第24話 言い訳
屋敷へ戻る道は、いつもより長く感じた。
腕の中の本はやけに重い。
袋の中の黒い石は、触れていないのに存在だけが主張してくる。
それより――隣を走る大きな影。
狼。
(……このまま連れて帰るのは流石に無理だな)
門の前で止められる。止められるどころじゃない。騒ぎになる。
隠す?
でも、隠しても意味がない。
明日、部隊が森へ向かえば狼がいない事に気づく。
そして“何かを守っていた”と踏めば、あの場所は掘られる。
墓も、本も、暴かれるかもしれない。
大事な場所なら慎重にしたい。
(言うべきか)
喉がきゅっとなる。
怒られる。止められる。
勝手に動いたことも、森の奥に入ったことも。
でも、言わないと終わる。
走りながら狼を見ると、ちょうど目が合った。
赤い目。綺麗な目。
昨日のような濁りはない。
迷いが伝わったのか、狼は首を振った。
左右に、一回だけ。
(……え)
偶然かもしれない。
でもタイミングが良すぎる。
狼はもう一度、首を振る。
「……わかってるの?」
返事はない。
ただ走る速度を落とさない。
(この狼は本当に賢いのかもな)
昨日の“戻る”も。
吠えたのも。
墓の前で譲ったのも。
全部、意味があった。
「うーん……じゃあ」
エリアは屋敷へ向かう道を少しだけ逸らした。
鐘楼の横。
屋敷の外縁にある小さな林。人が普段入り込まない場所。影が濃く、見通しが悪い。
そこで足を止める。
「ここで待ってて」
狼は一歩だけ前へ出て、また止まる。逃げない。
「この辺、広めに使っていいよ。出てこなければ誰も気づかない」
狼は鼻先を少し下げ、息を吐いた。
肯定――に見えた。
本を抱え直し、袋の口を締める。
そして屋敷へ向けて歩き出した。
(さて)
どう説明する?
基本は正直に言っていい。言い訳すると余計面倒だ。
怒られるのは確定。でも説明すれば分かってもらえるはずだ。
狼の安全性は――大丈夫だ。少なくとも今は。
自分から襲ってこなかった。意思疎通もできた。
相槌も、目配せも、意味があった。
魔石のせいか体も大きい。脳なんて自分より大きいだろう。
だから――説明すれば、分かる。
「……もう分かった」
エリアは小さく言う。
「あの狼は、賢い」
そう信じて、歩幅を速めた。
⸻
食卓は、すでに動いていた。
スープの湯気が立ち、黒パンが裂かれる音がする。
皿の上では焼けた脂がまだ小さく光っていた。
アーサーは旅装のまま、いつも通り落ち着いて食べている。
フェイは「いただきます!」と元気よく言ったあと、勢いのまま肉を切り分けていた。
今日の朝食は、明らかに豪勢だった。
香草で焼いた鹿肉の厚切り。
油で表面を焼き固めた川魚。
根菜の煮込みに、生の肉を使ったスープ。
木皿の端には蜂蜜で甘くした干し果。
そこへ、扉が開いた。
「おはよう」
エリアが入ってくる。
声は普通。
だが服が普通じゃない。
濃紺の短い外套。裾は動きやすい長さで、肩に留め金がひとつ。
中は生成りの薄手のシャツに、茶のベスト。
脚は黒のズボンに布巻き、靴底の薄い革靴。
走れる格好。
食卓の空気が一瞬だけ止まった。
ローガンが目を上げる。
「……その格好は何だ」
「ちょっとね、出掛けてた」
エリアはしれっと席に座る。
メルがすぐ寄ってきた。いつもと同じ手際。
「エリア様、朝食でございます」
置かれたのは温かい根菜のスープ。
それと切り分けた鹿肉の端切れ。
魚は骨が少ない腹側だけ。
子ども用の“ちょうどいい”盛り方。
エリアは一口飲んだ。
(うまい)
腹が落ち着くと、言葉も出しやすい。
ローガンが低い声で言った。
「今日の方針を確認する。討伐隊は森へ入る。目的は狼の再確認と、黒い石の件だ」
アーサーが短く続ける。
「かなり危険な攻撃をしてくる。討伐前提で行動する」
フェイがハキハキと。
「隊列は三班! 斥候、包囲、後衛! 深追いはしません!」
エリアは黙って肉を噛む。
ローガンが言う。
「エリアは屋敷に残れ」
「……うん」
一拍。
エリアはパンを置いた。
「あのさ」
全員の視線が動く。
エリアは申し訳なさそうに笑う。
「森にさ、先に行ってきた」
部屋が一瞬、固まる。
フェイが声を上げる。
「はぁ!?」
ローガンの声が低くなる。
「森のどこまでだ」
「奥。……立ち入り禁止の向こう」
アーサーが目を細める。
「何をした」
エリアは一瞬だけ迷う。
それから観念したみたいに言う。
「狼を落ち着かせた」
フェイが一歩前に出る。
「落ち着かせた!? あれは魔物です!」
「うん、分かってる」
エリアは素直に頷く。言い訳はしない。
「止められるのも分かってた」
「……なら、なおさらだ」
「でもさ」
エリアは言葉を探す。
「昨日の話、変だったよ」
ローガンが眉を動かす。
「変?」
「襲ってるのに、ずっと同じ場所に戻ってたって」
アーサーが短く補足する。
「……ああ。退かない個体だった」
エリアは頷く。
「それで、胸のとこに黒いのが見えたって言ってた」
フェイが言う。
「だから討伐――」
「討伐する前に、試したかった」
エリアは小さく肩をすくめる。
「出来るかどうか、っていうより……確かめたかった」
ローガンの声がさらに低くなる。
「結果は」
「……胸の黒いの、取った」
沈黙。
アーサーの表情が固い。
「取った、だと?」
「うん」
フェイが机を叩きそうな勢いで叫ぶ。
「取った?そんな簡単に!?」
ローガンが言う。
「……それで狼は」
「倒れた。しばらく動けなかった。今は落ち着いてる」
アーサーが息を吐く。
「……生きてるんだな」
「生きてる」
ローガンが一拍置いて言う。
「黒い石は」
エリアは少し困った顔をする。
「持ってる」
フェイが食い気味に。
「どこに!」
エリアは、ここで言うべきか迷う。
そして、思い出したように言う。
「あ、そうだ」
全員が見る。
エリアは申し訳なさそうに笑った。
「狼。鐘楼の横の林で待たせてるんだけど」
――空気が、音を失った。
次に何が起きるか、エリアには分かった。
分かってても言った。
言わないと始まらないから。
ローガンが、ゆっくり椅子から立ち上がった。




