第18話 感覚からの成長
湖は、三年前と変わらない。
変わったのは、エリアのほうだ。
籠を岸に置く。
「さて」
指先から、丸い水の球をひとつ放つ。
ぽちゃん。
広がる波紋。
それだけで十分だった。
そのまま意識を水中へ。
「お、いるいる」
水中で展開した網を閉じる。
「まずは二匹と」
籠へ移すと、水膜が内側を包み込み、即席の水槽になる。魚は落ち着いたまま泳いでいる。
もう一度。
今度は少し広く。
小さい影もかかった。
「これはリリースだな」
網目を、ほんの少し広げる。
するり、と小さな魚だけが抜ける。
「また大きくなったらね」
残ったのは、掌より大きいものだけ。
「これのくらいあればいいか」
籠も以前なら重かった。
だが中の水は浮力を持っている。
この湖までの道も、三年前なら来るだけで息が上がっていたのに、今はふつうに走れそうだ。
(……本当に、楽になったな)
三年前。
鐘楼の上で、意味の分からない“網”を作ったあの日。
薄い部分を擦って、粒を揃えて、流して。
走れた。笑えた。
あれから、ずっと瞑想は続けている。
今はもう、網で擦らない。
意識せずとも薄めて粒にして流せる。
当たり前みたいに。
僕は湖を振り返る。
ラミアとは、まだ会えていない。
今頃彼女は魔法大学へ入学しているだろうか。
「大学、来てほしいな」
あのときの声が、ふとよぎる。
(行くかどうかは、まだ決めてないけど)
会いに行くとは言った。
話したい事がたくさんある。
約束は、守るさ。
⸻
軽い籠を片手に、孤児院へ向かう坂を上る。
石壁が見えてくる。
三年前、ここで兄上が立ち止まったことがあった。
古びた外壁を、何気なく撫でながら言ったのだ。
「守るってのは、立ってるだけじゃ足りない」
そのときは、よく分からなかった。
強ければいいんだろう、くらいに思っていた。
でも今は、少しだけ分かる気がする。
守るには、動けないといけない。
間に合わないと意味がない。
籠の中の水が揺れる。
(……走れるって、いいな)
エリアは歩幅を少し広げた。
孤児院の門をくぐると、声が飛ぶ。
「エリア兄ちゃん!」
駆け寄ってくる。
三年前より、背の伸びた子もいる。
新しい顔もある。
「今日は魚だ」
籠を見せると歓声が上がる。
「でかっ!」
「泳いでる!」
修道女セリナが出てきた。
「まあ……こんなにたくさん」
「ちょっと多かったですかね」
エリアは肩をすくめる。
「でも大きいのだけです」
「いつも本当に、助かります」
子どもたちが籠を覗き込む。
その水面がふわりと揺れる。
小さな手が触れようとすると、水が少しだけ避ける。
「わあ!」
「すごい!」
エリアは何も言わない。
見た目より冷たいので避けているだけだ。
「畑にもお水ほしい!」
セリナが頷く。
「ええ、そうね。」
セリナが井戸へ行こうとすると、エリアがその場から井戸へ指をさした。
指先を上げる。
水が持ち上がり、玉となり、細く伸びる。
そのまま畑へ。
畑の空中で霧となりその場に降り注ぐ。
土がゆっくりと色を変える。
子どもたちが歓声を上げる。
「雨だ!」
「違うよ、エリア兄ちゃんだ!」
エリアは笑う。
広げすぎない。
溢れさせない。
ちょうどいい量だけを、順に。
「すごいなあ……」
背後で小さな声。
振り向くと、セリナが微笑んでいる。
「三年で、ずいぶん頼もしくなりましたね」
「そうですか?」
「ええ。小さな子たちは、あなたが来ると落ち着くんですよ。はしゃいでもいますが」
エリアは少しだけ照れる。
子どもたちの一人が袖を引いた。
「あれちょーだい」
エリアは掌に水球をだした、それは粘度を調整しゴムボールのようにしたものだ。
「はいよ」
ポーンと跳ねながら転がっていく。
笑い声が広がる。
(こういうのは、なんか平和でいいな)
セリナが静かに言った。
「最近、森の奥で魔物が増えていると……聞きました」
僕は顔を上げる。
「ああ。父上も言ってた」
三年前、王都へ報告が上がった話。
“森で異常があるかもしれない”と。
あれが、動き出している。
「討伐部隊が来るそうです」
「……兄上かな」
「ええ」
子どもたちが顔を上げる。
「兄ちゃん来るの!?」
「ほんと!?」
僕は頷く。
「たぶん、ね」
胸が少しだけ高鳴る。
強い兄。
守る兄。
でも今回は、討つために。
魚がら台所へ運ばれていく。
「エリア兄ちゃんも食べてく?」
「今日は帰るよ」
「えー」
「また来る」
子どもたちが一斉に頷く。
信じている顔だ。
エリアは門の外へ出る。
少しだけ振り返る。
笑い声。
水を吸った土。
魚の匂い。
いいね。
三年前、ここに立ったときよりも、ずっと。
森の奥に、風が吹く。
魔物が増えていると父上は警戒していた。
討伐隊が来る。
兄が帰ってくる。
エリアは指を軽く動かす。
掌に小さな水が集まる。
静かに消す。
「……楽しみだな」
湖の網は、魚だけのためだ。
けれど。
もし必要なら、別のものも捕まえられるかもしれない。
そんなことを考えながら、エリアは歩き出した。
「兄上が来るなら……」
少しは驚かせてやろう。
僕は歩き出す。
足取りは軽いまま、風だけが少し冷たかった。




