第16話 もう他人ではない
丘へ向かう道は、夕方になると少しだけ冷える。
でも今日は、寒さが気にならなかった。
僕の足が、勝手に前へ出る。
体が軽い。呼吸が浅くならない。目の奥が暗くならない。
(……ほんとに、軽い)
何度も確かめたくて、つい歩幅が速くなる。
走り出しそうになるのを、ぎりぎりで抑えて、僕は丘の上のベンチへ向かった。
そこにはもう、ラミアがいた。
髪を揺らす風に目を細めて、僕のほうを見つけると、少し笑った。
「あ、エリア。」
「今日は遅かったね」
「うん、瞑想が盛り上がっちゃってね」
ラミアは不思議そうな表情だ。
僕はベンチの前で立ち止まり、深呼吸した。
「見て。今日……元気なんだ」
剣の型を振る、二回三回と。
「いつもはさ、一回やるとしばらく動けない」
ラミアは目を輝かせて勢いよくエリアに抱きついた。
「すごい、すごいよエリア」
そしてエリアの顔を良く見る
いつもなら頬に残っている、薄い疲れ。目の下の影。呼吸の癖。
それが今日は、ほとんどない。
「エリア、できたんだね?」
ラミアは小さく頷く。声が、少しだけ上ずっている。
「どーやったの?半年はかかると思ってたよ」
エリアは近過ぎる顔に恥ずかしくなり、少し目を逸らして話し出す。
「えっと……たぶん意味が分からないかもなんだけど」
「いいから、早く話して」
ラミアは気になって食い気味で言った。
僕は苦笑して、膝の上で手を握ったり開いたりした。
頭の中では、鐘楼の床、薄い輪郭、網みたいな形――あの感覚がまだ残っている。
「大きな塊の周りにさ、薄いところがあるって気づいたんだ」
「薄い……ところ?」
「そう。輪郭がぼやけてるみたいな。最初は、気のせいかと思ったんだけど……」
僕は息を整えながら、言葉を選ぶ。
「その薄いところ、動く気がした。流せるっていうより、誘導できるみたいな」
ラミアの眉が、ほんの少し動いた。
否定でも肯定でもない。真剣に聞く顔だ。
「それで、とりあえず小さくしてみたんだ。半分、半分って。何回も」
「……何回も?」
「……数えたら、多分、三十回くらい」
言った瞬間、ラミアは目を丸くした。
「そんなに?それって見えるの?」
「うん。途中で僕もそう思った」
冗談みたいに言ったけど、冗談じゃない。
小さくすればするほど、手ごたえが薄くなって、見ようとするとぼやけて――最後は、少し揺れていた。
「最後に残ったその点は少し揺れてた。……見ようとすると、定まらない感じ」
ラミアは唇を噛むようにして、頷いた。
「それ、たぶん……先生が言ってた“扱うには早すぎる”ってやつかな」
「だよね。だから、それはとりあえず捨てた」
「捨てた!?」
「うん。だって、あれを毎回やってたら、僕が先に壊れそう」
ラミアが笑いかけて、でも途中で止まる。
笑いにしてはいけない、と判断した顔だった。
「それで?」
「それで……違うやり方を思いついた」
薄い部分を、棒にする。並べる。重ねる。網にする。塊に押し付ける――
「薄いところで、網みたいなのを作って……それを塊に当てて、擦った」
ラミアが、固まった。
「……え」
「うん。僕も“え”だと思う。だけど、粒ができた」
「粒が……?ん?網?」
「うん。網目の大きさで揃った粒。小さすぎない。通れる大きさ。そしたら……流れた」
言い終えると、ラミアはベンチの端を握ったまま、しばらく動かなかった。
「よくわからないよ……私でも、そんなふうに体内の魔力をいじれない」
ぽつり、とラミアが言う。
風の音に紛れそうな声だった。
「私は、薄くするのも、流すのも……勝手にそうなる感覚を、掴んでるだけ」
ラミアは僕を見て、少し苦しそうに笑った。
「でも、エリアは違う。やってること、すごいよ。……ほんとに」
ラミアはエリアの才能に嫉妬していた。
それと同時に発想力への尊敬も抱いていた。
そんな複雑な心境での称賛だった。
「これは、すごいのかな?」
エリアは褒められて少し照れていた。
「照れてる場合じゃない」
ラミアは珍しく、少し強い口調になった。
「それ、もう先生に聞かないとだめなやつ」
僕は頷いた。
「うん。僕もそう思った。だって、意味わからないもん」
「薄いところで網を作って擦りました、って……」
「なんだそれ、ってなる」
二人で小さく笑った。
でも笑いはすぐ消えて、話をしだす。
ラミアが視線を落とす。
「私もね……エリアほどではなかったけど、魔力のせいで疲れやすかったんだ」
エリアは驚いたが、それがどの程度珍しいのかわからない。
「大きな魔力を体内に宿す人間は、それを消化するのに体力を使ってるって」
「……うん」
「私がね、魔法具店で働いてたとき高熱で店番ができなくなった事があったの」
「それで買い物にきていた先生に、両親が相談して診てもらって、治してもらった。」
「それから、原因とかなにもかも気になって、無理矢理弟子入りみたいな形になって」
「私は二年かかった、魔法を使うまで」
エリアは聞きたい事がたくさんできて黙っていたが一つ聞いてみた。ラミアの心配と自分の心配を。
「今は、もう平気なんだ?」
「うん。今はもう溜め込まないからね」
ラミアは優しい笑顔で答えた。
「初めてあった時、先生がエリアが疲れやすい事を言い当ててたでしょ」
「あの時からエリアの事、他人事とは思えなかった」
「だからね、一緒に修行して私がいる間だけでも少し感覚を教えられたらって思ったの」
「なのに…」
「もう流せてるなんて、おかしいよ」
嬉しそうだがどこか寂しそうな表情をするラミア。
「そう言われてもなー」
どこか他人事のようなエリアだが、ラミアの思いを聞き嬉しく思っていた。
「でもこのやり方があってるとは思えないんだよ」
エリア的には思いつきをやったら出来ただけにすぎない。そんなものが正解とは思えなかった。
「私にもわからないよ」
「体内魔力を変形させて何かをするって発想がそもそもなかったし、普段はなんとなく薄くしてるから」
先生に聞くしかない。二人ともそう思っていた。
だからなのか、唐突にラミアが言う。
「あと数日で国に帰るんだ」
「調査は、終わりに近い。だから私も一緒に戻る」
ラミアは指先でベンチの木目をなぞった。
「魔法大学の生徒になるのは、まだ先。二年後、飛び級で入れるようにするって決めてる」
「二年……」
「うん。その間は、実家の魔法具店を手伝う。先生の助手も続ける。調合薬の作成とか、道具の手入れとか……魔法もできること全部」
言い方は淡々としてるのに、強い意志がある。
ラミアは、そういうところがある。小さく見えて、決めたら動く。
「すごいね」
「すごくないよ。……私、教えてもらえないのが嫌だから、近くにいるだけだし」
少しだけ、照れ隠しみたいに言って、ラミアは僕を見た。
「エリアは?」
「僕は……」
言いかけて、僕は言葉を探す。
本当は、分からない。
でも、分からないままにはしたくない。
「とりあえずアルバートさんに聞く。もっとちゃんと流せるようにする。……たぶん、それが先かな」
ラミアは頷いた。
そして、少しだけ間を置いて、言った。
「寂しい?」
僕は、すぐに答えられなかった。
考えすぎる癖が出る。言葉にすると、確定してしまう気がして。
でも、今日くらいは、逃げたくなかった。
「……うん」
「そう」
ラミアは笑った。
その笑い方が、少しだけ大人びて見えた。
「私も」
胸がきゅっとする。
僕は慌てて、冗談で逃げようとした。
「じゃあさ、毎日ここに来て、風に向かって“ラミアー!”って叫ぶ」
「やめてね」
「心の中にしておいて」
「叫んでは欲しいんだ」
二人で笑う。
でも笑いながら、僕はちゃんと言った。
「ラミアがいたから、楽しかった」
釣りの話も、魔法大学の話も、くだらない話も。
誰かと話しながら“分からない”を抱えるのは、初めてだった。
「……ありがとう」
ラミアは少し驚いた顔をして、それから小さく頷いた。
「こちらこそ」
夕日が傾き、風が冷たくなる。
僕は上着の襟を持ち上げ、立ち上がった。
「旅立つ前に聞こう」
「うん。そうだね。……先生、困った顔するだろうね」
「それも見たい」
「意地悪だね」
そう言ってラミアは笑った。
日も沈んで来た。
丘の下へ戻る道で、軽い体が重くなってきた。
まだ解決はしていないのだ。
少し胸を押さえていると、ラミアがエリアの手を握った。
この感覚、薄くして流される。
「…ありがとう」
「どういたしまして」
夕陽に照らされたラミアは綺麗だった。
二人はそのまま手を繋いで丘を下っていった。
軽い体のまま、胸だけが少し重い。
でも、その重さは嫌じゃなかった。
(……また会うとき)
僕は、もう少しちゃんと立っていたい。
魔力のことも、自分のことも、逃げずに。
そんなことを考えながら、僕は丘を降りた。




