越後仕置き
九月五日。
信濃国諏訪に到着した信長を信忠、家康、勝家らが待っていた。
残念ながら上杉景勝の首は特定できなかったものの、その死は間違いなく、また一族がすべて火の中に消えたことを信忠より報告されると大いに満足する。
続いて、越後の仕置きを発表する。
主なものは次のとおりとなる。
森長可 北信濃に隣接する魚沼郡内加増二万石
金森長近に西越後四郡二十四万石。
ただし、越前大野郡の領地は収公のうえ柴田勝家へ。
史実では長近はそう目立つ武将ではなかったのだが、長篠の戦い後、名前に信長の一字を貰っていることからもわかるとおり、その戦いで活躍し、さらに相応の地位と信頼を得ていた。
さらに息子で本来の跡取りになるはずであった長則は本能寺で死んでいる。
北陸方面軍で活動していたことも含めて考えるとこの加増はそうおかしいものではない。
新発田重家 岩船郡、蒲原郡内六万石。
五十公野信宗 蒲原郡内三万石。
この二人に関しては史実でも信長に通じて上杉に反旗を翻している。
本能寺の変がなければ、越後領内で相応の待遇を受けたことだろう。
本庄繁長 蒲原郡内二万石。
史実のうえでは景勝の有力武将の地位を得ていくのだが、何度も叛乱を起こしている。
景勝の旗色が悪いとみたら、裏切ったことは確実であろう。
上条政繁 刈羽郡の一部一万石。
色部長真 岩船郡内一万石。
あわせて長近は旧越後の上杉の家臣団に対する支配権を与えられる。
本来であれば、春日山城をその居城とするところであるが、戦いでほぼすべてが焼き落ちているため、城の体裁が整えられている雁金城を拠点と定める。
また、信長の側近のひとり菅屋長頼に越前府中に十万石。
これは以前から決まっていたもので、ここで実現することになる。
そして、勝家率いる北陸軍はさらに北上し、出羽、陸奥の平定戦へと進む。




