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春日山城攻略戦開始

春日山城。

言わずと知れた上杉家の居城である。

始まりは南北朝時代とされるが、現在の姿になったのは先代上杉謙信の時代。

その名を冠する春日山を築城された山城で二百以上曲輪を持つ難攻不落とされる。

そして、その名に恐れをなしたのか、数多くある「戦国時代の架空戦記」の中でも春日山城攻略に成功した武将はいないと言っていい。


史実でも春日山城は後世につくられた五大山城の中で唯一落城の経験がない。

ただし、攻められた経験がないため、それが必ずしも難攻不落を示しているとは言えない。

さらにいえば、史実にある秀吉の小田原征伐の際に難航不落とされた山城である八王子城や山中城が僅か一日で落とされていることから力攻めでも攻略できることを示しているし、城攻めの基本である包囲戦で落ちない城はない。


ただし、春日山城に籠る上杉方にも有利な点はある。

冬までの時間である。

織田方が完全な包囲を維持できるのは五か月が限度。

その後の四か月は雪のため包囲を緩めるしかない。

食糧調達や大規模な攻勢は厳しくても城からの脱出は可能となる。

本当に捲土重来が可能かどうかはともかく、とりあえず落ち延びることは可能ではある。

織田方としては、景勝を取り逃がし越後で再起を図られるわけにはいかない。

冬が来る前に決着をつけることが基本方針となる。

そのためにはどこかの時点で力攻めをせざるを得ない。


戦いの前提条件を語ったところで、両軍の戦力分析もしておこう。


春日山城に籠る上杉軍の総数は二万を大きく割り込む。

まず、景勝が越中救援に向かった際に率いた数は八千。

四万に織田方を相手にこの数で勝てると思っていたのならともかく、そうでなかった場合、その理由はひとつ。

それだけしか率いる兵がいなかった。

魚津城を救援するという目的で当主である景勝が出陣しているのだ。

それにもかかわらずこの数というのはそれ以外に考えられない。

結局八千程度でどうにかできるわけはなく、魚津城救援どころか、包囲する柴田勝家率いる織田軍と一戦も交えることなく越後に引き上げている。

さらに、北信濃から侵攻してきた森長可の五千に対して春日山城から迎撃部隊を出すことなく春日山城近くまで攻められていることから、五千という数は春日山城の残る者たちにとって自分たちだけどうにかできる数ではなかったということを示している。

それどころか、僅か五千の兵が侵攻で景勝が魚津城を見殺しにして撤退するということは、春日山城の守りは五千でも落とされる可能性がある程度のものだったということになる。

そういうことから考えれば、春日山城の守備兵は二千も残れば御の字というところ。

つまり、景勝とともに春日山城に籠っていたのは周辺の兵を合わせても二万どころかその半分。

春日山城の特徴でもある家臣もこの城に居住していたため、女子供もそこに加わるのでさらに数万が上積みされるが戦力としては一万。


では、上杉方の残りはどうなったかということなのだが、当然その主力は北越後に拠点を置く者たち。

この頃には「御館の乱」とその恩賞への不満から彼らには先代上杉謙信の頃の忠誠心などはない。

情勢不利と悟った彼らはすでに人質を差し出して織田に臣従を約束している。

当然彼らはこれから始まる春日山城攻めに加わることになる。


一方の織田軍。

春日山城包囲の指揮は柴田勝家。

その配下は佐々成政、前田利家、佐久間盛政、金森長近、原政茂、山中長俊ら。

四万。

さらに、春日山城攻略戦の一番乗りを果たした森長可ら北信濃勢八千、新発田重家と五十公野信宗、本庄繁長、色部長真など北越後の旧上杉勢五千、上野から三国峠を越えて侵攻し周辺を平定してきた滝川一益の一万二千も加わり、七万近くまで膨れ上がる。


むろん、全員が力攻めを望む。


まず、「鬼武蔵」こと森長可が「自分たち信濃勢だけで春日山城を落として見せる」とその名に相応しい主張を展開する。

当然、それに負けてはいられないとばかりに前田利家、佐久間盛政らが「自分たちが対上杉戦の主体であり手伝いの小僧ごときに景勝の首は譲れない」と喚き散らす。

さらに新発田重家と五十公野信宗は自分たちを軽んじた景勝に対する恨みを朗々と語り、本庄繁長、色部長真などほんの少し前まで上杉家家臣だった者たちはここが自身の生き残るチャンスとばかりに「春日山城は自分たちの庭であり先鋒は自分たちこそがふさわしい」と主張する。


猪武者の集団と化した織田軍。

本来自身のその筆頭ではあるものの、総大将というそうは言えない立場である勝家は、「信長様の到着し差配するまで包囲を続ける」という決定を下し、どうにか抑え込むことに成功。

そして、ここで例の書状をしたためる。


ときに七月一日。


春日山城攻略戦はこうして始まる。


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