第一話 総統閣下、空へ
1994年、ドイツは苦境に立たされていた。
大西洋の壁と謳われた防衛線を突破されたドイツは防戦一方であり、事態を重くみたヒトラーは……
『我々には兵器が不足している! あのアハトアハトよりも、ドーラよりも、ティーガーよりも、イペリットよりも! 何よりも強い兵器が必要なのだ!』
ヒトラーは戦局を打破すべくあらゆる研究所に新兵器の設計、製造を依頼した。
「これが兵器だというのか? 毒ガスに見えるが……」
水族館のような分厚いガラスに囲まれた水槽を見ながら、ヒトラーはそう言った。
ノルマンディー突破から数日後、ヒトラーはゲッベルズと共にある研究所を訪れていた。新兵器ができたと知らせを受けたからである。
だが実際にその地へと赴いたヒトラーの表情は険しかった。ブラシのような口髭を撫でつつ、研究員が嬉々として水槽の説明をしているのをじっとみていた。
研究員の手には試験管が握られており、中に入っている液体を水に注げば魚などが兵器に変わるとのことだった。
「これは水棲生物を変異させ兵器として扱うことができるようになるものです。ははは、まぁ規模はどの程度になるかは実験段階なのですが……」
「効果はさておきその無差別さは毒ガスと変わらんではないか。それならば既に我が帝国も扱っているぞ。……使えばあらゆるところから毒ガス攻撃を食らうだろうから使用できないが」
「あくまで効果は水棲生物に限られます。今後の実験でどの程度の範囲に影響を及ぼすのか分かれば制御も容易かと思われます」
物は試し、そう言いながら研究員は試験管の中身を水槽の中に入れてみた。
水槽には小さめのホホジロザメが一匹入っているが、液体を入れた瞬間、変化が起きた。
「ゴ、ゴゲエエエエッ!」
ホホジロザメは口から巨大な牙を生やし、背にはまるで鋭利な剣のようなものが乱立する。
化物の誕生を、その場にいる全員が目撃していた。
「……よし、扉を開けて中にいれてやれ」
研究員は無線で水槽の後ろにある扉を開けさせた。
そこから出てきたのは、一分隊ほどのアメリカ兵と思われる男たち。
全員が銃や軍服などを着込んでいる。
「おい貴様! 総統閣下を殺すつもりか!」
「これは防弾ガラスです。あの武器では傷一つつけられませんよ。ご覧ください。これが我々の研究の成果です」
ヒトラーの姿を見るや否や、アメリカ兵達は一斉に銃を撃ってきた。
「実弾を渡す馬鹿がいるか! お前は必ずダッハウに送ってやるからな! それかソーセージのタネにしてやる!」
その場に伏せ、頭を手で守りながらヒトラーは喚いた。
「これをご覧になった後で、私の処遇を決めてください。それにガラスは砕けませんよこの程度ではね」
研究員の言う通りだった。アメリカ兵の放った銃弾はヒトラーの間に設けられたガラスを傷つけることすらできず明後日の方向へと跳ね返っていた。
「ご覧ください。サメが音を聞き付けたようですよ」
「銃声が聞こえないようなサメなら障害者としてアウシュヴィッツに送ってやるわ……うん?」
恐る恐る顔を上げたヒトラーが見たのは、サメに一方的に食い殺されるアメリカ兵達の姿だった。
仲間を助けようとした兵士は銃弾をサメに向かって撃つがサメの固い皮膚を貫くことはできず頭から齧られて死亡した。
垂れた血で水槽が真っ赤に染まる様を見て、ヒトラーは歓喜した。
「これは、素晴らしいものだ」
隣にいたゲッベルズも思わず拍手を送る。
「対戦車兵器や爆弾、火炎にもある程度耐えられます。無論地上での活動時間も長い。普通の魚にも使えます。加えて毒ガスよりも安価に製造することも出来るでしょう。いかがですか? 我が研究所の研究成果は?」
立ち上がったヒトラーは研究員の手を掴み、固く握手を交わした。
「ゲッベルズも言った通り素晴らしい成果だ。勲章をやろう。研究費と、これの量産が出来るように施設も見繕う。君はそこで所長をやりたまえ」
「我等ゲルマン民族の鉄血の意志がこれを産み出したのです。これがあれば地球全土を掌握することも可能でしょう。総統閣下、今後とも我が研究所をご贔屓にお願いいたします」
「無論だ」
来たときとはうってかわって上機嫌になったヒトラー、早速帰って各所に指示を出そうとした。そんなときだった。
「あっ……」
ヒトラーと一緒に歩いていた研究員がコケた。そして手に持っていた試験管が宙を舞い、地面に落下。飛び散った液体がヒトラーにかかった。
「ぐ、ぐが……あ、ああ!」
液体を浴びたヒトラーはその場に倒れこみ苦しみだす。
そして先程のサメ同様、身体の変化が出始めた。伸ばした手が鋭利な剣に変化、分厚いガラスを突き破り、中に居たホホジロザメだったものに接触する。
「貴様! 人間には効果が無いのでは無かったのか!?」
「わ、私にも分かりません! 少なくともこれまで実験で使った人間には全く効果など……」
「ええい! 総統閣下! お気をたしかに!」
ゲッベルズがヒトラーに触れようとした時、ヒトラーは眩い閃光に包まれる。
眩しさでたまらず目を閉じたゲッベルズ、閃光が収まったあと、彼が見たのは驚くべきものだった。
「な……な……」
「なんとこれは……」
閃光が収まると同時、現れたのは巨大なサメ。
ほとんど通常のサメと変わらないがいくつか変わっているものがあった。
「ジィィィィィクッ!! ハイルッ!!」
ヒトラーだったものが叫んだ。
サメの頭部が、そのままヒトラーの頭部に置き換わっていたのだ。サメの体長に合わせた巨大なヒトラーの頭部へと。
ヒトラーシャークの誕生である。
「総統閣下ァッ!!」
「ゲッベルズ! 各所への根回しはお前がやるんだ! 戦線はこの私が何とかしよう! ジィィィィィクッ!! ハイル!!」
そう言ったヒトラーシャークは更に身体を巨大化させ、研究所の屋根を突き破る。
「ジィィィィィクッ!! ハイル!!」
ヒトラーシャークはサメの肛門にあたる場所からまるでロケットのような推進装置を作り出し、空へと舞い上がった。
「ジィィィィィクッ!! ハイル!!」
そしてヒトラーシャークはレシプロ機とは比にならないほどの速度で何処かへと去っていった。
あとに残されたのは呆気にとられる研究員とゲッベルズのみ。
「……研究費は工面してくれますよね?」
ゲッベルズは研究員を殴った。