表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花はまだ、魔法と呼ばれていない  作者: 松原 崇


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/27

第27話 虚実


 朝の空気は冷たくて、頭が冴えた。


 エリアは鐘楼の階段を上りきり、屋上の端に敷布を広げた。

 ここは音が少ない。風だけが通る。


 座る。

 目を閉じる。

 呼吸を整える。


 昔は、ここに来るだけで疲れていた。


 今は違う。

 来るのはただの移動で、瞑想はもう“作業”に近い。


 体の奥に意識を向ける。

 流れる。整う。詰まらない。


 後半に入って、エリアは目を開けないまま指先をわずかに動かした。


 足元から薄い水の輪が生まれる。

 音はほとんどない。濡れた感じもない。

 そこにあるのに、風みたいに軽い。


 輪はゆっくりとエリアの周囲を回った。


(……今日はこっち)


 攻撃は、もう作れる。

 狩りで散々試した。初手の取り方も、間合いの伸ばし方も、それなりに形になってきている。


 でも守りはまだ薄い。


 剣で受けるのはできる。

 けれど魔法の守りは、まだ形が定まらない。


 エリアは輪の流れを少しだけ遅くした。

 水の動きが重くなる。


 粘度を上げる。


 輪の一部が、さっきより鈍くまとわりつく。

 速く流れる水とは違う、留まろうとする感触。


「……止めるなら、こっちか」


 小さく呟く。


 水は水のままだ。

 硬くはならない。


 硬くするなら、氷まで持っていかないと駄目だ。

 でも、そこにはまだ届かない。


 今の自分にできるのは、せいぜい流れを重くして、通り抜けにくくするくらいだ。


 エリアは輪の一部を引き上げた。


 水が立つ。

 薄い膜のように持ち上がって、体の前に一枚の壁を作る。


 けれど、頼りない。


 押されたら歪む。

 強く打たれたら、そのまま裂けそうだった。


「……だよね」


 次は一枚ではなく、何層かに分ける。

 薄い膜を、少し間隔を空けて重ねていく。


 外は流れを残す。

 内側は粘度を高める。


 一枚目で勢いを削って、二枚目で絡め取り、三枚目でようやく止める。

 そういう形を頭の中で組みながら、水を並べる。


(これなら、少しはましか)


 指先をひねるたびに、水の膜がわずかに揺れる。

 均一に保つのが難しい。


 どこか一箇所でも薄くなると、そこから抜かれる。


「……むず」


 ぼそっと言って、息を吐く。


 守りは欲しい。

 でも今の水では、“受け止める”より“殺す”ほうが近い。


 勢いを鈍らせる。

 軌道をずらす。

 絡めて、抜けを悪くする。


 真正面から止めるには、まだ足りない。


 斧とか、槌とか、重い一撃を思い浮かべる。

 ああいうのを正面から受ける形じゃない。


「強い物理攻撃に対する手段がなぁ……」


 言い方だけは軽い。

 でも顔は真剣だった。


 輪を解く。

 細くして速く流す。

 遅い水。速い水。重い水。軽い水。


 ひとつずつ試して、覚えていく。


 最後に水を消す。

 散らず、霧にもならず、すっと戻った。


 エリアは立ち上がって肩を回す。


「……よし」


 空を見上げる。


 風は冷たい。

 でも、体は軽かった。


(やっぱり剣は置けないな)


 魔法の守りはまだ弱い。

 だから今は、剣の受けと身のこなしが要る。


 魔法だけで全部済ませるには、まだ早い。


 敷布を畳み、鐘楼を下りる。

 今日の訓練は、ここからだった。



 庭は朝の光でまだ淡かった。


 芝は冬を越えて色がまばらで、踏むと少しだけ湿り気が返ってくる。

 その湿り気が、今日の足裏には邪魔にならない。


 ローガンがすでに立っていた。

 腕を組み、いつものように黙って見ている。


 エギンが木剣を一本、差し出した。


「本日も、いつもの型から参ります」


「うん、お手柔らかに」


 エリアは受け取る。


 昔は持つだけで重かった。

 今は違う。

 重さを知った上で、余計な力を抜ける。


 礼。


 エギンが木剣を上げた。


 エリアは構えた――ように見えたが、実際には“構えていない”に近かった。

 肩の力が抜けている。

 剣先は定まらない。

 重心も少し遊んでいる。


 だるそうで、気が抜けていて、妙に自由だった。


(……またその顔か)


 エギンはそう思って、すぐに考え直した。


 最近は、その“やる気のなさ”が一番危ない。


 踏み込みは普通。

 振りも、見た目だけなら特別速くない。


 ――なのに。


 来ると思えない。


 次の瞬間、木剣の先がもうそこにあった。


「……っ」


 エギンの袖がかすかに揺れる。

 当たってはいない。

 だが、当てられている。


 速いわけじゃない。


 起こりがない。


 見てから動こうとした時には、もう終わっている。

 身体が遅れたのだ。


 エリアは何事もなかったみたいに一歩引いた。

 呼吸も、目の色も変わらない。


 この半年、エリアは一撃目で終わらせる形を自然に磨いていた。


 考えて選んだわけではない。

 そうするしかなかったから、そうなった。


 長引けば体力は落ちる。

 体力で不利なのは、自分が一番よく知っている。


 だから先に取る。


 最初に、終わらせる。


 エギンは木剣を握り直した。


(知っていなければ、喰らう)


 来ると分かっていても危ない。

 来る顔をしていないのが厄介だった。


 虚実。

 あれは虚だ。

 なぜこの年齢で虚実をあつかえる?

