いて、問いを変える。
「このあと、体を使う用事はあるかい?」
エリアは正直に答える。
「夕方……父上が、剣を振れって」
アルバートは一度だけ頷いた。
「今日は無理をするな」
命令じゃない。
助言だ。
「その代わり、次に会ったら――“抜き方”を教える」
エリアは衝撃で言葉を失っていた。
この原因不明の体力消耗の仕組みを理解している人がいるのかと。
そしてそれが魔力であると。
ラミアは、エリアを見た。
目の奥に、妙なひっかかりが残る。
さっき。
石が水に当たった瞬間。
ほんの一瞬、
淡い光が揺れたように見えた気がした。
見間違いかもしれない。
いや、見間違いであって欲しい。




