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エイリアン・ブラスター  作者: 九詰文登
第一部 流星のかけら 第一章 流星を撃った女
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#003 軋むコンクリートに囲まれて

 かつて都市を繋いでいた地下鉄――基地の静寂を打ち破ったのは鈍く響く殴打の音だった。

「ちっ」

 殴られた女は、血の混じった唾を吐き捨てながら立ち上がる。あろうことかそのまま、自らを殴った上官を睨みつけた。透き通った翠の虹彩の奥。黒い瞳に僅かな殺意が揺れる。

 艶やかな黒髪は高く束ねられ、整った輪郭を隠すものはない。戦場にさえ立っていなければ、可憐とさえ言われたかもしれない見た目。その整いすぎた容姿は、まるで被造物のような、神が作り上げた人形のように、妙に不安を掻き立てる。

 その女の名前はナギ。議事堂襲撃作戦での唯一の生き残り――チャーリーだった。

 消えそうな蛍光灯は、無骨なコンクリートの壁と安物のオフィス机を照らす。それはナギの怒りを抑え込むために用意された檻のようだ。その光が照らす頬には、さきほどの一撃によって、じわじわと青紫の痕が広がり始めていた。

 心の痛みで眠れぬ夜に比べれば、殴打の身体的苦痛は寧ろ快感すら覚える。

「上官に殴られても、立ち上がり、睨みつける胆力――それだけは他の新兵にも見習わせるべきだな」

 そう言った男は白髪交じりの髪はワックスでかき上げられ、小綺麗なワイシャツを着ている。立ち上がってようやく見える迷彩柄のズボンを合わせた全体像は不釣り合いで滑稽にすら思えた。しかしこの男が言い放った皮肉めいた言葉に、暴力的な空気が静止する。それは安心には程遠い代物で、もっと奥底の生物の本能が反応する恐怖だった。

 節々で見える太い首筋に傷の入った腕。それらを備えて微笑む顔を見て、ナギは自らの境遇に冷や汗をかいた。この男は、罵声も殴打も必要なく、人を従わせる。この男こそ組織の頂点に立つ司令だった。

「司令! こいつがロケットランチャーなんてものをぶっ放すから――!」

 深い緑のTシャツに、司令と同じ迷彩柄ズボンはスラックスのように折り目までぴっちりと刻まれている。だがその手は、ナギを殴った衝撃を確かめるかのようにゆっくりと擦られている。鍛え上げられた巨躯と、皮膚に突き刺さるような気迫を持った姿は、見るだけで背筋が伸びる。司令が畏敬なら、この男は畏怖。暴力と荒々しい気迫の上に築かれた、純粋な恐怖による統率。彼こそ兵士らの頂点――兵団長だ。

「ああ。ここもいずれは潰されるだろうな」

 異星人に反旗を翻した者たち――レジスタンスの基地は、かつて世界全土に点在していた。しかし次々と壊滅し、今や彼らが立てこもるこの地下鉄基地だけが残されている。

「まあそうしたら、また新しい場所を見つければいいさ」

 笑いながらそういう司令に、ナギを殴った兵団長は不満そうに顔をしかめる。

 この男は何の根拠もなく、そんな無茶なことは言わない。何か考えがあって、この二人は呼び出された――そういう打算的な男であることは二人も理解していた。しかしその飄々とした態度から、どこか信用しきれない危うさを孕んでいる。

「こんな新兵のために基地を一つ、しかも最後の基地ですよ!?」

 兵団長は、まるでナギへの怒りを司令にぶつけるように言い放った。ナギは怒号が反響する天井を、恨めしく睨む。息をついて出たのは言葉ではなく、深い溜息だった。

 昨日の今日でまともに眠れていない。ナギは疲れ果てた声で、「もういいですか?」と呟きながら、ドアノブに手をかける。

「ナギ新兵。殴られたらそれで終わりだと、本気でそう思っているのかい?」

 司令は優しい声音でそう告げるが、ナギは明らかに自らの咎への追及が終わっていないことを悟る。

「皆の命を無駄にしたくない。その感情は大いに理解できる。しかしそれにはあまりにも釣り合っていない。君が仲間との思いと、天秤にかけたのは、この基地――全員の命だ」

 向き直ったナギに湧き上がるのは――仲間を軽く扱われたことへの怒り。その怒りが喉の奥で膨れ上がっていく。司令の正論と罪悪感がそれは間違えた感情だと押し潰そうとするたび、その怒気はより熱を増していく。

「あの攻撃が成功する、それに越したことはない。しかし本気で、ただのロケット弾で《使者》を殺すことが出来ると信じていたのか?」

 あの瞬間は本気の殺意を込めて放った。しかし今考えてみれば人間の火薬兵器がエイリアンの技術を破壊する可能性なんて――ない。それに気付いたナギは、痛みと共に言葉を呑み込む。

「いえ、ありません」

「そうだ、我らの兵器では彼らの兵器は破壊できない。だから虚を突くための狙撃作戦だったんだ。私はそれをちゃんと理解していると思っていたが……」

「しかし――」

 反論でも言い訳でもない。ナギの中に残る仲間たちの笑顔、訓練での笑い話、そして死に際の絶望に歪む顔――拳を握りしめるしかない自分を憎く思う。

 彼らと任務に出たのはこの作戦が初めてだったが、訓練の名のもとに二週間を共に過ごした。

――あの日々の私たちは、確かに「家族」だった――

 その思いを、気持ちを理解して欲しい、咎ならいくらでも受けるから、というナギの言葉をそのまま代弁するように、司令が言葉を継いだ。

「――しかし仲間の死体は既に多く我々の背後に築かれている。そこにたった四人の死体が追加されただけだ」

 ただ淡々と言う司令の言葉にナギは涙を堪えるように目を瞑り、ぎりと奥歯を噛み締める。そんな言葉を受け入れられるはずがない。

「だからこそ成し遂げなければならない」

「え?」

「数々の死体を見て、私も自らの無力さに何度も打ちひしがれた。しかしどれだけの死体の山を築こうとも、この地からエイリアンを排除することが出来れば、彼らは報われる。自分の命は無駄ではなかった、と。だからこそ私たちは背負わなければならない。彼らに報いるためにも」

 司令の言葉に込められた悲哀にナギは気づく。司令とて人間で、ナギと同じエイリアンの排除という目的を掲げている。そんな彼も乗り越えたわけではないのだ。その全てを抱え、心の奥底に秘めている。

「君の行為は軍規に照らせば、スパイの嫌疑をかけられてもおかしくない。かつての厳格な時代なら、即処刑という選択もあり得た――だが今は違う」

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