 非凡だとは思っておりましたがこれが天性の才ですか。



 構えるふりをして、構えない。

 隙を見せているようで、隙を置かない。


 そして同じ空気のまま、一撃だけが現れる。


 二合目。


 今度はエギンが受けた。

 受けたはずなのに、手の中で音がわずかに遅れた。


 乾いた音が、少しだけ遅い。


 攻防は続く。


 エギンはむやみに速くしない。

 丁寧に詰め、角度を変え、反応を拾いにくる。


 エリアは追わない。

 追わないまま、取れる瞬間だけを待つ。


 数合。


 十合。


 以前なら、この辺りで息が乱れた。

 腕が重くなり、体より先に考えが焦った。


 今はまだ保つ。


 エギンが少しだけ強く打ち込んだ。

 エリアは剣で受けず、体ごと外して“当たらない位置”へ逃がす。


 受けるより、当たらない。


 その選び方が、もうただの型ではない。


「そこまで」


 木剣が下がる。


 礼。


 エリアは息を吐いた。

 汗はある。

 けれど、立ったまま肩を回せる程度には余裕が残っていた。


 ローガンが一歩前へ出る。


「……今の初手」


 エギンが静かに頷いた。


「知っていなければ、受け損ねております」


 ローガンの視線がエリアに向く。


「エリア、自分ではこれをどこまで分かっている」


 エリアは少し考えた。


「半分くらい?」


「半分か」


「もちろん初動を悟られないようにしないとなーとは思ってるんだ。でも考えすぎるとできないんだよ」


 ローガンは短く息を吐く。


「誰にでもできることではない」


「うーん難しいね。たまにエギンがやるから真似ただけだけどね」


 エリアは素直に頷いた。


 ローガンは続けた。


「あれは速いんじゃない。遅れさせられている」


 速いように感じる、それだけだった。


 褒めたわけじゃない。

 評価として。


 でも、エリアは十分嬉しそうだった。


 エギンが木剣を受け取り、一礼して下がる。

 庭にはローガンとエリアだけが残った。


 朝の冷たさが、少しずつ薄れていく時間だった。


 ローガンが言う。


「お前の剣は面白い」


「そうかな?」


「この先、魔法だけで全部やる気かと思ったが」


「まだ全然無理だよ」


 エリアは肩を回しながら答えた。


「守りの形、全然足りないし」


 ローガンの眉がわずかに動く。


「魔法の守りか?」


「うん。真正面から強いのを止めるのは、まだ無理そうなんだ」


 少し黙ってから、エリアは続けた。


「だからか……魔法のほうが気になる」


 ローガンはすぐには返さなかった。


「分からないことが増えてきたか」


「うん」


「わからない事を放っておくの苦手なんだよね」


 ローガンはエリアを見たまま、低く言った。


「なら、土台を作れ」


「はい」


「剣は捨てるな」


「捨てないよ、今のところは」


 即答だが曖昧。


 それでもローガンは十分だったらしい。

 それ以上は何も言わない。


 ただ、踵を返す前に一言だけ落とした。


「もう時間の問題だな」


「……なにがさ」


「そのままの意味だ」


 父らしいような、そうでもないような言い方だった。


 エリアは少しだけ笑った。



 屋敷へ戻る途中、廊下の角でメルと会った。


「エリア様、お怪我は?」


「ないよ、ありがとう」


「なら結構です。旦那様が、保管部屋へは勝手に入るなと」


 エリアは眉を寄せる。


「見るだけでも?」


「見るだけなら、後で声をかければよいそうです」


 完全な禁止ではない。

 それがローガンらしかった。


 メルは続けた。


「あと、狼さんですが。今日もあの辺りに大人しくいるそうです」


 エリアの足が少しだけ止まる。


「……ちゃんといるんだな。暇じゃないのかな」


「町へも人へも寄らず、とのことです」


「そっか。なんか肉でも持ってこうかな」


「旦那様に叱られますよ」


 狼、本、石。

 線で結ぶには足りない。

 でも、無関係だと言うには残りすぎていた。


「エリア様?」


「ううん」


 エリアは首を振る。


 今は狼を見に行く方じゃない。

 先に見るべきものが、屋敷の中にある。


 本の中身ではなく、本の形。

 綴じ方。

 図解。

 収め方。


 板を直接どうにかするより、そっちが先だ。


「あとで行ってくるね」


「狼さんのところへですか?」


「うん。狼さんのとこ」


 エリアは小さく笑い息をを吐いた。


「やっぱ名前つけてあげなきゃね」


 狼も気になるがまずは本からかな。保管庫までの足は軽かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